2章 善逸と森の剣士
隊服を着て、日輪刀をベルトに差し羽織に袖を通す。
「なんだか、すごく久しぶりに着た気がする」
羽織と揃いの脚絆を脛に固定し、草鞋[わらじ]
を履く。
「君は本当に大したものだよ。僅か数日で動けるようになるんだから。君の育手はすごい人なんだりろうね」
「……うん、今の俺があるのはその人のおかげなんだ」
誉められたけど、善逸は調子に乗れなかった。
「善逸?」
「とってもすごい人に修行してもらったのに……俺1つの技しか覚えられなかったんだ」
拾われたのが14歳の時。
1年の修行期間中、雷の呼吸の型は1つしか覚えられなかった。
「でも、じいちゃんは……俺が1つできたら誉めてくれた」
その時の喜び方ははっきり覚えている。
痛いくらい背中をばしばし叩かれた。
すごく歓喜した音だった。
「じいちゃん?」
「俺の育手。師範て呼べって、いつも怒られてたけど俺、じいちゃんて呼んでたんだ」
善逸の愛情の現れ。家族を欲する渇望の現れ。
「そのうち、じいちゃんて呼んでも怒られなくなって」
だから期待に応えたくて、残りの型も必死に修行した。
でも、どんなに頑張ってもできなかった。
悔しくて泣いていたら。
『それで良い。お前はそれで良いんだ。1つの技が出来れば万々歳だ』
「って言ってくれたんだ。」
何故、誰にも話してこなかった事を隼人には話しているのか。
『1つの事を極め抜け。打たれて打たれて強くなる鋼のような剣士になれ』
「何事にも負けない、鋼の刃を心に持て……じいちゃんが俺に言ってくれたんだ」
泣いても良い、逃げても良い、ただ諦めるなと。
「俺、弱くて全然駄目なままだけど、いつかじいちゃんに恩返ししたいんだ」
尊敬と深い思慕を隠すことなく、善逸は話す。
「いつなれるかわからないけど、じいちゃんみたいな、鳴柱になりたいんだ」
「……その鳴柱とは誰だ?」
「桑島滋悟朗。元鳴柱だよ」
隼人の目が大きく見開いた。
まさかと思った。
善逸が口にしたあの言葉はいつも、隼人の友が桑島が口癖のように言っていたものだった。
ー森の呼吸か。風の呼吸から派生したお前だけの呼吸だな!ー
桑島は、風の呼吸を会得できなかった隼人を嗤わなかった。
ー森の呼吸を恥じるな。お前に合った呼吸をお前が見つけた。自分を誇れー
桑島は言った。
自分に合った呼吸を見つけたならそれを極み抜けと。
隼人が作り出した型は3つのみ。
周りからは馬鹿にされたが、桑島は違った。
ー森の呼吸には型が3つもあるのか!一度手合わせしてもらいたいものだなー
3つしかない、ではなく3つもと言った。
ー頑張って、3つだぞ……情けないー
ー何を言っているのか。全くの無から3つだぞ?今ある呼吸法の技も、鬼との戦いで先人達が築き上げてきた。
後世の我々はそれを繋ぎ昇華させてきたのだ。技が3つしかないと言って恥じるなー
技の数が多ければ良いわけでもないと滋悟朗は言った。
ー技の質、精度がお粗末ではいくら数があろうが鬼は狩れん。徹底的に極め抜け。そして、打たれて打たれて強くなる鋼のような剣士になれー
その言葉に後押しを受け、技の精度を上げる事に打ち込んだ。
滋悟朗は呼吸は違うが、心の師だった。
目の前の少年が、まさか滋悟朗の弟子だったとは…。
何の因果か、何の縁か……。
善逸の話を聞くからに滋悟朗はもう老体。
年月が過ぎて行くのは当然の理。
しかし、隼人は時を拒絶した。
ー俺は桑島が例える鋼のような剣士にはなれなかったー
鬼の走狗になり、長い時を鬼に加担してきた。
滋悟朗が育ててきた弟子もこの森で、果てる。
あともう少しなのだ。
鬼が十二鬼月に列せば終わるのだ。
隼人を先頭に、善逸は歩いていた。
やっぱり、森に音はない。
霧が立ち込め、静まりかえっている。
(あれ?)
善逸の耳が音を聴いた。
隼人の音ではない。
この音は……。
「ねえ、隼人さん」
「どうしたんだい?善逸」
怪訝な顔をして隼人が立ち止まる。
「嫌な音が聴こえるんだ」
「音だって?音なんて何もしないよ?」
隼人の顔が強張る。
善逸が、西の方を見ていたからだ。
「そっちは何もないよ。気のせいじゃないのかい」
「いや、確かに聴こえるんだ」
霧も濃い。
何かを隠すように。
森に音がしない分、その音は善逸に届く。
何かが、眠っている。
眠っているけれど、この音は…。
選抜最終試験で聴いた、任務で聴いた…。
分かると手の先が足の先が急に冷たくなった。
胸の奥が重くなっていく…。
「何も……そっちには何もない」
隼人の声が震えた。
激しい軋み。
隼人を壊す痛みの元は…。
そして、隼人はそこへ行って欲しくない。
善逸の体が震えた。
「待ってよ、隼人さん!」
隼人の殺気が強くなっていた。
それを守るという意思。
「訳を話してよ!事情があるんだろ!?」
炭治郎と初めて一緒に仕事をした時を思い出す。
背中にいつも背負っている箱から鬼の音が聴こえていた。
鬼を連れていることは分かっていたが、炭治郎が話してくれるのを待っていた。
隼人も炭治郎と同じ状況なのではないのか?
痛みの元を断つと一度は決めた。
でも、それは状況しだいだ。
「話してどうなる?」
「隼人、さん…」
「鬼狩りは鬼を斬るのが本分だろう……」
隼人の左足が僅かに下がる。
「隼人さん!」
自分が触発してしまった。
善逸は後悔した。
「君にごまかしは、通用しない……この先の気配に気がついているのだからな」
弟がいるとは聞いていた。
だけど、鬼になっていたなんて。
『家族を鬼に殺され、生き残ったのは弟だけ』
善逸は、隼人の言葉を思い出す。
鬼殺隊を辞めたのは、虚しさからと隼人を言っていた。
真実だろう。
(でも、それだけじゃなかったんだ)
羽織の袖の下で拳を握りしめた。
「隼人さん、聞いてよ!俺の仲間にいるんだ、貴方と同じ状況の隊士が!」
柄に手をかけようとした隼人の動きが止まる。
「家族は殺されて、生き残った妹は鬼になってしまった……妹を人間に戻す方法を探す為に、鬼殺隊に入って戦ってるんだ」
「……」
「仲間の……炭治郎の妹は誰も傷つけてないよ。誰も食べてない!一緒に戦ってくれてるんだ!」
隼人は反応しない。
「そんな話聞いたこともない。鬼となった者が、人を喰わず共に戦うだと?!」
「嘘じゃない!!」
善逸は必死に叫んだ。
鬼になったら最後理性を失い、人を喰う。
会話だって不可能だ。
そんな事は善逸だって知っている。
任務で見てきた。
だけど、炭治郎の妹祢豆子は違った。
人を傷つけないように、竹のくつわを噛まされているけど、こっちの言葉に反応するし理解している。
鬼を連れているだけで『お館様』の前に炭治郎もろとも突き出され、酷い目にあったと後日聞かされた時は憤慨した。
だけど、炭治郎の師範鱗滝と兄弟子富岡義勇の命懸けの連名書で祢豆子は兄と行動を許されている。
誰だって杓子定規で物事を捉えてしまう。
物事は単純に受け止められはしないのも現実だ……。
「俺の仲間に会って話してみてよ。炭治郎なら力になってくれるよ」
「……鬼は即始末される……話して理解されようもないだろう」
虚ろな眼差しが善逸を射る。
「お前の師も弟を斬ろうとした!!」
隼人は嚇怒の声を上げた。
善逸は何も言えなかった。
衝撃に愕然として。
今、隼人は何と言った?
(じいちゃんが、隼人さんの弟を斬ろうとした?それって昔の事……じゃあ隼人さんは……)
「だから俺は、弟を守る為に剣を向けた!」
鞘走る音を立てて、隼人の剣が緑色の刃を煌めかせる。
(……あぁ、だから隼人さんから…変な音が聴こえていたんだ…)
善逸の目頭が熱くなった。
「鬼から人間に戻す方法を探しているだと?はは…俺でさえ何十年と見つけられていないのに、鬼を狩りながらだと?」
嘲笑を隼人は浮かべた。
「お前は始末する……早く始末するするべきだった。沢でお前を見つけたあの時に!!」
善逸の視界が滲んだ。
「お前のその羽織のせいか、桑島を……捨てた筈の感情が脳裏によぎる……そのせいでどうにかなってしまいそうだ!!」
隼人の限界の絶叫だった。
心がせめぎあっている。
本当はいけないと分かっていても、弟を守りたいという切望。
隼人は、一縷の希望にすがっている。
それがどこかで間違いだと気づきながらも。
(誰かが騙しているんだ。隼人さんの心に突け込んだんだ)
それは、隼人から聴こえてくる『音』だ。
額から感じる。
鬼の音だ。
隼人を騙し、額に己の一部を埋め込んだ…。
だから、隼人は老化せずに生き続けてきた。
(すがりたいよね…違うんじゃないかって思っても、望みを見せられたら信じちゃうよね)
爪が食い込む程握りしめた拳が震える。
善逸に家族はいない。
失ったり、失いかけた経験はない。
ただ、家族を追い求めた。
沢山女の人に騙されても、家族が欲しかった。
だから信じた。騙されていると分かっていても…。
でも、善逸の声では、
(悔しいよ…炭治郎。君の言葉じゃなきゃ、隼人さんに届かないよ)
響かないのだ。
(君は今何処にいる?)
隼人の音が刺さる。
体を引き裂かれそうな痛み。
「何を泣いている。俺への憐れみか?同情か!」
「違う!!」
善逸は泣いていた。
「あんたの音が痛いんだ!なのに、俺にはどうすることもできない!」
悔しかった。
どうすることもできない自分が悔しかった。
隊服の胸元を強く握りしめた。
「ここが、全身が、引き裂かれそうな程だよ!!だけど!」
苦しかった。
(炭治郎、何処にいる?君は…)
善逸の声では届かない…伝わらない。
当事者の声でなければ、駄目なのだ。
「俺じゃ駄目なんだ!」
隼人が鬼殺隊を志したのは、きっと家族の為。
家族を鬼に奪われ、生き残った弟は鬼になってしまった。
この人の心は、耐えられなかったのだろう。
鬼の嘘にすがらねばならない程に。
(この人を騙したクソ外道は何処だ!?許さねえ!!)
泣きながらも激しい怒りが、善逸の体を灼く。
霧に覆われる森が揺れた。
「なんだか、すごく久しぶりに着た気がする」
羽織と揃いの脚絆を脛に固定し、草鞋[わらじ]
を履く。
「君は本当に大したものだよ。僅か数日で動けるようになるんだから。君の育手はすごい人なんだりろうね」
「……うん、今の俺があるのはその人のおかげなんだ」
誉められたけど、善逸は調子に乗れなかった。
「善逸?」
「とってもすごい人に修行してもらったのに……俺1つの技しか覚えられなかったんだ」
拾われたのが14歳の時。
1年の修行期間中、雷の呼吸の型は1つしか覚えられなかった。
「でも、じいちゃんは……俺が1つできたら誉めてくれた」
その時の喜び方ははっきり覚えている。
痛いくらい背中をばしばし叩かれた。
すごく歓喜した音だった。
「じいちゃん?」
「俺の育手。師範て呼べって、いつも怒られてたけど俺、じいちゃんて呼んでたんだ」
善逸の愛情の現れ。家族を欲する渇望の現れ。
「そのうち、じいちゃんて呼んでも怒られなくなって」
だから期待に応えたくて、残りの型も必死に修行した。
でも、どんなに頑張ってもできなかった。
悔しくて泣いていたら。
『それで良い。お前はそれで良いんだ。1つの技が出来れば万々歳だ』
「って言ってくれたんだ。」
何故、誰にも話してこなかった事を隼人には話しているのか。
『1つの事を極め抜け。打たれて打たれて強くなる鋼のような剣士になれ』
「何事にも負けない、鋼の刃を心に持て……じいちゃんが俺に言ってくれたんだ」
泣いても良い、逃げても良い、ただ諦めるなと。
「俺、弱くて全然駄目なままだけど、いつかじいちゃんに恩返ししたいんだ」
尊敬と深い思慕を隠すことなく、善逸は話す。
「いつなれるかわからないけど、じいちゃんみたいな、鳴柱になりたいんだ」
「……その鳴柱とは誰だ?」
「桑島滋悟朗。元鳴柱だよ」
隼人の目が大きく見開いた。
まさかと思った。
善逸が口にしたあの言葉はいつも、隼人の友が桑島が口癖のように言っていたものだった。
ー森の呼吸か。風の呼吸から派生したお前だけの呼吸だな!ー
桑島は、風の呼吸を会得できなかった隼人を嗤わなかった。
ー森の呼吸を恥じるな。お前に合った呼吸をお前が見つけた。自分を誇れー
桑島は言った。
自分に合った呼吸を見つけたならそれを極み抜けと。
隼人が作り出した型は3つのみ。
周りからは馬鹿にされたが、桑島は違った。
ー森の呼吸には型が3つもあるのか!一度手合わせしてもらいたいものだなー
3つしかない、ではなく3つもと言った。
ー頑張って、3つだぞ……情けないー
ー何を言っているのか。全くの無から3つだぞ?今ある呼吸法の技も、鬼との戦いで先人達が築き上げてきた。
後世の我々はそれを繋ぎ昇華させてきたのだ。技が3つしかないと言って恥じるなー
技の数が多ければ良いわけでもないと滋悟朗は言った。
ー技の質、精度がお粗末ではいくら数があろうが鬼は狩れん。徹底的に極め抜け。そして、打たれて打たれて強くなる鋼のような剣士になれー
その言葉に後押しを受け、技の精度を上げる事に打ち込んだ。
滋悟朗は呼吸は違うが、心の師だった。
目の前の少年が、まさか滋悟朗の弟子だったとは…。
何の因果か、何の縁か……。
善逸の話を聞くからに滋悟朗はもう老体。
年月が過ぎて行くのは当然の理。
しかし、隼人は時を拒絶した。
ー俺は桑島が例える鋼のような剣士にはなれなかったー
鬼の走狗になり、長い時を鬼に加担してきた。
滋悟朗が育ててきた弟子もこの森で、果てる。
あともう少しなのだ。
鬼が十二鬼月に列せば終わるのだ。
隼人を先頭に、善逸は歩いていた。
やっぱり、森に音はない。
霧が立ち込め、静まりかえっている。
(あれ?)
善逸の耳が音を聴いた。
隼人の音ではない。
この音は……。
「ねえ、隼人さん」
「どうしたんだい?善逸」
怪訝な顔をして隼人が立ち止まる。
「嫌な音が聴こえるんだ」
「音だって?音なんて何もしないよ?」
隼人の顔が強張る。
善逸が、西の方を見ていたからだ。
「そっちは何もないよ。気のせいじゃないのかい」
「いや、確かに聴こえるんだ」
霧も濃い。
何かを隠すように。
森に音がしない分、その音は善逸に届く。
何かが、眠っている。
眠っているけれど、この音は…。
選抜最終試験で聴いた、任務で聴いた…。
分かると手の先が足の先が急に冷たくなった。
胸の奥が重くなっていく…。
「何も……そっちには何もない」
隼人の声が震えた。
激しい軋み。
隼人を壊す痛みの元は…。
そして、隼人はそこへ行って欲しくない。
善逸の体が震えた。
「待ってよ、隼人さん!」
隼人の殺気が強くなっていた。
それを守るという意思。
「訳を話してよ!事情があるんだろ!?」
炭治郎と初めて一緒に仕事をした時を思い出す。
背中にいつも背負っている箱から鬼の音が聴こえていた。
鬼を連れていることは分かっていたが、炭治郎が話してくれるのを待っていた。
隼人も炭治郎と同じ状況なのではないのか?
痛みの元を断つと一度は決めた。
でも、それは状況しだいだ。
「話してどうなる?」
「隼人、さん…」
「鬼狩りは鬼を斬るのが本分だろう……」
隼人の左足が僅かに下がる。
「隼人さん!」
自分が触発してしまった。
善逸は後悔した。
「君にごまかしは、通用しない……この先の気配に気がついているのだからな」
弟がいるとは聞いていた。
だけど、鬼になっていたなんて。
『家族を鬼に殺され、生き残ったのは弟だけ』
善逸は、隼人の言葉を思い出す。
鬼殺隊を辞めたのは、虚しさからと隼人を言っていた。
真実だろう。
(でも、それだけじゃなかったんだ)
羽織の袖の下で拳を握りしめた。
「隼人さん、聞いてよ!俺の仲間にいるんだ、貴方と同じ状況の隊士が!」
柄に手をかけようとした隼人の動きが止まる。
「家族は殺されて、生き残った妹は鬼になってしまった……妹を人間に戻す方法を探す為に、鬼殺隊に入って戦ってるんだ」
「……」
「仲間の……炭治郎の妹は誰も傷つけてないよ。誰も食べてない!一緒に戦ってくれてるんだ!」
隼人は反応しない。
「そんな話聞いたこともない。鬼となった者が、人を喰わず共に戦うだと?!」
「嘘じゃない!!」
善逸は必死に叫んだ。
鬼になったら最後理性を失い、人を喰う。
会話だって不可能だ。
そんな事は善逸だって知っている。
任務で見てきた。
だけど、炭治郎の妹祢豆子は違った。
人を傷つけないように、竹のくつわを噛まされているけど、こっちの言葉に反応するし理解している。
鬼を連れているだけで『お館様』の前に炭治郎もろとも突き出され、酷い目にあったと後日聞かされた時は憤慨した。
だけど、炭治郎の師範鱗滝と兄弟子富岡義勇の命懸けの連名書で祢豆子は兄と行動を許されている。
誰だって杓子定規で物事を捉えてしまう。
物事は単純に受け止められはしないのも現実だ……。
「俺の仲間に会って話してみてよ。炭治郎なら力になってくれるよ」
「……鬼は即始末される……話して理解されようもないだろう」
虚ろな眼差しが善逸を射る。
「お前の師も弟を斬ろうとした!!」
隼人は嚇怒の声を上げた。
善逸は何も言えなかった。
衝撃に愕然として。
今、隼人は何と言った?
(じいちゃんが、隼人さんの弟を斬ろうとした?それって昔の事……じゃあ隼人さんは……)
「だから俺は、弟を守る為に剣を向けた!」
鞘走る音を立てて、隼人の剣が緑色の刃を煌めかせる。
(……あぁ、だから隼人さんから…変な音が聴こえていたんだ…)
善逸の目頭が熱くなった。
「鬼から人間に戻す方法を探しているだと?はは…俺でさえ何十年と見つけられていないのに、鬼を狩りながらだと?」
嘲笑を隼人は浮かべた。
「お前は始末する……早く始末するするべきだった。沢でお前を見つけたあの時に!!」
善逸の視界が滲んだ。
「お前のその羽織のせいか、桑島を……捨てた筈の感情が脳裏によぎる……そのせいでどうにかなってしまいそうだ!!」
隼人の限界の絶叫だった。
心がせめぎあっている。
本当はいけないと分かっていても、弟を守りたいという切望。
隼人は、一縷の希望にすがっている。
それがどこかで間違いだと気づきながらも。
(誰かが騙しているんだ。隼人さんの心に突け込んだんだ)
それは、隼人から聴こえてくる『音』だ。
額から感じる。
鬼の音だ。
隼人を騙し、額に己の一部を埋め込んだ…。
だから、隼人は老化せずに生き続けてきた。
(すがりたいよね…違うんじゃないかって思っても、望みを見せられたら信じちゃうよね)
爪が食い込む程握りしめた拳が震える。
善逸に家族はいない。
失ったり、失いかけた経験はない。
ただ、家族を追い求めた。
沢山女の人に騙されても、家族が欲しかった。
だから信じた。騙されていると分かっていても…。
でも、善逸の声では、
(悔しいよ…炭治郎。君の言葉じゃなきゃ、隼人さんに届かないよ)
響かないのだ。
(君は今何処にいる?)
隼人の音が刺さる。
体を引き裂かれそうな痛み。
「何を泣いている。俺への憐れみか?同情か!」
「違う!!」
善逸は泣いていた。
「あんたの音が痛いんだ!なのに、俺にはどうすることもできない!」
悔しかった。
どうすることもできない自分が悔しかった。
隊服の胸元を強く握りしめた。
「ここが、全身が、引き裂かれそうな程だよ!!だけど!」
苦しかった。
(炭治郎、何処にいる?君は…)
善逸の声では届かない…伝わらない。
当事者の声でなければ、駄目なのだ。
「俺じゃ駄目なんだ!」
隼人が鬼殺隊を志したのは、きっと家族の為。
家族を鬼に奪われ、生き残った弟は鬼になってしまった。
この人の心は、耐えられなかったのだろう。
鬼の嘘にすがらねばならない程に。
(この人を騙したクソ外道は何処だ!?許さねえ!!)
泣きながらも激しい怒りが、善逸の体を灼く。
霧に覆われる森が揺れた。