成り代わり主の死に方
成り代わり夢主の元の名前
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▼もしも漆から零にならなかったら
この現実も朧げにある記憶も受け入れられない。嵐で親も家も失い、周囲の人間達が俺のことをカイガクと呼ぶ。酷く耳障りだ。ふと泥水に反射した自分の顔を見て違和感を覚える。これは、誰だ?違う、俺じゃない。息苦しさを感じて首に巻きつけられた紐をなんとか解き、黄色の勾玉ごと地面へ叩きつけてとにかく否定した。自分は、そうだ。カイガクじゃなくて、ナナオなんだと。乱暴に扱った勾玉は罅割れさえせず、泥塗れでも鈍く光っていた。このまま捨て置くことに無性に悲しくなったのでまた紐と一緒に首に巻きつけた。
それから俺は何もないまま死ぬのが嫌で、人の目を盗み、開き直って一人で過ごしていた。盗みをしているから周囲からの評価なんて初めから地の底だ。期待されるわけもないから、期待もしない。失うものなんてないから、何をするのも怖くない。泥水啜るのは苦しいし、報復や悪戯で人から蹴られるのも殴られるのも、痛かったけど。時が経つにつれて善いも悪いもどうでも良くなってきた。俺はこの現実を悪夢か何かだと思い込むことで、自分の精神を守っていくようになっていった。目覚めればきっと朧げにある記憶の中の退屈で平和ないつも通りの日常に戻れると。散々痛い目にあってるというのにそんな夢を盲目的に信じ続けていた。
家のない俺は嵐が来ようと、建物の陰に隠れてやり過ごした。雨に濡れたのを放置していたら熱が出てふらふらだ。あぁ、いやだな寒い。違うなぁ熱いのか?わからない。でも、やっとこんなクソみたいな夢が、終わってくれるのか?
しかし世界は俺を見逃さないようで、目の前に一人の人間がやって来た。知らない人なのに、俺を抱えて泣いている。よくわからないのに全然怖くない、とんでもなく優しそうな人だと思った。だからこそ、優しさを受けるべき人は自分じゃないって思った。俺とアンタは無関係な赤の他人だろ、どうかほっといてくれよ。温かくて離れるのが嫌になる前に、俺の前から消えてくれよ。暴れようとしても上手くいかず、結局温もりに身を委ねていた。
その人は悲鳴嶼行冥と名乗り、俺をカイガクと呼び家がないならこの寺で共に暮らそうと俺に居場所を与えた。優しすぎるから俺以外にも拾われて子どもがそれなりにいて、誰も彼もが痩せていた。食い扶持が増えたら生活が困難になるのは目に見えてわかるだろうに。寺から出て行って以前の生活に戻ることは簡単なのに俺の身体は熱で重くて動けなくて。動けるようになっても、簡単な雑用を任されたり安定した食事と寝床があったりで、出て行こうという気持ちが一先ずは利用しておこうという気持ちにすり替わっていた。
俺は子ども達に馴染まずにいた。そりゃそうだ、俺が来る前から変わらずに自分のことしか考えてないからな。利用される方が馬鹿なんだって誰も彼もを見下していた。俺のこと何も知らずに拾ってきたあの人が悪いんだって思い続けた。勝手に家族扱いしやがって。俺の本当の家族は、いたんだ。もう顔も声も思い出せないけど、俺はアンタらとは違う。
ある日、子ども達と問題を起こすと悲鳴嶼さんは俺に関わって来た。失敗した、出て行く時を見誤った!くそ、勘弁してくれ。俺は一刻も早くここからいなくなりたいのに。カイガクじゃない俺は異物だって生まれた時から分かってる、だから俺に時間をかけたって無駄にしかならない!悲鳴嶼さんはどうしてそう思うのかを俺に真剣に問い質してくる。俺は…覚えてる限りの記憶を、根拠を話した。
「俺はカイガクじゃないんです。俺の名前はナナオで、家族も元気で。こんな風に飢えることなんてない平和な場所が俺のほんとの居場所なんです。だから、俺がここに居るのは間違いなんです。痛いこともあったけど、おかしいことばっかり起きるから夢なんです。だから悪いことしても善いことをしてもどっちも変わらなくて」
だから、あれでそれで。自分を正当化する拙い言葉ばかり出てくる。でも、喋れば喋る程言葉が矛盾していき、自分が何をしたいのかよくわからなくなっていた。話終わるとナナオと呼ばれて、痩せて骨ばった身体が俺を包み込む。
意味が分からない。辛かったなって、そう言ってきた。俺以外の心音と温もりがじわじわ伝わってくる。あぁ、辛いよ。ここは夢じゃない、みんな生きてるって認めたくないから。だからって、どうしたら。現実だなんて受け入れたくない、耐えられない。俺は弱いから立ち上がれない。怖いから真実に立ち向かえない。変われないから何もないままで、ずっとどこにも居場所なんてない。生きてたって仕方ない。
「それは違うだろう、ナナオ。君は生きることを諦めたくないから、私に出会う前からずっと生きようともがいていた筈だ」
この人はなんなんだ。どうして俺を救い上げようとするんだ。俺は特別でもなんでもないその辺で野垂れ死ぬ筈の餓鬼だぞ。それなのに、なんで見捨てないんだよ。
俺に死んで欲しくないからだと、見捨てないのは人は一人では生きていけないからだと悲鳴嶼さんは、俺を否定する。
「私も、君と同じで弱いんだ。だが、共に過ごす君達がいるだけで立ち上がる勇気が自然と湧いてくる。私は一人ではないと、君達を護りたいと。弱い自分を奮い立たせて、命を懸けてでも困難に立ち向かいたいとね」
「あ、アンタが俺と同じで弱いわけない」
「君や子ども達が側にいるからね。家族を護りたいという想いが、私を強くする」
「想いが人を強くするなんて、馬鹿げてるよ」
「それでも、少しずつでいい。すぐに切り捨てずに、私達のことを信じて欲しい」
俺は馬鹿にするような言葉をぶつけたのに、色んなことを否定された筈なのに、悲鳴嶼さんが変わらずに笑いかけてくることに安堵した。話をして精神に余裕ができたのか、自分以外のことを考えられるようになった。
悲鳴嶼さんは、少しずつ自分達のことを信じて欲しいと言ってきたが、信じるって何をすれば信じたことになるんだろう。似た言葉に信頼という言葉があるし、人を頼ったり人の頼みを聞けばいいのか?そんな考えから始めて自分なりにもがいてみたら、案外簡単に周囲は変わり出した。みんなは俺が変わったと言うが、全然よくわからない。最年少の沙代は最近俺についてくるようになったから、以前よりは近づきやすい雰囲気を出せるようになったんだろうか。妹のようでちょっと可愛く思えてきた。
寺では毎晩、藤の花の香炉を焚いている。悲鳴嶼さんと同じで落ち着くいい匂いだって悲鳴嶼さんに言ったら、嬉しそうに俺を撫でてくれた。身体がなんか、こう、何故かホワホワした。香炉は大事なものだと言う。夜は鬼が出るから、鬼の嫌いな匂いである藤の花の香りで近づけないようにしているらしい。たったそれだけで大丈夫なのか不安になるけど、悲鳴嶼さんならたとえ鬼が来てもなんとかしてくれるという謎の安心感があった。だからだろうか。朝の片付け中に香炉を少し乱暴に扱ってしまい、壊してしまった。こんなつもりじゃなかった、事故だ。咄嗟に隠そうとして指を切ってしまった。ピリッとした痛みを覚悟したのに何故か頭にガツンと雷が落ちたような衝撃を受けた。
なんでこんな、意味が分からない。
この頭痛は急に落ちてきた記憶のせいなのか?駄目だ、記憶も感情も処理ができない。とにかく今は香炉の破片を集めないと。多少手は切れたけど、隠しごとは駄目だ。悲鳴嶼さんにもう嘘は吐きたくない。逃げずに向き合いたいんだ。すれ違った子ども達に血塗れの手を見られたけど気にしない。
やっと見つけた悲鳴嶼さんの顔が俺を認識した途端歪む。怪我をしてるって、盲目なのになんでわかるんだよ。それより俺、香炉壊したんだよ、ほら。このままじゃ、今夜鬼が来てしまう!壊してごめんなさい、悲鳴嶼さん。俺が必死に伝えてるのに手の怪我ばかり気にするのがもどかしい。
「大丈夫ですよ。破片も血も床に落としてませんから、汚れてませんよ。それより悲鳴嶼さん、新しい香炉買いたいのでお金を貸して欲しいんです。あれだけあれば足りる筈ですから、お願いします。早くしないと、夜になって鬼が来てしまいます」
「ナナオ、落ち着きなさい。そんなにすぐには夜にならないからまずは怪我の手当てをさせてくれ、痛いだろう」
「俺なんかどうでも良いですよ、みんなのことの安全の方が大事ですから。お金はなるべく早く返しますから、どうか」
「分かった。でも、自分の事を蔑ろにするのはやめなさい。私にとって、君も大事な家族なんだ。傷ついた君を放っておけない」
この怪我はきっと壊した罰だから、放っておいていいのに。話が進まなそうだから手を差し出して治療を受ける。動けずにいるからさっき頭に落ちてきた記憶の整理をしよう。
頭痛の割に記憶の中身は中途半端だった。その記憶の中の俺は勝手に寺の金を持ち出し香炉を買ってから夜遅くまで金稼ぎに出て、帰り道で鬼に遭ってしまい寺に鬼を導いて…悲鳴を聞いてそこから先は思い出せない。いや、その時の感情に引っ張られそうで思い出したくないんだ。悲鳴嶼さんは怪我の処理が終わったのに曇ったままの俺の頭を撫でる。
「君一人で抱え込まなくて良いんだ。私に何か話したいことはないか」
俺の記憶に存在するだけの、確証もないことを話して良いのか?なんでもないっていうのは簡単だ。でも、何もせずに俺一人で勝手に決めつけていいのか?悲鳴嶼さんは信じて欲しいって前に言ってた。俺も、悲鳴嶼さんの大事な家族の一人で、みんなでこの場所で生きてるんだ。みんなのことを無視して、俺が勝手に動くのは良いことじゃなさそう…だと思えた。悲鳴嶼さんはじっと、穏やかなまま俺の答えを待っている。俺は腹を括って話すことにした。
話し合った結果、今日から明日のこの時間まで悲鳴嶼さんと二人で行動することになった。新しい香炉を買いに行って帰ったらすぐ睡眠をとり、夜寝ないで朝まで鬼が来ないか見張る。ひとまずそれだけだけど、ずっと悲鳴嶼さんがいてくれるなら、不安はない。俺を一番に護ってくれてるようで嬉しかった。俺だけを特別扱いしてるわけじゃない、この人にとって家族は等しく特別なんだ。そう言い聞かせて浮き立つ気持ちを抑えた。
買い物から帰ってくると子ども達からの軽い文句を受けた。悲鳴嶼さんは優しいから子ども人気が高い。夜通し見張りをすることがバレると子ども達が自分もすると騒ぎ出した。結局見張りは俺と悲鳴嶼さんだけじゃなく、他の子ども達もすることになった。夜更かしは今日だけの特例だ。香炉を破壊たことについては、金を勝手に持ち出した時より責められなかった。金が無くなったという結果は同じなのに不思議だった。
「え、だって。もう悲鳴嶼さんに謝ったんだろ。おまえはおれ達にも謝ってるし」
「もういいよ。責めたって壊れたものは元通りにならないし、お金だって減ったままじゃん」
「悲鳴嶼さんは許してくれたのよね?なら、わたし達も許すわ」
「あんたは怪我をしてたでしょ?もう痛くないの?」
「兄ちゃんだけこれから飯抜きになるの?」
「ねぇ、これから毎晩やるの?ナナオが悪いんだしナナオだけで良いんじゃない?」
「ナナオ、ちゃんと金返すんだぞ」
「おまえは危なっかしいんだから、オレ達をもっと頼れよ」
全員から好き放題言われた。俺はこいつらの名前もろくに覚えてないのに、俺のことをちゃんと見てたのか。申し訳なさと戸惑いで落ち着かない。今更こいつらも生きてるんだということを実感した。このまま明日も明後日も日常が続くと思ってるんだ。いやだな、失くしたくない。修正力とか強制力とか、運命とか役割とか知るか。悲鳴嶼さんと寺の子ども達みんなと一緒に俺はここで暮らして生きていきたい。この日常を誰にも壊させたりなんかしたくない。全員で朝を迎えることができるかどうか、まだわからないのに不思議と不安はない。みんなといるからだって悲鳴嶼さんは言うけど、俺はアンタが側にいるからだって思った。
夜通しの見張りは真夜中と早朝の半分に担当を振り分けてすることになった。子ども達は異変があったらすぐに悲鳴嶼さんに報告すること、どこでも二人以上での行動することが義務付けられた。俺と悲鳴嶼さんは朝まで起きていたが、香炉は倒れることなく平和な朝を迎えることができた。これで一難去った、次は俺が使い込んだ寺の金をどう稼ぐかだ。
しかし悲鳴嶼さんにもう大丈夫だと言われた瞬間、緊張の糸が切れて瞼が重くなる。この歳でもできる金稼ぎが浮かばないまま、眠る前に頭によぎったのは鬼殺隊だった。
この現実も朧げにある記憶も受け入れられない。嵐で親も家も失い、周囲の人間達が俺のことをカイガクと呼ぶ。酷く耳障りだ。ふと泥水に反射した自分の顔を見て違和感を覚える。これは、誰だ?違う、俺じゃない。息苦しさを感じて首に巻きつけられた紐をなんとか解き、黄色の勾玉ごと地面へ叩きつけてとにかく否定した。自分は、そうだ。カイガクじゃなくて、ナナオなんだと。乱暴に扱った勾玉は罅割れさえせず、泥塗れでも鈍く光っていた。このまま捨て置くことに無性に悲しくなったのでまた紐と一緒に首に巻きつけた。
それから俺は何もないまま死ぬのが嫌で、人の目を盗み、開き直って一人で過ごしていた。盗みをしているから周囲からの評価なんて初めから地の底だ。期待されるわけもないから、期待もしない。失うものなんてないから、何をするのも怖くない。泥水啜るのは苦しいし、報復や悪戯で人から蹴られるのも殴られるのも、痛かったけど。時が経つにつれて善いも悪いもどうでも良くなってきた。俺はこの現実を悪夢か何かだと思い込むことで、自分の精神を守っていくようになっていった。目覚めればきっと朧げにある記憶の中の退屈で平和ないつも通りの日常に戻れると。散々痛い目にあってるというのにそんな夢を盲目的に信じ続けていた。
家のない俺は嵐が来ようと、建物の陰に隠れてやり過ごした。雨に濡れたのを放置していたら熱が出てふらふらだ。あぁ、いやだな寒い。違うなぁ熱いのか?わからない。でも、やっとこんなクソみたいな夢が、終わってくれるのか?
しかし世界は俺を見逃さないようで、目の前に一人の人間がやって来た。知らない人なのに、俺を抱えて泣いている。よくわからないのに全然怖くない、とんでもなく優しそうな人だと思った。だからこそ、優しさを受けるべき人は自分じゃないって思った。俺とアンタは無関係な赤の他人だろ、どうかほっといてくれよ。温かくて離れるのが嫌になる前に、俺の前から消えてくれよ。暴れようとしても上手くいかず、結局温もりに身を委ねていた。
その人は悲鳴嶼行冥と名乗り、俺をカイガクと呼び家がないならこの寺で共に暮らそうと俺に居場所を与えた。優しすぎるから俺以外にも拾われて子どもがそれなりにいて、誰も彼もが痩せていた。食い扶持が増えたら生活が困難になるのは目に見えてわかるだろうに。寺から出て行って以前の生活に戻ることは簡単なのに俺の身体は熱で重くて動けなくて。動けるようになっても、簡単な雑用を任されたり安定した食事と寝床があったりで、出て行こうという気持ちが一先ずは利用しておこうという気持ちにすり替わっていた。
俺は子ども達に馴染まずにいた。そりゃそうだ、俺が来る前から変わらずに自分のことしか考えてないからな。利用される方が馬鹿なんだって誰も彼もを見下していた。俺のこと何も知らずに拾ってきたあの人が悪いんだって思い続けた。勝手に家族扱いしやがって。俺の本当の家族は、いたんだ。もう顔も声も思い出せないけど、俺はアンタらとは違う。
ある日、子ども達と問題を起こすと悲鳴嶼さんは俺に関わって来た。失敗した、出て行く時を見誤った!くそ、勘弁してくれ。俺は一刻も早くここからいなくなりたいのに。カイガクじゃない俺は異物だって生まれた時から分かってる、だから俺に時間をかけたって無駄にしかならない!悲鳴嶼さんはどうしてそう思うのかを俺に真剣に問い質してくる。俺は…覚えてる限りの記憶を、根拠を話した。
「俺はカイガクじゃないんです。俺の名前はナナオで、家族も元気で。こんな風に飢えることなんてない平和な場所が俺のほんとの居場所なんです。だから、俺がここに居るのは間違いなんです。痛いこともあったけど、おかしいことばっかり起きるから夢なんです。だから悪いことしても善いことをしてもどっちも変わらなくて」
だから、あれでそれで。自分を正当化する拙い言葉ばかり出てくる。でも、喋れば喋る程言葉が矛盾していき、自分が何をしたいのかよくわからなくなっていた。話終わるとナナオと呼ばれて、痩せて骨ばった身体が俺を包み込む。
意味が分からない。辛かったなって、そう言ってきた。俺以外の心音と温もりがじわじわ伝わってくる。あぁ、辛いよ。ここは夢じゃない、みんな生きてるって認めたくないから。だからって、どうしたら。現実だなんて受け入れたくない、耐えられない。俺は弱いから立ち上がれない。怖いから真実に立ち向かえない。変われないから何もないままで、ずっとどこにも居場所なんてない。生きてたって仕方ない。
「それは違うだろう、ナナオ。君は生きることを諦めたくないから、私に出会う前からずっと生きようともがいていた筈だ」
この人はなんなんだ。どうして俺を救い上げようとするんだ。俺は特別でもなんでもないその辺で野垂れ死ぬ筈の餓鬼だぞ。それなのに、なんで見捨てないんだよ。
俺に死んで欲しくないからだと、見捨てないのは人は一人では生きていけないからだと悲鳴嶼さんは、俺を否定する。
「私も、君と同じで弱いんだ。だが、共に過ごす君達がいるだけで立ち上がる勇気が自然と湧いてくる。私は一人ではないと、君達を護りたいと。弱い自分を奮い立たせて、命を懸けてでも困難に立ち向かいたいとね」
「あ、アンタが俺と同じで弱いわけない」
「君や子ども達が側にいるからね。家族を護りたいという想いが、私を強くする」
「想いが人を強くするなんて、馬鹿げてるよ」
「それでも、少しずつでいい。すぐに切り捨てずに、私達のことを信じて欲しい」
俺は馬鹿にするような言葉をぶつけたのに、色んなことを否定された筈なのに、悲鳴嶼さんが変わらずに笑いかけてくることに安堵した。話をして精神に余裕ができたのか、自分以外のことを考えられるようになった。
悲鳴嶼さんは、少しずつ自分達のことを信じて欲しいと言ってきたが、信じるって何をすれば信じたことになるんだろう。似た言葉に信頼という言葉があるし、人を頼ったり人の頼みを聞けばいいのか?そんな考えから始めて自分なりにもがいてみたら、案外簡単に周囲は変わり出した。みんなは俺が変わったと言うが、全然よくわからない。最年少の沙代は最近俺についてくるようになったから、以前よりは近づきやすい雰囲気を出せるようになったんだろうか。妹のようでちょっと可愛く思えてきた。
寺では毎晩、藤の花の香炉を焚いている。悲鳴嶼さんと同じで落ち着くいい匂いだって悲鳴嶼さんに言ったら、嬉しそうに俺を撫でてくれた。身体がなんか、こう、何故かホワホワした。香炉は大事なものだと言う。夜は鬼が出るから、鬼の嫌いな匂いである藤の花の香りで近づけないようにしているらしい。たったそれだけで大丈夫なのか不安になるけど、悲鳴嶼さんならたとえ鬼が来てもなんとかしてくれるという謎の安心感があった。だからだろうか。朝の片付け中に香炉を少し乱暴に扱ってしまい、壊してしまった。こんなつもりじゃなかった、事故だ。咄嗟に隠そうとして指を切ってしまった。ピリッとした痛みを覚悟したのに何故か頭にガツンと雷が落ちたような衝撃を受けた。
なんでこんな、意味が分からない。
この頭痛は急に落ちてきた記憶のせいなのか?駄目だ、記憶も感情も処理ができない。とにかく今は香炉の破片を集めないと。多少手は切れたけど、隠しごとは駄目だ。悲鳴嶼さんにもう嘘は吐きたくない。逃げずに向き合いたいんだ。すれ違った子ども達に血塗れの手を見られたけど気にしない。
やっと見つけた悲鳴嶼さんの顔が俺を認識した途端歪む。怪我をしてるって、盲目なのになんでわかるんだよ。それより俺、香炉壊したんだよ、ほら。このままじゃ、今夜鬼が来てしまう!壊してごめんなさい、悲鳴嶼さん。俺が必死に伝えてるのに手の怪我ばかり気にするのがもどかしい。
「大丈夫ですよ。破片も血も床に落としてませんから、汚れてませんよ。それより悲鳴嶼さん、新しい香炉買いたいのでお金を貸して欲しいんです。あれだけあれば足りる筈ですから、お願いします。早くしないと、夜になって鬼が来てしまいます」
「ナナオ、落ち着きなさい。そんなにすぐには夜にならないからまずは怪我の手当てをさせてくれ、痛いだろう」
「俺なんかどうでも良いですよ、みんなのことの安全の方が大事ですから。お金はなるべく早く返しますから、どうか」
「分かった。でも、自分の事を蔑ろにするのはやめなさい。私にとって、君も大事な家族なんだ。傷ついた君を放っておけない」
この怪我はきっと壊した罰だから、放っておいていいのに。話が進まなそうだから手を差し出して治療を受ける。動けずにいるからさっき頭に落ちてきた記憶の整理をしよう。
頭痛の割に記憶の中身は中途半端だった。その記憶の中の俺は勝手に寺の金を持ち出し香炉を買ってから夜遅くまで金稼ぎに出て、帰り道で鬼に遭ってしまい寺に鬼を導いて…悲鳴を聞いてそこから先は思い出せない。いや、その時の感情に引っ張られそうで思い出したくないんだ。悲鳴嶼さんは怪我の処理が終わったのに曇ったままの俺の頭を撫でる。
「君一人で抱え込まなくて良いんだ。私に何か話したいことはないか」
俺の記憶に存在するだけの、確証もないことを話して良いのか?なんでもないっていうのは簡単だ。でも、何もせずに俺一人で勝手に決めつけていいのか?悲鳴嶼さんは信じて欲しいって前に言ってた。俺も、悲鳴嶼さんの大事な家族の一人で、みんなでこの場所で生きてるんだ。みんなのことを無視して、俺が勝手に動くのは良いことじゃなさそう…だと思えた。悲鳴嶼さんはじっと、穏やかなまま俺の答えを待っている。俺は腹を括って話すことにした。
話し合った結果、今日から明日のこの時間まで悲鳴嶼さんと二人で行動することになった。新しい香炉を買いに行って帰ったらすぐ睡眠をとり、夜寝ないで朝まで鬼が来ないか見張る。ひとまずそれだけだけど、ずっと悲鳴嶼さんがいてくれるなら、不安はない。俺を一番に護ってくれてるようで嬉しかった。俺だけを特別扱いしてるわけじゃない、この人にとって家族は等しく特別なんだ。そう言い聞かせて浮き立つ気持ちを抑えた。
買い物から帰ってくると子ども達からの軽い文句を受けた。悲鳴嶼さんは優しいから子ども人気が高い。夜通し見張りをすることがバレると子ども達が自分もすると騒ぎ出した。結局見張りは俺と悲鳴嶼さんだけじゃなく、他の子ども達もすることになった。夜更かしは今日だけの特例だ。香炉を破壊たことについては、金を勝手に持ち出した時より責められなかった。金が無くなったという結果は同じなのに不思議だった。
「え、だって。もう悲鳴嶼さんに謝ったんだろ。おまえはおれ達にも謝ってるし」
「もういいよ。責めたって壊れたものは元通りにならないし、お金だって減ったままじゃん」
「悲鳴嶼さんは許してくれたのよね?なら、わたし達も許すわ」
「あんたは怪我をしてたでしょ?もう痛くないの?」
「兄ちゃんだけこれから飯抜きになるの?」
「ねぇ、これから毎晩やるの?ナナオが悪いんだしナナオだけで良いんじゃない?」
「ナナオ、ちゃんと金返すんだぞ」
「おまえは危なっかしいんだから、オレ達をもっと頼れよ」
全員から好き放題言われた。俺はこいつらの名前もろくに覚えてないのに、俺のことをちゃんと見てたのか。申し訳なさと戸惑いで落ち着かない。今更こいつらも生きてるんだということを実感した。このまま明日も明後日も日常が続くと思ってるんだ。いやだな、失くしたくない。修正力とか強制力とか、運命とか役割とか知るか。悲鳴嶼さんと寺の子ども達みんなと一緒に俺はここで暮らして生きていきたい。この日常を誰にも壊させたりなんかしたくない。全員で朝を迎えることができるかどうか、まだわからないのに不思議と不安はない。みんなといるからだって悲鳴嶼さんは言うけど、俺はアンタが側にいるからだって思った。
夜通しの見張りは真夜中と早朝の半分に担当を振り分けてすることになった。子ども達は異変があったらすぐに悲鳴嶼さんに報告すること、どこでも二人以上での行動することが義務付けられた。俺と悲鳴嶼さんは朝まで起きていたが、香炉は倒れることなく平和な朝を迎えることができた。これで一難去った、次は俺が使い込んだ寺の金をどう稼ぐかだ。
しかし悲鳴嶼さんにもう大丈夫だと言われた瞬間、緊張の糸が切れて瞼が重くなる。この歳でもできる金稼ぎが浮かばないまま、眠る前に頭によぎったのは鬼殺隊だった。