ワンダーランド・シンドローム
ナマエヘンカン
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端末を展開するより早く見知った法力の気配から相手を察した男の、その美しく整った顔にわずかに緊張が走った。いくら口酸っぱく言ってもろくに連絡など寄越さない相手だ。しかも、ここ──イリュリアの城を出てからまだ一か月と経っていない。よほどの何かがあったのだろうと踏んで、気を引き締めて通信を繋ぐ。
「……私だ」
「かなりめんどくせえモンを拾っちまったかもしれねえ」
食い気味な、かついつもの五割り増しに不機嫌そうな声音を聞いて、やはり、と確信する。すぐに動かねばならない事態かと、玉座とは名ばかりの執務椅子から腰を浮かせかけながら問うた。
「わかった。できる限りの尽力をしよう。それで、何を拾ったというんだ」
「ガキだ」
「……………………は」
返ってきた答えの短さに反比例する長さの沈黙を要したのち、発することができたのはそれだけだった。あまりの動揺に思わず浮いていた腰が椅子に逆戻りする。長い睫毛をしばたたかせながら聞き返すしか彼に選択肢はない。
「え、今、なんて」
「いまいち正体のわからん女のガキ。小っせえナリだが、団長やってた頃のおまえ
と歳はそう変わらねえはずだ」
「ちょ、ちょっと待てソル。一体どういう経緯で──」
「シンに呼ばれた。恐らく日没までにはそっちに着くから、飯と寝床よろしくな」
再び待てと口にしかけたそのとき、一方的に通話が切られてしまう。困惑を極めた男の柳眉が顰められているのを見、休憩用の紅茶を、と偶然部屋に居合わせた彼の妻も不安そうな顔つきになって尋ねた。
「カイさん、お父さんたちに何か?」
「いえ、その、なんとも要領を得ない連絡で」
「まあ。珍しいですね」
彼女の言葉ももっともだ。そう考えると、ソルもソルで焦っているのかもしれない。
カイと呼ばれた男は、ええ、と頷き、伝えられた内容をできるだけ簡潔に口にする。
「少女を拾ったからそっちに連れていく、と」
それを聞いた妻はというと、大きく瞳をくるんと見開いて──こらえきれないというふうに吹き出した。
「ディ、ディズィー?」
「うふふ……ご、ごめんなさい、なんだかおかしくって。お父さん、今はシンだけじゃなくてラムさんやエルさんも連れているでしょう? そこにまた女の子が増えたなんて、賑やかで楽しそうだなって」
「そう言われてみると……ははっ、たしかに微笑ましいかもしれませんね」
仏頂面の賞金稼ぎが四人の少年少女に囲まれて歩いている光景を想像し、夫婦は朗らかに笑う。
なにやら訳ありだとは言っていたが、ひとまずは帰ってくる家族と客人をもてなす準備だ。カイは手早く書類を片付けると、頼りになる執事を呼んだ。
ラムレザルとエルフェルトに片方ずつ手を引かれるまま、どこに向かっているのかもわからず少し前を行く大きな背中について歩き続けているうち、どうやら何かおかしい、ということはありすの目に明らかだった。
いつも過ごしている日常の風景より近未来的なような、かと思えば古めかしいような、そんな違和感のあるヨーロッパふうの街並み。どうやら、ここは日本でもなければ西暦2012年でもないと考えたほうが自然だろうとありすは内心肩を落とした。幼い頃からファンタジーの物語が好きで散々読み漁ってきたおかげか、開き直ってそう受け入れてしまったほうが気が楽だと思った。
道行く人々を観察してみても日本人はおろかアジア系の人種すら滅多に見当たらない。それにしても自分を保護してくれた彼らの容姿は明らかに一般人だと思えなかった。どういう関係の四人なのかはわからないが、旅人というものなのだろうか。それにしては慣れた足取りでどこか目的地に向かっているふうである。
ソル、という名前らしい赤い彼はともかく、あとの三人は優しく接してくれ、決して悪人ではないということはわかる。シンによると、ソルは強くて格好いい自慢の〝Old man〟なのだそうだが(日本語でいうとどういう呼び名にあたるのかありすには判断できなかった)、なにより怖い。特にあの、炎を奥に閉じ込めたような仄暗い瞳に射抜かれると、身がすくんでしまう。
ソルはというと、ありすがあまり英語を解さないのだとわかると目に見えて落胆したようだった。今まで何人かジャパニーズに出会ったことはあれど、少なくとも彼らはこの時代の住人で、今や世界共用語となった英語を普通に話すことができた。だから昔のジャパンに固有の言語が存在していたという事実を、このときになってようやっとソルは思い出して歯がゆく思ったのである。
100年以上前の亡国の言語を話せる人間がそこらにいるとは到底思えないが、コロニーにならわずかに希望がある。しかし未知の能力を秘めたこの少女を易々と引き渡すにはリスクが高い。言語の壁をどうにかするのが先か、謎を解明するのが先か、ソルがひとり悶々としている間にも、一行は首都イリュリアへと足を踏み入れていた。
「うわあああ……!」
そびえ立つ壮麗な城を目の前にして、ありすは思わず感嘆の声をあげざるをえなかった。いくつもの尖塔をもつその建物は縦にも横にも広がっていて、一見しただけでもかなりの大きさだ。ところどころには天井がガラス張りになっている棟もあり、夕陽を照り返してきらきら輝いている。
どういうわけだかずんずんその城へ向かって歩いているのに若干疑問を抱いていると、両隣の姉妹が話しかけてきた。
「綺麗なお城でしょう? 今からあそこに行くんですよ」
「シンのお父さんが、この国の王様だから」
「シンくんの、お父さんが、王様……ええっ!?」
ラムレザルの言葉を繰り返して、思わず大声を出してしまう。ということは、このしんがりを務めている明朗快活な青年は、こんな大きな城を持つ国の王子様ということになるではないか。
驚いて振り返ると、その彼は微妙な顔をしている。嬉しいような、ちょっと気恥ずかしそうなおかしな表情だ。それを見たありすは、何かわけがあるのだろうか、と思った。事実王子様ならば、なぜ城で過ごさず旅などしているのか。それに伴いこの旅のメンバーとの関係の謎も深まる。ただ、旅人といえど家と呼べるものがあるなら、ありすを助けてくれた後にここへ向かおうとしていたのも納得である。
シンは先ほどから一転して、あ、と何かに気づいたように表情を綻ばせた。
「まあ王様っていったって、そんなに緊張しなくていいんだぜ。カイ──あ、オレの父さん、のことだけど──も母さんも、絶対アンタのこと家族みてーにかわいがってくれると思うしさ。ほら」
シンが指さし、ラムレザルとエルフェルトが手を振る先、大勢の兵士が並んでいる。その列が作る花道の奥、城の正面玄関であろう大きな扉の前に、ひときわ目立つシルエットがふたつ、寄り添って立っていた。第一連王とその妃、直々のお迎えだ。
おとぎ話の絵本の中でしか見たことがないような兵士たちのなす列をまじまじと眺めていたありすだったが、そこを進んでいくうちに、だんだんと距離の縮まるそのふたりに目を奪われてしまった。
──な、なんて綺麗な王様と王妃様……!
特に、想像していたのとはあまりにもかけ離れた王の姿。月の光を集めたような金髪を高い位置で結い上げるという女性的な髪型もしっくりきてしまう、作り物めいた美貌の持ち主は、本当に自分と同い年くらいに見えるシンの父親なのかと疑ってしまうほどに若く見える。だがたしかに、その髪色と澄み渡るエメラルドグリーンの瞳はよく似ていた。
というか、息子の容姿はほぼ父親譲りだといっても過言ではないらしく、王妃のほうはまた全然異なる美しさを持った女性だった。豊かなコバルトの長い髪に黄色いリボンが映える彼女は、王の妻や母親としての気品をもつ反面、ルビーのような瞳に湛えた輝きはどこか少女然とした純粋さも兼ね備えていて、とても魅力的だ。
当然先頭を進んでいたソルがいちばん先にふたりの元へ到着する。王を前にして礼も敬う様子もないことにありすは驚いたが、カイと呼ばれていた彼のほうもそれを気にする素振りはない。さらに彼らの関係性についての謎が増えてしまった。
二言三言言葉を交わすやいなや、ソルは長いポニーテールを翻してさっさと城の中へ消える。すれ違う瞬間カイの頬が笑いを押しとどめるようにひくり、と緩みかけたみたいに見えたのは、ありすの気のせいだったのだろうか。目を凝らしたときにはすでに、その綺麗なかんばせには大事な息子たちを迎えるための完璧な笑顔が浮かんでいた。
「おかえりなさい、シン、ラムレザルさん、エルフェルトさん」
「ただいま! 母さん、カイ」
「……ただいま」
「ただいまです!」
「よかった、みなさん元気そうで安心しました。──あら、こちらが?」
「ああ、うん。オヤジから聞いてると思うけど、いろいろあって連れてくることになったんだ。でさ、ちょっと困ってんだけど」
「どうしたんです?」
「こいつ、英語あんま通じないみたいなんだよな」
「それは……! さぞ苦労されたでしょう」
言うと、カイは少し驚いたようにありすを覗き込んで眉を下げた。その反応でだいたい会話の内容はできるが、改めて言葉が通じないということの深刻さを感じて小さくなる。あと、どぎまぎしてしまうのでそんなに近くで見つめないでほしい、とありすは思った。その隣、ディズィーはなにか合点がいったように頷いている。
「ま、簡単なことならわかるみてーだし、自己紹介くらいならできるし、そんな心配しなくてもよさそうなんだけどさ。ていうかそれより」
「晩ごはん、でしょう? きっとシンがそう言うと思って、いちばんに準備しておいたのよ」
さっすが母さん、と隻眼を輝かせるシンに向かって目を細めていたカイが、もう一度ありすに視線を合わせた。
「こんな所で何ですが、先に自己紹介をしておきますね。私はカイ=キスク、こちらは妻のディズィー。シンの両親です。あなたのお名前も、お聞きしてよろしいですか」
先ほどの三人と同じようにゆっくりはっきり発音して尋ねてくれるおかげで、ちゃんと聞き取ることができてほっとする。カイに、ディズィー。得体の知れない異国人であろうありすにも親切に接してくれるこのひとたちもまた、信頼できそうだった。
「ありす・桜庭、といいます。よ、よろしくお願いします……カイさん、ディズィーさん」
「こちらこそ。さあありすさん、ようこそイリュリアへ」
カイに応えてありすはぎこちなく、それでもたしかに微笑んだ。
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