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第3章 軋む森

お互いが構えに入り、言葉を交わしたその時。
霧が晴れていった…。
(森に音が戻ってきた…炭治郎、鬼を倒してくれたのか)
しかし、隼人の種は消えない。
恐らくこの種を斬っても、隼人はもう…。
善逸の吐く息が震える。
「…霧が晴れた…か。隠し達も入れるね」
「うん……ちゃんと皆で後始末するから、大丈夫だよ……」
隼人に応える善逸は意識がない筈なのに、実に会話が成立していた。
でも隼人は構わなかった。
自分が対峙しているのも善逸自身だからだ。陽が射す森で、戦って死ねる。
「さあ、やろうか…善逸」
「ああ」
……本当に、試合のような稽古をするような二人だった。
一瞬の静寂に、2つの呼吸音が満ちる。
さあああ……
森の呼吸、壱の型。
「蔦穿ち」
しぃぃぃぃぃ……
雷の呼吸、壱の型。
「霹靂一閃」
両者が、同時に踏み込んだ。
風が逆巻いた。
地を稲妻が、駆け抜けた。
2つの影が交錯する。
隼人の額は一瞬で、切り裂かれていた。

善逸の壱の型は芽吹いたそこだけを見事に、斬っていた。
隼人の一撃は、くぐり抜けられた。
善逸が駆け抜けた姿勢のまま、静かに鯉口を噛み合わせた。
キンと澄んだ音が終わりを告げる。
(見事な、一閃だ……)
どっと、隼人は背中から倒れた。
いつぶりに見たろう木漏れ日が、隼人に射し込んでいた。
(森の木漏れ日は、こんなにも美しかったかな…)
「隼人……?」
虚ろな震えた声。
善逸がふらふらと歩みよってきた。
瞼は開き、褐色の瞳が呆然と隼人を映していた。
さっきまでの剣客の雰囲気は潜み、いつもの善逸がそこにいた。
「善逸、見事だったよ。よく斬ってくれた」
「嘘だ……俺、覚えてないよ!何も何も!」
隼人の脇にがくりと膝をつく。
「蔦に締め上げられて…それから何も覚えてないよ!…隼人が…助けてくれたんだよね…?」
「うん、蔦からは助けた。でも俺を斬ったのは君だ……颯太の…弟のこともね」
善逸は泣きながら首を横に振った。
「隼人……俺何もしてないよ……」
「大丈夫だ。君は、覚えてるよ。ここで」
隼人は震える指先で、善逸の胸を突いた。
「俺もちゃんと見ていたから……あと、雀もね」
「雀……?」
パタパタと、静かにチュン太郎が善逸の肩に止まる。
「チュン太郎……」
「君の鎹烏ならぬ鎹雀か…ふふ」
隼人はチュン太郎に笑いかけた。
「見届けてくれて、ありがとう……俺は果報者だ」
チュン太郎は善逸に寄り添い、隼人を看取ろうとしているかのようだ。
「隼人……俺……俺っ、ごめん……隼人……」
「自信を持って……君なら分かるだろう……俺が嘘を言っていないのを」
善逸の目の前で、隼人の体が老化していく。
「君は、俺の約束をちゃんと守ってくれたんだよ」
シワだらけの顔が笑う。
隼人の音は嘘を言ってない。
だけど、善逸は何も覚えていない…それが悔しかった。
だったら、せめて今できる事を善逸はしたかった。
「最後のわがままを聞いてくれる、かな」
「うん……うん……!」
泣いていても、善逸は涙を拭かなかった。
隼人を看取る為に。
「俺の日輪刀を桑島に、届けて…欲しい」
善逸は、隼人の手から転がる日輪刀を鞘に納めると、胸に抱いた。
「…隼人、見えてる?ちゃんとじいちゃんに届けるよ。隼人の日輪刀…」
「うん……」
満足そうに隼人は笑った。
善逸は涙と鼻水でみっともない顔になっていた。
シワだらけの手が、頬に触れようと微かに上がるのを善逸は自分の頬に引き寄せた。
「ありがとう……善逸。君は、俺の友達で俺のもう1人の弟だからね……」
その言葉に、善逸は泣きじゃくり出した。
初めて聞いた筈なのに、隼人から聞いていたような気がするから。
「俺だって……俺だって……隼人は友達で、俺の兄貴だよ!」
隼人は、そっと瞼を閉じた。
その閉じた目尻から、涙がこぼれた。
「……善逸、ありがとう……さよなら」
微笑を残して、隼人の体は干からびていった……。
「隼人……おやすみ……」
隼人の干からびた遺体の前で、善逸は隼人の日輪刀を抱いて涙を止める事ができなかった。


「ムカつくクソ外道だったぜ!あの鬼!!」
伊之助、祢豆子の連携で追い詰め出したら命乞いという醜態を晒す鬼に、伊之助の怒りは爆発した。。
祢豆子の爆血で丸裸にされ、伊之助の獣の牙、狂い裂きで滅多切りにされた。
「権之助、お前許すわ。あのクソ外道の頸ちゃんと斬ったからな」
「伊之助……」
陽が射して来たため祢豆子は箱の中で、炭治郎に背負われていた。
伊之助は炭治郎に、鬼の頸を斬る事を譲ったのだ。
鬼は散々、自分を斬れば木にされた人間も、あの兄弟も死ぬとか騒いでいたが、木にされた人々は斬らねば助けられない事を知る二人には意味がなかった。
「相変わらず、全力だったけどよ……」
「いや、あまりにも腹が立ってたから……」
水の呼吸、拾の型を放ち、炭治郎は鬼の頸を斬ったのだ。
ヒノカミ神楽連発の反動からくる疲労が回復し、戦線復帰したのだが100%とはいかなかった。
そこに、鬼に対する怒りで後先考えずに全力の拾の型をぶっ放した。
疲労がぶり返し、なかなか動けなくなってしまったのだ。
「紋逸の加勢に時間食っちまったじゃねえかよ!」
「何度も謝ったじゃないか……」
二人は、善逸のもとに急いでいた。
空間色覚で場所を特定、何やらヤバい事になっているのを探知し急行していた。
「というか伊之助、先に行く気はなかったのか?」
長い沈黙が降りた。
「伊之助……?」
「お前、俺がいなくなって何かあって動けるのかよ」
「それは……」
「ぶちのめすぞ、この野郎……」
「……」
それ以降、黙って走り続けた。

炭治郎と伊之助がたどり着いた場所は、戦いの爪跡の残る場所だった。
斬り倒された木や、散乱する枝葉、切り裂かれた地面。
辺り一帯が、嵐でも起きたかのようだ。
「何かすげえ事になってたみたいだな」
伊之助が呟く。
炭治郎は鼻をひくつかせた。
「この匂い……」
それは感謝の匂いだった。
そして、悲しみの匂い。
「……善逸!?」
座り込み、背中を丸める善逸を二人は見つけた。
悲しみの匂いは善逸だった。
羽織はすっかり裂けてしまい、隊服もズタズタで、裂傷だらけになっていた。
「炭治郎……」
声をかける直前、善逸が力無く呟いた。
「俺……悔しいよ」
善逸の肩から覗く刀の柄は、緑と白で編み込まれていた。
「君に会わせたかったのに、できなかったんだ…」
ぶるぶると善逸の肩が震える。
「君の声なら届いたのに…」
「善逸?」
側へ寄ると、剣士の干からびた遺体が横たわっていた。
額には切り裂かれた一文字の傷があった。
善逸はぽつぽつと話しだした。
今までの事、この剣士の事、弟の事を。
「そうか」
炭治郎は遺体の前にしゃがんだ。
そして静かに手を合わせた。
「この人の弟が、祢豆子を通して助けを求めてきたんだよ」
「えっ…祢豆子ちゃんに?」
善逸が弾かれたように、炭治郎を見た。
「お兄さんの事、ずっと苦しんでた。自分のせいだって…」
炭治郎は膝の上で拳を握りした。
「兄弟共にあの鬼に、種を植えられていた…俺達がこの人に会えていたとしても…」
炭治郎の表情の翳[かげ]りに、善逸はうなだれた。
「…隼人はただ、ただ、守りたい者を失いたくなかっただけなのに……」
更に刀を胸に抱え込んで善逸は嗚咽する。
炭治郎は思った。
自分はまだ運が良いのだと。
師匠鱗滝、兄弟子であり水柱富岡義勇の連名書による命懸けの嘆願…。
祢豆子を受け入れてくれる仲間達に出会えた事。
もし、理解者がいなくて自分1人きりの時に鬼に囁かれたら…。
自分だってすがっていたかもしれないのだ。
祢豆子を守る為に。
ごん!
強く箱が揺れた。
祢豆子から怒りの匂いがした。
「ごめん、祢豆子…兄ちゃんにそんな事して欲しくないよな」
ごん!ごん!
音は止まない。
「…祢豆子、大丈夫だ。もう思わないよ。」
隼人が間違っていたから悪いのではない。
追い詰められて、希望があったらすがりたかったところをつけこまれた。
卑劣極まりない。
それを隼人が弱かったからなんて、誰にも言わせない。
「俺は、運が良いだけなんだ。たくさんの人達が俺と祢豆子を理解してくれてる…それに応えなきゃならない」
落ちている太い枝を拾う。
「伊之助、手伝って。この人を埋葬しよう」
「……おう」
「炭、治郎……、伊之助……っ」
善逸がしゃくりあげる。
「善逸はそこにいて」
善逸が見守る中、炭治郎と伊之助は二人で隼人を埋葬した。

「善逸を休ませなきゃ。近い藤の館を目指そう」
「言われるまでもねえ」
隼人を埋葬して手を合わせたあと、伊之助が善逸を背負う。
「善逸……」
「何、炭治郎」
善逸の視線は、炭治郎に預けた隼人の日輪刀に向けられていた。
「俺達がここへ来たとき、感謝の匂いがしたよ」
「匂い……?」
のろのろと善逸は視線を炭治郎に向けた。
「うん、その隼人って人の匂いだろうな。善逸にありがとうって匂いが残ってたよ」
炭治郎の鼻だ。
嘘ではない……。
そして炭治郎は嘘を言わない。
泣きつくした筈なのに、善逸の両目からぼろぼろ涙がこぼれた。
悲しさと悔しさの匂い。
炭治郎は、善逸の背中を撫でてやる事しかできなかった。

森の外へは、あっさり出られた。
頭上からの鳴き声に空を仰ぐと、炭治郎の烏と伊之助の烏が鳴きながら旋回していた。
チュン太郎が一声鳴くと、炭治郎の烏が舞い降りてきた。
炭治郎の烏とチュン太郎はやり取りを交わすと、炭治郎の烏は再び舞い上がり、伊之助の烏に何やら伝え、また戻ってきた。
「俺が藤の里まで案内する!続け!」
伊之助の烏は本部に子細を伝えに飛び去ったようだ。
炭治郎の烏の先導に従いながら、炭治郎達は藤の館を目指した。

「この方の裂傷、及び出血はほとんど治っております」
藤の館の主人が手配してくれた医者は、善逸を診て信じられないようだった。
医者の言葉に、安堵する炭治郎だったが、
「ただ、出血に伴う体力の消耗と、肉体的疲労が強い為、安静が必要です」
「そうですか……」
善逸は泣きはらした顔で眠っていた。
全身かなりの裂傷だったのに、裂傷の消毒と包帯だけで処置は完了していた。
縫う必要もなく、傷痕も残らないという。
「たいした人ですね」
医者は感心しきっていた。
(全集中・常中を会得したおかげなんだろうな)
しかし、常中を会得する前から、炭治郎より伊之助より善逸は怪我の治りが早い方だ。
「ではお大事に」
「ありがとうございました」
医者が帰るのを見送り、善逸の側に炭治郎は座る。
「ん?」
ふわりとした匂いに、炭治郎は背後を振り返った。
しかし、誰もいない。
だけどこの匂いは。
炭治郎はその匂いに、小さく微笑した。
















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