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蒼銀の月


旧大名屋敷で、玉兎のひと睨みで何も出来なかった紅龍は、己を恥じて、数日間打ち込み稽古に励んだ。
脳裏には、猿彦にあっさりと陸の型をいなされ、なおかつ奴に余裕があった。

何より、玉兎と呼ばれたあの鬼のひと睨み。
ただ睨まれただけなのに、体が動けなくなった。
しかも、敵とさえ思われてもいない現実。
屈辱しかなかった。

そして、階級癸、我妻善逸のあの研ぎ澄まされた雷の呼吸、壱の型。
あの磨き抜かれた一閃は、尋常ではなかった。
階級甲の紅龍に、見えなかった。

あれだけ怯えていた人間が、意識を失った状態から別人のような動きで、鬼を斬った。
信じられなかった。

恥じと、悔しさもあって紅龍は善逸の見舞いには、行かなかった。
行けなかった。
自分は甲であるというのに、示しがつかない。
何より、あの玉兎のひと睨み。
全身の自由が利かなくなった、あの恐怖。
善逸がいなかったら、死んでいた。

周防家は、ずっと柱になれないでいた。
呼吸を型を絶やさず受け継ぎながら、しかし柱として血統で立ち続けているのは煉獄家だった。
星の呼吸は、独特だった。

炎の呼吸のように力強く攻撃的でいながらにして、なおかつ高速さが求められた。

全てを照らす太陽でも、静寂の月でもない。
夜闇に輝く星星のように、儚いようで、そこにある。

「炎の呼吸を意識し過ぎているのか?」
星は、炎ではない。
煉獄家を炎の呼吸を意識し過ぎて、なにかが狂っているのでは。
呼吸が正しくできていないのか……。

紅龍は、実家から持ち出した古書を開いたりもした。
星の呼吸は、壱から捌の型で構成されている。
どこから派生したかまでは、記されていない。
ただ、警告のように記されていた事がある。

『星は星であれ。そこにあるがまま、時紡ぎ、いずれは月を討たん』
ざわざわと何故か、全身がざわついた。

それは、不意に灼けるような感覚と共に、脳裏に閃いた。

月光に染まる蒼い世界。
そこに、あれが居た。

玉兎。

あの凄まじい、怒気を放って。


全てを凍らせてしまう、凍てついた眼差し。
『人間と仲良くなれると、思ってはいけなかったね』
激戦だったのか、玉兎の長い髪はざんばらに切れ、着物もぼろぼろになっていた。
『君の家系はそんなに、柱になりたいの?』
玉兎一人だ。
そして、こちらは二人。

赤い髪の剣士は剣を抜かず、兎月とそして身内らしき剣士の狭間に苦しんでいるようだった。
『あの人の、十二鬼月上弦ともまともに戦えないくせに……』
こちらを見る眼が、見下していた。
『僕を油断させて、頸を掻こうとするし、人間も鬼と変わらないね』
周囲が暗くなる。
蒼い世界が、暗い蒼に染まって行く。
『そんなに柱になりたいなら、手伝ってあげるよ』
蒼銀色の眼が、赤い髪の剣士を見据えた。

『冥月の牢獄』
まるで、極刑の宣告のように玉兎は呟いた。

暗く染まった空間、二人の足元に昏い月が浮かび上がった。
その月が砕けた。
銀色の華となって舞い上がった。
『血鬼術だ!』
隣の剣士が叫んだ。
赤い髪の剣士の兄だ。
銀色の華は、二人の体にまとわりつく。

『僕を怒らせるからだよ』
ふらふらしながら、玉兎が二人を睨んだ。
『大丈夫、選択肢はあげるからよく聞いてね』
玉兎は血鬼術で激しく消耗し、飢餓に襲われていた。
しかし、目の前にある筈の食料に嫌悪感を滲ませる。

『この術にかけられた人間は老化しなくなる…寿命でも死ねなくなる。自分で死ぬか、鬼に殺されるか、僕に食べられるように願うか』
がくんと、玉兎が崩れ落ちる。
食事の渇望と、目の前の嫌悪感に玉兎が板挟みになっていた。
『僕に従って服従するか…好きに選べ』
『笑わせる。術の元を斬ればこんなものは意味がない』
兄剣士が剣を構える。
『下弦以上上弦未満の貴様を斬れば鬼50体に相当する!柱になれる!』
『……あさましいなぁ……上弦も斬ってないのに、先があるのかな』
侮蔑の嗤いだった。
『老化しなくなるんだから、殺されない限り戦えるよ?頑張って柱になれば?』
彼は衰弱していた。
傷の治りが遅い。
『往生際が悪い!』
赤い髪の剣士の兄が斬りかかった。

星の呼吸、漆の型。

『七星・破軍』

刀が白く発光する。
白く燃えていた。
流星の軌跡を描く、七連撃。

それが白く燃えながら、玉兎を焼き斬る。
『そうか七星の……、深夜の末裔か。なら…』
ぐらつきながらも何かを読んだように、星の熱に全身を焼かれる玉兎が足掻く。

途切れる事なく、捌の型に繋がる。
やはり、と玉兎の目が細まる。

『兄上、駄目です!』
『開星・揺光!』
二つの叫びが重なった。

心臓と頸を狙った二連撃が、届こうとしたその時だ。

『冥月・重牙』
暗い蒼の世界に、再び月が出現する。
玉兎の、その両手に黒い月。

二連撃は、それに激突した。
『防がれた!?』
『捌の型でしょ…星の呼吸は全部で七つ。でも本当は、八つある』
玉兎が嗤っていた。
白い灼熱は、黒い月に阻まれ届かなかった。
『奥の手、だよね。星の呼吸の。七星の連撃後の、追撃手段』
黒い月がみしみしと嫌な音を立てる。
『一度見たよ。周防深夜…君達のご先祖様のを』

兄の足元に、月が出現する。
『静寂の月眼』
ぎん!と月に瞳孔が眼が開く。
拘束の血鬼術。
『二人とも…殺さないよ』
間合いの兄はおろか、周防紅龍も拘束されていた。
月の眼が空からも、見ていたのだ。

玉兎の両手の黒い月が砕けた。
月の破片となって、周防兄の体に突き刺さった。
『…僕にこれだけ血鬼術使わせて…深夜の末裔はすごいよ』
飢餓と食への拒絶反応に、玉兎の体ががくがく震える。
『玉兎…』
『紅龍、君は分かってくれると思っていたのにな…』
『私は、君が人を食べなくて済む方法を探していた』
『それがこの仕打ち?お兄さんも止められなかった…助けてもくれなかったね』
『…拘束を解いてくれ…兄はもう戦えない』
天と地、二つの月の眼が兄弟を睨んでいる。
『嫌だ』
『これ以上弱った体で血鬼術を使えば飢餓が暴走するぞ!』
『五月蝿い!信じられるか!君の言葉なんか!』
蒼銀色の瞳が暗く染まる。
『人間は信じない…もう二度と』
『玉兎…』
飢餓の衝動、しかし嫌悪感に兎月は猛烈な感情に苛まれる。
『…この血鬼術は、呪いだよ。子々孫々潜み続ける』
玉兎の呼吸が荒くなり、汗が尋常でなくなる。
『君達は、どうする?それでも子孫を残す?僕を殺さないと、終わらないよ』
『…自滅寸前のくせに、この鬼が』
周防兄が、全身血だらけの状態から体を起こす。
しかし、拘束もあり動きがままならない。

唐突に血鬼術が消えた。
兎月の体が、衰弱による限界が来たのだ。
『紅龍!奴の頸を斬れ!』
周防兄が怒鳴る。
しかし、周防紅龍は動けなくなった。
完全にうずくまり、玉兎は飢餓と食欲の嫌悪感で七転八倒していた。

何が正しい?
鬼は完全悪か?
人間を喰わない鬼の立場は?
玉兎みたいな局所的に、人間を選んでいる場合は?

答えは出ない。
ただ、周防紅龍は一度交流を持った兎月を裏切った。
刃は振れない。
しかし斬らねば、子々孫々が呪われ続ける。
どうしたら…。

その時、空間が裂けた。
またもや、月の眼。
その中から、
『玉兎様!!』
奇妙な面を着けた鬼が、そこに沸いた。
『…猿彦…君の言うこと聞かなかったバチがあたったよ…』
猿彦…その鬼は二人に背中を向けていた。
敵ではないと言わんばかりに。
『すぐお連れ致します!ご辛抱を!』
猿彦は、苦しむ玉兎を抱え上げた。
『皮肉だな…ないはずの万が一の、月牙の守護が、発動するなど』
猿彦は玉兎に頼み込み、自らの血鬼術をかけた。
かけた対象が危険に陥った時、対象元に強制転移する血鬼術だ。
『紅龍!何をしている!…くそっ!』
周防兄は満身創痍で動けない自分に、動かない弟に悔しげに歯噛みした。
『もし再び会う事があろうが、この方は俺が斬らせん。その血鬼術で苦しめ』
玉兎を抱えた猿彦は、吐き捨て消えた。

そして、周防兄弟の目は血鬼術の発動によって、銀色に変容した。
不老だけではない、誘惑つきで。
内側から湧く凄まじい力を得られていたのだ。
その事に周防紅龍は恐怖した。

この誘惑に負けたら、兎月に服従してしまう。

人間のまま、鬼の配下になる。
誘惑から逃れても、病気や寿命で死ねない。
自害するか、鬼と戦い死ぬか。
玉兎に、喰ってくれと願うか…その選択肢しかない。
『俺は傷が治り次第奴を追う』
『兄上』
『呪いだぞ!冗談じゃない!俺達の代で終わらせねば子孫に及ぶんだぞ!』
周防兄は必死だった。
『お前が奴の頸を斬っていれば面倒がなかったものを!』
周防紅龍は反論できなかった。
『くそ……煉獄家を越えるどころではないぞ……人間のまま鬼の配下に成り下がる者を家から出してたまるか』
周防兄も、血鬼術の誘惑に気づいていたようだ。
呪いがもし子孫の代で出た時、この沸き上がる力の誘惑に負けたら玉兎の元にいってしまう。
生きる事に絶望し、死にたいといつか願えば、喰われてしまう。
玉兎に印をつけられたのだ。
いわゆるマーキングだ。

初代周防紅龍は、それでも子孫を残した。
いつか、子孫の中から玉兎を討ち、呪いを終わらせる者が出る事を願い。
だから、玉兎を追う兄には、従わなかった。
子孫を残すために。

そして、玉兎を討ち柱になりたかった兄は。
帰って来なかった。


どん!と紅龍は膝をついた。
「呪い…血鬼術…この眼が」
修行に明け暮れていたある時、眼が黒銀色に変わり急に疲れなくなった。
全集中・常中により身体機能が向上しているためかと思っていたが、血鬼術によるもの…。

『星は星であれ。あるがまま時紡ぎ、いずれは月を討たん』
あれは、初代の言葉か。
ただの一度も柱になれとか、残していない。
そもそも、勝手に周防家が躍起になっているだけだ。

なら、血筋にこだわることも柱にこだわることももう気にしなくていい…。
討つのは、玉兎。
彼を怒らせ、血鬼術の呪いを受けた。

あの大名屋敷で玉兎にあったのは偶然ではないのだろう。
おそらく、血鬼術の呪いが引き寄せた。
因縁というやつか。

血鬼術の呪いの発動で、不死ではないが体は老いない。
力の誘惑に負けて玉兎の配下になるか、長い時を生き続けて絶望するか、自ら死ぬかは選べる。

周防家には他に兄弟がいる。
彼らにも呪いが出るのだろうか。
「初代周防紅龍は、血鬼術を受けどうしたのだろうな…」
あの記憶の中では、迷っていた。

しかし、紅龍の中では動揺が収まらない。
『龍鱗の眼』だなどと、異能力持ちのように逸話が歪んで伝わっている。
それとも、血鬼術の呪いを否定して一族が歪めたのか。
滑稽だった。

『冥月の牢獄』
とはよく言った。
鍵のかからない、厄介な牢獄に放り込まれた。

思い悩む紅龍の元に、鎹烏が伝令を伝えてきた。
女ばかりを喰らう鬼の討伐だった。
用心深く、鬼殺隊を警戒する為、囮が必要だった。
囮を引き受ける女隊士達を救えるように数で潜むも、上手くいかない。
数も読まれているのか…。

次に囮の任務を回された日高はなにやら、待てというし。
次の犠牲が出るのは阻止したかった。
で、用意ができたとかで知らせを受けて来て見れば。

いたのは、黄色い髪の町娘だった。
そしてすぐに分かった。
我妻善逸だと。























































































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