彼の秘密
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土曜日の18時の篠宮家。
各自エプロンをつけ、手をしっかり洗ってからリラは開会宣言をした。
「今日はチキンのトマト煮を作りたいと思います!」
「……難しそうですね、」
「いやいや! 簡単ですよ!」
作業台にズラッと並んだ材料を見て眉を下げたのは、工藤邸に居候する沖矢昴。
有希子に頼まれてからというもの、リラはかなりの頻度で個別お料理教室を開催していた。なぜなら放っておくとものすごい食生活をするのだ、彼は。研究で忙しいのかもしれないが、もう少し自分の身体を大事にして欲しいものである。
気を取り直して、昨日買っておいた鶏もも肉をパックから取り出し、沖矢にカットしてもらう。
お料理教室の時は基本的に作業を沖矢にやらせている。量が多かったり難しい工程ならばリラも手を出すが、ある程度沖矢にやらせなければ彼のためにならない。
「いつも包丁で切っているんですか?」
「…? えぇ、もちろん。」
それ以外に何がある、という顔で返された。鶏もも肉に関しては包丁より切れるものがあるのだ。
リラはとっておきの物を取り出して掲げた。気分は便利道具をポケットから取り出すネコ型ロボットだ。
「キッチンバサミ〜!」
「……ハサミ、ですか」
「そうです。鶏もも肉はこっちの方がサクサク切れます!」
「……ホォーー」
包丁を置いた沖矢にキッチンバサミを渡す。半信半疑といった様子で鶏もも肉を挟み、力を入れた。
サクッ
「!!!!」
「ぷっ…あっはははは!!」
切った瞬間に目を見開いて驚く沖矢に、リラは腹を抱えて笑った。そんな子どもみたいな反応しなくてもいいではないか。
確かに、リラも料理始めたばかりの頃は包丁で切れないものはないと思っていた。包丁一本あれば大丈夫という謎の自信。それが見事に裏切られた瞬間だった。
サクッ…サクッ…
テンポ良く気持ちよさそうに切っていく沖矢に、「指切ったらざっくりいくので気を付けてくさいね」と注意する。包丁で切りにくい鶏もも肉が紙のように切れるのだ。人間の皮膚なんて、あってないようなもの。
「……もう終わりか」
「終わりです。そんなしょんぼりしないでくださいよ〜」
今回はトマト煮のため一口サイズより少し大きめに切った。あっという間に切り終わった鶏もも肉を残念そうに見つめる沖矢が可愛く見える。
塩胡椒を振って下味をつけ、小麦粉をはたく。しめじは根本を切り落として少しほぐし、玉ねぎとにんじんは薄切りに。ニンニクを微塵切りにしたら、オリーブオイルでニンニクを炒めて、そこに鶏もも肉を投入。ニンニクの良い香りが広がった。
「煮込む…」
神妙な顔をしてフライパンを見つめる沖矢に、リラは本気で焦った。煮込み料理なのに煮込み以外の工程があるじゃないか、と言いたいのだ、きっと。
「いや、ちょっと待ってください昴さん!! これくらいの焼きは許してください!!」
「……えぇ、そうですね。カレーやシチューも煮込む前に炒めますからね。」
「そうです!! 純粋な煮込みだけだとレパートリーが増えないですよー?」
「それは困ります。」
「でしょう??」
初めは非常に不本意な顔をしていたが、なんとか納得させてこの場をおさめることに成功した。
そんなことしている間に焼き色がついてきた肉をひっくり返して、玉ねぎとにんじん、しめじを入れて炒める。
そしてトマト缶や調味料を色々入れて、弱火で蓋をして10分煮込んだら出来上がりだ。
「じゃあ煮込んでいる間に、サイドメニューを作りましょう!」
「わかりました」
「ブロッコリーは小さく分けて、水をくぐらせた後ラップしてチンします。」
わざわざお湯を沸かして茹でるなんて面倒なことはしない。レンジで代用出来るならその方が時短になる。
「ツナ缶の水気を切って……あ、こうすると楽ですよ」
沖矢がどうやって水気を切ろうか悩んでいることを察したリラは横から援護した。開けた缶詰の蓋で押さえながら傾けると、ツナが外に出ずに水気が切れる。
「なるほど。」
「経験あるのみです!」
こんなことをいちいち教えていたらキリがない。そういうのは失敗して覚えていくものだ。
ミニトマトは半分にして、リーフレタスをちぎる。それらをレンチンしたブロッコリーと混ぜて、次はドレッシングに取り掛かる。
コンソメとマヨネーズ、粒マスタード、レモン汁を混ぜ、上からかければ完成。
「ドレッシングも意外と簡単ですね」
「そうなんです! 市販のものに飽きた時は自分で作ってみるといいですよ!」
「市販のものに飽きるほどサラダを食べないんですが…」
「それは、、、身体のために食べてください。レタスを常備しておいて、それを腐らせないように気を付けると、必然的に野菜の量が増えますよ」
「なるほど、勉強になります。……料理は学ぶことが多いですね。実際、こうやってリラさんに教わるようになってから毎日二食は自炊するようになりましたし。」
「ふふっ、気付いていますよ。だって左手の人差し指の付け根、マメ出来ていますし。」
リラが指摘すると、沖矢は自分の手を確かめた後ギュッと手を握った。見られて恥ずかしいという感情が一応この男にも備わっているらしい。
マメが出来るのは、今まで包丁を持っていなかった人が頻繁に持つようになった証。彼女がこうやって料理を教えているときだけではここまでならない。
初心者に予習させるのは困難だが、その分沖矢は復習する優等生なのだ。時折二人のトークルームで「これ作りました」という文章とともに写真が送られてくる。
「さ、じゃあもう煮込みも充分だと思いますし、食べましょうか!」
「はい」
皿に盛り付けて、ダイニングテーブルに向かい合わせで並べる。トマト煮と赤とサラダの緑の対比が美しい。
リラはチキンのトマト煮を食べる時、必ずと言っていいほど赤ワインを開ける。もちろん今日も例外ではなく、彼女は冷やしておいたボトルを沖矢に見せた。沖矢は目を瞬かせるとニヤリと笑って戸棚からワイングラスを出した。
トクトクと音を立てて注がれる赤。
「「乾杯」」
軽くグラスをあててから赤ワインを口に含んで舌の上で転がす。芳醇な香りを充分に堪能してから鶏肉を口に入れた。
「っ!? ……柔らかいですね」
「ね! 美味しいです」
「シチューよりも柔らかい気がします。」
「それはですね、小麦粉をまぶしたからです。」
「小麦粉? あれだけですか?」
そう。小麦粉をまぶすだけで仕上がりに大きな差が出るのだ。
「小麦粉をまぶすことで表面はパリッと、中はふっくらジューシーになるんです。原理はちょっとわからないですけど…」
「ふむ、小麦粉ですか……」
「あとは、片栗粉をつけると味がよく絡みます。とろみもつくので、ちゃんとお肉にも味をつけたいときは片栗粉、パリッとさせたい時は小麦粉、と使い分けるといいですよ」
「なるほど、勉強になります」
今にもメモをとりそうな勢いで沖矢が頷いた。
沖矢はリラに料理を教わるようになってから、非常に満たされていた。
今日のように知識を増やしていく度に料理の世界の奥深さを知り、次は何を作ろうかという気持ちになるのだ。FBI捜査官として身を粉にして働いていた時は考えたこともなかった。食事とはただ生きるために必要なエネルギーを補給するためのもので、そこに喜びや楽しみはない。
何より、基本的になんでも卒なくこなす赤井にとって、思い通りにいかない料理は非常に面白かった。難しいからこそ面白いのだ。簡単なゲームをクリアしても面白みがないように、何度も失敗して試行錯誤を繰り返し、その結果納得いくものが出来上がるから面白いのだ。
この日、FBIきっての切れ者で狙撃の名手である赤井秀一に、料理という趣味が加わった。