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終章

善逸は3日もすると、起き上がれるようになっていた。
食欲もあり、朝から朝食を食べる様に炭治郎は安心した。
それにしても。
「よく、食べるな……大丈夫か?善逸」
「ん?れんれん(全然)」
善逸は、ご飯を口に詰めたまま応える。
「早く体力つけて、日輪刀をじいちゃんにと届けなきゃいけないし」
ずぞぞと味噌汁をすする。
「あの森でいっぱい泣いたから、もう平気だよ」
焼き鮭を口に入れる。
「どんなに痛くても辛くても、生きてる方の日常は変わらないんだ。止まったら生きていけなくなる」
一瞬、善逸の目が遠くを見た。
「だから、いっぱい泣いて前を見るんだ」
ぽりぽりと漬物をかじる。
(それでも、いっぱい泣いてもどうしようもない時もあったけどさ……)
「死んだ人に薄情になれって事じゃない。時間に囚われないくらいにその人の事はちゃんと覚えておくんだ……」
茶碗におひつの白米を自分で盛る。
「言うのは簡単だけど、難しいけどね…事情は人それぞれだからさ」
かつかつと白米をかきこむ。
「これは俺のやり方だから」
「善逸は強いな」
「……」
(違う。俺は、強くなんてない)
みっともないくらい泣いたり、逃げたりそんな人生だった。
今回だって逃げ出したのに。
「……今回ばっかりは、炭治郎や伊之助に見限られたって思ったよ。俺、逃げたから」
「俺の知ってる善逸は、目の前の事から逃げ出すような奴じゃないよ」
善逸の箸が止まる。
「蜘蛛山の時だって来てくれたじゃないか」
「いや……あれは」
祢豆子を連れ戻そうとしただけだったとはいえなかった。
「伊之助もなんだかんだ言ってたけど心配してたし」
「あいつがねえ……」
どうせ悪口しか言ってないんだろうけど。
本当に炭治郎は良い奴だと思った。
あの森じゃ沢に転落して隼人が見つけるまで気絶していたし、半ば敵の手中だったわけで、隼人じゃなかったらとっくに死んでいるし、沢に転落してなかったらずっと隠れていたかもしれないのに。
自分が逃げるとかと隠れるとかするかもしれないとは、考えないのだ。
隼人も善逸を囮の為に生かしたと言っていた……。
(でも、あの音は敵の隼人といつもの隼人の音がごちゃ混ぜになってたんだよな)
隼人はせめぎ合う自分の中のどこかで善逸を守ってくれていた。
(ありがとうって言えてなかったな……)
「そういや、伊之助は?」
「あぁ、伊之助は任務でもう出発したよ。他の鬼殺隊士達の応援要請がかかったんだ」
「……誰彼構わずにド突いてそう……」
はたと箸を下ろす。口にご飯粒をつけたまま。
「炭治郎は、どうしてここにいるの?」
「善逸が心配でここに残っていたんだ」
「え……」
善逸の胸がじわりと熱くなる。
「じゃあ、本当は伊之助と一緒に応援に行くはずだったんじゃないの?」
膝の上のお盆を脇に追いやり、炭治郎の手を両手で握りしめた。
「ありがとー!炭治郎!」
「は、はは……」
半ば引き気味の炭治郎は、善逸に手を上下にぶんぶんされた。
「やっぱり炭治郎は優しいなぁ」
目尻に涙まで浮かべて善逸は感動していた。
が。
「君が心配で留まったのは本当なんだけど」
すごくすまなさそうに炭治郎は言った。
「伊之助とは別の任務が昨日伝令で届いたんだ」
「へ?じゃあ、何で今日も炭治郎がいるの?」
「今日が合流の日なんだ」
「誰とだよ?もしかして可愛い女子隊士とか?」
ぎりぎりと善逸の目が鋭くなる。
「女の子となら、俺も連れて行け!もう治ってるし!」
「落ち着け善逸!誰も女の子と一緒なんて言ってないぞ!」
そもそも日輪刀を故人から託されているだろうに。
「義勇さんと合流するんだよ」
善逸の勝手な思い込みに、呆れ気味に話す。
「義勇さんて、誰?」
「善逸は知らなかったね。俺の兄弟子で名前は富岡義勇、水柱でもあるんだ」
水柱。
水の呼吸の最高位にして水の呼吸最強を意味する称号だ。
しかも、炭治郎の兄弟子…。
「その…兄弟子と仕事に行くんだ……」
気持ち、声が沈みがちになる。
「うん。義勇さんが到着するまでの間、この屋敷で待機になったのは幸運だったよ」
心底善逸に付き添っていたかった炭治郎の音に、嬉しさが込み上げる。
「支度は?」
「大丈夫。済ませてあるから」
「……さすが炭治郎……」
しっかり者の炭治郎が準備していないわけがない。
「じゃ、祢豆子ちゃんも行っちゃうんだね」
寝込んでいた3日間、夜だけだが祢豆子が来てくれた。
花輪を作ってあげられないのを詫びると、首を横に振って笑ってくれた。
「祢豆子ちゃん……幸せな3日間だったよ」
ばふっと布団に倒れ込む。
「今から死ぬみたいに言うな!」
炭治郎はツッコミを入れた。


昼頃になり、富岡義勇が藤の館にやってきた知らせを受けた。
義勇はすぐに発つ旨を伝えて、館の外で待っていた。
動けるようになった善逸は玄関先まで、炭治郎を見送る為に外へついてきた。
「ここまででいいよ、善逸。まだ無理するな」
「俺は大丈夫だよ」
善逸は炭治郎の横に立つ、富岡義勇という男を何気に見た。
長い黒髪を無造作に後ろで束ねていた。
隊服の上からは、右左柄の違う生地でできた羽織を纏っていた。
(この人が炭治郎の兄弟子か)
全く音を感じない人だ。
波一つ立たない湖の湖面のような、静かな人。
こんな静かな人もいるんだ、と思った。
嫌な静けさじゃない。
不思議な感覚の人という印象だった。。
「遅くなった」
声も静かだ。
低いくせに、よく通って耳に心地良い。
「いえ!無事に合流できて嬉しいです!」
心底嬉しそうに言う炭治郎に、義勇は無反応に見えた。
「お前の同期か」
「あ、はい」
炭治郎が善逸を振り返る。
善逸を見る眼差しも、どこを見ているのか判然としない。
「彼は、我妻善逸です」
「あ、我妻善逸と言います……はじめまして」
善逸は頭を下げた。
義勇は無言で善逸を一瞥し、
「富岡義勇だ」
それだけだった。
「体は充分に休めておけ。お前にもいずれ任務が下る」
「は、はい」
義勇から感じる静けさの中にも確かに、柱の貫禄の音がした。
「出立する。行くぞ、炭治郎」
踵の返す所作も滑らかで音がしない。
優雅だった。
「はい。よろしくお願いします!じゃあな、善逸」
「うん。気をつけてね」
お互い手を振りあって、別れて行く。
並び立って去って行く義勇と炭治郎の背中を善逸はずっと見送っていた。
「兄弟子……か」
善逸にも兄弟子がいる。
修行時代から仲が良いとは言えず、鬼殺隊に入隊しても関係は良好とは言えなかった。
「俺も獪岳といつか、富岡さんと炭治郎みたいに並んで歩きたいな……」
獪岳[かいがく]。
善逸の兄弟子の名前。
記憶によぎるのは、いつも遠い背中だけ。
「いつか……そんな日が来るかな」
ちょっと切なくなった。



更に2日後。
「お世話になりました」
全快した善逸は新しい隊服を来て、藤屋敷の主人に頭を下げた。
「隊士様の安全を心よりお祈り申し上げます」
藤屋敷の主人は、中年の男だった。
「あの、こちらを」
主人は緑色の無地の羽織を差し出してきた。
「私の私服で非常に心苦しいのですが、隊服だけでは目立ちましょうから」
「良いんですか?ありがとうございます!」
善逸は素直に受け取った。
黄色の三角紋様の羽織は細切れになってしまって、修復不可能だった。
隊服の背中には大きく『滅』の文字が描かれている。羽織か何かで隠さないと目立ち過ぎた。
ましてや、警官服とも軍服とも形も違う。
「そちらは、返していただかなくてもけっこうです」
「えっ。でも貴方のだし」
「隊士様の為に差し上げるのです。いかようにもお使いください」
主人は、にこやかに話す。
「分かりました。使わせてもらいます」
善逸はその羽織に袖を通す。
ちょっと大きかったが、主人の心使いが嬉しかった。
「では、行きます」
「隊士様に、ご武運を」
主人は切り火をすると、善逸を送り出した。

空は快晴。
ちょっと大き目の羽織の袖や裾が、風をはらんでぱたぱた翻る。
背中には隼人の日輪刀が背負われていた。
ちゃんと布にくるんである。
「じいちゃんに会うの久しぶりだな」
背中の日輪刀に視線を向ける。
「ちゃんと会わせてあげるからね」
チュンチュンと聞き慣れた鳴き声が頭上からした。
「チュン太郎」
口に何やら手紙をくわえていた。
「……仕事かな」
腕を上げて止まらせてやると、手紙を受けとる。
開いて中身を読むと、げんなりした。
「なんだよもう……じいちゃんに日輪刀届けて語らう間もなく仕事って」
幸い慈悟郎の住まいに寄る事は可能だが、長居はできそうになかった。
話したいことがいっぱいあったのに。
「鬼殺隊士達はどんだけ応援が要るわけ?しかも要請かかったの俺1人みたいだし」
ぶつぶつ言いながら、羽織の袖の中に手紙をしまう。
「じいちゃん、新しい羽織作ってくれて待ってるだろうな」
隼人のことも語れず、三角紋様の黄色羽織を受け取って、日輪刀を渡して慌ただしく任務に向かう味気なさよ…。
慈悟郎に、羽織が破れてしまったので新しいのが欲しいと手紙を書いて送っていた。
返事の手紙には、了承した旨が書かれていた。
チュンチュンと頭に飛び移ったチュン太郎が鳴いた。
「任務が終わってから、また寄れば良いって言ってるのか?」
チュン!と肯定の鳴き声をチュン太郎があげる。
「…五体満足ならね…てか死んじゃうだろうから寄れる保証がないよ」
ぶち。
善逸の言い草にチュン太郎がキレる。
『善逸はむちゃくちゃ強いのに!まだわかってないの!こんの馬鹿ー!』
嘴で頭をものすごい勢いで突っつかれだした。
「いたたた!痛い!何で突っつくんだよ!」
はっと善逸は気づく。
「チュン太郎……お前もしかして」
『お!気づいていただけたかしら!』
善逸はチュン太郎を両手のひらに乗せ、まじまじと見つめる。
チュン太郎も期待の眼差しを返す。
「……会得したのか!啄木鳥[きつつき]の呼吸ー」
『んあ!?』
まさかの善逸のボケ炸裂にチュン太郎はぶちギレた。
『誰が啄木鳥だ!鎹雀の誇りがあらぁな!善逸、お前はもー!』
さっきよりも高速で、善逸の頭を突っつきだした。
「痛い、痛い!止めろ!止めろってば!いくら啄木鳥の呼吸を会得したからって、俺で試すなよ!」
『こんの!まだ言うかー!!』
「何で怒るんだよ!いたたた!止めろってばー!」
善逸はチュン太郎の突っつきから頭を庇いながら走り出した。


空は快晴。
穏やかな風が通り過ぎていった。
「奴に会うのも久しぶりだわい」
昔善逸が作ってくれた腰掛けに座り出来上がった黄色羽織を眺めながら、慈悟郎の目尻が下がる。
善逸の活躍は耳に届いていた。
よく頑張っている様子に、自分の勘は間違っていなかったと確信する。
「しかし、今日は懐かしい風が吹くのう」
隼人を思い出す。
守ってやれなかった友を。
「じいちゃーん!」
久しぶりに聞く弟子の声に、慈悟郎は顔上げた。
「おお!…善…逸」
坂を上がって来る善逸の傍らの青年の姿に、慈悟郎は固まった。
「隼人……!」
隼人は慈悟郎に頭を深々と下げ、その姿は溶けるように消えてしまった。
善逸の背中の包みから覗いた柄にはっとした。
すぐにわかった。
隼人の日輪刀だと。
「そうか……やっと会えたな……馬鹿者が」
慈悟郎の目から涙が溢れる。
「じいちゃん、どうしたの?大丈夫?」
駆け寄った善逸が、涙する慈悟郎を気遣う。
「善逸」
「何?」
慈悟郎は愛弟子に言った。
「隼人は強かったろう。儂の友は」
「……っ!」
たくさん泣いたはずなのに、善逸の目から涙が溢れた。
「よう戦ってくれた……ありがとうな」
「じいちゃん……」
善逸は慈悟郎の膝に顔を埋め、わんわん泣き出した。
その背中を慈悟郎は優しく撫でた。
善逸が泣き止むまで、いつまでも。










































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