内向的少女は如何にして神の遺志を継いだのか
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何かを得るということは同時に何かを失うものである。
珊瑚宮という名はこの海祇島では特別な意味のある氏だ。
海祇島の住民の多くは海の底から来た民の末裔であるとされている。
その海底からどのようにしてこの地に来ることができたのか。
それは海祇島の民たちが信仰する海祇大御神の力によるものである。
しかし神は雷電将軍によって切られ、祟り神となった。
心海は海祇大御神の神話を聞いた時、理解せざるを得なかった。
兵法書を読み込めるほどの頭の良い彼女だったからこそ幼いながらもその意味に気がついた。
心海は自分のなりたいものになることはできない。
かつて海祇島の民を海底から地上へと誘い、さらに命を賭して守り抜いた海祇大御神の遺志を継がなければならないと。
それが珊瑚の名を冠する一族の宿命であることを知ってしまったのだった。
――
「おはよう、ココミちゃん!」
人付き合いが苦手で自室で本を読むことが多かった幼き頃の珊瑚宮心海にとってなまえは唯一の友と言っても過言ではなかった。
「準備はいい? 外行こう!!」
「おはようなまえ。今日はどこに行くの?」
「良い場所見つけたんだ!」
なまえは心海の手をとって歩き出した。
こうして彼女は部屋に篭りがちな心海を度々外に連れ出した。
はじめは躊躇っていた心海も今ではなまえと一緒ならと外へ飛び出すまでになった。
引きこもりがちな少女の正体はその時はまだ有名ではなかったから心海が外に引っ張られようと何も問題はなかった。
「良い場所? いつものお花畑ではないの?」
「うん! あそこならきっとココミちゃんも落ち着けると思う!」
だからなまえがあの現人神の巫女を輩出する一族の娘である心海と外で遊んでいてもそれを咎めるものは誰1人いなかった。
心海の家族も珊瑚宮の巫女達も部屋に篭りがちな心海を連れ出すなまえには少なからず感謝をしていた。
いずれ海祇島を率いなければならない少女には本の知識だけではなく、見聞も必要なのだから……と。
今回、なまえが心海を連れて行った先はあまり人目につかない洞窟だった。
洞窟と言ってもずっと奥まで続いているものではなく、雨風をしのげる程度の浅さだ。
それでも、かなりの広さがある。
「見て! どうかな? ここなら人目にもつきにくいし、珊瑚宮も見えるからいいと思ったんだけど……あんまりよく見えないねー」
「すごい……。よく見つけたね」
見えると思ったんだけどなあ、と残念そうにつぶやくなまえの後ろで心海は近くにこんな場所があったのかと感嘆の声をあげた。
「でも、ここばかりいちゃダメだよ!」
そう言ってなまえは心海に向かって笑いかけた。
しかし、それももうずっと過去のことだ。
なまえはもう心海の名前を呼ぶことはない。
手を引いて歩いてくれることもない。
手を握ってくれることすら、ない。
それは心海が現人神の巫女として海祇島をまとめ上げることになったからだ。
先代の跡を継ぐことが決まったあの日、そのことを告げるために心海はなまえの元へ走った。
心海は不安だった。
自分が島の代表になれるのか。
心海は背中を押してほしかったのかもしれない。
遺志を継ぐことが珊瑚宮の定めだとしても心海は自分が人の上に立つに値する人間ではないと思っていた。
自信がなかった。
今までの現人神の巫女達のように海祇島を、海祇大御神の遺志を継ぐことができるのか不安だった。
だから本当の心海を知ってなお傍にいてくれる友からの「大丈夫」の一言が欲しかったのかもしれない。
けれど、なまえは心海の望む言葉をくれることはなかった。
心海がなまえを探して彼女の好きな花畑に着いた時、彼女はその花々に囲まれるようにして腰をおろしていた。
花が咲き乱れるそこはなまえの好きな場所だった。
心海が最も多くなまえに連れて行かれた場所。
なまえはその花畑の真ん中に座っていた。
そんななまえを見つけて心海は跡を継いだことを伝えた。
しかし、なまえの顔にはいつものようなこちらまで安心できるような笑顔はなかった。
それどころかひどく真面目な顔をして衣服の埃を払い、きれいに服のシワを伸ばしたなまえ。
そして姿勢を正した彼女は心海が感心するような慣れた所作で深々と頭を下げた。
「――おめでとうございます、珊瑚宮様」
「え、……なまえ……?」
心海は自分の耳を疑った。
昨日までココミちゃんと親しげに呼んでいた声はもうどこにも存在しなかった。
「なまえ、どうして……? 私は……、」
現人神の巫女。
海祇島の代表。
そんな肩書きとは関係なしにそれでもなまえとはずっと良き友でいられると思っていた。
「……」
動揺する心海がいくら名前を呼んでもなまえが顔を上げることはなかった。
結局、就任の準備をしなければならない新たな現人神の巫女を探す声によって心海は最後までなまえの顔を見ることはできなかった。
その後、心海は現人神の巫女として海祓島の代表としてその座に就くこととなる。
心海は考えていた。
どうすればなまえと以前のように仲良くできるのか。
幼い頃より本に親しんできた心海は自身の一番好きな兵法についての本を手にとった。
なまえの心を取り戻すにはどうすればいいのか。
どうすれば以前のようになまえに会えるのか。
何通りも、何十通りも、何百通りも考えた。
でも、すべてうまくいきそうになかった。
はじめて人を動かすことは兵法とは違うのだと学んだ。
そして、いくら心海が優れた兵法家であろうとも時は平等だ。
しかも今の彼女は現人神の巫女である。
自分のことばかりを考えてはいられない。
ただでさえ、若い見た目に能力を疑う人々がいる。
珊瑚宮の一族が今まで絶やすことなく守り続けてきたその地位を若いという自分ではどうしようもできない理由によって脅かすわけにはいかない。
心海はなまえとの関係の修復について考えるどころか彼女と会うこともできずに日々の雑務に追われることとなった。
そのうち、心海はなまえに対する策が浮かばない自分から逃げ出すように海祇島をより良くするための政策を考案することに没頭することとなる。
「……頭が、痛い……」
しかし現人神の巫女の仕事は書類仕事ばかりではない。
海祇島の代表として島外の……鳴神島との外交や、島民たちとの交流もしなければならない。
仕事に没頭することで自身のおかれている状況から逃げ出していた心海は別の精神的危機に陥った。
島の代表としてふるまうことは心海にとってはとても疲れることだった。
ましてや慣れない作業も同時進行で行っていて、がむしゃらだった心海。
そんな彼女だったが、さすがに限界に近い。
「……、」
もうだめだ。
この仕事を続けられない。
揺らぐ視界に痛む頭。
心海はふらふらと立ち上がる。
「少し、席を外します……」
そう珊瑚宮の巫女に一方的に伝えて珊瑚宮を出て行く心海を誰も止めようとはしなかった。
彼女が碌に休みもとらずに仕事に追われていたことは皆が知っていたからだ。
ふらふらとあてもなく歩んでいた。
そのはずだったのだけれど、心海の足が向かったのはあの洞窟だった。
――ココミちゃん!
積み上げられた本。
二人で運んだ机や棚。
少しだけ埃がかぶったそれらはずっと使われる日を静かに待っているかのようだった。
心海が足を向けた場所こそがなまえが見つけた「良い場所」だった。
埃を払い、そこに備え付けられた椅子に座り、目の前の机に突っ伏した。
現人神の巫女らしくないのかもしれない。
けれど、ここには誰もいない。
なまえさえもいないけれど思い出があった。
それに人目にもつかない。
ここならば珊瑚宮も望瀧村も近いのでもし何かあったとしてもすぐに駆け付けることができる。
ここはひとりになるにはうってつけの場所だった。
この日からここは珊瑚宮心海の秘密基地となった。
――――
それから心海は現人神の巫女として勤めているその間一度もなまえと会うことはなかった。
就任したばかりのころに溜まっていた雑務を片付けて、海祇島の島民たちの信頼を勝ち取り心身ともに余裕ができた時、なまえの母親に会った。
彼女は珊瑚宮で先代の現人神の巫女に仕えていた巫女だった。
そんな彼女にたまたま出会った心海はそれがチャンスだと思った。
そしてなまえの近況をそれとなく尋ねたところ、なんと海祇島を出たらしい。
母親は自分と同じように現人神の巫女に仕えると思っていたようだがそうではなかったと少し不服そうであった。
その時の心海の心がどれだけ衝撃を受けたのかきっと誰も知らないだろう。
だから心海はなまえと別れたあの日から彼女の姿を見ていない。
それでも心海は海祇島のために名実ともに現人神の巫女となった。
そして数年が過ぎ当代の現人神の巫女も歴代の巫女達のように海祇島での指導者の地位を確固たるものとした。
もう彼女の若さで能力を疑うものなど存在しない。
「……ふう」
現人神の巫女の姿を消せるのはもはやこの秘密基地でのみになってしまった。
内向的な心海には負担のかかる現人神の巫女という立場。
しかし逃げるわけにはいかない。
棄民と呼ばれ、暗い海の底で暮らしていた先祖達のために力の源である珊瑚を折った海祇大御神のためにも。
その海祇大御神が祟り神となろうとも、海祇島の民は
そしてその遺志も同じように守られるべきものだ。
「……」
遺志を受け継ぐのは当然である。
命を賭して守り抜いた海祇大御神のためにも、雷電将軍の鳴神島と完全に迎合するわけにはいかない。
現人神の巫女という名は海祇大御神の代弁者でもあるという証でもある。
しかし、現人神の巫女は心海にとってとても心身に負担がかかる。
その負担を和らげる時に使うのがこの場所だった。
珊瑚宮にいると否が応でも仕事のことが気になってしまう。
休み慣れた場所の方がより心を癒すことができる。
「……?」
ある日、いつものように自分の精神安定のために秘密基地にやってきた心海は机上に見慣れぬ物があることに気づいた。
今はもう誰も知らないはずなのに、そう思いながら心海は少しの警戒心を含んで近づいた。
近くに来るとそれが手巾だと気づいた。
立体的に膨らんだそれはこの布の下に何かがあるということだ。
手巾にかけられた何かがそこに置かれていた。
置いた覚えのないそれにやはり警戒心をとかずに心海は布をめくった。
「……これは、」
そこには一冊の本があった。
見たこともない本で、心海の私物ではないことは明らかだった。
分厚い本だ。
その本の上に置かれたもの。
それは一輪の花。
新鮮なそれはまだ摘まれてから時間が経っていないようだ。
かつてなまえとただの友達であったときに彼女が教えてくれた一番好きな花だった。
心海はひっそりと、だが震える手でその花に触れた。
それはこれを置いたのがなまえかもしれないという期待と不安の表れだった。
これはなまえが心海と会うつもりがないという意思表示なのだろうか。
なまえはもう心海の名前を呼んではくれないのかもしれない。
けれど、それに至るまでの葛藤と揺るがない決心に現人神の巫女となってようやく気がついた。
心海も現人神の巫女になるにあたって、同じように覚悟を決めたから。
その時になまえの本当の気持ちを理解した。
「なまえ……」
上に立つものは公正でいなければならない。
海祇島では特に気をつけなければならないことだ。
なぜなら現人神の巫女の好きなものは島民に好かれ、逆に嫌いなものは嫌われるのだから。
心海が友達であるなまえにばかり話しかけていてはだめなのだとそういうことだった。
「……なまえ、なの?」
ドキドキと胸の鼓動が全身に響く。
心海は期待していた。
花を握る手とは反対の手で本に触れた。
そのまま指で表紙をなぞり、その本のタイトルを心の中で読み上げた。
まだしおれていない真新しい花をみればここに置かれたのは時間がたっていないことはすぐにわかった。
なまえの好きな花に、心海の知らない他国の兵法書。
それが指し示す結果に期待した。
だが心海は一つの物事に対して多くを想定できる根っからの軍師気質だ。
当然想定しうる最悪も頭をよぎる。
いつも自分の望む結果ばかりではないことも理解していた。
ましてやそれが他者の行動予測に関してならば特に思い通りにはならないものだ。
もし、なまえではなかったら?
その時は今度こそエネルギーが切れてしまうかもしれない。
そうなると皆に迷惑をかけてしまう。
未来を想定できることは心海の足をその場に留めることにつながった。
「――……」
果たして本当にそれでいいのだろうか。
今の心海はきちんと公平に対応できるが、かつての心海では難しかったかもしれない。
それを知っていたからこそなまえは心海のために距離を置いたのだ。
突き放すことで二度と友には戻れないかもしれない。
でもそれは心海を皆に尊敬されるちゃんとした現人神の巫女にするために決意した結果だろう。
なまえは選択した。
そして、心海もまた選んで決めた。
その気遣いに気づくことができなかった過去の自分に想いを馳せる。
「(このままで……良いはずはない)」
なまえがそこにいなくとも、いるかもしれないなら行ったほうがいい。
「(私の望む結果ではなかったら……ううん。考えるのはやめよう……)」
心海は心の中の声に首を振って否定した。
たとえそうだとしてもその時に考えればいい。
人の上に立つものは時には思い切りも必要だ。
そう自分に言い訳のようにつぶやいて。
それがいつもの自分とは正反対のことを言い聞かせているのは心海自身が一番よくわかっていた。
それでも心海を思ってくれるなまえに会いたくて、疲れていたことも悩みも忘れたふりして振り払った。
ただ会いたい一心で、心海は一輪の花だけを手にして秘密基地を飛び出した。
現人神の巫女は海祇島の指導者である。
だから皆の模範とならなければならない。
わかっていた。
……十分すぎるほど理解していたし、わかっている。
けれど、心海は今の自分の心を制御しなかった。
もしかしたら、もう二度と機会はないのかもしれない。
そう思ったら誰に見られても構わないとそう思った。
なりふり構わず走った。
目指す地は決まっている。
珊瑚宮様で終わりにするわけにはいかなかった。
心海はなまえに会わなくてはいけない。
――違う。
心海はなまえに会いたかった。
会いたい。
会って話をしたい。
現人神の巫女である珊瑚宮心海ではなく、ただの心海として。
もう一度なまえの友達になりたかった。
そして現人神の巫女としての珊瑚宮心海の姿をみてほしかった。
そんな思いを胸にした心海が走って、走って、走って……たどり着いた先。
思った通りの場所になまえはいた。
いずれ来るであろう心海を待つかのようになまえは背を向けて腰を下ろしていた。
以前と同じ光景に胸が痛くなる。
けれど、今回は別れじゃない。
暗い道ではなく明るい道だ。
希望しかない。
だから大丈夫だと、声を出さなくてはと心海は自分を励ました。
そして心海は自分の立場も忘れて、友の背中目掛けて声を張った。
「――っなまえ!!」
その声を受けて、なまえの姿の向こうの崖で寛いでいた鳥が驚いたように飛び去った。
しかし、ふわふわと水泡が浮かぶのは変わらない。
戦場も人も千変万化というが、そればかりではないことも知っている。
心海に背を向けるなまえもまた動揺することはなかった。
それが心海の期待に通じるようなことだと思えた。
顔をあげて振り返ったなまえ。
そんななまえと目が合って、見えた変わらぬ笑顔に、もう一度名前で呼んでくれることに期待せずにはいられなかった。
設定とあとがき