そして、悪夢の中に引きずり込んだ
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ひどい女だと常々思っている。
魔神である自分には不必要な感情を植え付けておきながら、彼女はその先を見つめていた。
それならば初めからその感情を知らない方が良かった。
記憶力が良いのは利益も不利益も被る。
瀕死のなまえのあの姿は何千年経とうともはっきりと覚えている。
色褪せることのない記憶は良いことばかりではない。
もしも記憶力が良くなければ、なまえとの契約なんて忘れていたと破棄して、彼女の望みを守らずに真っ先に助けに行けたのに。
そんな出来るはずもないことを思いながら後悔してしまうのもすべてあの女のせいだ。
嫁ならばずっと夫のそばにいるべきなのにそれを守らずに1人で勝手に進んで、全くもってひどい嫁である。
――何かあったら、絶対に何よりもここの皆や帰終ちゃんを優先してほしい
それは塵の魔神との協定が結ばれた後のことだった。
塵の魔神の友だと名乗る自称彼女の領地の居候であるなまえの武力を生かすために岩の魔神は彼女と契約を交わした。
その時、なまえが彼に告げた対価。
それはなまえの方に不利だと思った。
岩の魔神にとって盟友となった塵の魔神とその領民を守ることは当然である。
当たり前のことを対価にされるのは不平等だ。
――だったら、この話を帰終ちゃんには言わないで!
そう話すとなまえは条件を付け加えた。
それでもやはり平等ではないと思った。
けれどなまえはそれ以上は何も望むことはない。
そう言って、それでかまわないと押し切った。
なまえがそれで良いのならと彼も納得した。
だがそれは岩の魔神たる彼の考えが及ばぬところであった。
なまえとの関係が変わるなどと考えてすらいなかった彼にとって致命的な対価であった。
しかし、契約などなくともきっとなまえは領主や領民達を生かす選択をしたはずだ。
この時点でなまえとの別れははじまっていたのだ。
岩の魔神にとって塵の魔神の才能は噂以上のものであった。
彼女のその知識は岩の魔神が持たざるものであり、後年の彼が得るものでもあった。
「知識だけ持っていてもいけないわ。それを臣民のために正しく使える心がなければ」
あるとき、彼女はそう話していた。
「なまえと話してみるといいわ。その心がきっとあなたにもわかるはず」
塵の魔神はそう話したがその時の彼にはその言葉の意味がわからなかった。
後に帰離原と呼ばれる地とあの時はまだ小さな領地であった璃月。
この二つの地がつながることによって勢力は増した。
それをよく思わない者もいた。
その者達が手を組んで攻め寄せた。
攻める側が作戦を立てていないなどという事はありえない。
用意周到に練られたその作戦は岩の魔神が帰離原を不在にしていた時を狙って行われた。
岩の魔神が塵の魔神と協定を結んだことにより形を潜めていたなまえという存在。
彼女の存在は目に止められてはいたが敵方にとってそれほど脅威ではない見込みだった。
しかしその認識のズレが敵の入念に準備したはずの計画を狂わせ、敵方が勝ち切ることのできなかった原因のひとつになった。
なまえは岩の魔神との契約を守った。
自らが盾になり、領民と領主である塵の魔神への被害を最低限に抑えた。
なまえは塵の魔神を守り抜く。
それはその場にいなくても容易に考えつく事である。
だから、彼はその一報を受けた時その場に急行した。
彼の不在を狙った敵がそれを敵が予想していないはずはなかった。
岩の魔神は足止めを受けて、駆け付けるのに時間がかかった。
その間に何があったのか。
わかっていることはなまえの奮戦により傍観者のはずの魔神が剣を抜いた。
そして魔神が参戦し、なまえと相対したことにより彼女が留めていたその戦線は崩れることになる。
そのせいでなまえは敵方の魔神にその力を割くことになり、戦場は一気に混乱することになった。
岩の魔神には仔細はわからない。
なまえがその魔神を倒したという結果しか分からない。
そして、なまえが魔神と戦っていた間に塵の魔神の身に何があったのかも岩の魔神にはわからなかった。
だが、塵の魔神は致命傷を受けた。
塵の魔神が愛した琉璃百合のそばで彼女は消えた。
そのとき居合わせたのは岩の魔神ただ1人だった。
その塵の魔神が死の間際、やって来た岩の魔神の姿を認めて口を開いた。
「――なまえね。あなたをここに遣わしたのは」
「……ああ」
塵の魔神は初めて出会った時のように琉璃百合の咲く花畑に立っていた。
異なるのはなまえがいないということだけ。
聡明な彼女は岩の魔神が1人で姿を現したことで状況を理解したようだ。
「契約を破れないのが貴方の貴方たる所以ね。でも、だからこそ貴方は一番大切なあの子を助けられない。……皮肉ね」
岩の魔神となまえが結んだ契約を知らないはずなのに彼女は全てを知っているように思えた。
彼がなまえを愛する前に結んだ彼女との契約に基づき領民を守り、塵の魔神のもとに駆けつけた。
本当ならなまえの傍に真っ先に行きたかったが契約がそれを拒む。
塵の魔神の冷たい視線が彼を貫いた。
「――あの子はずっと私のそばにいてくれた……本当は言わないでおこうかと思ったけれど、なまえが作ってくれた機会だから言うことにするわ」
塵の魔神は初めて会った日に岩の魔神に渡したひとつの錠の話をした。
「――あれは私とあなたの盟約の証」
そうして語り出したのは2人の約束の話。
一方的に告げられる破棄は彼女のこれからを思えば当然かもしれない。
塵の魔神はもう長くない。
それは彼女自身が一番よくわかっているはず。
その話を終えてから、彼女が告げる言葉は盟友であった塵の魔神ではなくなまえと彼の友としての帰終が伝えたかったことだった。
「……あともうひとつ、貴方が知らないなまえのことを私は知っている。だから、」
一度帰終は言葉を切った。
しっかりと目の前の岩の魔神と目を合わせる。
「――あなたが愛したなまえを信じてあげて」
そして、ここに来ることのできなかったなまえの末路を思って帰終は下を向いた。
なまえの秘密は帰終とあの精霊しか知らない。
それはなまえの一番になった目の前の彼でさえも知らない秘密だ。
視界に琉璃百合が咲き乱れていた。
けれど、この花も戦火に巻き込まれて塵になるのだろう。
今の帰終と同じように。
「琉璃百合……ここに居ればいつもなまえが会いにきてくれた。……それなのに、最後はあなたが来るなんて、本当に皮肉な話」
そう言って彼女はおもむろに岩の魔神に近づいた。
そして彼だけに聞こえる声で小さく呟くと、一歩、二歩とゆっくりと後ろへ退がる。
岩の魔神は彼女から得たその情報で頭がいっぱいになった。
塵の魔神を見つめたまま動かない。
「せめて、別れの言葉を言えばよかった。……なまえをよろしくね、岩の魔神さん」
塵の魔神はそんな言葉を残し、その名の通り塵となった。
岩の魔神はひとり塵の魔神の最期を見届けた。
しかしその余韻に浸る間もなく彼はこの場を立ち去った。
彼女に囁かれた言葉を胸に秘めて、塵の魔神……帰終の、そして彼の愛するなまえを救うために。
――
岩の魔神がその場に辿り着いた時、戦いは終わっていた。
先日まで見ていた賑やかで楽しげな雰囲気は全くない。
家屋は壊れ、その形を失っていたり、何かが付いていたり潰された跡があると思えば地面が抉れていたりしている。
それは進めば進むほどその度合いは大きくなる。
破壊の跡が最も強く残る戦いの中心だと思われるその場所になまえの姿はあった。
ただその場所になまえが1人立っていた。
ところどころに倒れた骸が散乱する。
手にしているのは折れた片手剣。
その折れた剣先は目の前の倒れ伏すものに深々と刺さっていた。
彼女の前に倒れるそれが魔神だったもの。
それを静かに見下ろしていた。
彼は周囲を警戒したが、動けるものは彼女以外いないようだ。
「なまえ……」
「……」
名前を呟くとその声に反応して、こちらに顔を向けた。
敵に向けるような冷たい刺さるような視線が突き刺さる。
しかしそれが岩の魔神だと気づくとなまえは不意に泣き出しそうな顔に変わった。
彼女のその姿からも戦いの激しさは見てとれた。
そのまま動き出そうとはせずに立ち止まったままのなまえに彼は歩を進める。
あと少しでなまえに触れられるほど近付いた時、彼女の手の中にあった折れた剣がこぼれ落ちる。
その瞬間、彼女が膝から崩れ落ちた。
間一髪、崩れ落ちそうななまえを抱きしめて支えることに成功した。
その衝撃のせいかなまえの閉じられた瞼が少し開かれた。
ふらつきながらも自分の力で立とうとするなまえを片腕で支えた。
なまえのうつむいていた顔が少しずつあげられる。
それと同時に目線もまた上にあがっていき、目が合った。
「――――……」
目が合って武神としての彼は気づいてしまった。
これまで多くのものを地に沈めてきたからこその気づき。
そんな彼の動揺を知らずに岩の魔神の存在を確かめるためになまえは手を伸ばそうと少しだけ腕をあげた。
なまえが伸ばしきる前にその手を掴んで迷わず握りしめたのは彼にとって無意識の行動に近かった。
それはまるでなまえの薄れゆく意識を引き上げるかのように。
手を握られて、その手に彼の手の力強さを感じてなまえもまた答えるように握り返した。
けれど、それはとても弱々しく彼の予想を覆すことはとてもできない。
彼の武神としての勘は正しく機能していた。
それを知らないなまえはやはり覇気のない声で彼に問いかけた。
「……みん、なは?」
「――無事だ。お前のおかげで……、なまえが契約を守ってくれたから、無事でいる」
岩の魔神の言葉になまえは返事の代わりに少しだけ口角を上げた。
本人は笑っているつもりだろうが彼女の落ちかけていた意識の中で振り絞ったその力で行ったその行動はとてもそうには見えなかった。
普段のなまえの笑顔を知っていたからこそ余計にそう思えた。
自力では立っていられずに少しずつ力をなくしていくなまえを支えながら彼はなんとかなまえの意識を留めようと彼女を支える手に力を込めた。
すると閉じようとするなまえの目が少しだけ開かれた。
しかし、もうなまえの瞳は彼をとらえることはない。
荒れた地を見つめながら、ただ一言、呟くようにささやいた。
小さな声であったが、岩の魔神の心にはその言葉がはっきりと届いた。
「――守ってくれてありがとう、だんなさま」
それは約束か、それとも領民のことか。
彼が言葉を紡ぐ前にそれだけを言ってなまえの目は再び閉じられた。
彼は目を閉じたなまえがなんの反応も示さなくなったことに気付いて、理解して。
その瞬間、彼の胸に去来したのは彼にとって初めての感情だった。
それが怒りなのか、悲しみなのか、その時の彼には理解できなかった。
ただ純粋な絶望が彼を襲っていた。
――ひどい女だ。守ったのは俺ではない。お前だろう
返せなかった言葉が脳内に響き渡り、初めて抱いたその感情をうまく処理できなかった。
盟友であった塵の魔神の死、そして今腕の中にいる瀕死のなまえ。
腕の中で動かなくなった彼女を見つめるだけで何をすることもできなかった。
姿の見えない魔神たちの姿を探す留雲借風真君があらわれるまで彼がその場を動くことはなかった。
――
久しぶりに行われた送仙儀式をもって璃月から神は去った。
璃月をずっと見守ってきた岩神はもういない。
今、鍾離と名乗る彼はただの往生堂の客卿だ。
――あの子は待ってるよ
夢の中でも相変わらずな様子の彼女に鍾離は目覚めてからため息をついた。
寝台の横の卓上に置かれた布に包まれたそれに目を向けて手を伸ばす。
片時も手放したことのないそれだけが今の鍾離となまえを繋ぐものだ。
鍾離だけでは会いに行けない。
それも契約の対価だ。
契約を結んだあの精霊はもうあの場所にはいない。
ずいぶん前に姿を消したという。
だが今でもなまえがその力で守られていることは知っている。
そこまで考えて昨日あの旅人を見かけたことを思い出した。
少し話をしたが今日も璃月に滞在すると言っていた。
彼に依頼しよう。
彼ならば実力もあるし、なにより鍾離の正体を知っているから話を進めやすい。
そういえば一度だけ入った留雲借風真君が万が一のために色々仕掛けておいたと言っていたがあの旅人ならばきっと大丈夫だろう。
その仕掛けが彼の想像を遥かに勝る恐ろしいものだとは知らずに鍾離は旅人を探すために外へ出ようと身支度を整えることにした。
設定とあとがき