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2章 善逸と森の剣士

痛い音がする。

引き裂かれて、割れて粉々になってしまう辛い音。
そのあまりの痛い音に、善逸は目を覚ました。
目覚めは、その音もあってすっきりしなかった。

慎重にのそりと上体を起こす。
着ているのは隊服ではなく、だぶだぶの寝間着。

隼人のものだろう。
「この痛い音、外からだ……」
布団から抜け出し、のそのそ這うように外に出た。
「眩し…」

中は暗かったせいか、外が眩しく感じた。
外は木々の鬱蒼とした森の中。
しかし空は見えない。
厚く暗く枝葉が空を隠していた。
「立てるかな?」
ゆっくり、立ち上がってみた。
ずっと寝ていたせいか、少しふらついた。
でもなんとか立てた。

「貴方に……お前に……何が分かる……」
絞り出すような、軋んだ声。
ねぐらの裏手からだ。

ゆっくり進んだ先には、釜戸があり、その側に隼人が立ち尽くしていた。
ーなんだ?この音ー
隼人の中に、違う音がある。
痛い音だけれど、誰かを懐かしむ音。
それはとてもやるせなかった。

「隼人、さん?」
「ー!!」
声をかけた刹那、隼人が振り向き様に抜刀した。
威嚇ではない、善逸を斬る太刀筋だった。
体は本能で反応したが、寝間着の胸ぐらを切り裂かれた。

一瞬、隼人と目が合った。

殺気の混ざった混濁した虚ろな目。
痛みに裂かれた虚ろな目を見た。
その虚ろな筈の目に、更に痛みを聴いて善逸は目を見開いた。
(痛みがこの人を壊す……)
ちりり、と切っ先の掠めた痛みを肌に感じて、声を上げて善逸は気絶した。


ーかわした……俺の剣をー
抜き身の刀を手にしたまま、隼人は棒立ちだった。
殺気の乗った斬撃を、自分の背後にいた者めがけ放ったのに……。

ー俺は何をしている……?何をした?ー
切っ先に寝間着を切り裂く手応えを感じ、振り抜いた体勢で一瞬固まった。
その時目が合った。
善逸の瞳孔が僅かに見開いていた。

ー俺は、斬ったのか?ー
ばくんばくんと、心臓が早鐘を打つのが止まらない。

ー誰を?師範か?友か?誰を斬った?ー
隼人の中に焦燥、恐怖、動揺、混乱が渦巻いていた。
ー落ち着け。師範はもういない。友は、どうなったか知るよしもなかったじゃないかー
呼吸を整えようとして、できなかった。
自分で捨てた。
斬った。
忘れたのに。
がくりと、善逸の側に膝から崩れ落ちた。
「俺は、何をしている?」
鬼と約束を交わした。
その為に、走狗になった。
「俺は……」

振り返るな。
見るな。
揺らいでしまう。
肩が震えた。
泣いていた。

「何故、泣く?」
呆然と呟いた。
そして、善逸を泣き濡れた顔で見下ろした。
「泣く?俺が?そんな訳があるまい」
次に呟いた時には、声は乾いていた。
「俺は、望みを叶える。必ず」
隼人は善逸を抱え上げた。

「待っていてくれ、颯太。兄さんが必ず治すからな」
そう話かけたのは腕の中の善逸にだった。

自分で言って、固まった。
違う。
自分は何を言っている?
これは颯太[はやた]ではない。

「そうだ。鬼狩りを始末しないと……」
言葉は虚ろだった。
彼の中の森が、壊れ始めていた。
始まりは、善逸を斬れなかった事。
彼も気づかない、綻び。


「気がついたかい?」
善逸が目を覚ますと、安堵した表情の隼人が映った。
「戻ろうとしたら、君が外で倒れているから、びっくりしたよ」
善逸を斬ろうとした殺気は微塵もなかった。
穏やかに、笑っていた。
虚ろなあの目もない。

しかし隼人の音は、もはや不協和音だった。
それでも、いびつになっても彼は『隼人』であろうとしている。
善逸に剣を向けた事を覚えていない顔だった。
隼人が軋んでいる…。

「その、いつまでも寝ていても治らないし、回復訓練しようかなってね」
へへ……と力なく善逸は笑って見せた。
「確かに治りが早いね。たいしたものだ。だけれど無理はいけないな」
そう、善逸は体の機能回復が早かった。
本人は意識してないし、気づいてもいない。
『全集中・常中』
それを日常的に使えるようになっていた。

「俺、変なところで頑丈なんだよね。雷直撃しても運良く生きてたし」
「か……雷!?」
「修行が辛すぎて木の上で泣いてたら、雷が落ちてきたんだよね……これぞ天誅ってやつ?」
隼人は呆気にとられて、声も出ない。

「その時のせいで髪の色変わるし」
(それで黄色の髪だったのか。というか、髪の色変わるだけで済むのか?普通死なないのか?直撃なんだろ?)
善逸の髪の色は、金色にも見える黄色。
その理由はわかったが、雷の直撃受ければ死ぬ筈だ。
隼人の音はいびつに軋んでいた。
だけれど、その経緯を聞いたら音は和んだ。
目を丸くして、唖然として。
たいしたことない昔話としてさらっと話されて。
「あははは!」
隼人は声を上げて笑っていた。

「ちょっと!何笑ってんの?雷直撃受けた昔話がそんなに面白い?死にかけた人がここにいるんですけど!!」
「ごめん……だけどそんなにたいしたことないふうに話されると逆に笑えてくるよ」
腹を抱えて笑っていた。
(この人の笑いのツボがわからん……)
憮然となったが、隼人の音は和んでいた。
(隼人さんが、笑ってるならいっか)
一時の事でも、今だけでも、初めて隼人自信の軋まない音を聴いた。

彼の音は森だ。
命の円環を見守る静かな森。
その森が立ち枯れようとしている。
裂けてひび割れて……。

(俺にできる事あるのかな)
いつも誰かに助けられている自分に、できることはなんだろう。
隼人を壊す痛みを見つけないと、隼人が壊れてしまう。
(俺に、見つけられるかな……探さなきゃ)
珍しく、自分から動こうと思った。
炭治郎、伊之助が何処にいるかもわからない。
見限られたかもしれない。
そう思うと動くのが恐くなる。
だけれど、隼人の音をこれ以上壊すわけにはいかない。

「善逸、これを返しておくよ」
差し出されたのは、隊服と羽織そして、日輪刀。
「明日には、森の出口まで案内するよ。もう君は大丈夫そうだ」
「ありがとう、隼人さん」
言って、はたと気づく。
「そうだ。雀がいなかった?チュン太郎って名前なんだ……」
「雀?ああ、いたね。そういえば」
「あいつは俺の」
鎹雀と言いかけて口をつぐんだ。
隼人に明かしてはいけないと、思った。
「俺の飼ってる雀なんだ。一度保護したらなついちゃって」
「そうだったのか。何処かに飛んでいってしまったよ」
「そうなんだ」

嘘だ。

隼人は気づいていた筈だ。
チュン太郎が、ただの雀じゃあないこと。
でもチュン太郎を殺してない。
確信があった。
森の何処かには、放している。
隼人の音はまた軋み出していた。
穏やかだったのは、心の底から笑っていた時だけ。
明日、探す。
隼人の痛みの元を。
それを断つ。


善逸に食事をさせた後、用事と称して隼人は森の中にいた。
(斬らなければ)
善逸と会話しながらも、隼人は機会を伺っていた。
でも、なかなかできなかった。
一度できた綻びが、どんどん大きくなっていた。

(心を殺せ……彼に気取られる)
善逸に嘘は見抜かれる。
直感だった。
隼人は、勘が鋭かった。
深い心底で、彼は颯太を思った。
あと、少し。
あの鬼の強化が終わって、やつが十二鬼月に列せば終わる。
弟と暮らせる。
この森で。

ー隼人!!ー

雷鳴のような、それは友の声。
びくん、と体がすくんだ。

ー落ち着け!冷静になれ!そんな行動に意味はない!ー

(俺は、冷静だよ。生き残った家族を救いたいだけだ。意味はあるだろう)
明日、森の出口に案内するふりをして善逸を斬る。
しかし、何故友を思い出すのだろう。
善逸の羽織のせいか。
色違いだが、懐かしいあの柄。

「柱のくせに、友だとか一方的だったな」
脳裏によぎったのは、小柄な男。
いつもどんな時も寄り添ってくれた。

始めて組んだのはいつだった?
彼をいつも援護した。
彼が動きやすいよう立ち回った。
いつも背中を見ていた。

彼は気安く、友と呼べる人ではなかった。
でも、彼は自分からいてだった。
閃光のように速く、音だけが残る程速く、目では捉えられなかった。

雷の呼吸の極み、鳴柱。
「桑島……」

呟いたら、涙がどっと溢れた。
「俺は、今何をしている?」
自分で決めた筈だ。
なのに、今苦しい。
壊れそうなくらい。
「森の呼吸……一の型……」
ごう、と風が吹き荒れ出す。

隼人の剣気だ。
風の呼吸の派生……森の呼吸。
「蔦穿ち」

隼人の剣がしなやかに翻った。
凄まじい音を立てて周囲がくだけ散る。

まだ、使える。
剣の鋭さも、勢いも落ちていない。
善逸がもし抵抗してきても、斬れる。

「あと二人も、始末する」
自分に言い聞かせるように、隼人は呟いた。
「森は惑わす。あの二人が喰われていればそれに及ばんが」
隼人の目は混濁していた。
























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