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第2章

まるで水が生き物のようだった。
扇が翻る度放たれる水流は、あり得ない角度から襲い掛かって来る。
(短時間で、奴を狩らねば……)
戦いが長引けば、義勇の体がもたない。
隊士達を血鬼術から守るため、被弾を構わず動いた為に、体を負傷していた。
「さあ、舞ってごらんなさい」
血鬼術。
雨咒うじゅ・天牙の氾濫」
辺りが白くなる程の豪雨が降り注ぐ。
全てが水の牙。
水の呼吸、肆の型。
「打ち潮」
水の牙に、義勇の剣撃が激突する。
足捌きで立ち位置を変えながら、全ての攻撃を受け流していく。
斬撃のその流れに一切の停滞はなかった。
払われた雨粒が、玉のように散る。
「体を負傷しても強いのね」
義勇は応えない。
「私は白瀧しらたき。あの世の土産に覚えておきなさい」
扇が二回舞う。
「雨咒・黄昏の時雨矢」
空を裂き、百を超える雨の矢が降り注ぐ。
水の呼吸、玖の型。
「水流飛沫」
白瀧が眼を見張った。
「なんて流麗……」
時雨矢の中を駆け抜ける義勇の動きは、迅速かつ流動的だった。
翻る羽織も裾も袖の端さえ、水の矢が掠めることはない。
「あいつらを守らなければ、そんな怪我しなくて済んだのに」
「……負傷したのは、俺の未熟さだ……」
義勇は白瀧を睨み付ける。
足りない、修行がまだ足りない。
(どんなに実戦を重ねてもこれでは意味がない)
頭がぐらりと揺れた。
出血した状態で動き回ったからだ。
「鬼も人間も残酷さは変わらないけど、鬼の方が本当にマシだわ」
紫紺の瞳が義勇を見下す。
「そうやって誰かを守っても見捨てられ、傷付いて死んでいく」
血鬼術。
「雨咒・天眼の雨槍」
あの雨槍の比ではない寒気に襲われた。
水の呼吸……。
「拾壱の型……」
凪の発動の前に、雨槍が義勇に、周囲に乱立する。
過ぎた雨は災いになる。
雨煙の漂う中に立ち尽くす義勇は更に傷だらけになっていた。
どっと、義勇は両膝を着いた。
倒れまいと、かろうじて刀を地面に突き刺し堪える。
更にぼたぼたと、血が滴った。
「あら、あの雨槍の直撃をかわしていたのね」
(血鬼術の発動が速い……)
己への悔しさが身を灼く。
参の型、肆の型、玖の型これらをあの弾幕の中で連発したが全ての攻撃を受け流し、かわしきれたわけではない今の自分の現状。
下弦を撃破してきているから、なんだというのか。
現状、下弦でもない鬼に手負いにされている。
自分の中に慢心があるとしか言いようがない。
「もう限界ね」
左手にも、扇が翻った。
「ちゃんと、食べてあげるから安心してね」
「ぐっ……!」
紫紺の瞳がにたりと嗤った。
「雨咒・天凶の災渦」
災渦さえも格が違う。
二つの扇が舞った。
無常の豪雨が、義勇に逆落ちる。
轟音と夥しい水飛沫が乱れ散った。
「ん?」
白瀧は小首を傾げた。
周囲に雪と梅の香りが舞っている。
季節は冬が近いがまだ雪と梅の時期ではない。
「あら」
義勇のいた箇所は激しく破壊されていたが、彼の姿はなく、白瀧から見て左側に彼はいた。
そして、同じ隊服姿の娘。
「雪の呼吸、玖の型。雪裏清香[せつりのせいこう]を使っても厳しいとは……」
白瀧を見上げたのは、青い目の娘。
「お前は……」
義勇は置いてきた少女を見た。
あの災渦を掻い潜り、義勇を救ったのだ。
その際に、仮面を喪失したようだ。
羽織も隊服も所々損傷している。
それでも、傷はない。
「雪柱、秦野氷月と申します」
少女は義勇に名乗った。
「間に合って良かった」
「……俺を柱にしたいからか……」
「いいえ……今は、抜きん出た逸材である貴方を死なせたくないからです」
「……今は、か」
嘘のつけない性分のようだった。
「彼女、上弦ではないのですか……」
「眼にも、数字はないからな」
上弦に匹敵する強さなのに、白瀧は否定しているのがそら恐ろしい。
これでは上弦の強さが計り知れない。
「貴女も私の食事になってくれるのね」
白瀧が、会話を遮った。
「いいえ、丁重にお断りいたします」
「そう?遠慮しなくてもきちんと食べてあげるわよ」
扇が舞った。
「秦野と言ったな」
「はい」
義勇は、拳を握り締めた。
「さっきの無礼は詫びる……助太刀してもらいたい」
今の自分では、狩れない。
都合が良いのはわかっている。
しかし、あの鬼は自分が斬りたい。
「私こそ……無遠慮でした。ごめんなさい」
青い目は、澄んでいて美しかった。
冬空の満月のように。
「貴方に協力します」
「……すまない……礼を言う」
己への悔しさは押し込めた。
今は、鬼を狩る。
「次こそ最後」
血鬼術。
「雨咒・天凶の災渦」
氷月が地面を蹴り、白瀧に向かって走る。
「ははっ!娘1人で何ができる!」
辺りが夥しい豪雨と轟音に晒される。
雪の呼吸、肆の型。
「雪魄氷姿」
刃に雪の梅が纏い、梅吹雪と化する。
豪雨の中に、雪の梅が咲き乱れ、勢いを殺していく。
次いで。
「参の型、雪月風花」
雪梅、風に散る花びら、満月のような軌跡の旋回する4連撃。
「かなりの連撃を入れているようだが無駄だ!」
「いいえ、これで良いのです」
氷月が言った瞬間。
全てが凪いだ。
「まさか……」
白瀧の顔がひきつった。
動けない筈の男が、動いていた。
水の呼吸、拾壱の型。
凪の発動。
氷月と入れ替わりに、白瀧の間合いに義勇は入り込んでいた。
「あの傷で動けるだと!」
近距離で使える血鬼術ではない。
白瀧ができたのは、扇を義勇の頸めがけ振り下ろすだけ。
剣と扇が交錯した。
鋭く微かな風切り音と共に、白瀧の頸に刃が食い込んだ。
白瀧の扇は、義勇の数本の髪を散らして義勇の髪を縛る結い紐を切っただけだった。
義勇の長い黒髪は
扇の風圧に乱れ広がり、白瀧の頸は斬り飛ばされた。
「この小娘さえ……いなかったら」
忌々しげに白瀧は崩れ散っていきながら吐き捨てた。
髪を乱したまま義勇は、血の気の無い白い顔で白瀧が崩れ散って消えるまで立ち続けた。

白瀧が灰となって消え去った。
「……っ…終わった……」
がくんと義勇は膝から崩れ落ちた。
咄嗟に手を着いたが、肘が震える。
「富岡さん!」
氷月が体を支えた。
「隠がいずれ来ます。それまでの応急処置を」
「……助かった。礼を言う」
ぽつりと、義勇は俯いたまま呟いた。
汗と血に汚れた顔に乱れ髪が張り付く中に覗く瞳が、何処か虚ろだった。
「富岡さん?」
「……俺は……」
まだ弱い。
強くならねばならない。
「まだ……」
「富岡さん!」
義勇の体は地面に崩れ落ちた。
霞む視界に、右手から転がった日輪刀が映り込んだ。
(まだ……足りないんだな。俺は……)
意識が闇に沈んでいった。

瞼に差す光に、義勇の意識がゆっくり覚醒する。
視界に映るのは知らない天井だ。
「……」
顔を僅かに右手へ動かすと、西洋風の窓から日の光が差し込んでいた。
「富岡さん?目が覚めたんですね」
鮮やかな青い瞳が笑っていた。
「……はた、の、か」
どれぐらい眠っていたのか、声が上手く出ない。
枕元にやってきた氷月は、仮面を着けていなかった。
氷月は義勇の様子を見て安堵するとすぐ顔を逸らした。
「……?」
「あまり見ていると、怖いですよね……私の目は」
「べつに……」
声が掠れる。
喉が渇いているようだ。
「あ、喉渇いてますよね。」
察した氷月が水を飲ませてくれた。
西洋のものなのか、飲み口が細長くなっていて、少しずつ飲むことができた。
「俺はどのくらい眠っていた?」
「一週間です」
「……そんなにも」
「出血した状態で戦い続けていたからですよ。型の行使で体力も更に消耗していましたから」
会話していても、氷月は視線を下に向けていた。
「やっぱり素顔だと駄目です……富岡さんの目を見て話せません」
「俺がいつ怖いと言った……」
「言ってません……でも、皆この目は怖がります」
「秦野は綺麗な目の色をしているのに、何を怖がるんだ」
「え……」
氷月は思わず顔を上げた。
義勇は、氷月を見ていた。
その目元が、少し細くなっていた。
笑っていた。
「綺麗な色だ」
「……富岡さん……」
氷月の胸の奥が熱くなった。
「ここは何処だ?」
「……藤屋敷ですよ」
鬼殺隊士達に救われた人の中には、その恩義から無償で鬼殺隊士達を支援する人達がいる。
「西洋施設は、初めてだな……」
「ですね」
氷月も頷いた。
「怪我が酷くて蝶屋敷までは運べなかったんです」
「……柱の秦野が、ここにいる理由は?」
「富岡さんの容態が落ち着くまで、居ようと思ったんですよ」
熱も高かったし、ずっとうなされていた。
屋敷の医者に看せると言われたが、氷月は残る事を選んだ。
「……俺に構うな。本部へ戻れ、そして柱の使命を果たせ」
天井を見上げた義勇の横顔は、感情をうかがわせなかった。
(治ったら本部へ来て欲しい……)
とは言えなかった。
あの一週間前に見た虚ろな眼を思い出すと。
自分はまだ無力だと言っているような、あの眼。
彼は気づいているのだろうか。
身を呈して隊士達の前に立ち、彼等を守り異能の鬼に立ち向かうそれはもう、柱たりうるということを。
一人で何もかも背負い込んで自分を追い込んで。
何を許せないのだろう。
この人は陰で悪く言われているけれど、自分の眼を綺麗だと言ってくれた優しい人だ。
優しいから、自分を許せない事から抜け出せない。
柱になるのを拒み、何を頑なになるのかと言ってしまったのが、心苦しい。
……この人を動かせるのは、私じゃない……
笑ったあの眼が、やけに切なかった。
義勇は笑ったことに気づいていないだろうけれど。
「雪の呼吸か……君の技、見事だった」
「富岡さん……」
義勇が氷月を見た。
少し、まどろみ出していた。
「柱に相応しい技だった……俺も」
瞼が閉じていく。
「もっと……修行、しない……と」
「ごめんなさい、疲れましたね」
氷月はかけ布団を襟元までかけ直す。
すぅ、とやがて寝息が聞こえてくる。
「水の呼吸の方に褒めていただけた……」
嬉し涙が溢れる。
「私、水柱になった貴方と一緒に戦いたい。待ってます」
あの拾壱の型。
全ての攻撃を凪ぐあの技。
鳥肌が立つほど美しかった。
雪の呼吸を極めたと思っていたのに、もっと上がいる。
「言われた通りに本部へ戻ります。また、会いましょうね富岡さん」
氷月は藤屋敷を後にした。

「玩具が帰って来ないなあ。もしかして狩られちゃったかな」
夜の訪れるある花街の一画を彷徨[うろつ]く青年が、うーんとぼやきながら冬空を見上げた。
「鈴一つ、水の扇がえっと二つだっけ」
虹の光彩が煌めく瞳につまらなさそうな色が浮かぶ。
その眼には『上弦』『弐』と刻まれていた。
「もうちょい頑張って欲しかったなぁ」
すぐに狩られない下弦の鬼になるかどうか見届けたかったのに。
「あいつらに血を分けた手前、あの方に僕が怒られちゃったしなぁ」
少しもあの方の怒りに震えてもいない。
「まあいっか、扇の一つはやたらあの方に付きまとって鬱陶しかったし」
鈴の方はいつまでたっても、うだうだ恨み節ばっかりで綺麗じゃないし。
マシなのは、あの赤い扇の方だけだった。
「難しいなぁ。下弦の逸材見つけるの」
「お兄さん!難しい顔したお兄さん!」
棉の入った上着を着た女が、青年の袖を引いてきた。
「わお!美人だねえ、君!」
青年はにっこりと笑った。
「まあ、本当の事言わないでよ!お兄さん」
頬を染めて女がしなだれかかる。
「うちの店で遊ばない?良い娘がたくさんいるわよ?あたい程じゃないけどね」
「へえ、期待して良い?」
「もちろん」
虹の光彩を放つ瞳に、上弦と陸の数字は消えていた。
(今夜もごちそうだなぁ)
青年の顔がにこにこと上気する。
「じゃあ、まずは君からにしよっかな」
店の前まで来て、青年は路地裏に引っ張り込んだ。
「やだ、お兄さん積極的じゃない」
「うん、だって」
青年は女の首に長い指を這わせた。
「とっても美味しそうだから」
ぺろりとその首筋を舐める。
「あはは、やだ!ここは寒いから、部屋に行きましょうよ」
「えー。待てないよ」
「見かけによらない人ねえ。あたい、実代っていうの。お兄さんは?」
「僕はねえ」
ぎりいと女の首に指が食い込む。
「が……ちょっと……」
「童磨って言うんだ」
実代を覗き込む眼は、女ではなく食料を見る目付きだった。
尋常ではない気配に、女は首に食い込む指を離そうと足掻いた。
「あーじっとしてて、すぐだから」
まるで茎を折るようにに、童磨はその首をへし折った。
「美味しそうだなぁ」
果実をもぐように首をねじ切ると、手が血まみれになるのも構わずかじりついた。
「うん、やっぱり女の子は美味しいなぁ」
ぼりぼりと骨まで喰い尽くす。
「あ、頭は最後にしとくんだった」
指に着いた脳をぺろりとしゃぶる。
「まだ食べる女の子いるし、いっか」
腕をもぎ、かじりつく。
「この子も美味しいけど、あのお店にはもっといるかな?鬼狩り来ないうちに、あと三人ぐらい食べて帰ろ」
綺麗に食べ尽くすと、着物と履き物を打ち捨て、小躍りしながら童磨は店に入って行った。














































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