ただ並んで歩いてみたいだけ(Xiao)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
なまえはいつもそうだ。何度名前を呼べと言っても魈の前以外で彼の名を呼ばない。助けが必要なくせに助けを呼ばない。だからこそ余計に気にしておかなければならない。この弱くて優しい仁獣が辛い目に遭わないように守らなければいけない。たとえ、麒麟と夜叉が相容れなくても魈はずっとなまえを守っていきたいと思っている。それが護法夜叉として璃月を守るために為すべきことだと彼は信じている。
けれど、いつか魈が護法夜叉とも降魔大聖とも呼ばれなくなったその時は、できることならなまえの隣を歩いてみたいと思う。血塗られた自分がそんなことを許されるかはわからないけれど。そう伝えたら、あの麒麟はどう答えるだろうか。きっといつものように優しく笑うだろう。魈にはできないあの慈愛に満ち溢れた笑顔できっと頷いてくれるだろう。そんなふうに想像は簡単にできたが結局口には出せなかった。
設定
なまえ
麒麟。仁獣であるために戦えず、迷惑ばかりかけていると思っている。仙人の中では魈に一番お世話になっている。けれど魈の名は彼の前以外では決して口にはしない。いつも助けてもらっているし、それが彼の役目だとも知っているが戦わないで欲しいと思っている。それは彼の役目に対する冒涜になるかもしれないから口には出せないでいる。
魈
降魔大聖。人々から危険を遠ざけるために殺生を許されている仙人。麒麟であるなまえは守るべきものであるし、保護して当然であると思っている。当たり前のことだからなまえを助けることに何の疑問も抱いていない。
あとがき
ご覧いただきありがとうございます。殺生を嫌う子と殺生を行うが故に業障に塗れている魈。相容れないと知っているからこそ、ふたりは普通のことができません。杏仁豆腐が好きな理由も名刺のテキストから見ても、けっこう当たり前の小さな幸せみたいなものに憧れている節が見られると思いましたのでこんな感じになりました。
このお話を「普通」の世界は素晴らしい(Tartaglia)の前日譚で見るか、どこかで分岐するif話で見るかで感想が正反対になる話ですね。前日譚で考えると辛い…。ところで、守られてばかりの子って好き嫌い分かれそうですけどご覧になられている方々はどうなのでしょうか。同じ設定ならあと鍾離と甘雨の話が製作中です。
それにしても何で私は一生懸命ヒルチャール語についての調べていたんでしょう…?最初はヒルチャールにしゃべらせる気は一切なくてそんなことも考えてなかったんですがいつのまにああなっていました。ヒルチャールの台詞はゲーム内で使われているものからとったり、自分で並べ替えたりしたのであっているのかは定かではないです。ヒルチャールたちは「待て待て~。弱っちいから捕まえろ!」→「え、誰?敵?」→「邪魔すんな!」→「めっちゃ強い敵!」→「もう無理。逃げよ」みたいな感じで話しています。いっぱいしゃべらせてすみません。なんだか楽しくなってしまいました。
以下、魔神任務第一章四幕に言及する内容あります。
ちなみにこれは魔神任務の第一章四幕で明らかになった例の計画(機械魔神烏賊のことです)の前に仙獣で実験しようとしていたんじゃないかなあとふと思ったので捕まえやすそうだと思われてアビスに狙われていましたっていう裏設定です。つまり公子のおかげで計画が変更したという。ここでもタルタリヤが知らぬ間に彼女を助けていたという。うん、まさに運命ですね(適当)。