蒼銀の月
聴こえる。
街に再び突入し、善逸は建物の屋根づたいに駆け抜け、跳躍した。
夜の闇と、速すぎて誰にも善逸の姿は見える事はなかった。
草鞋ではない履き物は、走るのに邪魔で捨てた。
足袋も高速で走るせいで、破れぼろぼろになっていたが、かまわなかった。
とにかく、「干渉」した鬼にお礼参りしなければ溜飲が下がらない。
すぐに頸をはねられるが、それでは沸き上がる衝動は、収まらない。
「善逸を壊そうとしやがって…よくも…」
高速で走りながら、息は乱れていない。
音が近い。
そして、腹の底からムカつく匂いが、鼻を突いた。
ある建設中の建物の中から、音と匂いがした。
「見つけたぞ!この腐れ野郎!!」
善逸は怒鳴り、窓をぶち破って中に飛び込んだ。
室内に、砕けた硝子が飛び散り、散乱する。
建設中だけあって、中はがらんどうだった。材料や道具が散乱している。
「出てこいよ。俺にどうやって干渉したかは、どうでもいい」
暗闇の中で善逸のすごんだ声だけが響く。
「人の古傷だの、記憶だのほじくり返して喰うのは、俺以外にしやがれ」
着物の裾も合わせ目も、すっかり乱れてしまっている。
「何だ?俺の血鬼術を精神に食らって、動ける人間がいるとはなぁ」
暗闇の中で鬼が愉快げに嗤った。
「俺は、人間の娘が大好物でな、中身から味わい尽くして、最後に体を喰うのが好きなんだよ」
「ふぅん、そうかよ」
足の裏側が硝子で傷つくのも構わず、善逸は自ら闇の中にずかずか入って行く。
「今回はかなりの極上の獲物かと思っていたのに、してやられたぜ」
「美食家が、野郎と女の判別くらいできろよ。鼻がおかしいんじゃない?」
痛烈にせせら笑う。
虚ろな目は、闇しか見ていない。
「ま、あの女じゃ精神喰われて、いずれ体も喰われて、お陀仏だろうな」
日高の事を言う。
「じいちゃんから聞いていた鬼殺隊士の印象全然違って、びっくりしたけど合点がいったよ」
「そういう貴様はどうなんだ?貴様も鬼狩りにしちゃなかなかな人生じゃねぇか」
暗闇の中で、きひひと鬼が嗤う。
「よくそれで、悪にならなかったなぁ?鬼になってもいいくらいだぜ?」
「俺の人生だ。鬼が口挟むんじゃねーよ」
急に、体がぞわりとした。悪寒が走った。
思い出したくない事にまた、触れられた。
あれは、いつの頃だろう…雪が舞っていた。夜、店が開いて客が入り、給仕として忙しく動いていた時、すごく嫌な音を聴いた。
今までに聴いた事のない音だ。
全身が凍てつく程の異様な音。
「この野郎…その音は…」
善逸の体が震える。
引きずり出されるその記憶。
映像ではない…意識がぶち壊れそうな、壊れてしまう音。
「やめろ!この…クソ野郎が!!」
善逸が口汚く罵りの声を上げた。
知っている音が「食べられる」のも聴いた。その二つの恐怖は、どれだけ強烈だったか。
意識は底に落ち、体は高熱を出し、しばらく目覚めさせられなかった。
「てめえ、すぐに頸を斬られると思うなよ」
「何言ってやがる?真っ暗闇で見えてねぇくせによ!」
「関係ねーよ、俺には」
それだけ呟き、善逸の姿が消えた。
響く鞘鳴り音。
肉と骨断つ音が生じ、鬼の絶叫が上がった。
「馬鹿な?見えるわけが!!」
「ないってか?悪いけど、俺にはてめえがどこにいるか、まる分かりなんだよな」
刀が翻り、もう片腕もはね飛ばされる。
「まだるっこしいよなあ…ハサミがありゃ、切り刻んでやるのに」
鬼の闇も見透す視界に、薄ら笑いを浮かべる鬼狩りの顔が見えた。
ゾッとした。
人間が、鬼を斬りながら笑っている。
「何で分かるかなんて教えねーよ」
鬼だから腕などすぐに再生する。
しかし、刀がすぐに翻り、肘から、肩から斬り飛ばす。
「人の古傷ほじくり出す以外の事できねーの?」
刀を振るう速さが普通ではない。
「あー、じっとしてろよ、な!!」
逃げ出そうとしたところに、心臓を串刺しにされた。
さすがに、心臓を破壊されてはすぐすぐ動けない。
「何を逃げようとしてんだ?あともうちょい、付き合えよ」
更に不気味なのは、返り血をかぶっていない事だ。
いたぶるだけいたぶっているのに、動きが、普通じゃない。
「鬼の血なんか被りたくねーし、俺そこまで未熟者じゃねーよ」
ぴたりと左肩に刃が押し当てられる。
「心臓、再生中に更に斬ったらどうなるかな?」
善逸はにやにや笑っている。
あれだけ切り刻んでいて、刀が折れない。使い方が上手すぎるのだ。
「このくそ餓鬼が!!」
口から血泡を吹きながら、鬼が口から火炎を吐き出した。
あっさり、かわされていたが。
「へぇ、大道芸できるんじゃん」
鬼の吐いた炎が置かれていた材料に引火し、火の手が上がる。
「ちっ、まだ斬り足りないんだけどな…」
善逸が舌打ちする。
炎が浮かびあがらせた善逸の顔は、すさんで凄惨な表情を浮かべていた。
「ま、炎にまかれるまでに斬りまくって、頸を斬りゃいーか」
炎の明かりでより凄惨な表情が増す。
「こっちは全然、怒りが収まってないんでな!!」
鬼には、もう最悪の何物でもない。
炎の勢いが増そうというのに、まだ続ける気でいた。
「やめろ!もうやめてくれ!お前にはもう干渉しない!」
「だからなんだよ?それ言えば、やめると思うか?」
左肩から、鬼めがけ刀を振り下ろそうとした時だ。
善逸は誰かに肩を捕まれ、後ろに放られた。そして、善逸が見たのは鬼の頸が斬り飛ばされる光景だった。
「周防…」
炎によって更に際立つ赤い髪…赤い羽織。
「何しやがる…あんた」
「お前こそ何をしている」
刀を納め、紅龍が向き直る。
溜飲の対象だった鬼はぐずぐずと灰となって散っていった。
「なんだよ?いつから見てた?」
ぎりぎりと善逸の目つきが、更にすごむ。
「随分、鬼を切り刻んだみたいだな…楽しかったか?」
「は、説教か?」
善逸は睨み付けた。
まだ斬り足りないのに、よくも…。
「奴を斬ったことでおそらくは術も消える、その精神も落ち着くはずだ」
「鬼の異能力、血鬼術だろ?だからなんだよ!こっちは土足で頭の中を見られて、それどころじゃねーんだよ!」
何もできなかった。
嫌な事をほじくり返された。
抑圧してきたものが溢れてきて、元凶を気が済むまでなぶらなければ収まらないのに。「いいから、落ち着け!」
腕を掴まれ引き寄せられた。
「…っ、放せ」
善逸の全身は嫌悪しかない。
顔に当たる胸板、手の感触、匂い、全部気持ち悪い。
「放せって言ってんだろーが!」
善逸はもがき怒鳴った。
「怯えるな…もう大丈夫だ」
「おび、えるだと…」
「だから、泣くな」
「誰が…」
言って、頬に伝う水にぎょっとする。
「俺は溜飲を下げたかったんだよ…」
そう呟いたら、悔しくなってきた。
必死に守ってきて、術ひとつでほじくり返されて…。
何もできてない?いや、これからやればいい。
塗りつぶしに戻らないと…。
「あんた、俺の邪魔しやがって」
「善逸?」
「あとは頑張れよ」
「何の事だ?」
にいっと善逸が暗く笑ったかと思うと、がくんとその体が揺れた。
「おい!善逸!」
抱き込むように支えると、彼が顔を上げた。さっきよりも真っ青な怯えた顔。
がちがち震え出した。
「やだ!離して!もう嫌だ!!」
「落ち着け!ここを出る、おとなしくしてくれ」
炎が勢いを増していた。外が大騒ぎになっている。
「助け…」
か細く呟き、善逸はぐったりとなる。
紅龍は逆の腰に善逸の日輪刀を差し、善逸を左腕だけで支える。
善逸がぶち破った窓から酸素が入ってくるせいで火の回りが速い。
「どうせ建物は焼けるんだ。壊して問題あるまい」
炎が炙るように迫ってくる。
星の呼吸、壱の型。
「貪狼・陽明」
炎を切り裂く狼の牙のごとき一撃が、周囲を破壊し、別窓をぶち壊す。
紅龍は善逸を抱え上げ、一気に飛び出した。火災の爆発と上手く重なり、それに紛れる事ができた。
周囲は混乱していて、紅龍に気がつくわけもない。そのまま、街を脱出した。
街に再び突入し、善逸は建物の屋根づたいに駆け抜け、跳躍した。
夜の闇と、速すぎて誰にも善逸の姿は見える事はなかった。
草鞋ではない履き物は、走るのに邪魔で捨てた。
足袋も高速で走るせいで、破れぼろぼろになっていたが、かまわなかった。
とにかく、「干渉」した鬼にお礼参りしなければ溜飲が下がらない。
すぐに頸をはねられるが、それでは沸き上がる衝動は、収まらない。
「善逸を壊そうとしやがって…よくも…」
高速で走りながら、息は乱れていない。
音が近い。
そして、腹の底からムカつく匂いが、鼻を突いた。
ある建設中の建物の中から、音と匂いがした。
「見つけたぞ!この腐れ野郎!!」
善逸は怒鳴り、窓をぶち破って中に飛び込んだ。
室内に、砕けた硝子が飛び散り、散乱する。
建設中だけあって、中はがらんどうだった。材料や道具が散乱している。
「出てこいよ。俺にどうやって干渉したかは、どうでもいい」
暗闇の中で善逸のすごんだ声だけが響く。
「人の古傷だの、記憶だのほじくり返して喰うのは、俺以外にしやがれ」
着物の裾も合わせ目も、すっかり乱れてしまっている。
「何だ?俺の血鬼術を精神に食らって、動ける人間がいるとはなぁ」
暗闇の中で鬼が愉快げに嗤った。
「俺は、人間の娘が大好物でな、中身から味わい尽くして、最後に体を喰うのが好きなんだよ」
「ふぅん、そうかよ」
足の裏側が硝子で傷つくのも構わず、善逸は自ら闇の中にずかずか入って行く。
「今回はかなりの極上の獲物かと思っていたのに、してやられたぜ」
「美食家が、野郎と女の判別くらいできろよ。鼻がおかしいんじゃない?」
痛烈にせせら笑う。
虚ろな目は、闇しか見ていない。
「ま、あの女じゃ精神喰われて、いずれ体も喰われて、お陀仏だろうな」
日高の事を言う。
「じいちゃんから聞いていた鬼殺隊士の印象全然違って、びっくりしたけど合点がいったよ」
「そういう貴様はどうなんだ?貴様も鬼狩りにしちゃなかなかな人生じゃねぇか」
暗闇の中で、きひひと鬼が嗤う。
「よくそれで、悪にならなかったなぁ?鬼になってもいいくらいだぜ?」
「俺の人生だ。鬼が口挟むんじゃねーよ」
急に、体がぞわりとした。悪寒が走った。
思い出したくない事にまた、触れられた。
あれは、いつの頃だろう…雪が舞っていた。夜、店が開いて客が入り、給仕として忙しく動いていた時、すごく嫌な音を聴いた。
今までに聴いた事のない音だ。
全身が凍てつく程の異様な音。
「この野郎…その音は…」
善逸の体が震える。
引きずり出されるその記憶。
映像ではない…意識がぶち壊れそうな、壊れてしまう音。
「やめろ!この…クソ野郎が!!」
善逸が口汚く罵りの声を上げた。
知っている音が「食べられる」のも聴いた。その二つの恐怖は、どれだけ強烈だったか。
意識は底に落ち、体は高熱を出し、しばらく目覚めさせられなかった。
「てめえ、すぐに頸を斬られると思うなよ」
「何言ってやがる?真っ暗闇で見えてねぇくせによ!」
「関係ねーよ、俺には」
それだけ呟き、善逸の姿が消えた。
響く鞘鳴り音。
肉と骨断つ音が生じ、鬼の絶叫が上がった。
「馬鹿な?見えるわけが!!」
「ないってか?悪いけど、俺にはてめえがどこにいるか、まる分かりなんだよな」
刀が翻り、もう片腕もはね飛ばされる。
「まだるっこしいよなあ…ハサミがありゃ、切り刻んでやるのに」
鬼の闇も見透す視界に、薄ら笑いを浮かべる鬼狩りの顔が見えた。
ゾッとした。
人間が、鬼を斬りながら笑っている。
「何で分かるかなんて教えねーよ」
鬼だから腕などすぐに再生する。
しかし、刀がすぐに翻り、肘から、肩から斬り飛ばす。
「人の古傷ほじくり出す以外の事できねーの?」
刀を振るう速さが普通ではない。
「あー、じっとしてろよ、な!!」
逃げ出そうとしたところに、心臓を串刺しにされた。
さすがに、心臓を破壊されてはすぐすぐ動けない。
「何を逃げようとしてんだ?あともうちょい、付き合えよ」
更に不気味なのは、返り血をかぶっていない事だ。
いたぶるだけいたぶっているのに、動きが、普通じゃない。
「鬼の血なんか被りたくねーし、俺そこまで未熟者じゃねーよ」
ぴたりと左肩に刃が押し当てられる。
「心臓、再生中に更に斬ったらどうなるかな?」
善逸はにやにや笑っている。
あれだけ切り刻んでいて、刀が折れない。使い方が上手すぎるのだ。
「このくそ餓鬼が!!」
口から血泡を吹きながら、鬼が口から火炎を吐き出した。
あっさり、かわされていたが。
「へぇ、大道芸できるんじゃん」
鬼の吐いた炎が置かれていた材料に引火し、火の手が上がる。
「ちっ、まだ斬り足りないんだけどな…」
善逸が舌打ちする。
炎が浮かびあがらせた善逸の顔は、すさんで凄惨な表情を浮かべていた。
「ま、炎にまかれるまでに斬りまくって、頸を斬りゃいーか」
炎の明かりでより凄惨な表情が増す。
「こっちは全然、怒りが収まってないんでな!!」
鬼には、もう最悪の何物でもない。
炎の勢いが増そうというのに、まだ続ける気でいた。
「やめろ!もうやめてくれ!お前にはもう干渉しない!」
「だからなんだよ?それ言えば、やめると思うか?」
左肩から、鬼めがけ刀を振り下ろそうとした時だ。
善逸は誰かに肩を捕まれ、後ろに放られた。そして、善逸が見たのは鬼の頸が斬り飛ばされる光景だった。
「周防…」
炎によって更に際立つ赤い髪…赤い羽織。
「何しやがる…あんた」
「お前こそ何をしている」
刀を納め、紅龍が向き直る。
溜飲の対象だった鬼はぐずぐずと灰となって散っていった。
「なんだよ?いつから見てた?」
ぎりぎりと善逸の目つきが、更にすごむ。
「随分、鬼を切り刻んだみたいだな…楽しかったか?」
「は、説教か?」
善逸は睨み付けた。
まだ斬り足りないのに、よくも…。
「奴を斬ったことでおそらくは術も消える、その精神も落ち着くはずだ」
「鬼の異能力、血鬼術だろ?だからなんだよ!こっちは土足で頭の中を見られて、それどころじゃねーんだよ!」
何もできなかった。
嫌な事をほじくり返された。
抑圧してきたものが溢れてきて、元凶を気が済むまでなぶらなければ収まらないのに。「いいから、落ち着け!」
腕を掴まれ引き寄せられた。
「…っ、放せ」
善逸の全身は嫌悪しかない。
顔に当たる胸板、手の感触、匂い、全部気持ち悪い。
「放せって言ってんだろーが!」
善逸はもがき怒鳴った。
「怯えるな…もう大丈夫だ」
「おび、えるだと…」
「だから、泣くな」
「誰が…」
言って、頬に伝う水にぎょっとする。
「俺は溜飲を下げたかったんだよ…」
そう呟いたら、悔しくなってきた。
必死に守ってきて、術ひとつでほじくり返されて…。
何もできてない?いや、これからやればいい。
塗りつぶしに戻らないと…。
「あんた、俺の邪魔しやがって」
「善逸?」
「あとは頑張れよ」
「何の事だ?」
にいっと善逸が暗く笑ったかと思うと、がくんとその体が揺れた。
「おい!善逸!」
抱き込むように支えると、彼が顔を上げた。さっきよりも真っ青な怯えた顔。
がちがち震え出した。
「やだ!離して!もう嫌だ!!」
「落ち着け!ここを出る、おとなしくしてくれ」
炎が勢いを増していた。外が大騒ぎになっている。
「助け…」
か細く呟き、善逸はぐったりとなる。
紅龍は逆の腰に善逸の日輪刀を差し、善逸を左腕だけで支える。
善逸がぶち破った窓から酸素が入ってくるせいで火の回りが速い。
「どうせ建物は焼けるんだ。壊して問題あるまい」
炎が炙るように迫ってくる。
星の呼吸、壱の型。
「貪狼・陽明」
炎を切り裂く狼の牙のごとき一撃が、周囲を破壊し、別窓をぶち壊す。
紅龍は善逸を抱え上げ、一気に飛び出した。火災の爆発と上手く重なり、それに紛れる事ができた。
周囲は混乱していて、紅龍に気がつくわけもない。そのまま、街を脱出した。