ワンダーランド・シンドローム
ナマエヘンカン
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ざく、ざく、ざく……
砂の多い、聖戦終結後からの廃墟が建ち並ぶ旧市街を歩く奇妙な一行がある。その中の一つの足音が止まったのに気づき、先頭を歩いていた大柄の、かなり人相の悪い男──ソル=バッドガイが背後を振り返った。
どうしたと問う声もなく視線を向けるのは、しんがりを務めていた金髪の青年だ。ソルの養い子でもあるシン=キスクは、彼にしては相当珍しくなにやら難しい顔をしたままその場に突っ立っていた。てっきり腹が減ったと騒ぎ出すのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
「どうしたの、シン」
「お腹すいたの?」
無言のソルの代わりというように、二人の少女が尋ねた。褐色の肌に白い髪が映えるラムレザルと、こちらも白い髪に、大きな首輪を身につけたエルフェルト。かつては人類の敵として立ちふさがる存在であったヴァレンタインの姉妹である。
「オヤジ、……血の匂いがする」
対し、返ってきたのは意外な答えだった。
「血だァ? でけえ街も近いってのに、そんなわけ……」
ねえだろ、と続けようとしたソルの言葉が止まる。風向きが変わり、彼にもたしかにその臭いが届いてきたのだ。
それもおよそ一人分だが、致死量を遥かに超えると思われるほどのもの。並の人間が知覚できるような距離ではないが、この一行に人間は一人もいない。姉妹の表情も今は強ばっていた。
「……めんどくせえな」
舌を打ちながらも進路を変えたソルに続き、あとの三人も駆け出した。
たどり着いたのは、旧市街の一角の今にも崩れそうな石造りの建物。さらに血の匂いの元を追って奥に進むと、いち早く惨状を目にしたシンが思いきり顔を顰めた。エルフェルトが手で口を覆い、ラムレザルも眉を下げて酷い、と呟く。
そこにあったのは、比較的新しい少女の遺体だった。否、少女だったであろうモノ、といったほうが正しいかもしれない。
血に塗れた小柄な身体は衣服ごと文字通りズタズタに引き裂かれており、頭部はまるごと全部失われてしまっている。尋常でない力で引きちぎられたような切り口を晒しているそれは人間の力による犯行とは考えにくいが、この世界においては、このような残虐な殺人をたやすくやってのける所謂〝化物〟が存在する──
「ギアの仕業だな」
少し遅れて到着したソルが苦々しくその名を口にした。
〝ギア〟。ソル本人もとうの昔にその身体を改造させられ、シンもハーフギアである母親の血を色濃く継いでいる。しかし、ギアの中でイレギュラーなのはむしろ彼らのほうであった。ギアとは本来、司令塔であったジャスティスによる耐え難い破壊衝動に苛まれ、人類と長きに渡る死闘を繰り広げてきた存在だ。今でも自立行動が可能で、人間を襲う個体も数多くおり、ソルは主にそのようなギアを狩ることを仕事にしている賞金稼ぎだが、いかんせん今回ばかりは手遅れだったようだ。
見たところ少女は武器らしきものも持っていない。追われ、なんとか廃墟に逃げ込んだところを突き止められ抵抗の余地もなく殺されたのだろう。
(せめて、悲鳴でも聞こえてりゃあな……)
救えた命も、喪われた後ではどうすることもできない。ソルのため息が暗く零れた。
やるせない気持ちを抱えつつ、黙祷を捧げてから一同はその場を去ることにする。埋葬でもしてやりたかったが、生憎土地や場所的にそれは不可能だったのだ。誰も口を利かないまま廃屋を出ようと足を踏み出した、そのとき。
全員の耳が、かすかな音を拾った。
紛れもなくそれは小さな呻き声だった。こう静かな場所でなければ、風の音にも聞こえただろう。しかし廃墟となったこの街で、さらに先程からひとことも発さなかった一行が聞き間違えるはずがない。
声の発生源は──彼らの背後だ。
ぎぎぎぎ、と音がしそうな動きで四人の首が後ろを向き、ありえないものを捉えたその瞳が一様に見開かれる。そして、
「おっ、お化けーーーーーーーー!!!!!!!!」
シンの絶叫が辺りに響き渡った。
るせぇ、とひとまずソルがシンに拳骨を落としたが、本当に死体が喋ったというならお化けとしか言いようがない。念のためソルのみが道を引き返すことになり、慎重に歩を進める。
果たして真実を確認したソルは、
「なんだってんだ……再生してやがる」
一瞬息を呑むと苦々しげに言うこととなった。
立ち止まって振り返ったときもまさかと思ったが、少女の死体の失われていた首から上。それが元通りになっていたのだ。そ身体の下の瓦礫に咲いていた大輪の血の花は跡形もなく消え去り、代わりに艶やかな黒髪が広がっている。
長い睫毛に縁取られた瞼は閉じられていたが、胸が微かに上下しているところを見ると気を失っているか眠っているかのどちらかだ。投げ出された細い手に触れてみても、たしかに脈動が伝わってくる。
すなわち、ソルたちが目を離したほんの数分ほどのうちに、少女の死体は死体でなくなったことになる。
予想外の出来事にソルがヘッドギアを抑えて思わず唸ると、ふ、と両脇に並ぶ二つの気配を感じた。見れば、危険かもしれないから待っていろと彼が言いつけたはずのヴァレンタイン姉妹だった。ダメもとで、この手品のような奇妙な現象についてどう思うか尋ねようと思ったところで、二人の様子が妙なことに気づく。
「おい、どうし……」
「……ジャパニーズ……」
「あ?」
ラムレザルとエルフェルトの、透き通った飴みたいな瞳がいつになくぎらぎらと輝いている。その瞳で食い入るように少女を見つめる二人がぼそりと零した言葉に、ソルは怪訝な顔つきになった。
「この子は、ジャパニーズ」
「おいおい、何の冗談だ? そりゃ」
「私たちヴァレンタインがそう感じるんです、間違いありません」
ようやく顔を上げた二人の、あまりにもきっぱりと言い切る口調に、思わず押し黙る。ジャパニーズ──百年ほど前に滅びた日本と呼ばれる島国を出身地とする人々の総称だ。
現在は、世界に点在するコロニーと呼ばれる施設に保護される対象、のはず。先の戦いで、彼らは敵にとって重要な存在だったため、ヴァレンタインたちにはその気配を感じ取る力があっても何らおかしくはない。
再生力を考えればギアの可能性だって十二分にありはしたが、そうならば死体を見た時点で気づくはずだ。彼女たちの言葉を信じたとして、ジャパニーズにこんな力があるとは聞いたことがない。
「お、お化けじゃない? ほんとだよなラム?」
「本当。というか、なぜシンがお化けを怖がるのかが理解できない。私たちだって人間ではないのに」
「そうはいってもさあ〜……」
未だにこちらへ来るのを渋っていたシンが、ラムレザルに手を引かれて漸くやって来る。その長身を情けなく縮こまらせて彼女に隠れるようにして様子を伺っていたシンだが、少女の姿が想像と違ったのか、あれっ、と素っ頓狂な声を上げてあっけなく薄目をやめ、今度はまじまじと少女の観察を始めた。
「うわ、小っせぇ! 母さんやラムやエルよりも小っせぇよな。オレが三歳のときぐらいかも」
「たしかに小柄だと思うけど……シン基準はだいたいの人間に当てはまらないよ……」
「ちっちゃくて顔がお人形さんみたいで、女子力高そう……お肌もすべすべなんだろうなあ。ちょ、ちょっとくらいなら触っても……!」
子どもたちが騒いでいる隣で、ソルはひとつの疑問に突き当たっていた。
なぜこんな所に一人で、とか、ジャパニーズならばなぜコロニーにいない、とか、そもそもなぜ蘇生したのかなど、疑問は尽きないが、何より奇妙に思ったのは少女の服装だった。
白いシャツに薄桃色のセーターを重ねた上に、しっかりとした素材で織られた紺色のブレザーとプリーツスカート。膝上のスカートから伸びる足は黒のニーハイソックスと、茶色の革靴に包まれている。
ソルにとってその姿はずいぶん馴染みのある格好ではあったが、何せそれは一世紀ほど前の時代の話だ。そう、当時学生と呼ばれる若者のスタイルとしてはまったく差支えのない服装である。しかし西暦2187年の今にしては、少しばかりクラシックすぎやしないか。
──もしかして、アレか。あの野郎と同じ……いや、そんなめんどくせぇのがこれ以上増えてたまるかよ……!
ソルの脳裏に、彼の数少ない友人の、特殊な体質を持つユニオンジャックの男が姿がちらついた。頭痛がしてきたが、真相を確かめるしかない。
死体だったときには見つからなかったのに、少女の背中と地面の間にこれもまた再生しているリュックサックに意を決して手を伸ばす。すると、目ざとくそれに気づいたエルフェルトに制された。
「ああっソルさん! 駄目ですよ、荷物を勝手に漁るなんて。女の子の持ち物には女子力のヒミツが隠されてるんですから」
「んなこと言ってる場合か。じゃあテメェが調べやがれ」
相変わらずの暴論に、気力が削がれて呆れ半分でソルが返し場所を退くと、意気揚々とエルフェルトがかがみ込む。
リュックサックの側面のファスナーを開け、背中と地面の間からそっと本を一冊抜き取る。手のひらに乗るくらいのサイズのそれの中身は、やはり異国の言語で書かれており内容はさっぱりわからない。ラムレザルにも差し出したが、やはり詳しい知識はないようで首を横に振った。
「いちばん最後のページを開けろ」
そこで、渋面を作ったソルの指示が飛ぶ。
「いちばん最後? どうして?」
「そこにその本の発行年月日が書いてあるはずだ。どうも嫌な予感がするんでな」
言われ、嫌な予感が何を指すのかさっぱりわからなかったが、エルフェルトは素直に頷いた。いちばん最後のページを開くと、たしかにページの真ん中辺りに数字の羅列がある。ありました、と口にしかけたところで、エルフェルトが固まった。
「え……にせん、じゅうに、年……?」
──いっそお化けのほうがましだ。
今度こそソルは天を仰いだ。