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蒼銀の月

紅龍が鎹烏かすがいからすを使いながら、玉兎の餌箱を追って突き止めたのは、とある廃村。
やはり、旧大名屋敷の時もそうだが、人間が入り込み消えているという情報だった。

自ら生きる事を望まない人間達が、玉兎の血鬼術に引き寄せられているのだろう。

「すごいですね、一人でそこまで調べるなんて」
ものの2日で日程を整えた紅龍は、善逸に鎹烏かすがいからすを飛ばしてきた。

藤屋敷に1日逗留し、支度を整え紅龍は、善逸、他数名の隊士らを率いてその廃村を目指していた。
「玉兎の事は、野放しにはできないからな」善逸に紅龍はそう言った。
善逸は旧大名屋敷のあの蒼い鬼の事を思いだすと、ぞっとする。
鬼なのだろうが、なんだか異様だ。

死にたがる人間しか喰わない…鬼の好みなんて理解したくもないが、あの鬼に喰われる事を喜ぶ人間も確かにいたわけで…。

血鬼術に引き寄せられたとはいっても、自ら喰われる事を望む人間がいることが衝撃的だった。

幸せの箱の大きさは、人によって違う。
不満、嫉妬、絶望…上げたらキリがない人の感情が幸せの箱を壊す。
(あの時の女の人も、幸せそうな音がしたな…)玉兎に喰われた女の音が甦り、ぶるりと体を震わせた。
(俺はまだ、幸せなのかな…)
散々な半生を送り、慈悟郎に拾われ、地獄の修行の日々の末に最終選抜をくぐり抜け、今ここにいる。

鬼殺隊に入隊したが、同期とは全く会えてないし、兄弟子獪岳かいがくとは会っても無視されるか睨まれるかだし、ずっと一人だった。
階級も年も離れているのに、こうやって名前で呼んでくれて、そして何故か自分を評価してくれる。
褒められたいし、認められたいけど、自分はそこまでの人間じゃない…いつかそうありたいし、なりたいとは思っているのだが。
(この人にちゃんと認められたら、変われるのかな)
横を歩く紅龍の音は、人とも鬼ともつかない、奇妙な音…。
そこにいるのに、いないとも聴こえるのだ。音が、変化している……。

「善逸?」
気がついたら、紅龍の羽織の袖を握っていた。
「…ちゃんと、いますよね…」
目線を落としたまま善逸は呟いた。
「あの時も言いましたよね?どこにも行かないでくださいよ」
「約束はできないと言わなかったか?
「……」
紅龍の羽織の袖を握る善逸の手の力が、強くなる。
「ここまで来て、子供みたいな事をするな」紅龍は困ったように笑う。

「周防、我妻は具合悪いのか?なら帰らせろよ」
後ろに続く鈴木が声をかけてきた。
紅龍の同期だが、階級は庚だ。
末端階級癸の善逸が、紅龍の隣にいるのが気に入らない。声に不満が滲んでいる。
「臆病だってのは聞いてるが、もうビビって周防の袖掴んでガキかよ。周防、なんでこんな奴連れてきた?」
「彼を評価しているからだ。でなくては連れてはこない」
「評価ねぇ……」
階級甲と癸では天地の差ほどの開きがある。任務で二回ほど同じになっただけで、紅龍と対等に会話したり、横に並んだりする善逸が気に入らない。

「……すみません」
善逸は紅龍の袖から手を離した。
「お前が詫びることはない、俺がお前を不安にさせているせいだな」
「……!いや、あの……」
「約束できれば一番いいんだが、こればかりはな」
紅龍は善逸に、穏やかに笑いかけた。
(こうやって普通に笑う人が、急にいなくなる……)
羽織の袖の下で、善逸は拳を握りしめた。
紅龍は答えを出していないと言っていた。
玉兎と遭遇した時、どうなるのだろう。
「見えてきたな、あの廃村だ」
紅龍の声に、善逸ははっと顔を上げた。

(何だ……これ)

廃村なのだし、音も気配もなにもなくて当たり前だ。
視界に映る廃村は、すっかり家屋もなにも朽ちて荒れ放題になっている。
畑もすっかり雑草だらけで、畜舎も形骸と化していた。
周囲も荒れた雑木林がひっそりと枝葉を揺らしている。
しかし、善逸をゾッとさせたのは、「いっさいの音が聴こえない」事だ。

雑木林がたてる葉鳴りの音も、吹き抜ける筈の風の音も、野鳥の鳴き声も、獣の息づかいや足音もいっさい聴こえないのだ。

(変だ……何の音もしないなんて!)
異様過ぎて足が完全に止まってしまった。
完全な静寂せいじゃくの世界…。
隊士達の音だけがやけに浮いて聴こえる……。そこから善逸達だけが切り離されてしまったようで、気持ち悪い。
「何してんだよ!我妻」
鈴木が苛立ちを隠そうともせず、ずかずか歩み寄ってきた。
足が固まって、距離が開いていた。
紅龍は、今気がついたようにこちらを振り返った。
その両眼が、明らかに濃い銀色に変質していた。
(周防……さん!?)
「顔真っ青じゃねーかよ…情けねーな」
善逸の顔を覗き込むと、ふふんと鼻で笑う。「善逸、何か聴いたのか?」
紅龍が聞いてくる。銀色の眼で。
「聴くって、何をだよ?」
鈴木も他の隊士達も訳がわからない顔をした。

(そういえばあの鬼は、自分から招き入れる奴じゃなかったか?)
この静寂の世界は、普通じゃない……。
「聴く以前の話だよ……周防さん」
ちゃんと話せているだろうか?
歯がさっきからガチガチいって、話せているかわからなかった。

これは、『夜』だ。
明ける事のない永遠の『夜』
この廃村の『夜』には、夜の世界にさえある音もない。
「ーっ!?」
善逸は反射的に空を見た。

蒼が広がる。
空を、雑木林を廃村を、無音の蒼が染めていく。
「まだ、夜には早いぞ!?」
隊士達がざわつく。
刻は、夕暮れ。
太陽は沈みかけているとはいえ、まだ陽光は廃村を照らしている。
なのに、廃村は、蒼に包まれていく。
満月が照らし染め上げる、夜の闇だ。

「陽光がまだあるのに、影響を及ぼすのか?」
総員が柄に手をかける中、紅龍は静かにそれを見上げていた。
そして、自分の眼を手のひらで覆った。
「来るか……」
静かに呟いた。

月が出現した。

昇ってきたのではない。
空に、不意に現れた。
異様に巨大な月。

その月が出現して、隊士達は一様に動けなくなった。
異質過ぎる無音の世界、異質過ぎる蒼い世界に精神を圧迫されて。

やがて、太陽が完全に隠れた瞬間、月にずうっと筋が一つ走ったかと思うと、ぎょろりと『眼』が開いた。

そして、音のない世界に、銀色の光が舞い散り始める。
「やぁ」
銀色の光の中、蒼銀色の髪が映える。
その傍らには、両手の爪を鋭く伸ばした臨戦態勢の猿彦。

「玉兎……」
紅龍は銀色に変質した眼で玉兎を見た。
玉兎はふふと嗤った。
「その眼、自分で答えを出したのかな?」
「さあ、どうだろうな」
紅龍は柄に手をかける。
月に開いた眼が不気味に、蒼の世界にいる者等を見おろす。
「自分から招いてくれるとは、手間が省けた」
「うん、そうするつもりだったからね」
すんなりと玉兎は認める。
「初めから一人で来れば良かったのに、鎹烏かすがいからすがいるせいかな?」
意味ありげに玉兎は嗤った。
「鬼狩りの組織の体を成すのも、大変だね」蒼銀色の眼が紅龍を映し、
「君の相手は、僕だ。そして、君の連れ達は猿彦がすぐに片付けるから」

刹那、猿彦が消えた。散る鮮血。音もなく、まさに一刹那。
紅龍と共にきた隊士達は瞬殺されていた。

ただ、二人を残して。

善逸と、善逸が脇に抱える鈴木だった。
意外、と、猿彦が息を吐いた。
玉兎が軽く目をみはった。
紅龍も動きが止まった。


(くっそ……この人だけで、精一杯だった)
音が無さすぎる世界は、吐きそうなほど気持ち悪い。
加えて、空から見おろすあの月の眼。
(この空間、本当にあの鬼の力なの?)
びっ!と嫌な音がした。
一拍の間があって、善逸の羽織の左肩から袖が裂けた。
隊服に損傷はなかった。
はらりと羽織の袖が二枚に垂れ下がる。
善逸の全身から、どっと汗が吹き出し、隊服の下は汗だくになっていた。

(もう少し遅かったら、左腕が二枚に下ろされてた……)

「俺の動きに反応したか。まぐれだろうがな」
きちきちと、嫌な音がする。
「はあぁぁぁぁ!?それなんだよ!?」
猿彦の爪が、更にあり得ないぐらい長さを増していた。
「下手に抵抗するからだ。次で細切こまぎれにしてやる」
「け、結構です!」
「そいつを抱えたままで、次はない」
善逸が抱えた鈴木の事だ。
そこまで善逸は怪力ではないが、鍛え抜かれた体幹と全集中の呼吸、本能でどうにか動けた。本人は全く気がついていない。

(周防さんの予想と違いすぎる~!!最初、この鬼からでわなかったですか?)
猿彦を狩ってから、次が玉兎の筈が、全然話が違う。
「弱い輩は手を出されないとでも思ったか?」
「ー!!」

速い。

声を残し、猿彦が迫っていた。
微かな筋肉の音。
異様な世界の中、頭がどうにかなりそうな空間で善逸は音に反応する。
鈴木を抱えたまま、後方へ跳んだ。
ぴしゅ!と鋭い音を立て、隊服の右太腿部位の生地が裂けた。
(これでも、遅いんだ!くそっ!)
幸い、脚はやられていない。
「ちょこまかと……おとなしく細切れにされろ」
「うるさい!!細切れにされるってのに、じっとしてられるか!!」

(怖い、むちゃくちゃ怖い!五臓六腑ごぞうろっぷに恐怖が染み渡って、すげー怖い!)

恐怖から、体が震える。
紅龍は、この鬼の方が強いかもしれないと言っていた。
(周防さん以外は、目障りだから片付けるってやつ?)
歯を鳴らしながら、呼吸法を繰り返す。
(集中しろ。雷の呼吸の最大の脚力をだすんだ)

ーよく聞け善逸。それぞれの呼吸には、それぞれ使う筋肉、意識するべき部位が違う。雷の呼吸ならば、脚力、脚の筋肉に呼吸を集中させろー

獪岳かいがくと行く筈だった最終選抜を逃げた次の日、慈悟郎に樽ほどボコられた後、桃畑で呼吸の何たるかを訥々とつとつと語られた光景が過った。

(こんな時に、じいちゃんの思い出が……俺、死ぬのかな)
頭の片隅でそんな事を思いながら、呼吸を繰り返す。
抱えている鈴木の音がヤバい。
異質なこの空間に耐えられなくなってきている。
(俺だってどうにかなりそうだってーの!)
この空間は、彼等の庭も同然だ。
分は、向こうが有利だ。
(鬼っていつもいつも、人間より有利なんだよな)
目の前の猿彦が消えた。

ー雷の呼吸の全集中の真髄は、両足の脚力。筋肉の全てに呼吸を集中させろー

迫る猿彦の爪。
それが顔面を貫く寸前。
善逸の姿は消えた。
「ちっ!!」
猿彦が舌打ちした。
自分の動きに反応されて狼狽ろうばいしたが、すぐ立て直した。
「見かけによらずというやつか」
しかし、猿彦は善逸の動きをとらえている。
猿彦は軽く踏み込んだ。
それだけ。
なのにそれだけで、交わし駆け抜ける善逸の前に回り込んだ。
(嘘っ!)
全身を襲う『死』の圧力。
猿彦の爪が灼熱した。

「お前ごときに使うとはな」

呟きが残る。

血鬼術。
灼熱蓮華。

爪の斬撃が、善逸を裂いた。
羽織が、隊服が裂けた。
それでも善逸は鈴木を庇った。彼は無傷だった。
ドン!と善逸は鈴木を放り出した。

(ごめんなさい……俺が弱いせいで、ここまでしか守れない……)
紅龍は頼りにしてくれたのに……期待に応えられない。
(じいちゃんが、全集中の真髄教えてくれたのに.)
何もできない。

鈴木を放り出したと同時に、善逸の切り裂かれた箇所全てが灼熱した。
(あ、あつ……い)
善逸の全身が、炎の華を散らした。

痛み、熱、視界に散る炎の華を映した視界は、一気に暗転した。
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