臨時休業の理由
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
小さな音をたてて置かれたグラスの中に注がれた飲み物。
他に客も従業員も誰ひとりとしていない2人だけの空間。
ここはエンジェルズシェアと呼ばれるモンド城の一角にある酒場だ。
この酒場においてそれができるのはディルックがラグヴィンド家の当主でこの酒場がその所有物だからだろう。
だから彼は開店前の準備と自身がバーテンダーとして立つことを約束して、開店前のエンジェルズシェアを貸切にした。
それというのもディルックの最愛の妻であるなまえがこの酒場に興味を持っていたことを知ったからだった。
彼は普段バーテンダーに立つ時の姿になってカウンターを挟んでなまえと対面していた。
「バーテンダーのお姿もまた違った趣で素敵ですね」
普段の髪型とはまた違った髪型となり、上着を脱いだディルックの姿を見てなまえは楽しそうに笑った。
「君は……、ずいぶんと素直になったな」
あれだけディルックの求婚を断り続けた彼女は結婚してからは随分と素直に物を話すようになったと思う。
その理由は彼女を縛るものがなくなったからということを知っていても素直なその態度は嬉しくて、ついついその話題を出してしまう。
「はい。あなたが私を望んでくれたことをちゃんと理解しましたから」
「……そうか」
にこにこと嬉しそうにディルックを見つめるなまえに彼はただ一言それだけを返した。
そんな態度にそれが照れ隠しも含まれていることに気づいていたなまえは小さく笑う。
2人以外誰もいない静かな店内になまえの笑い声が響いて、それだけで連れてきて良かったとディルックは心の底から思っていた。
なまえは普段からほとんど外出はしない。
ローレンスのことはひと段落ついたが彼らがそう簡単に諦めるような一族ではないことはなんとなくわかっている。
そうでなければ千年もの間その火を絶やさぬようになどできるはずがない。
だがなまえは正式な方法でラグヴィンド家の者になった。
信頼する友人達が見守る中で西風教会の主教の前で2人は将来を誓った。
ローレンスの者が強引な手段を使ってくる可能性は否めないがそれでも法的な拘束力は存在している。
その力がどれだけ彼らに影響を及ぼすことができるかは謎であるが今のところはなまえは無事にディルックのそばにいる。
「エンジェルズシェアはこのようなお店なのですね。エウルアはいつもどこに座っているのでしょうか……?」
カウンター席に座るなまえがぐるりと店内を見渡した。
吹き抜けから二階も少しだが見える。
そして……いや、やはりというべきかなまえは酒場に通う一番身近な人物であるエウルアについての話を聞きたがった。
ディルックだってそんなにエンジェルズシェアにいるわけではないが、妻が気にしていることは知っていたのであらかじめ情報は得ていた。
「彼女はガイアやシスターロサリア達とも飲むこともあるらしいが、1人で飲んでいる方が多いな」
「ふふっ、ガイア様もエウルアと仲良くしてくださっているのですね」
思い出すように話す夫の言葉になまえは安心した。
ローレンスだからと言って、頭ごなしに否定するような人達ばかりではないことは知っているが改めてディルックから聞かされると嬉しくなる。
「そういえばシスターのロサリア様という方は存じませんがシスターでもお酒を飲まれるのですね」
感心したように言葉を紡ぐなまえにディルックは少しだけ眉を顰めた。
本来であれば聖職者が酒を飲むなどということは褒められるべきことではない。
「……彼女ぐらいじゃないか。僕が知る限りでは教会のシスター達は昼夜問わず祈祷や祭祀で忙しくしているはずだ」
「?」
シスターの本業は神に仕えることである。
祭祀者であるから当然朝と晩には祈りがあり、貧しい人々への奉仕活動、布教等々日々忙しくしているはずだ。
ロサリアのように酒を飲みにくる時間などないはずだが彼女は本来聖職者が為すべきことにあまり熱心ではないらしい。
その理由をディルックは知っているが己の妻に話す内容ではない。
彼女にはもうそのような陰謀や策略などと言った後ろ暗いこととは正反対のところにいてほしい。
己の行動がその薄暗い場所にあることを知りながらディルックはそんな自分勝手な考えを捨てられないでいる。
「ロサリア様は……変わったシスターなのですね」
「……そういう言い方もできるかもしれないな」
ディルックの思惑も知らずに話を聞いてなまえは素直な感想を口にした。
闇で動くロサリアを思い描きながらディルックは何も知らないなまえの言葉に同意した。
モンドを出ていた数年間ディルックが何をしていたのか彼女にはまだ打ち明けられていない。
なまえならきっと受け入れてくれることはわかっていた。
ずっとディルックを想って彼のことを考え続けてくれた彼女のことだから例えどんな事をしていようとも受け入れてくれる。
その自信はあった。
けれどずっと他人に背を向けて生きてこなくてはいけない彼女だったからこそ、あまりそういう暗い話はしたくなかった。
もしかしたら、それは妻の中での夫がずっとモンドの貴公子と呼ばれる清廉潔白なディルック・ラグヴィンドという姿でいてほしいという彼の欲だったのかもしれない。
愛して、諦められずに渇望してようやく妻にできた彼女だからこそ尚更、彼はそのように考えたのかもしれない。
だからディルックはなまえに何も告げない。
ロサリアのしていることも、自身のことも。
その代わりに彼はカウンターを出て座っていた妻の隣に腰掛けた。
「ディルック様?」
「……僕もたまには客の気分を味わおうと思っただけだ」
自分でも笑えるほど下手な誤魔化し方だった。
普段の言動とは違うことも理解していながら、ディルックはその言葉をなまえに放った。
彼女はその言葉を素直に受け止めた。
「ふふ、そうなのですね。私もディルック様のお隣に座れて嬉しく思います。あなたと並んでこのような席に座るとなんだか恥ずかしいですね」
絡む視線が近くなってなまえは恥ずかしくなってグラスを見つめた。
普段食事の際に隣同士で座ることなどない。
酒場という場所のカウンター席の距離はそれほど離れているわけではない。
ソファーに並んで腰掛けるような距離感だが、場所が変わると気恥ずかしくなるのはなぜだろうか。
ディルックの思惑を知ってか知らずかなまえはディルックの入れたお酒の入ったグラスを揺らすと不意に口を開いた。