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第1章

下弦以上上弦未満。
上弦の陸を撃破した筈だが、何ら宿敵からの動きはなかった。
幾日立とうがだ。
『向こう』にとっても、その程度だったようだ。
義勇が撃破したのは上弦の陸の出来損ない、ただのまぐれだのぬか喜びだのと彼をよく思わない連中から揶揄されまくる日々だった。
そんな事は、戦った本人がよくわかっているので、いちいち取り合わなかった。
むしろ、
「人を揶揄する暇があるなら修行しろ」
ばっさり切り捨てた。
その後も、1人あちこちを出歩き鬼と戦い続けた。
1人の方が気が楽だった。
会話しなくてもいいし、藤襲山の事を思い出さなくていいからだ。
季節は、冬を向かえようとしていた。
頭上から烏の鳴き声に義勇は歩みを止めた。
「富岡義勇!本部からの要請!産屋敷邸へ参上せよ」
またか……。
義勇は内心辟易していた。
上弦のなりそこないを撃破してから烏がこうして、産屋敷邸へ行くように伝令を伝えてくるのだ。
下弦の鬼壱から陸と遭遇、撃破の際もこうしてしつこかった。
伝令をガン無視していたが。
柱になれとの訓示を受けるのは察しがついていた。
鬼を50体以上狩るか、十二鬼月を倒すのが柱の条件とは知っていた。
なおさら、柱になる気はなかった。
自分はふさわしくないからだ。
「本部へ伝えろ」
烏を無感情に見上げ、義勇は呟いた。
「俺は忙しい。本部へは行けないとな」
それだけ行って、東へと歩き去って行った。

その夜。
「何を考えているのか!あの若造は!」
義勇の言伝てを聞いた煉極槇寿朗は、産屋敷邸にいることも忘れて激怒した。
「本部からの通達を再三に渡って無視した挙げ句、忙しいから来れないだと!?」
「槇寿朗殿、ここはお館様の御前にございますぞ」
物静かな青年の声に、槇寿朗は我に返った。
「未だ柱として日が浅い私が貴方にもの申すのは心苦しいのですが……」
岩柱、悲鳴嶼行冥。
産屋敷耀哉に救われ、血の滲む修行を経て短期間で柱にまでなった才覚の持ち主だった。
彼の眼は、初めから視力を持たず白濁していた。
損なった視力を補う程に、聴覚と三半規管が抜きん出ており、この能力が彼を柱にまで成し得る事ができた。
「申し訳ない、行冥……お館様、お見苦しい所をお見せして申し訳ございません」
槇寿朗は耀哉に深く上体を折り曲げた。
「顔を上げて、槇寿朗」
耀哉は穏やかだった。
「義勇はこちらに来る事ができない事情があるようだね」
「恐れながらお館様」
行冥が数珠を両手で合わせながら進言する。
「富岡義勇なる剣士は、年を聞くに今だ13。若さと下弦を撃破する己に、慢心し増長する心がお館様を軽んじていると私は推察致します」
行冥は過去、子供によって寺に鬼を引き込まれた心の傷があった。
子供を信用する事ができなかった。
「伝令を無視し、単独行動を取ると耳にします。組織立った行動を取れぬ者に柱の資格はないと存じますが」
「行冥」
耀哉の声音は穏やかだったが、雪の中の刃のような鋭さをはらんだ。
「義勇に聞かねば分からないよ。憶測や推察で義勇の人となりを決めてはならない」
「ー!申し訳ありません」
あっさりと行冥は引き下がった。
目上の者に対する、合手礼を持って謝罪した。槇寿朗の礼もこれにあたる。
産屋敷耀哉の言葉には不思議な力がある。
彼の持つ言霊は、自然と人を従わせた。
「本来ならあまねを向かわせたいのだけど、五人の私の子供達の事があるからね」
耀哉には、産屋敷家が待ちわびた子供がようやく生まれた所だった。
女の子4人、男の子1人の五つ子だ。
「お方様のお体が回復されておられようとも、あまね様を富岡に遣わせるなど、過ぎた事にございます」
槇寿朗は苦虫を噛み潰した顔になっていた。
「隠では駄目にございましょうか?」
「きちんと話をしたいんだ。あの子と……義勇とね」
その時、耀哉の喉がぐるると鳴り、耀哉が激しく咳き込んだ。
「お館様!発作が!」
槇寿朗と行冥が血相を変え、耀哉の元まで駆け寄る。
「……ちょっと疲れたかな?」
苦笑いしながら、耀哉は懐紙で口元を拭った。
「もうお休みになられた方がよろしいかと存じます。お館様……」
はらはらと涙を流しながら行冥が請う。
「私の至らない発言が、お館様にご心痛を与えてしまったのでしょう……お許し下さい」
「行冥は悪くないよ。私の体が弱いから」
「お止め下さい、そのようなお言葉……」
行冥の涙ははらはらから、滝のようになっていた。
「お館様、どうか今日の所はお休み下さいませ」
槇寿朗も懇願した。
「……そうだね、倒れたりしたらあまねに余計な心痛を与えてしまうね」
「私がお部屋までお連れします」
行冥が耀哉に寄り添った。
「槇寿朗、行冥。義勇の事は私に任せて欲しい」
行冥に支えられながら、耀哉は立ち上がる。
「お館様……」
「ただ、義勇と話がしたいだけだから」
寂しそうに笑う耀哉は、なかなか会えない子に会いたい父親のようだった。
「御意」
槇寿朗が一礼した。
「お館様のお心に従います」
涙を流しながら、行冥も従った。
「ありがとう……槇寿朗、行冥、君達は優しい子達だ」
耀哉は嬉しそうに微笑した。

行冥に支えられながら部屋へと戻って行く耀哉を見送ると、しんとした庭園に槇寿朗は目を向け、観賞するでもなく佇んでいた。
「槇寿朗様?」
澄んだ声音に顔を向けると、白い羽織りに、銀色の雪を纏った梅の紋様を描かれたものを羽織る少女が立っていた。
「おお、戻ったか。氷月」
名は、秦野氷月。
年は18。
背中半ばまで伸ばした髪を寒梅の髪飾りで束ねていた。
腰に差している日輪刀の鍔は凍った梅だった。
「水の呼吸から派生した、雪の呼吸の雪柱。よく戻った」
「恐れ入ります」
氷月は軽く頭を下げた。
氷月は本名ではない。
鬼殺隊に志願した時改名した。
冬空に浮かぶ凍てついた満月を見て、名前にした。
「まだ人目は気になるか」
槇寿朗が苦笑いする。
眉目秀麗だろう氷月の顔半分は、西洋から入ってきた仮面で覆われていた。
和装に合うよう手直しは入っていたが、目を引く。
「そうですね……散々、鬼の子だの妖の子だのと言われてきたからでしょう」
「儂とお館様の前でくらいは取れ」
「そうですね……」
おずおずと氷月は仮面を外した。
黒髪と白い肌に冴え冴えと映える青い眼が顕になる。
「うむ、それで良い」
槇寿朗は青い眼を見ても動じる事がなかった。
「あの、槇寿朗様」
「なんだ?」
「前からお聞きしたかったのですが、怖くありませんか?……私の眼は……」
「何故そんな事を聞く必要がある?」
「えっ」
「お館様は、冬の空のような美しい眼だとおっしゃったではないか。儂もだぞ」
はじめて耀哉の前で素顔を見せた時、耀哉は綺麗な眼だと言ってくれた。
槇寿朗は、芯の通った良い眼差しだと言った。
何の能力も持たないただ青いだけの眼を。
この眼のせいで、母親は鬼の子を生んだと気を病んでしまった。
家では厄介者扱いされて、折檻も酷かった。
だから、前髪を長くして隠すようになった。
人目を気にして、ずっと1人だった。
やがて身売り同然で奉公に出された。
そこでも青い眼を見られて、鬼の子と蔑まれた。いじめられた……悲しかった。
眼が気持ち悪い、それだけで酷い目にあった。
ーお姉さん、綺麗な眼だねー
脳裏に、自分よりも小さい男の子の笑う顔が浮かんだ。
氷月を助けに入った事で、顔も体も傷だらけになってしまった男の子。
泣きながら謝る氷月に、
ー泣かないでよ。俺、こんな怪我すぐ治るから。お姉さんが大丈夫で良かったー
あの子もいじめられていた。
あの子も、気味悪がられていた。
どこも変わった所はなかったのに。
その夜、彼女の奉公先は鬼に襲われた。
家人も、奉公人も全て喰われた。
不味そうという理由であの男の子は鬼に無視されていた。
あの子はずっと、気持ち悪い音が来るから逃げようと泣いて訴えていた。
でも誰も信じなかった。
氷月は信じた。
自分の眼を綺麗と言ったあの子は嘘を言っていなかったからだ。
そして、襲われた。
鬼に喰われそうになった時、男の子が鬼にしがみついた。
ーお姉さん、逃げて!ー
叫んだあの子は、やかましい!と鬼に吹き飛ばされた。
体が激突した家具が破壊する程の勢いだった。
男の子はぴくりともしなかった。
恐怖で動けなかった。
あの子が助けてくれたのに、喰われる。
絶望的だった。
その氷月を救ったのは、水の呼吸の剣士だった。
鮮やかに鬼を斬ったのだ。
氷月は剣士に懇願した。
自分も鬼と戦いたいと。
必死の訴えに、水の呼吸の剣士は育手を紹介してくれた。
氷月を助けようとして鬼に立ち向かったあの子の仇討ちがしたかった。
そして、いるだろうあの子のような優しい人達を死なせない為に、柱にまでなったのだ。
鬼殺隊士となってからは、仮面で眼を隠した。
目立つとわかっていても、目を隠さずにいられなかった。
師匠も眼を悪く言わなかったが、人目は気になって仕方なかった。
「愚問でしたね、今更。お許し下さい」
氷月は微笑した。
「あのお館様は?帰還の報告に上がったのですが」
「…軽い発作を起こされてな…行冥が部屋へお連れした所だ」
「…お館様」
「柱の空位が続く事へのご心痛が積み重なっておいでなのだろう…」
基本五大流派からなる柱は、十二鬼月上弦と遭遇するも葬られてしまい、以降柱の空位が続いていた。
風柱、鳴柱、水柱が未だ空席であり水の呼吸から派生した雪柱が立ったのも日が浅い。
「富岡義勇なる剣士は?下弦と遭遇するもこれを悉く撃破し生還すると聞き及んでおりますが……」
水柱になってもおかしくない筈だが、と氷月は言う。
「富岡義勇は、お館様の元まで参上する気がないようだ。伝令を再三に渡って無視している」
槇寿朗は眉を吊り上げた。
「鬼殺隊発足から続く五大流派の中においてやっと出てきた水の呼吸の逸材だ。何故頑なに伝令を無視できるか理解できん」
「今、彼は?」
「鎹烏の話を聞くに東へと向かったらしい」
「……東ですか」
一つ所に留まらず、自ら鬼と戦う方へと絶えず動き続ける。
自ら立ち止まるのを拒むようだ。
下弦に遭遇する可能性にも憶さない。
異能力の鬼と戦うことも。
そこまで動き続けるのは何故なのか。
「富岡は鎹烏の伝令を受けてもお館様の元に参上しない。奴が水柱を固辞しているのに、お館様は話をしたがっておられる」
「こればかりは、お館様のお心に従う他ありませんね……」
柱の穴埋めは急務。
僭越ながら耀哉の力になりたいと思った。
富岡義勇を知る。
氷月は決めた。
























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