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第1章

帰って来たのは、血まみれの狐の面と錆兎が着ていた着物の一部。
真菰は遺品すらなかった。
義勇は布団の中で上体を起こし、置いていかれた遺品を虚ろに見詰めた。
『三人で絶対に生き延びて鱗滝先生の下に帰ろう』
三人で交わしたあの誓いが虚しかった。
頭の包帯は取れて、傷も癒えていた。
だが憔悴した義勇は、なかなか床上がりできなかった。
枕元には仕立てられた隊服が届いていたが、袖を通す気にも見る気にもなれなかった。
「あの時、俺が負傷しなければ……もっと速かったなら……」
涙が溢れ出す。
左側頭部に一撃を食らう事さえなかったら……。
「錆兎は死んではならなかったんだ……」
気がどうにかなりそうだった。
「死ぬのは錆兎じゃない……俺が死ぬべきだったんだ!」
手付かずの食事を畳に投げつけた。
盆が跳ね、料理が散乱する。
何もかも虚しくて悲しくて、むせび泣いた。
ずっとこんな様子だった。
藤襲山で戦い抜く事もせず、錆兎に守られ、同期に7日間守られ何一つなし得ていない。

ー未熟さを恥じるなら、諦めて死ぬのではなく恥をかいても生き延びて鍛え直せー

錆兎が残した言葉が脳裏に蘇る。
「未熟さを恥じるなら……諦めて死ぬのではなく」
のろのろと錆兎の遺品に、這い寄る。
「恥をかいても生き延び鍛え直せ……」
錆兎の着物の一部を手に取り、胸に抱え込んだ。
「真菰……錆兎……」
涙が止まらない。
「俺は、強くなる……誰よりも……」
だから。
「今は泣かせてくれ…っ」
荒れた部屋に、義勇のむせび泣く声が響いた。

それから、幾日が過ぎ。
隊服を着た義勇は、ひたすら的打ち稽古に明け暮れていた。
剣が握れなくなるまで、体が動かなくなるまで、ひたすらに。
水の呼吸の型を壱から拾の型まで全てやり込む。
疲労で意識を失うまで。
もっと長く、もっと速く動けるようになるまで。
打ち込み続けていくうちに、体が疲れにくくなり回復が早まっている事に気づく。
稽古に明け暮れている日々を重ねていく中で全集中・常中を義勇は会得していた。
「今更だな……」
喜びはなかった。
虚しさばかりが募る。
「俺はあの試験において、鬼を倒せていない……」
鬼を斬る事を1人で果たせていない。
義勇は拳を震わせた。

更に数日後。
義勇は奇妙な羽織を纏っていた。
緋色の生地と錆兎の着物の一部を縫い合わせた羽織だった。
緋色の生地は義勇の姉の遺品から用いたものだった。
守れなかった、大切な人達の形見を身につける事で自らの戒めとして。
鬼殺隊士の誰かを二度と失わないように。
だから。
誰とも関わりを持たず、距離を取るようになった。
1人で動けば、誰かを失わなくて済む。
誰かを守りながら戦えるなどと思う事は、自分にとって傲慢で自惚れた考えだと。
錆兎を死なせた自分が、許せなかった。

義勇は指令も伝令も待たずに、単独行動を取るようになった。
指示を待っていると、誰かと組まされた。
そしてそれが、藤襲山の事を嫌でも思い出して平常心を保てなくなり、精神を総動員しなければならなかった。

自らあちこち動き回り、鬼を狩り続けた。
他の隊士達よりも動く事が、義勇の剣技と技の練り上げにより研きをかけていく事になったが、その分仲間達との距離はどんどん離れていってしまった。
富岡義勇は、自分勝手に行動する何を考えているのか分からない奴と陰口を叩かれていた。

その夜は激しく雨が降り注ぐ夜だった。
大量の雨水が地面をぬかるませ、足をとられやすくなっていた。
「また、鬼狩りか。何人来ても無意味だわえ」
この悪天候に干渉する血鬼術を行使する鬼のようだった。
しかもその身に十二単を纏った女の形の、いつ鬼になったか分かりやすい風体。
ー鬼殺隊士10名、鬼と交戦の末に窮地!近くの鬼殺隊士は直ちに応援に向かえー
鎹烏の伝令に、義勇は走った。
しかし。
義勇の周りには、鬼にやられた鬼殺隊士らの遺体が無残な姿を晒していた。
「数なら気にするな。俺しかいない」
義勇は剣を鞘走らせた。
しなやかな所作は、悪天候の中においても美しかった。
「おい、村田」
振り返りもせず、義勇はいずこともなく名を呼ぶ。
遺体の中に、負傷しているがあの時の村田が生存していたのだ。
「と、富岡……」
雨と涙で濡れた顔を村田が上げる。
「邪魔になる。さっさと去れ」
抑揚の無い声音はしかし、雨音にかきけされることはなかった。
「隠と合流しろ」
ただ一言のみ。
雨水が散った。
ぬかるんでいる足場をもろともせず、義勇の足は滑るように走り鬼に距離を詰めた。
水の呼吸、参の型。
「流流舞い」
刀身が、溢れ出す湧水のような水流の剣気を纏う。
一気に鋭さが増し、雨水を斬りながら鬼に迫った。
「その剣、誠に美しや」
にたりと鬼が嗤う。
十二単の重さも物ともせず扇をかざす。
「天眼の裂水」
雨が扇に一気に集中し、鉄砲水の如く打ち出された。
流流舞いの軌道と鬼血術が激突する。
水飛沫が上がる。
一太刀、二太刀目の斬撃で直撃の衝撃を殺し、刀の角度と体幹、水の呼吸の主歩法で鮮やかに捌ききった。
「ふふ、お主の技は誠に美しいのう」
愉快げに鬼は扇で口元を隠し嗤う。
義勇は応えない。
静かに刀の滴を払うのみ。
「立ち位置を全く変えぬ。あの雑魚を守る為かえ?」
村田は未だによたよた逃げている最中だった。
義勇と鬼の攻防は、まさに一瞬だったのだ。
「愚か愚か愚かよなぁ」
くつくつと鬼は嘲笑う。
「妾の血鬼術を持ってすれば、お主ごとあの雑魚も始末できるのじゃ」
扇が翻る。
ぴたぴた、と静止画のように雨水が止まる。
雨水一つ一つに、まごうことない死の牙。
義勇の背中に寒気が走った。
広範囲を刺し貫く、雨の槍。
「天眼の雨槍」
豪雨の音を纏い、雨水の槍が降り注ぐ。
義勇は後方へ飛んだ。
鬼殺隊士達の遺体が串刺しにされていく。
雨槍は弾幕となって次々と地面に突き刺さる。
水の呼吸、肆の型。
「打ち潮」
凪ぎ払いながら、後退を続ける。
「ほほほ!雅じゃ!お主の動きは舞いの如く雅よな!」
心底愉しげに鬼は嗤う。
村田の元まであと僅か。
しかし、雨の槍は終わらない。
構わず後方へ跳躍する。
水の呼吸、壱の型。
「水面斬り」
横一閃の凪ぎ払いが雨槍を斬り払う。
着地と同時に槍に貫かれる寸前の村田を脇に抱え、更に飛ぶ。
水飛沫と泥を上げ、槍がそこに幾本も突き立った。
「さっさと行け。次は二度はないぞ」
村田を放り投げ抑揚なく言い放つ。
あの雨槍の中、村田に迫りそれを救って怪我一つない。
「ほほ、雑魚も貴様も妾の血鬼術からは逃げられぬぞえ?」
村田は全身傷だらけだった。
義勇が到着する間に止血する間などなかっただろう。豪雨にも似た雨に体を晒していたのもあってか、出血も伴って動きが鈍い。
「妾はのう、永き時を生きてようやっとあの方に認めていただいたのじゃ。人を喰ろうて、更に強くならねばならぬのじゃ」
べろりと鬼は義勇を視界に止め、舌なめずりした。
「貴様は強い。強い人を喰らわば更に力を得る!雑魚の肉など要らぬわ」
人間であった頃は男引く手あまたであった名残を残す美貌の鬼は、食欲に満ちた眼をぎらつかせた。
「ならば、無用に人間を殺すな」
義勇はそれでも表情も声色も変わらない。
「妾は己が身を守っただけじゃ。喰うに値するならば、とっくに喰ろうておるわ」
(鬼と話しても無駄だな)
足元には、動きが鈍い村田がいる。
雨足は緩む事がない。
鬼の独壇場は変わらない。
義勇の視界には、雨槍で千切れた隊士らの遺体。
足元は、負傷した村田。
(……この体たらくはなんだ……錆兎の死はなんなんだ)
義勇の胸がざわついた。
「さあて、これはどうかのう!」
扇が翻る。
「妾は雨が好きじゃ」
鬼は優雅な動きで扇を動かす。
「恵みをもたらすが、過ぎた雨は全てに牙剥く災いとなるゆえなあ!」
雨が、渦巻く。
「全て流し押し潰せばよいのじゃ!何もかもな!」
「貴様の身の上話に興味はない」
義勇は聞くとも言っていない始まりそうな昔話を冷淡に突き放した。
鬼になることを自ら選びとっておいて、何を語るか。
「その雑魚はろくに動けまいにむざむざ助けよって…愚か愚か愚かよ」
「愚かと何回も言わなくて結構だ」
話の腰を折られて鬼はムッとしているが、友人でも何でもないのだからいちいち語ってくるな。
「語りたければ、地獄で閻魔に語れ」
「この、小僧めが!」
渦巻く雨が獣の形になる。
「災いとは、獣の如き残忍さよ」
血鬼術。
「災禍」
逆巻き、ごうごうと捻れる水の体躯の獣。
「滅べ」
獣が牙剥き、落ちてきた。
まさに、全身が凶器。
二度はない、村田に言い放ったが放り投げるわけにいかなくなった。
隊服の襟をひっつかみ、低く跳躍する。
獣の質量がそこを破壊し、寸暇をおかず災禍の獣は追撃してきた。
身体中の水がうねり放たれたのは、無数の雨粒。
鉄砲玉のように襲いかかってきた。
「ほほ、雑魚を抱えて妾の血鬼術凌げるかえ」
水の呼吸、参の型。
「流流舞い」
雨粒を次々凪ぎ払う。
しかし、片手での斬撃は威力が落ち動きも鈍る。
そこに、水の獣の爪が迫る。
村田を庇いながら、後退するも、僅かに右肩を爪が掠めた。
羽織と隊服の部位が抉れ、血が渋く。
(隊服が裂けた…血鬼術を使うとはいえ、隊服が裂ける…普通の鬼ではない…)
隊服は特別な繊維でできている。
下級の鬼ぐらいでは裂けることはない。
「ほほ、雑魚を捨ててはどうかえ?妾はそこらの鬼ではないぞえ」
「……」
「獣の形は災禍の一形態にしか過ぎぬ」
特に義勇は驚かなかった。
水が形がないように、雨も決まった形はないのだから。
「妾はようやっと、十二鬼月に認められたのじゃ」
その言葉に義勇の表情は明らかに変わった。
鬼の中でも最強凶悪なぐらいしか聞いていない。
隊士達の話では遭遇すれば間違いなく死ぬと。
しかし、義勇が表情を変えたのは違う理由。
「下弦は全て斬ってきた。貴様は違うのか」
「なんとホラをのたまう奴よ。下弦を貴様が葬ってきただと?」
「答えろ」
義勇の両眼が真冬の湖の冷たさの光を放つ。
「妾は、十二鬼月上弦の陸じゃ」
鬼が義勇を睨み付けた。
しかしその眼は『下弦』『壱』と刻まれていた。
「あの方がお心を乱す元凶は貴様であったか」
明らかに、鬼の空気が変わった。
(更に6体、上がいるのか)
義勇は底冷えした眼差しを更に凍てつかせた。
鬼殺隊最高位である柱は現在三人。
炎柱煉極槇寿朗と、岩柱悲鳴嶼行冥。
そして、雪柱とかいう者。
十二鬼月との戦いで柱はことごとく葬られたのだ。
「柱を倒していたのは、下弦だったのか」
「いかにも。妾もその1人。柱を喰らい力を付け上弦の陸となったのよ!」
「寝ぼけるな。自分で言っているだけだろう」
「妾は、もはや上弦の陸じゃ!この眼の数字も貴様を喰って変わる!」
時を重ねていない。
打ち合ってみてわかった。
『こいつは、下弦以上上弦未満でしかない』
雨を自在に操る血鬼術は厄介だが、勝てない相手ではない。
「あの方のお心を乱す輩であるならば手加減は無用じゃ!」
災禍の獣の姿が雨に還る。
「手加減だと?」
義勇の両眼が凍てつくを通り越す。
「滅ぶが良い!」
天津の災禍。
雨が勢いを増した。
過ぎた雨量は災いとなる。
濁流の雨柱が、怒涛となって降り注ぐ。
「貴様が言うな」
水の呼吸、拾壱の型。
「凪」
一瞬。
全ての雨柱は音もなく雲散霧消した。
ただ残るのは降りしきる雨のみ。
その光景に下弦の壱は呆然とした。
「馬鹿な……天津の災禍が……」
水の呼吸、壱の型。
その呼吸に我に返った時には、義勇が間合いに入っていた。
凍てつくを通り越した眼光は、鬼さえゾッとさせた。
「水面斬り」
その頸は軽々とはねられた。
「妾は、まだ喰らわねばならぬ……柱をようやく喰らい、これからだというのに……」
「知らぬ」
ぼろぼろと崩れていく鬼の頭を冷淡に見下ろす。
(村田を庇いながらとはいえ、負傷するとはまだまだ修行が足りない)
右肩のぴりつく痛みに、苛立ちを覚えた。
鬼の体はやがて崩れ去り、着物と扇が雨に打たれるのみだった。
「す、すごい……富岡1人で倒すなんて」
村田には、鬼が一瞬で倒されたとしか見えなかった。
「富岡、ありが……」
「何をしていた!貴様らは!」
近づいてきた義勇に礼を言おうとした村田は、義勇に胸ぐらを掴まれ激昂された。
「この体たらくはなんだ!?育手から何を学んできた!!」
「富岡……」
わなわな震える義勇は、乱暴に村田を離した。
「言い訳は聞きたくもない。本部への状況報告で存分にやれ」
激昂の次は一気に氷点下まで、凍てついた。
村田と隊士達の遺体に背を向け義勇は
立ち去って行った。

そして、義勇が下弦を撃破して数分後の産屋敷邸では。
「富岡義勇なる若い剣士が、下弦の壱を撃破した由にございます。ただ」
炎柱煉極槇寿朗が、現当主産屋敷耀哉に報告していた。
鎹烏の伝達は迅速だった。
「どうしたの?槇寿朗?」
なにやら言いにくげな炎柱に、耀哉は問う。
「話してごらん」
明らかに年上の槇寿朗を我が子のように、耀哉は話すよう促す。
「富岡義勇なる剣士からの言伝ては、『自分は柱には不相応である』と……」
「富岡義勇……下弦の鬼と1人で戦うあの子だね」
柱でも葬る力を持つ下弦と遭遇しても生き残り帰ってくる類い稀な逸材。
「義勇、すごい子だ。」
耀哉の声がやや沈んだ。
「お館様…」
「あの子が嫌がっているのは分かってはいるのだけど……わがままかな」
寂しそうに耀哉は呟く。
「我々は柱も欠けたまま、戦力不足は否めない」
耀哉は軽く咳き込んだ。
「お館様!」
「…大丈夫だ。ありがとう槇寿朗」
懐紙で口元を拭い、槇寿朗を労う。
耀哉は進行性の病に冒されていた。
顔左側に痣のように腫瘍が蝕み、今は左眼に侵食していた。
「槇寿朗、聞いて欲しい事がある」
「はい」
槇寿朗が位住まいを正す。
「柱を…水柱の空位を埋めたい…」
「お館様…」
「行冥にも秦野氷月にも明日話そうと思っているのだけれど」
雪柱、秦野氷月。
水の呼吸から派生した型の使い手。
今は任務で出動している。
「私はね、義勇に水柱になって欲しい」
「それは…」
「あの子ならば水柱にふさわしい」
義勇の知らないところで、事態が動いていた。











































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