蒼銀の月
7日間の藤襲山の試験を生き延びて、晴れてというか、不本意というか、鬼殺隊士となった善逸は滋悟郎の下から旅立ち、ある場所を目指していた。
先導するのは、鎹烏ではなく、雀だった。
名前は、チュン太郎。本名、うこぎ。
チュン太郎に誘導されて善逸がたどり着いたのは、藤の意匠が門に刻まれたお屋敷だった。
日が傾き夕刻になっていた。
チュン太郎は、到着を知らせるため塀を越えて屋敷の中へ入って行った。
「へぇ、爺ちゃんの言ってた通りだ。藤の絵が描いてある」
しげしげ門を眺めていると。
門が、ぎっと重い音を立てて開いた。
「ひっ!」
お化けでも出るわけないが、既にびくついていた。
「お待ちしておりました。鬼殺隊士様」
物静な美人が善逸を出迎えた。
(うわ、すごい美人!)
つい、ぼーっと見とれていると。
「先ほどの雀からのお文に、我妻善逸到着とありましたが、我妻隊士様でいらっしゃいますね?」
「あ。は、はいぃぃっ」
チュン太郎は烏らと違って喋れない。
脚に文をくくりつけていた。
「他の隊士様三名、既に到着しておられます。ご案内致しますので、どうぞ」
「お、お邪魔します」
美人に促され、屋敷に入る。
佇まい、庭の広さ、裕福な家柄なのは見て分かる。
「お連れ致しました」
美人は、善逸をある部屋へと案内した。
そこには既に、三人の先輩隊士らがいた。
「我妻様、お部屋の方はまたご案内致しますので」
「……ありがとうございます」
美人は一礼するとその場を後にした。
その場に残された善逸だが。
「……」
気まずい。
どう声をかけてよいものやら。
「おい、さっさと入れ」
「ひ!は、はいっ」
障子戸をぴしゃっと閉め、善逸は部屋に入る。
「あ、我妻善逸と言います。よろしくお願いします」
緊張で声が震えてしまう。
どうにも知らない人に自ら声をかけるのは、今でも緊張する。
「ふーん、我妻かぁ」
うち一人がしげしげ見上げてきた。
「お前その髪何だ?異国の毛染めか?」
「いや、地毛ですから」
(言われると思った……)
あの美人からは、驚いた反応がなかった。
この髪を見ても平然としていたし。
「地毛ねぇ……」
「ま、恋柱様だってすごい髪色してるし、いいんじゃないのか」
先輩の一人が言う。
(恋柱って何?てか、すごい髪色って?)
その恋柱という人も、雷とかにやられたのか。
「炎柱様もな」
(炎柱は、爺ちゃんから聞いてる)
「それもそうだよな。鬼殺隊って、派手な髪色のもんがいるからなぁ」
(髪の色だけで、どこか馬鹿にされてる?)
ちょっとイラッときた。
でも、あの美人の人からは変な音はしなかった。
自分のような髪色には慣れているような、個性として受け入れてくれているような。
(理解してくれる人がいるって、思っておこ)
とりあえず、いきなりケンカはまずい。
即死を免れた対価というか、修行から逃げ出した報いというかで、こんな髪色になって生きているわけだから。
任務は、旧大名屋敷の調査だった。
明治維新後、大名を追い出した明治政府の人間が使っていたが、ある日家族ごと失踪し、以降誰が住んでも気がつけばいなくなってしまう。
そのうち誰も住み着かなくなり、人食いの屋敷と噂になっていた。
(そんなの聞いてねーぞ!)
チュン太郎の持ってきた文には、ただ先輩隊士達と合流して、任務にあたれとだけしかなかった。
(ざっけんなよ!そんな物騒な屋敷行って、帰って来れる訳ねーだろ!)
噂、なので調べて来い、なのだが。
(鬼出て来たら、間違いなく帰れねーだろ!触らぬ神に祟りなしって言うじゃんか!)
先輩達の話は続いているが、人食いの屋敷と聞いた時点で恐怖が先行して、頭が破裂しそうだった。
「おい、我妻!あーがーつーまー!!」
「うわ!ひぃぃぃっ!!」
先輩の一人に怒鳴られた弾みで、変な声を出し、全身硬直した。
「何?びびってんのか、お前」
「お、俺、全然強くないので……戦力にならないので……」
押さえようにも、歯がガチガチ鳴ってしまう。
「なんだよ、行く前からもうびびってんのかよ」
(うるせー、怖いもんは怖いわ!)
「ただ調べて帰るだけだぞ。旧大名屋敷の見物するだけだ」
(そんな……観光に行くみたいに……)
やはり、先輩ともなると経験が違う。
ガチガチ震えながら、そう思っていると。
「ま、鬼に出くわしてヤバそうならとっとと逃げて、柱に押し付けりゃいいだろ」
(はい?今何て言った!?)
衝撃で体の震えが止まった。
「俺達にできる事なんて、知れてるしな」
「命あっての鬼殺隊だし」
笑いまで出ている。
(爺ちゃんから聞いてる鬼殺隊と、何か違う…)
古の頃に突如として現れ、人を喰らう鬼から人を守るのが鬼殺隊の役目であり、任務のために命を懸ける。
(って聞いてたのに、どういう事?これ)
柱は、鬼殺隊の最強の剣士の事だ。
善逸の師匠だって、元鳴柱。
滋悟郎も、雷の呼吸の柱にして最強の剣士だった。
と善逸は、あの獪岳から聞いている。
(じゃあ、この人達なんのために鬼殺隊に入隊したんだよ)
善逸も借金がなかったら滋悟郎に会わず、ここにはいなかった。
鬼との因縁はないが、分かっていて誰かを見捨てるなんてできない。
(あのさー、男ばっかりだから良いんだけど…)
いつの間にか、猥談が始まっていた。
(もっと鬼殺隊って、厳格かと思ってたのに…)
あの美人が旦那持ちの話には、
(まあ、いい女ってもう結婚してるもんなー)
と、寂しさを感じた。
(んで、大抵旦那も色男なんだよな)
と、持論を頭の中で展開する。
善逸だって、全くその手の事に興味がないわけではないが、話には加わりたくなかった。
(女の子は、大事にしなきゃ駄目でしょーが)
泣かせる事だけはしたくなかった。
散々、泣かされたり騙されたりしてきたのだが。
(こんな会話、もっと小さい頃にも聞いてたっけ。あの時は意味わからなかったけど)
どこかの、大人だらけの場所で、サイコロだの、花札が飛び交う場所がおぼろ気に浮かぶ。
『次は何が出る?』
大人によく聞かれてきた。
だから、聴こえる通りに言っていたっけ。
で、すごい喜ばれて、いくらかもらった。
でも、あれはあの人達だけが喜びたいだけで、自分はずっと必要とされたわけではなかった。
『こいつは、便利だ』
声でそして音で、聴こえた。
でも、小さかったしどうしていいか分からなかったから、従うままだった。
「あれ?」
目の前が、ぐらりとした。
倒れるのは堪えたが、頭がぼーっとする。
「我妻どうした?」
「顔が青いぞ」
「お子さまには、刺激が強すぎたか?」
どっと、先輩達が笑いたてた。
(人の顔色悪いの分かってて、笑いますか?)
憮然とした。
少し思い出して気分が悪くなったが、何とか堪えられた。
(爺ちゃんの時代とだいぶ変わったのかな…爺ちゃんいたら、こいつら大目玉だぞ)
しかしそれにしても、頭がぼーっとしていて、気持ち悪い。
「そういや、周防は?」
「あ?あいつか。烏の話だと遅くなるらしいぜ」
「あいついると、気が抜けなくなるんだよな」
(それじゃ駄目でしょ……)
三人で同僚だろう人の話になった。
「あいつも、派手な髪色してたな。えらく真っ赤でさ」
「でも、炎の呼吸じゃないんだよな」
「ま、炎の呼吸使いは足掻いても柱になれねーよ。煉極家がいるからな」
(爺ちゃんの言ってた煉極家……柱の家系って本当なんだ)
気持ち悪い中、先輩達に休みたいとも言うに言えず、話を聞いていた。
「我妻、具合悪そうだぞ」
一人が善逸の様子を見かねる。
「本当に具合悪かったのかよ」
(芝居するかよ……)
「すみません……」
「あの美人に言って、布団出してもらうか。任務に支障出たら、周防にどやされる」
(叱られたくないだけかい!!)
「なら、俺が話して、こいつ連れてくわ」
「あぁ、頼む。三上」
三上という先輩が話をしてくれて、善逸は先輩達より先に休む事になった。
一目でふかふかと分かる上等な布団に、善逸は目を丸くする。
本当に使っていいのだろうか。
薬湯も用意してもらったし、至れり尽くせりだ。
「すごいだろ。鬼殺隊に入るとこういう待遇になるんだぜ」
三上がやけに得意気だ。
「鬼殺隊に助けられた人の中には、こうして鬼殺隊に奉仕してくれる人がいるんだ。無償でな」
「無償……へっ!?」
鬼殺隊の滞在費用を藤屋敷持ち、と聞いて善逸は固まる。
藤屋敷に逗留する鬼殺隊士は、医者から薬の代金、食事の代金、全部その屋敷の提供を受ける。
(その人達の無償奉仕に応えなきゃならないんだから、鬼殺隊の役目って責任重大じゃんか)
「高い給料もらえて、こうして至れり尽くせり、普通に働くより危険はでかいが、鬼殺隊って悪くないと俺は思うぜ」
(クズか、こいつは)
薬湯をすすり、その苦さに閉口する。
「なぁ、我妻って吉原とか興味ある?」
「ぶほぉっ!!」
吉原は、様々な遊廓が軒を列ねる一つの街のような場所だ。
大小の花街はあるが、吉原は別世界だと大人達からは聞いていたが……。
「な、何を藪から棒に……」
薬湯にむせて涙目になる。
「鬼殺隊の給料はけっこう良いからさ、休暇とれりゃ行きたかったけどよ、いつ出動命令来るか分からねえし、待機待機でさ」
(遊廓で遊んで、勝手に破産しろよ)
こっちは二度と借金なんてしたくもない。
享楽の音、歓声、それらが脳裏をよぎる。
頭がまた、ぼーっとしてくる。
「先輩、俺先に休ませてもらいます」
薬湯も飲み干したし、こんな先輩に付き合ってられない。
ベルトを外し、隊服の上着を脱いで畳んでいると、
「遊べないと、溜まってこないか」
「はい?」
振り返って、ゾッときた。
(何?この顔)
「女隊士じゃないが、よく見りゃ悪くない顔してるじゃんか、お前」
「は?えっ?」
「バレない程度にやってきててさー、先輩に協力してくれる?」
(こいつ、女隊士に手出してたのかよ!?)
「周防が来る前に、ちゃっちゃとさ」
「あんた頭あったかいんじゃない?協力なんてしませんよ!」
がっと、手で口を塞がれた。
「お前、俺が言ってること分かってんのかよ?それともとぼけてる?」
「ふが……?」
「俺、可愛かったり美人なら『どっち』でも良いんだ」
背筋が凍りついた。
「今回外れかと思ったけど、まあギリだからな」
(こんの……腐れ外道)
頭がぼーっとしていて、体に力が入らない。
薬湯の鎮静作用もじわじわ来ているせいもあるのだろうか。
あっさり、組しかれてしまう。
「あんた中々帰って来なかったらこっち来るんじゃないのかよ!」
「心配すんな。お前と同室してもらうよう、あの美人には言っといたから」
「な……」
「それに、俺、後輩思いでやってきてるから、中々帰って来なくても誰も不信がらねーよ」
(マジ、最低!!)
「遊廓行きたきゃ勝手に行けよ!あんたの趣味なんか知るか!」
怒鳴ってるつもりが、語尾が弱くなる。
「意外に言うねえ」
変な体調不良がなくても、振りほどけるかどうか。
手首をひと括りにがっちりと頭の上で押さえ込まれ、身動き取れない。
(駄目だ……動けない)
頭がくらくらする。
感覚が遠退いて行く。
首筋に嫌な感触が這い回った所で、意識がぷつりと切れた。
静かになったな……。
三上がそう思っていると、
「あんたに一つ言っといてやる」
膝を使い、下半身の力だけで吹っ飛ばされた。
何が起きた?
と三上が混乱していると。
ゆらりと後輩が立ち上がり、ずかずかと迫ってきた。
空気が軋む程の凄まじい、殺気を放って。
「ち、ちょっと待て……」
その殺気と、視界に見た光景に三上は青ざめた。
見上げた後輩の瞼は閉じているのだ。
寝ているのに、話して動いている。
がっと引きずりあげられた。
「ひっ…」
「雷の呼吸の脚力、舐めるなよ」
瞬間、思い切り蹴り飛ばされた。
障子戸をぶち壊し、三上は外までぶっ飛ばされた。
「死なない程度に蹴ってやっただけ、ありがたく思え…」
呟くと、どさりと善逸は畳の上に倒れた。
そして、すやすやと穏やかな寝息が聞こえてきた。
後輩に手を出そうとしたクズは、庭で白眼を向いていた。
「何が起きたこれは…」
到着するなり、派手な物音に彼は屋敷の女将に先導され、同僚と駆けつけた。
目にしたのは、ぶち壊された障子戸と、庭で白眼を向いた三上、そして。
畳の上ですやすや眠っている金髪の少年。
同僚と、藤屋敷の女将から聞いていた体調不良を起こした隊士だろうが。
「おい、新入り」
彼は眠っている後輩に近寄った。
が。
びしり、と殺気の壁が近寄るのを拒絶してきた。
(なんだ、こいつは…)
「周防、どうした?」
同僚の一人が近寄ろうとした。
それを周防は、手で押し留め、
「三上の介抱頼む。女将、すまないが別の部屋を用意していただけないだろうか」
「は、はい。それは、直ちに」
ぱたぱたと女将は去って行った。
同僚達は困惑しながら、三上の介抱を始めていた。
「大丈夫だから、殺気を鎮めろ」
小さく言って、周防がその横に膝をついた瞬間。
手刀が飛んできた。
頭部を掠め、頭に巻いていた布を手刀が裂いた。
「次は、当てるぞ」
周防の顔の近くに、瞼を閉じた顔があった。
眠っているのに動いている光景に、ゾッとした。
「とりあえず、落ち着け。何が起きた?」
「庭で寝てるあのクズから聞けよ」
「三上か?」
頭に巻いていた布がばらっと崩れた。
ばさりと、鮮やかな深紅の長い髪が流れ落ちた。
「俺に構うな…」
急に新入りの体が、糸の切れた人形のようにがくんと傾く。
後ろに倒れようとする体を、どうにか抱え込んだ。
「どうした?周防」
「いや、何でもない」
新入りは、周防の腕の中ですやすや眠っている。
あの殺気はない。
抜き打ちで繰り出された手刀は、全く見えなかった。
あれが真剣だったら、頭を輪切りにされている。
「…こいつは一体?」
初めて見る光景に、ただ戸惑うだけだった。