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第3章 軋む森

少年の胸から何かがはぜた。
無数の蔦だ。
それが全身を這い、覆い尽くす。
「颯太!……あいつ…何故だ!約束を破ったのか!?」
隼人が悲痛な声を上げた。
ゆらり、と蔦に覆われた少年が立ち上がる。
瞼は開かない。
ずっと、眠ったまま。
人間を食べてないから、体は細くて青白い。
(この子だったんだ)
隼人と戦う前に聴いたのは、この子の音。
「どうしてだ…ずっと薬で眠らせ続けてきたのに。人間を喰わせないように…」
隼人は呆然と立ち尽くす。
「人間に戻す為に、薬を投与するしかなかった…ここでずっと眠らせ続けてきたのに」
善逸は、歯を食い縛り体に鞭打つ。
この子の音は、もう蝕まれてしまった。
もう…戻れない。
「桑島、俺はどうしたらいいんだ…」
「しっかりしろよっ!」
全身痛い。
出血でふらふらする。
今にも気絶しそうだ。
「あんたは、あの子の為に鬼に従ったんだろうけど、鬼はあんたを利用するだけした!」
隼人の胸ぐらを血で汚れた手で乱暴に掴む。
「約束反故にされて、腹立たないのかよ!あんたがあの子を助けようとした時間は、思いは、全部踏みにじられたんだぞ!!」
だけど、気絶するわけにいかない。
「俺の声が、あんたに届かなくてもいい!だけど、だけどさあ…」
隼人を見上げる、埃と血で汚れた善逸の頬を涙が濡らした。
「あの子を助けようよ!呆けて、あの子に殺されたら、あの子はずっと鬼の手先だぞ!」
炭治郎に会わせる機会さえも、踏みにじられた。
悔しかった。
「あんたが守りたかったあの子の為に、全てを捨てた報いなんて思わない…そんな風に言いたくないよ」
嗚咽も止められなかった。
「本当に大切な家族なんだろ!あの子を鬼の手先にしちゃ駄目だ!!」
隼人の体を揺さぶった。思った程ではなかったが。
「隼人…兄貴らしく、弟を守ってやれよ!
俺も手伝うよ…こんな怪我平気だから!」
ざわざわと颯太だったものから蔦が蠢く。
「……善逸……」
「……隼人?」
見下ろす隼人が泣いていた。
ちゃんと、善逸を見ていた。
「俺は……どうしようもない愚か者だな……」
結局、愚者の選択をしただけだった。
やるせない、自嘲を隼人は浮かべた。
「俺は、誰も救えない……剣士として最低だ」
「隼人、俺が分かるんだね!」
青白い顔で善逸はほっとする。
「君には、すまない事をしてしまった。いや、君だけじゃない……桑島にも…颯太にも」
隼人の額が不気味に蠢く。
「……抵抗は、する……できるのはこのくらいだ」
「何を言ってるんだよ」
「あいつには、俺も道具だった……鬼にすがったバチが当たったな……」
善逸の顔が強ばった。
隼人の額がびしり、と割れた。
隼人が善逸を突き飛ばした。
「善逸!刀を抜け!」
「隼人さん!そんな事ってないよ!」
肌を這うように蔦が、隼人の顔に腕に伸び絡み付いていく。
「俺が頼めた義理じゃないが、弟を俺を斬ってくれ……」
「……」
「……頼む……」
善逸は満身創痍だ。
貧血で今にも気絶しそうだ。
(炭治郎……君は今鬼と戦っているのか?)
自分を奮い立たせた。
(本当は俺が、隼人さんを騙したクソ外道の頸斬ってやりたいけど、君達に任せるよ)
震える手で柄に手をかける。
「斬るよ……ちゃんと斬る。俺が、二人とも」
隼人が微かに笑った。
「ありがとう……」
ごっ!
颯太だったものが、蔦を放つ。
(やりきる!絶対に!)
体は限界。いつもなら諦めている。
(駄目だ!絶対に諦めるな!)
鋭い鞘鳴りを立てて、善逸の日輪刀が疾風迅雷の居合いを放つ。
蔦の群れがその一閃で斬り飛ばされた。
しかし、すぐに蔦が再生し善逸を襲う。
(鬼の体に根付いているから、斬るなら頸を狙うしかない!)
速い動作とはいかないまでも、立ち位置を計りながら納刀する。
「……善逸……すまない」
隼人は自分を支配しようとする種の支配に必死に抵抗していた。
満身創痍の中、善逸は動いている。
隼人が痛め付けてしまった体で。
あの鋭い一閃に、鳥肌が立った。
こんな状況なのに、剣士として手合わせしたい欲求が頭をもたげていた。
(君には伝わるだろうか……俺は君に剣士として斬られて死にたい)
自分はわがままで、身勝手だ。
どこまでも。
だから絶対にこの体を渡すものか!

(隼人さん、聴こえてるよ。あんたの願い)
迫る蔦を切り払いながら隼人を視界に映す。
(俺、そんなにすごくないけど…こんな光栄な事ない)
壱の型を放つ為の距離を計っているが、なかなかその隙がとれない。
颯太の胸部が更に開いた。
牙のずらりと並ぶ口。
キェェェッ!
周囲の木々を震わせる程の鋭い咆哮。
離れていたとはいえ、善逸は耳が良い。
「ー!!」
頭が殴り付けられるような衝撃に、善逸の体がぐらついた。
「善逸!」
ぐらついたそこへ、捩り合わさった蔦の横殴りの一撃。
隼人は動けない。
ぼん!!
と鈍い音を立てて、蔦が弾け飛んだ。
「くっそ…」
なんとか斬ったものの、意識が朦朧としていた。
かろうじて拾った音を頼りに、どうにか斬れた。
しかし、体が動かない。
次はない。
膝から崩れ落ちた。
(駄目だ。意識を保て…俺が、やらなくちゃ…)
手をつき、倒れまいと必死に呼吸法を繰り返す。
その善逸を蔦が無情にも飛び交い、絡めとり締め上げた。
「あ…がっ…」
彼の全身を蔦が引き裂こうとしていた。

「善逸!!善逸!!」
隼人は必死に呼び掛けた。
体の支配をされないために抵抗しているから、助けにも入れない。
(また、それを言い訳にするのか?
善逸と戦って死にたいんだろう?俺は!)
距離があろうが、善逸が殺されてしまう。
宿主は人間ではなく、鬼となった弟。
(自分で蒔いた種を刈り取ろうともせず、桑島の育て上げた弟子を見殺すクズになる気か!)
クズはクズでも、最善を尽くせ!
さああああ……
隼人は全身に森の呼吸を繰り返した。
そして、種のこれ以上の侵食を食い止めた。
「善逸!!」
善逸の体から力が抜けていた。
隼人は地を駆る。森をかける疾風の如く。
森の呼吸、弐の型。
「黒疾風・落葉!」
五連撃が善逸を引き裂こうとしていた蔦を斬り払う。
倒れる善逸を抱え上げ、跳びすさる。
視界に映り込んだ颯太は眠ったまま。
完全に操り人形だった……。
「颯太…ごめんな…ごめんな」
助けるどころか、最悪の結末で。
兄の自分までも…。
「う…!ぐは、っ」
侵食が、じわじわと進み出した。
横たえた善逸はぐったりし、意識がない。
「……せめて、颯太の頸を斬らねば……」
時を戻す事ができたなら、あの時に颯太を斬ってやりたかった。
ざわざわと蔦が何本も寄り合わさり出す。
複数本の、綱のような蔦が出現する。
叩き潰され肉塊となってしまう。
「う…動けえっ!」
抵抗からびくびくと体が痙攣する。
刀が上手く握れない。
(負けるものか!)
柄を握り込んだ。
「颯太…こいつは、善逸は俺の友達で…」
意識のない善逸の顔に一瞬視線を落とした。
「俺のもう1人の弟だよ」
森の呼吸、参の型。
白疾風・風月無辺。
「颯太…友達を兄弟を傷つけた馬鹿な兄さんを叱ってくれ」
隼人は駆る。
風月無辺の軌跡が襲い来る蔦を切断していく。
颯太にその頸に迫った。
しかし、すぐに蔦が再生してしまう。
最速の白疾風・風月無辺で迫るのに。
体が痙攣した。
動きが鈍った所を蔦が、隼人を弾き飛ばした。
「がっふ…」
体を侵食する茎や蔦が潰れ、血液ではない液体が散る。
「ふ…人ですらもうないか…」
しかし、倒れる訳にいかない。
今一度立とうとした。
だが、体は痙攣を始めだし、意識が飲まれそうになっていた。
「く…ここまで、なのか?自分の蒔いた種も刈れないのか?」
悔しさが込み上げた。
蔦が、善逸に狙いを定めた。
「やめろ…颯太…颯太!」
颯太の表情は変わらない。
大気を裂いて、善逸に蔦が襲いかかっていく。
隼人が絶叫を上げた。
善逸の体が砕かれようとした瞬間。
青白い稲妻が、大気を震わせた。
剣気だ。
視覚化する程の。
隼人の全身にかつて善逸を斬ろうとしてできなかったあの時の感覚が突き刺さった。
びりびりと空気が震える。
蔦が一瞬ではね飛ばされた。
「善逸……」
隼人は呆然として、次に微笑した。
善逸は立ち上がっていた。
瞼は閉じたままなのに、隼人は善逸が勝つと確信していた。
善逸の頬は新しい涙が伝っていた。
「これが、桑島が育て上げた我妻善逸か」
申し訳なさと嬉しさがない交ぜになった感情は、とても切なかった。
びりびりと宙で痙攣していた蔦の群れは、動きを取り戻し、再び善逸に狙いをつける。
隼人は、何も案じていなかった。
しぃぃぃぃぃっ
雷の呼吸、壱の型。
「霹靂一閃、六連」
呟きは残された。
放たれた一閃が稲光のような動きで全ての蔦を切断し、颯太の頸を刃が捉えた。
まさに一瞬。
雷音の音を残して。
颯太の頸は斬り飛ばされた。
一直線の敵しか狙えない筈の霹靂一閃の動きを超えた、稲光のような複雑な動き。
隼人は愕然として、そして着地する善逸の背中を見詰めた。
「見事だ……」
隼人の目の前に、颯太の頸が転がってきた。
眠ったままの顔が、微笑して見えた。
やっと自由になった。善逸が解放してくれた。
「颯太…ごめんな。苦しかったよな…」
崩れ消えるまで、胸に抱え込んだ。
颯太の体も消えていく。
「まだ、だよね」
ぽつりとした善逸の呟きに、隼人ははっと顔を上げた。
善逸の瞼は閉じたまま。
颯太に一瞬重なったが、隼人はそれを振り払った。
「隼人との約束」
「ああ……そうだ。そうだとも」
精神を総動員して、隼人は立ち上がる。
全てをこのために使うと決めたら、あり得ないぐらい力が沸いた。
不思議な対峙だった。
意識のない筈の善逸と相対する。
「最後まで情けない奴のわがままを聞いてくれて、ありがとう善逸」
隼人は笑っていた。
「どうして礼なんか言うんだよ…俺は、隼人にこんな事しかできないよ…」
「これでいいんだよ。君は、俺の約束を果たそうとしてくれている」
善逸の望んだ形ではないだろう。
(君が覚えていなくても良い。俺はちゃんと見ているから、焼き付けるから)
鳥のさえずりに、隼人は空を見た。
雀だ……恐らく善逸のチュン太郎。
(見届け雀か……なんて俺は果報者だろう)
全力の善逸と、全力で勝負する。
「善逸、壱の型で勝負しよう」
まるで稽古をするかのように隼人は宣言した。
「隼人……わかった」
「手加減しないからな」
「……うん……」
互いに構えに入る。
「隼人……最後に言っておきたい事があるんだ」
「何かな?」
善逸の頬は、びしょ濡れだった。
「俺を友達だって……弟だって呼んでくれて……ありがとう……」
その言葉に隼人は。
「うん……君は俺の友達でもう1人の弟だよ」
言って、笑った。































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