第1章
意識の浮上は、暗い暗い水底からゆっくり上がって行く感覚だった。
義勇のうっすら開いた視界に映ったのは、見知らぬ天井と、知らない部屋の障子戸。
そして、義勇の顔を半泣きで覗き込む包帯だらけの少年二人。
「富岡!?気がついたか!」
「…村、田か?」
長い間眠っていたのか、うまく声が出ない。
「どうした…その…怪我」
「何言ってんだよ…俺達、藤襲山で最終選抜試験受けたんだぞ」
村田がすすり泣く。
「藤、襲山…」
「お前、7日間と2日意識なかったんだぞ。もうだめかと思った…」
「7日間…藤襲山…」
ー最終選抜試験の合格条件は、鬼の放たれたこの藤襲山において7日間生き残る事でございますー
急に鮮明に、咲き狂う藤棚が脳裏に蘇る。
数十人を超える試験に臨む義勇と変わらない少年達に、やや年上の者らがずらりと並ぶ。
腰には、師匠から渡された日輪刀が誰の腰にも下がっている。
正式な日輪刀ではないが、これでなければ鬼の頸は斬れない。
鳥居の先に、鬼がいる。
そう思うと、膝が震えてきた。
「体が固くなっているぞ、義勇」
傍らの落ち着き払った声に、義勇は我に帰る。
「鱗滝先生の教えを忘れなければ大丈夫だ」
「錆兎…」
宍色の長髪の少年錆兎の落ち着いた様子は、義勇の不安と緊張を幾分か払ってくれた。
元水柱、鱗滝の下で水の呼吸を学んだ同期。
同い年なのに、錆兎の方が年上に感じられる。
「今からそんな調子で大丈夫?」
ひょこりと、12歳ぐらいの少女が義勇の顔を覗き込むように見上げてきた。
「真菰…」
「三人で先生の所に帰るんだから、絶対生き残らなきゃ」
真菰。
この少女も義勇の同期だ。
小柄だがその体型を活かした軽快な身のこなしがある。
「真菰。義勇に余計な圧力をかけるな」
真菰は錆兎に、たしなめられる。
「はぁい」
「二人とも、怖くないのか?あの先には戦った事もない鬼がいるんだぞ」
「確かに鬼との実戦はこの最終選抜が初めてだが」
錆兎、真菰共に恐れは感じられなかった。
「俺達は鱗滝先生から、全集中の呼吸法を会得しただろう。常に鬼と渡り合える状態を引き出せる呼吸法を」
身体能力を飛躍的に上昇させる呼吸法『全集中』これを行う事で、鬼との身体能力の差を埋める事ができる。
「そして、素早い決断を下すことを。決断の遅れは死だ」
「怖いって事は、義勇の中に迷いがある証拠よ」
真菰の先輩風に、義勇はムッとした。
「錆兎に言われるならまだしも、真菰に言われたくない」
「何よ、始まってもないうちから怖がってるくせに」
「……真菰……」
「二人とも、止めろ」
喧嘩になりそうな二人に、錆兎が静かに一喝する。
「義勇のせいで怒られたじゃない」
「人のせいにするな」
「……お前ら……選抜試験が終わったら覚えていろ」
一瞬、錆兎の声色が凄んだ。
それだけで二人は押し黙る。
錆兎は黙したまま、手にしていた包みをほどいた。
「先生からの厄除けの面だ」
花をあしらったものを真菰に、水の波紋が描かれたのを義勇に渡す。
「三人で、必ず先生の家へ帰るぞ」
錆兎は、自分の頬にに着いた傷と同じものが刻まれた面を顔左側に着けた。
「義勇、俺達は水だ」
唐突に言われて、呆気にとられた。
「先生が言っていたろ。形を変える変幻自在の水の如くなれと」
錆兎の眼差しが義勇を映す。
「藤襲山に入ったら、状況は幾通りも想定しろ。常に己を認識し、自分を見失うな」
義勇は、錆兎は凄いと素直に思った。
錆兎の声を聞いていると、冷静になってくる。
「あたしは、藤襲山に入ったら別行動するよ」
「真菰、何言って!」
義勇が血相を変えた。
「試験の内容は、7日間生き残ることであってどう行動するかはこっちの自由でしょ?」
「それはそうだが……」
助け船を求めて錆兎を見る。
「あたしは絶対鬼殺隊士になるの。守られることを前提にここへ来てないわ」
「それが真菰の覚悟か」
錆兎は真菰をまっすぐ見る。
真菰も錆兎を見返した。
「錆兎の事だもの、あたしを義勇に守らせようとしたでしょ?」
「……」
瞳に若干の怒りが滲んでいた。
「図星ね」
「すまなかった……」
「錆兎が優しいのは良い所だけど、それってあたしを信用してないって事じゃない」
「真菰、錆兎が言いたいのはそういう事じゃないと思う」
義勇が諌める。
「共闘や連携を組んでも良い筈だ。山の中ではどう行動しても良いのだから」
「義勇も分かってない!」
真菰が顔を赤くして怒る。
「あたしは自分の能力をあたしがよくわかってる……錆兎や義勇の方がずっとずっと上だって事も」
連携も共闘も戦闘能力が均衡していなくては、意味がない。
真菰は身軽さが長所だが、非力。
陽動で動き回るにしても、いずれ二人に置いて行かれる。
「この7日間で、力が非力でもやりきれることを証明したいの……」
これから向かう先は腕試しする現場でも、そんな状況でもない。
しかし。
「そうだな……真菰も鱗滝先生の最後のお題を突破したものな」
「錆兎!」
義勇、真菰は異口同音の声を上げた。
真菰は嬉しそうに、義勇は戸惑いの顔をした。
選抜試験へ臨む為の、鱗滝が出す最後のお題は、大岩を斬ること。
呼吸法と剣技、体裁きが一つとなってはじめて突破できる。
真菰はこれを成し遂げている。
「7日間後、ここで会おうな」
「うん!」
錆兎に、嬉しそうに真菰は頷いた。
「危なくなったら無理をするな。逃げる事も寛容だ……」
「義勇に言われなくてもわかってます!」
みなまで義勇に言わせず、真菰は息巻いた。
そして、選抜試験は始まった。
藤襲山の中は異様な静けさに満ちていた。
真菰はすぐに姿が見えなくなり、義勇は錆兎と二人きりで山の中を進んでいた。
どこから襲われるか分からない。
稽古とは違う異様な感覚に晒され、落ち着いていた筈の義勇の息は乱れがちになる。
一方の錆兎は全く息を乱していなかった。
「死にたくないぃぃっ!」
破砕音に加え、悲痛な悲鳴が聞こえた。
「向こうだ!行くぞ、義勇!」
「あ、ああ」
体を強張らせた義勇とは裏腹に、錆兎は流れる動きで走り出していた。
錆兎と共に飛び込んだそこには、数人の候補者とそして。
三匹の鬼。
人間とは明らかに異なる異様な気配。
何より、吐き気がするほど生臭い。
(これが、鬼……!)
「またご馳走が増えたなあ」
嬉しそうに鬼が嗤う。
「こんだけいれば、俺ら平等に喰えるな」
「ふん、間違えんなよ!今日は餌が多いから分けてやるだけだからな!」
義勇の視界には、鬼の怪力で破壊された樹木と抉れた地面が映る。
そして、鬼の攻撃で傷ついた候補者達。
「義勇、彼らを助けるぞ!」
「わ、わかっている!」
落ち着いた錆兎とは違い、声が上ずるのが義勇は悔しかった。
鬼との実戦の空気に飲まれそうになっていた。
すううう……
水の呼吸、参の型。
二人は全く同じ型を選択していた。
「流流舞い!」
錆兎の剣は、力強い水流のように。
義勇の剣は、緩やかな流れから力強い水流へ変化するように。
同じ型でも、その剣筋は全く違った。
それでも、三匹の鬼は一瞬で頸を斬られていた。
(き、斬れた……)
義勇は腕の震えが止まらなかった。
一方、錆兎は全くいつも通りに剣を鞘に納めていた。
「義勇、型の選択流石だ」
出方の分からない初見の敵に対して、回避にも攻撃にも転用が利く技の選択に錆兎が称賛する。
「錆兎の剣筋には劣るよ…」
そう言って鞘に剣を納める。
「謙遜するな」
錆兎は笑って、候補者達の側に寄る。
「大丈夫か?」
「ありがとう…おかげで助かった…俺は村田だ」
「俺は佐藤」
「金田」
「田中だ」
全員、傷だらけではあるが命に別状はなさそうだった。
「俺は錆兎。彼は」
「……富岡義勇だ」
錆兎に促され義勇は名乗る。
「お、お前ら速いな……全然見えなかった」
村田が傷だらけの腕を錆兎に止血されながら、称賛する。
「そうか?」
錆兎は何でもないように言っているが、村田達の目では二つの同じ型のそれでいて、異なる水流が鮮やかに迸り、村田達を守るように円を描いて鬼の頸を斬っているとしかみえない。
そして、彼らが見たのは錆兎と義勇の背中のみ。
いつ、自分達の前に回り込んだのか見えなかった。
(速いのは、錆兎の方だ)
義勇は他の者の止血をしながら、その会話を聞いていた。
義勇が鬼の頸を一つ斬るうちに、錆兎は二つ斬っているのだ。
(俺は、遅い……)
力強く速い錆兎の剣筋と違い、義勇の剣筋は出だしが緩やかでそこから速度が上がる。
(太刀筋から、違いすぎる……)
「あんた達、水の呼吸か。村田も水の呼吸だけど、段違いだな」
「悪かったな、段違いで……」
金田の言い方に、村田が傷つく。
「俺達、力合わせて7日間生き延びようって話してたけど、こんなんじゃ無理だ」
佐藤が泣き出した。
(こいつら、よく育手の許しが出たな……)
義勇は1日目からしての体たらくを目の当たりにして、内心呆れた。
自分も場の空気に飲まれかけたとはいえ、戦えたというのに。
「泣くな。生き残ることを考えろ」
「錆兎」
まさかと義勇に嫌な予感が走る。
「無理なら無理に動かなくていい。鬼は任せろ」
「なっ!何を言っている錆兎!それじゃ選抜の意味がないだろう!」
義勇の声が荒くなる。
「戦って死ぬのが目的じゃない。この選抜は生き残ることだろう」
「しかし……それで生き残ってその後はどうするんだ!」
「生き残った分鍛練を積み重ね、己の未熟さを叩き直せばいい」
声を荒らげる義勇に、錆兎は冷静に返す。
「自分たちの未熟さを恥じるなら生き残って1から鍛え直す。そんなやり方があっていいだろう」
器の違いをも見せつけられた。
未熟なまま選抜に挑み、死ぬと諦めるより恥をかいても生き延びて鍛え直せ。
錆兎はそう言っているのだ。
「そんな事を言っていたら、この山にいる全員の面倒を見る事になるんだぞ……」
「俺は、無責任な事は言わない」
迷いの無い凛とした声だった。
「やるつもりなのか……何人いると思っている……」
自然と声が低くなる。
二人の不穏な空気に、村田達がおろおろし出す。
「……わかった。俺も手伝う」
義勇は息を深く吐き言った。
「だから、1人でやろうとするな」
「義勇……」
その時、あの生臭さが義勇の鼻を突いた。
(鬼の気配!)
体は反応していた。
迎撃の雫石波紋突きを繰り出そうとした。
ほんの寸暇の間。
義勇の左側頭部を衝撃が襲った。
破砕音を立てて狐の面が砕け散り、鮮血が散った。
「義勇!」
錆兎が叫ぶ。
義勇の体は地面に叩きつけられた。
「……う」
衝撃に朦朧となる。
錆兎が、義勇を襲った鬼を打ち潮で斬るのが霞む視界に朧気に見えた。
(俺が遅いからだ……あれでも遅いんだ…)
初日から負傷してしまった……。
「義勇!分かるか!」
錆兎が傍らにしゃがみ、余裕なく問う。
義勇はどうにか、頷いた。
錆兎はそれを見て安堵すると、
「………君たち、義勇を頼む」
言って、錆兎は立ち上がる。
「さ……びとっ!」
朦朧とする意識の中、義勇は必死に起き上がろうとした。
「皆、義勇も、恥をかいても生き延びてくれ。俺も生き延びる。必ず」
一人は無理だ!
義勇は必死に叫ぼうとした。
「さび……と。行くなら俺もい……く」
必死に錆兎の脚絆を掴んだ。
「真菰と合流するから心配するな」
見下ろす錆兎は困ったように笑っていた。
手を離したくなかった。
しかし、無情にもどこからか助けを求める悲鳴が上がる。
「7日後に会おうな」
「……っ!」
脚絆の手を離された。
背中が遠ざかって行く…。
「錆兎!嫌だ!俺も行く!俺も……っ!」
「動くな富岡!頭やられてるんだぞ!」
村田が、暴れる義勇を羽交い締めする。
「あの人は強い!絶対死なない!だから、俺達は生き残らなきゃいけない!頼むから大人しくしてくれよ!」
村田が泣いていた。その悔し泣きが義勇を止めた。
「村田……」
「俺達が絶対お前を守るから、あの人に会わせるから。だから……」
皆、泣いていた。
ー恥をかいても生き延びろー
錆兎の言葉が、義勇の頭に反響する。
「錆兎……」
義勇の意識はやがて暗闇に飲まれて行った。
「錆兎は!!錆兎は無事なのか!?」
記憶がはっきりしたとたん、穏やかでいられなくなった。
信じられない勢いで跳ね起き、村田にすがりついた。
「富岡っ……あの人は……錆兎はっ」
村田の横にいた少年ー金田ーもぼろぼろ泣き出した。
「死んだって……鬼を全部1人で引き受けて戦い続けて……」
「そんな……」
そして、更に知る。
真菰も死んだ事を。
かなりやばい鬼に殺されたらしいと。
二人とも無残にも体を引き裂かれて……。
錆兎と真菰の死亡以外に死者はなく、殆どが合格したと。
「うわあああああっ!」
義勇は絶叫し、泣き叫んだ。
すっかり錯乱し、暴れ出しだ。
医者が駆けつけて鎮静剤を打ち眠るまで……。
義勇のうっすら開いた視界に映ったのは、見知らぬ天井と、知らない部屋の障子戸。
そして、義勇の顔を半泣きで覗き込む包帯だらけの少年二人。
「富岡!?気がついたか!」
「…村、田か?」
長い間眠っていたのか、うまく声が出ない。
「どうした…その…怪我」
「何言ってんだよ…俺達、藤襲山で最終選抜試験受けたんだぞ」
村田がすすり泣く。
「藤、襲山…」
「お前、7日間と2日意識なかったんだぞ。もうだめかと思った…」
「7日間…藤襲山…」
ー最終選抜試験の合格条件は、鬼の放たれたこの藤襲山において7日間生き残る事でございますー
急に鮮明に、咲き狂う藤棚が脳裏に蘇る。
数十人を超える試験に臨む義勇と変わらない少年達に、やや年上の者らがずらりと並ぶ。
腰には、師匠から渡された日輪刀が誰の腰にも下がっている。
正式な日輪刀ではないが、これでなければ鬼の頸は斬れない。
鳥居の先に、鬼がいる。
そう思うと、膝が震えてきた。
「体が固くなっているぞ、義勇」
傍らの落ち着き払った声に、義勇は我に帰る。
「鱗滝先生の教えを忘れなければ大丈夫だ」
「錆兎…」
宍色の長髪の少年錆兎の落ち着いた様子は、義勇の不安と緊張を幾分か払ってくれた。
元水柱、鱗滝の下で水の呼吸を学んだ同期。
同い年なのに、錆兎の方が年上に感じられる。
「今からそんな調子で大丈夫?」
ひょこりと、12歳ぐらいの少女が義勇の顔を覗き込むように見上げてきた。
「真菰…」
「三人で先生の所に帰るんだから、絶対生き残らなきゃ」
真菰。
この少女も義勇の同期だ。
小柄だがその体型を活かした軽快な身のこなしがある。
「真菰。義勇に余計な圧力をかけるな」
真菰は錆兎に、たしなめられる。
「はぁい」
「二人とも、怖くないのか?あの先には戦った事もない鬼がいるんだぞ」
「確かに鬼との実戦はこの最終選抜が初めてだが」
錆兎、真菰共に恐れは感じられなかった。
「俺達は鱗滝先生から、全集中の呼吸法を会得しただろう。常に鬼と渡り合える状態を引き出せる呼吸法を」
身体能力を飛躍的に上昇させる呼吸法『全集中』これを行う事で、鬼との身体能力の差を埋める事ができる。
「そして、素早い決断を下すことを。決断の遅れは死だ」
「怖いって事は、義勇の中に迷いがある証拠よ」
真菰の先輩風に、義勇はムッとした。
「錆兎に言われるならまだしも、真菰に言われたくない」
「何よ、始まってもないうちから怖がってるくせに」
「……真菰……」
「二人とも、止めろ」
喧嘩になりそうな二人に、錆兎が静かに一喝する。
「義勇のせいで怒られたじゃない」
「人のせいにするな」
「……お前ら……選抜試験が終わったら覚えていろ」
一瞬、錆兎の声色が凄んだ。
それだけで二人は押し黙る。
錆兎は黙したまま、手にしていた包みをほどいた。
「先生からの厄除けの面だ」
花をあしらったものを真菰に、水の波紋が描かれたのを義勇に渡す。
「三人で、必ず先生の家へ帰るぞ」
錆兎は、自分の頬にに着いた傷と同じものが刻まれた面を顔左側に着けた。
「義勇、俺達は水だ」
唐突に言われて、呆気にとられた。
「先生が言っていたろ。形を変える変幻自在の水の如くなれと」
錆兎の眼差しが義勇を映す。
「藤襲山に入ったら、状況は幾通りも想定しろ。常に己を認識し、自分を見失うな」
義勇は、錆兎は凄いと素直に思った。
錆兎の声を聞いていると、冷静になってくる。
「あたしは、藤襲山に入ったら別行動するよ」
「真菰、何言って!」
義勇が血相を変えた。
「試験の内容は、7日間生き残ることであってどう行動するかはこっちの自由でしょ?」
「それはそうだが……」
助け船を求めて錆兎を見る。
「あたしは絶対鬼殺隊士になるの。守られることを前提にここへ来てないわ」
「それが真菰の覚悟か」
錆兎は真菰をまっすぐ見る。
真菰も錆兎を見返した。
「錆兎の事だもの、あたしを義勇に守らせようとしたでしょ?」
「……」
瞳に若干の怒りが滲んでいた。
「図星ね」
「すまなかった……」
「錆兎が優しいのは良い所だけど、それってあたしを信用してないって事じゃない」
「真菰、錆兎が言いたいのはそういう事じゃないと思う」
義勇が諌める。
「共闘や連携を組んでも良い筈だ。山の中ではどう行動しても良いのだから」
「義勇も分かってない!」
真菰が顔を赤くして怒る。
「あたしは自分の能力をあたしがよくわかってる……錆兎や義勇の方がずっとずっと上だって事も」
連携も共闘も戦闘能力が均衡していなくては、意味がない。
真菰は身軽さが長所だが、非力。
陽動で動き回るにしても、いずれ二人に置いて行かれる。
「この7日間で、力が非力でもやりきれることを証明したいの……」
これから向かう先は腕試しする現場でも、そんな状況でもない。
しかし。
「そうだな……真菰も鱗滝先生の最後のお題を突破したものな」
「錆兎!」
義勇、真菰は異口同音の声を上げた。
真菰は嬉しそうに、義勇は戸惑いの顔をした。
選抜試験へ臨む為の、鱗滝が出す最後のお題は、大岩を斬ること。
呼吸法と剣技、体裁きが一つとなってはじめて突破できる。
真菰はこれを成し遂げている。
「7日間後、ここで会おうな」
「うん!」
錆兎に、嬉しそうに真菰は頷いた。
「危なくなったら無理をするな。逃げる事も寛容だ……」
「義勇に言われなくてもわかってます!」
みなまで義勇に言わせず、真菰は息巻いた。
そして、選抜試験は始まった。
藤襲山の中は異様な静けさに満ちていた。
真菰はすぐに姿が見えなくなり、義勇は錆兎と二人きりで山の中を進んでいた。
どこから襲われるか分からない。
稽古とは違う異様な感覚に晒され、落ち着いていた筈の義勇の息は乱れがちになる。
一方の錆兎は全く息を乱していなかった。
「死にたくないぃぃっ!」
破砕音に加え、悲痛な悲鳴が聞こえた。
「向こうだ!行くぞ、義勇!」
「あ、ああ」
体を強張らせた義勇とは裏腹に、錆兎は流れる動きで走り出していた。
錆兎と共に飛び込んだそこには、数人の候補者とそして。
三匹の鬼。
人間とは明らかに異なる異様な気配。
何より、吐き気がするほど生臭い。
(これが、鬼……!)
「またご馳走が増えたなあ」
嬉しそうに鬼が嗤う。
「こんだけいれば、俺ら平等に喰えるな」
「ふん、間違えんなよ!今日は餌が多いから分けてやるだけだからな!」
義勇の視界には、鬼の怪力で破壊された樹木と抉れた地面が映る。
そして、鬼の攻撃で傷ついた候補者達。
「義勇、彼らを助けるぞ!」
「わ、わかっている!」
落ち着いた錆兎とは違い、声が上ずるのが義勇は悔しかった。
鬼との実戦の空気に飲まれそうになっていた。
すううう……
水の呼吸、参の型。
二人は全く同じ型を選択していた。
「流流舞い!」
錆兎の剣は、力強い水流のように。
義勇の剣は、緩やかな流れから力強い水流へ変化するように。
同じ型でも、その剣筋は全く違った。
それでも、三匹の鬼は一瞬で頸を斬られていた。
(き、斬れた……)
義勇は腕の震えが止まらなかった。
一方、錆兎は全くいつも通りに剣を鞘に納めていた。
「義勇、型の選択流石だ」
出方の分からない初見の敵に対して、回避にも攻撃にも転用が利く技の選択に錆兎が称賛する。
「錆兎の剣筋には劣るよ…」
そう言って鞘に剣を納める。
「謙遜するな」
錆兎は笑って、候補者達の側に寄る。
「大丈夫か?」
「ありがとう…おかげで助かった…俺は村田だ」
「俺は佐藤」
「金田」
「田中だ」
全員、傷だらけではあるが命に別状はなさそうだった。
「俺は錆兎。彼は」
「……富岡義勇だ」
錆兎に促され義勇は名乗る。
「お、お前ら速いな……全然見えなかった」
村田が傷だらけの腕を錆兎に止血されながら、称賛する。
「そうか?」
錆兎は何でもないように言っているが、村田達の目では二つの同じ型のそれでいて、異なる水流が鮮やかに迸り、村田達を守るように円を描いて鬼の頸を斬っているとしかみえない。
そして、彼らが見たのは錆兎と義勇の背中のみ。
いつ、自分達の前に回り込んだのか見えなかった。
(速いのは、錆兎の方だ)
義勇は他の者の止血をしながら、その会話を聞いていた。
義勇が鬼の頸を一つ斬るうちに、錆兎は二つ斬っているのだ。
(俺は、遅い……)
力強く速い錆兎の剣筋と違い、義勇の剣筋は出だしが緩やかでそこから速度が上がる。
(太刀筋から、違いすぎる……)
「あんた達、水の呼吸か。村田も水の呼吸だけど、段違いだな」
「悪かったな、段違いで……」
金田の言い方に、村田が傷つく。
「俺達、力合わせて7日間生き延びようって話してたけど、こんなんじゃ無理だ」
佐藤が泣き出した。
(こいつら、よく育手の許しが出たな……)
義勇は1日目からしての体たらくを目の当たりにして、内心呆れた。
自分も場の空気に飲まれかけたとはいえ、戦えたというのに。
「泣くな。生き残ることを考えろ」
「錆兎」
まさかと義勇に嫌な予感が走る。
「無理なら無理に動かなくていい。鬼は任せろ」
「なっ!何を言っている錆兎!それじゃ選抜の意味がないだろう!」
義勇の声が荒くなる。
「戦って死ぬのが目的じゃない。この選抜は生き残ることだろう」
「しかし……それで生き残ってその後はどうするんだ!」
「生き残った分鍛練を積み重ね、己の未熟さを叩き直せばいい」
声を荒らげる義勇に、錆兎は冷静に返す。
「自分たちの未熟さを恥じるなら生き残って1から鍛え直す。そんなやり方があっていいだろう」
器の違いをも見せつけられた。
未熟なまま選抜に挑み、死ぬと諦めるより恥をかいても生き延びて鍛え直せ。
錆兎はそう言っているのだ。
「そんな事を言っていたら、この山にいる全員の面倒を見る事になるんだぞ……」
「俺は、無責任な事は言わない」
迷いの無い凛とした声だった。
「やるつもりなのか……何人いると思っている……」
自然と声が低くなる。
二人の不穏な空気に、村田達がおろおろし出す。
「……わかった。俺も手伝う」
義勇は息を深く吐き言った。
「だから、1人でやろうとするな」
「義勇……」
その時、あの生臭さが義勇の鼻を突いた。
(鬼の気配!)
体は反応していた。
迎撃の雫石波紋突きを繰り出そうとした。
ほんの寸暇の間。
義勇の左側頭部を衝撃が襲った。
破砕音を立てて狐の面が砕け散り、鮮血が散った。
「義勇!」
錆兎が叫ぶ。
義勇の体は地面に叩きつけられた。
「……う」
衝撃に朦朧となる。
錆兎が、義勇を襲った鬼を打ち潮で斬るのが霞む視界に朧気に見えた。
(俺が遅いからだ……あれでも遅いんだ…)
初日から負傷してしまった……。
「義勇!分かるか!」
錆兎が傍らにしゃがみ、余裕なく問う。
義勇はどうにか、頷いた。
錆兎はそれを見て安堵すると、
「………君たち、義勇を頼む」
言って、錆兎は立ち上がる。
「さ……びとっ!」
朦朧とする意識の中、義勇は必死に起き上がろうとした。
「皆、義勇も、恥をかいても生き延びてくれ。俺も生き延びる。必ず」
一人は無理だ!
義勇は必死に叫ぼうとした。
「さび……と。行くなら俺もい……く」
必死に錆兎の脚絆を掴んだ。
「真菰と合流するから心配するな」
見下ろす錆兎は困ったように笑っていた。
手を離したくなかった。
しかし、無情にもどこからか助けを求める悲鳴が上がる。
「7日後に会おうな」
「……っ!」
脚絆の手を離された。
背中が遠ざかって行く…。
「錆兎!嫌だ!俺も行く!俺も……っ!」
「動くな富岡!頭やられてるんだぞ!」
村田が、暴れる義勇を羽交い締めする。
「あの人は強い!絶対死なない!だから、俺達は生き残らなきゃいけない!頼むから大人しくしてくれよ!」
村田が泣いていた。その悔し泣きが義勇を止めた。
「村田……」
「俺達が絶対お前を守るから、あの人に会わせるから。だから……」
皆、泣いていた。
ー恥をかいても生き延びろー
錆兎の言葉が、義勇の頭に反響する。
「錆兎……」
義勇の意識はやがて暗闇に飲まれて行った。
「錆兎は!!錆兎は無事なのか!?」
記憶がはっきりしたとたん、穏やかでいられなくなった。
信じられない勢いで跳ね起き、村田にすがりついた。
「富岡っ……あの人は……錆兎はっ」
村田の横にいた少年ー金田ーもぼろぼろ泣き出した。
「死んだって……鬼を全部1人で引き受けて戦い続けて……」
「そんな……」
そして、更に知る。
真菰も死んだ事を。
かなりやばい鬼に殺されたらしいと。
二人とも無残にも体を引き裂かれて……。
錆兎と真菰の死亡以外に死者はなく、殆どが合格したと。
「うわあああああっ!」
義勇は絶叫し、泣き叫んだ。
すっかり錯乱し、暴れ出しだ。
医者が駆けつけて鎮静剤を打ち眠るまで……。
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