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僕の帰る場所

 白い壁に囲まれた中庭。
 無機質な生活の中で唯一の憩いの場所。
 楠の樹の根元に腰掛けて空を仰ぐ。枝葉の間から溢れる光を揺らす風。
 高く歌う小鳥の声が聞こえるが、姿は見えない。
 ぼんやり木漏れ日を眺める視界に、人影が映り込んだ。研究者じゃない。僕に近い年頃の少年、だと思う。背格好は少年のそれだが、髪は根元が白く、毛先に向かう程に黒色が濃くなっている。元々色素が薄い子なのかもしれない。近付いてくる彼の目は白ウサギのように紅かった。
 彼も、研究対象として連れてこられた一人なのかなーーえ、近付いて?
 目の前で僕を見つめる紅い瞳を不覚にも美しいと思ってしまった。
「っ!??」
「見つけた」
 僕の手を引いて立ち上がらせると、少年はすぐに中庭から出ようと歩き出した。
「え……っと。あ、もしかして先生に呼ばれて?」
「誰それ。知らない」
 ここで何となく、この少年は研究対象として連れてこられた訳ではないという事を察したが、なら、なぜこんな所にーー僕を探して? 何の為に?
 僕は立ち止まり、手を振り払った。
 強い日差しが濃く陰を落とす建物の中から、紅い目が僕を見ている。
「……外に、出たくないの?」
「君は、誰? どうして僕を連れて行こうとしているの?」
 怪訝な表情をした少年は、しかし静かに答えてくれた。
「ボクは夙(シュク)。君をここから連れ出して、依頼人の元まで連れて行く」
「い、依頼人って、誰」
「……」
「僕の両親……じゃ、ないよね」
「いずれ分かるから、とにかく今は黙ってついてきて」
「お前! そこで何している!?」
 突然廊下に怒号が響いた。
 夙はすぐに踵を返して走り去ってしまった。あっという間に角を曲がって見えなくなる。
 複数人の足音がバタバタと近付いてきて、警備員はそのまま夙の走り去った方向へと駆けて行った。
 先生がそっと僕の肩に手を添える。
「大丈夫かい」
「……はい」
 僕は、知っている。
 先生(この男)が心配しているのは「僕自身」ではなく、「貴重な研究材料(モルモット)」であるということを。


 あれから七日程経った。
 よく分からないテストを繰り返す毎日の中で、夙は無事に逃げられたのだろうかと考える。
 あの時、初対面の彼を何も疑うことなく素直について行ったら、今頃僕も自由を得ていたのだろうか。
 姿が見えない鳥を今日も探す。
 疲れたら、木陰で休む。揺れる木漏れ日を眺めながら。
 ーーあれ。
 指先に触れた物を拾い上げると、それは古い鍵だった。昨日までは無かった。カラスが拾った物を落として行ったのだろうか。
 どこの、何の鍵かも分からないし、僕が持っていても仕方がないだろうけれど、手放し難くてズボンのポケットに仕舞い込んだ。
 今はこの中庭がある棟しか歩き回れないけれど、いずれ他の棟にも行けるようになったら探検して、この鍵に合うものを探してみるのも良いかもしれない。


 夜、窓の外から虫の声が聞こえる。
 それでも今夜はいつもより静かな気がする。
 きっと明日の朝も早くからいくつものテストを受けさせられるんだ。早く眠ろう。
 薄い布団に潜りかけて、動きを止めた。
 いつの間にか、虫の声も止んでいる。
 廊下を歩いていた足音が、部屋から少し離れた所で止まった。いつもなら真っ直ぐこの部屋まで来て、就寝を確認する時間だ。
 何が違う。何が起こっている。
 布団の中で息を潜める。
 自分の心音がやたら大きく聞こえる。
 廊下から漏れ出る光が大きくなる。扉から入った光が、暗い室内を照らした。
「……そこにいる? まだ起きてる、よね」
 聞き覚えのある声に布団から顔を出すと、部屋の入り口には夙が立っていた。
 なんで、とか、無事だったんだ、とか、色々な思いが一気に押し寄せてなにも言語化できない僕の手を掴むと、
「迎えに来た」
 ただ一言そう言って、明るい廊下を駆け出した。


 人の気配があったら身を隠し、息を潜め、見つかってしまったら相手が声を上げるより早く相手の意識を奪う。
 同じ年頃だと思っていたけれど……
「夙って何者?」
「……何でも屋」
「そうじゃなくって」
「安全な場所に逃げ切ってからにして」
 静かに着実に出口を目指していたけれど、段々館内を動き回る人の気配が増えてきている。
 強くても、余裕がある訳じゃないんだ。
 人目を避けながら、外に出る為の扉を開けようとする。
「ここもダメ。あとは……っ」
 慌てて身を隠したが見つかってしまった。
 遠くで人を呼ぶ大声と、響き渡るサイレン。
 やっぱり、外には出られないのか。
 そう思った時、僕を呼ぶ柔らかな声が聞こえた。
『こっちーーこっちだよ』
 誘うように、少しずつ離れて行こうとする声を追いかける。
「え、どこ行くの!?」
「こっちだって、呼んでる」
「呼んでるって誰が!?」
 ああ、そうだ。この声は、いつも僕にしか聞こえない。
 だから村の人達に気味悪がられた。
 でも、この声はいつも僕を助けてくれた。
 だから僕は信じて従う。
『こっちーーこっちだよ』
 辿り着いたのは中庭。
「ああもうっ外に出なきゃいけないのに」
「でも、呼ばれたんだ」
 姿の見えない声が歌のように反響する星空に手をのばす。
 一発の破裂音の後、夙が倒れていく瞬間がやけにゆっくりに感じられた。
 じわじわと広がる赤。
「こーんな遅い時間に出歩いちゃあ、ダメじゃないか。子供も大人も、もう眠る時間だよ」
 いつもと変わらない口調で、ゆったりとした動作で、中庭に入ってくる先生。その手の中には拳銃。
「なん……で……」
「ふぅん。この子が君を唆したのかい? 悪い子にはお仕置きを与えないといけないね」
 痛みに耐えながらも、先生を睨む夙の目は輝きを失ってはいない。でもこのままでは
「ダメ……ダメだよ。やめて」
 庇うように抱き寄せて、それ以上は身動きがとれない。
「助けて……僕を、僕を助けようとしてくれた夙を……助けて。っどうしてこんな時に声が聞こえないの!? さっきまで呼んでたのに!」
 ざわざわと枝葉の揺れる音がする。
 影が大きくなる気配がする。
 先生が楠の樹を見上げながら後退りする。その表情はどこか興奮を抑えきれないといった様子だ。
 中庭が見える窓という窓から視線を感じる。
 悲しみも憎しみも怒りも、僕がどう反応しても奴らを喜ばせるのなら
「お前らなんてーー」
 言いかけた僕の口を、夙の手が塞いだ。
「そこから、先は……言っちゃダメ」
 身体を起こそうとする夙を支えて、二人で立ち上がる。
「依頼人は、なぜか未来を知っていて、今、実際にそうなっている……から、もし、君がその先を言おうとするなら、ボクは止めないと、いけない。君を、助ける、ために」
 また姿なき声が歌い出す。願いを唱えよと囁いてくる。
 助けたい。助かりたい。
 僕たちを救うカギはーー。
 ふと、ポケットの中身を思い出した。樹の根元で拾った古い鍵。そっと取り出して、空に差した。
 何も無いはずの空間で、カチャリと手応えを感じた。
 先生達が何か叫んでいる。
 伸びてきた枝葉が僕らを包み込む。
 音が、遠くなる。
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