彼の秘密
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「………わー、すごいね。」
リラは呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。大自然のなすこの光景に、人間の小ささを知る。
数分前までからりと乾き、ひび割れていた地面はその面影を完全になくしている。土に浸透するよりも早く雨が降り注ぐため、ぬかるんだそれへと成り下がった。吸収しきれなかった雨が川になって排水溝へと流れゆく。
雷鳴が鳴り響き、あまりの轟音に耳がキーンと悲鳴をあげている。はっきりと見える稲妻は大自然への恐怖を駆り立てる。
俗に言う、ゲリラ豪雨である。
バディの散歩のため外に出ていたリラはふと雨粒を感じて足を止めた。空を見上げればいつの間にか灰色の雲が広がっている。
「あ、降ってきたよバディ。本格的に降り出す前に帰ろっかー」
そんなことをバディに告げて、再び歩き始めて5歩。そこはもうどしゃ降りの雨だった。
傘をささなくてもいいレベルから、傘をさしても濡れるレベルまですっ飛ばしたのだ。あまりにも突然で、リラは近くにあった東屋に駆け込むので精一杯だった。ベンチが向かい合わせに置かれただけのその場所は小雨程度の雨宿りなら丁度いいが、このどしゃ降りの雨には心許なかった。
まだ17時だというのに辺りは真夜中のように暗くなり、頼りない街灯と荒々しい稲妻の光が世界を照らす。
公園で遊んでいた子どもや本を読んでいたサラリーマンも消え、見渡す限りリラとバディだけだ。皆この突然の雨を予測していたのだろうか。第六感のように雨雲の接近や発生がわかったりするのだろうか。そんなくだらないことが頭を巡るほど、彼女は驚いていた。
「ずっと真っ赤だ、、、」
雨雲レーダーで予報を見れば、次から次へと新しい雨雲がやってくるおかげで、1時間経っても現在地は真っ赤だった。むしろそれ以上の雨を示す紫色だ。
1時間経てば必ず止むとわかっているならこのまま待っていたかもしれない。だが、未来のことは誰にもわからない。どんなに過去のデータを元に予想を立てても、どんな優れた人間でも、1秒先の未来に何が起こるか完璧に予測出来る人間は存在しない。それが1時間後なら尚更である。
つまり、何が言いたいのかというと。ーーーーーー今こそ、覚悟を決める時だ。
リラは「どうするの〜?」と言いたげに己を見上げてくるバディの顔を両手で包むと、深く息を吐いてから言った。
「バディ、ずぶ濡れ覚悟で家までダッシュしよっか」
現在地から自宅まで徒歩10分ほど。走れば5分もかからないだろう。だがこのシャワーのように降り注ぐ雨の中、いつもと同じペースで走れるかどうか。
リラは意外と大胆な選択をするときがある。
いつ雨が止むかずっと気にして待っているよりも、ずぶ濡れになりながら帰ってすぐにシャワーを浴びた方がいい。彼女はそう考えたのだ。
「……よしっ」
覚悟を決めたリラが濡れないようにスマホをボディバッグに入れたとき、誰かからの着信があった。表示されたのは最近一番連絡を取っている二軒隣の友人の名前。
「もしもし、昴さん? どうしたんですか、急に。」」
『こんばんは、リラさん。ちょうどバディ君の散歩中に雨に降られて困っているのでは、と思いまして。』
「すごい、まさにその通りです……あはは、いつ止むかわからないので、今からダッシュで帰ろうと思ってたところです〜!」
リラは笑いながら言った。自分の力ではどうしようもできないことを突きつけられると、段々と面白くなってくるのだ。大雨の中全力疾走するのも楽しそう、なんて気持ちになる。一種の現実逃避だ。
『? この雨の中を、ですか?』
「えぇ、もちろん。まさか降られると思ってなかったので傘もなくて……いつ止むかもわからないのでいっそのこと走ろうかな、と。」
『迎えに行きますよ』
「いやいやいや!! 悪いので大丈夫です!!」
『元々お電話したのはそのためですし。実はもう家を出ていまして。』
「えぇ?!」
言われてみれば車の屋根に重たい雨粒が当たる音が電話越しに聞こえる。既に家を出ているというなら、このまま帰らせるのは逆に申し訳ない。
リラは沖矢には見えるはずないのに眉と頭を下げた。
「……すいません、じゃあお願いしてもいいですか?」
『もちろんです。今どちらに?』
「三丁目の公園です。幸い道路に近い東屋にいますので……」
『わかりました、すぐに向かいますね。』
その言葉の通り、沖矢は数分で現れた。
助手席に乗り込んだリラは改めて礼を言った。
「本当に助かりました。ありがとうございます」
「いえ、お気になさらず。この雨の中、公園で雨宿りしているのは流石に危険ですから。」
「今度何かお礼をさせてください」
「……いつも料理を教えてもらっているので気にしないでください、と言いたいところですが、ひとつだけいいですか?」
「もちろんです!!」
「……晩酌に付き合っていただけないかと。」
料理中や食事中に雑談している2人は互いの趣味や好きなことを一通り知っている。故に沖矢はリラが酒好きなことも知っている。互いに1人で晩酌しているなら一緒にどうですか、と言っているのだ。立派なお誘いである。
「いいですね!! 私も1人で飲んでるので相手が欲しかったんです! ……あ、でも私も嬉しいからお礼になるのかな、」
「クックックッ……ではつまみを作っていただくということでどうでしょう?」
「いいですよ! 昴さんミステリーお好きなんですよね? 映画鑑賞もどうでしょうか?」
「ではおすすめの探しておきますね。」
彼女の頭の中はどんなつまみを作るかでいっぱいだった。友人と遊ぶのは久方ぶりのことで、浮き足立っている自分がいることに彼女も気付いていた。
もっとも、理由はそれだけではない気もするが。
* * *
日を改めたある夜のこと。
沖矢は約束の5分前にリラの家を訪れた。手には彼おすすめのスコッチ。その銘柄を飲んだことがないというリラのために持ってきたのだ。最近はバーボン一筋だった沖矢だが、たまにはスコッチもいいな、なんて思いながらリカーショップで購入した。
「いらっしゃ〜い! お待ちしていました〜!」
「お邪魔します」
満面の笑みで出迎えたリラに案内されたリビングのテーブルの上には既にいくつかの料理が並び、どれも輝いて見える。
沖矢は持ってきた酒瓶をテーブルの上に置くと腕まくりをした。
「手伝いますよ」
「あ、じゃあこれお願いします」
渡されたのはメインのアヒージョ。大きなエビとイカがゴロゴロ入っており、オリーブオイルとガーリックの香りが食欲を引き立てる。沖矢がごくりと唾を飲み込んだのも自然なことだ。
トーストしたバケットに、ロックアイスの入ったグラスが揃えば、晩酌の始まりである。
軽くグラスをぶつけて乾杯をする。互いに唇を湿らせる程度に酒を含み、その芳醇な香りに酔いしれる。そしてメインのアヒージョをバケットにのせて食べれば、至福の時間が待っていた。
「美味しいですね。」
「相性抜群じゃないですか?」
「私も思いました。お互い良いチョイスでしたね」
打ち合わせを一切していなかったにも関わらず相性の良い酒と料理の組み合わせになったのは、2人の嗜好が似ているからだろうか。
いつものお料理教室と同じように他愛のない話をしては料理に舌鼓を打つ。互いに酔いが少し回り料理も空になったとき、沖矢は借りてきたDVDをテーブルに並べた。
「どれにしますか? どれも私のおすすめで、面白いですよ」
「私ミステリー初心者といいますか、あまりにも複雑だと置いていかれるのでちゃんと筋が通ったものがいいです。」
「あぁ、わかりますよ。」
トリックを理解して初めてミステリーは面白くなるのだ。あまりにも高度なトリックや難解な謎はたとえ種明かしされても意味がわからなければ、その映画の印象は「何だかよくわからないけど面白かった」という曖昧なものになる。
全て一本の線に繋がったあの瞬間の快感こそ、ミステリーの醍醐味といえよう。
「じゃあこれにしましょうか」
リラの返事を聞いてすぐにとっておきの1本を選んだ沖矢は、DVDをセットするとリラの隣に座った。テーブルから飲みかけの酒とつまみを持ってくることも忘れない。
舞台は19世紀のロンドン。生まれで人生が決まると言っても過言ではない階級社会に人々が苦しむ中、ある貴族の男は貧民を苦しめる貴族を殺し、犯罪によって貧民を救い、階級社会をぶち壊すために動き出す。
男は貧民殺しを快楽とする貴族階級の男をターゲットにした。ならず者に金を渡し、貴族の男を煽り、彼がならず者を殺すよう仕向ける。それを偶然見かける振りをして共に死体の偽装を図る。しかしそれすらも全て男の手の上で転がされているに過ぎない。
やがて貴族階級の男は彼の行動を全て読み切った男の書いたシナリオ通りに行動し、自滅していく。その男の死後、領地から大量の人骨が発見され、人々が貴族に疑問を抱き始める。
たった110分とは思えないほど濃い内容。しかしわかりやすく組み立てられたストーリーはリラを虜にした。
「え、すっっっごい面白かったです!! なんかもう、あそことあそこが繋がって、あれが伏線だったんだ、とか考え出したらキリがなくてっ!!」
「わかりますよ、その気持ち。散りばめられた伏線が繋がったとき、背筋に何かが走るんです」
「そうなんですっ!!!」
初めてのミステリーでここまでの名作に出会えたリラは運が良い。
それからというもの、定期的に映画鑑賞会が開かれるようになったのはまた別の話だ。
(憂国のモリアーティを題材にしています。超面白いのでぜひ。)