涙のない明日のために
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オーナーと呼ばれるその男の姿をみてなまえの中で忘れていた記憶が一気に駆け巡った。
――いつか、なまえがこの世界を愛してくれたら……
忘れたはずの声が脳裏に言葉として蘇って、なまえはその男に近づいた。突然前に出たなまえに他の皆が不思議そうに彼女を見つめる。そんな様子を全く気にすることもなくなまえは彼だけを見ていた。
「赤い髪……あなたの、お名前は……?」
「ディルックだ」
なまえは自分の心音がうるさいくらいこだましていることに気づいた。顔が熱くなって、声を出すのにもしっかりと意識を持たないといけないような気がして。なんとか声を出して、自分の声が震えていないだろうかと心配になる。
「……か、家名を聞いてもよろしいですか?」
「……ラグヴィンド」
あの人はなんという名前だっただろう。赤い髪。それだけははっきりと覚えている。彼は別れ際なまえに何と言っていただろうか。脳裏に姿は見えるのに声だけは聞こえない。もう二度と会えることのないあの彼を、なまえはもう思い出せない。大切だった。大切な人。ずっと過去に置いてきた彼らとの思い出はなまえの大切なものだったのに。
でも、彼の姿をみて思い出した。失くしたと思った思い出でも、思い出せるのだと。些細なきっかけで思い出せるものなのだ。胸が高鳴り、目頭が熱くなって、なまえは自分では気が付ないままに泣いていた。ただただ目の前の男のことしか見えなかった。そして、彼の名前を一文字一文字かみしめて口にした。
「ディルック・ラグヴィンド、さん……、素敵な名前……」
なまえがそう呟いて初対面のはずのディルックに親しい人にむけるような優しい笑顔をみせた。その笑みはあまりにも甘やかな優しいもので、まるでなまえが初対面のはずの彼にずっと恋をしていると勘違いしても仕方のないような笑顔だった。
ぽろぽろと落涙しながらも見つめる瞳は初対面でもわかるほど感情に満ち溢れていてその目を一心に受けているディルックもまた心の奥深くで何かが動いたような気がした。しかしディルックはそんな変化を外部にもらすことはなく、内心ドキリとしながらも眉をひそめた。
なまえの隣で空は複雑な気持ちを抱く自身の心境を知らないふりはできなかった。誰にもわからないように握った拳に力をこめる。その後ろでウェンティだけはすべてを知りながら、そんな彼らのことを薄暗い感情を押しとどめて静かに見ていた。