誰かの秘密
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
その日は朝から雨だった。
日課のお散歩も行けず、外を見ては耳を下げるバディのために、リラは午後になってから車を出してドッグランに行った。
まさに体力無尽蔵のバディと文字通り転げ回り、全力で遊ぶ。リラが休憩している間もバディは他の犬と追いかけっこをしたりと、休憩なしのぶっ続けである。
案の定、後部座席で爆睡しているバディをバックミラーで確認してリラはクスッと笑った。あれだけ走り回っていれば帰り道はこうなると思っていた。
工藤邸の前あたりで、リラは阿笠邸の前に誰かがいることに気が付いた。大きな黒い傘をさし、大雨の中白衣を纏った小太りの人物。家主である阿笠その人だ。
阿笠は道端にしゃがみ込み、何かが雨に濡れないように傘を差し出していた。おかげで彼の白衣が濡れてしまっている。
「阿笠さん、どうしたんですか? 背中濡れていますよ」
「リラ君! ちょうどよかった!!」
声をかけたリラに気付いた阿笠が立ち上がったとき、今までその身体で見えていなかったものがリラの目にも見えた。
身体に見合わない大きな服を着た、赤みがかった茶髪の女の子だった。
「えぇ?! どうしたんですかその子!!!」
「わしも今見つけたんじゃ! とりあえずわしの家で保護する。女の子じゃし、色々手伝ってくれんかのぅ」
「もちろんです!! 車停めてすぐに向かいます!!」
いつから雨に当たっていたのかわからないが、彼女は全身ずぶ濡れ。いくら小さいとはいえ、中年の男である阿笠が世話をするのは彼自身抵抗があるのだろう。リラが偶然通りかかったのは彼にとって僥倖だったと言える。
阿笠もリラも気付いている。
身体に見合わない大きな服。つい先日見た光景と酷似している。そこから導き出せる答えはただ一つ。
( きっとこの子も、新一くんと同じだ )
リラは帰宅すると慌ただしく準備を始めた。
彼女の小さい頃の服は日本に移住するときに全て処分してしまったため、ここにはない。ひとつ残らず処分したことを後悔しても後の祭りだ。なので代替案として、しっかりと採寸してデザインしたにも関わらず小さくて着られなかった服を引っ張り出してきた。手当たり次第バッグに詰め込み、隣の家に飛び込んだ。
「リラ君、すまんのぅ…。」
「いえいえ。大丈夫ですよ。」
白衣を脱がせるまではよかったものの、そこからどうしていいかわからず困っていた阿笠に代わって、小さな身体を持ち上げて脱衣所に向かう。阿笠にホットタオルを用意してもらうよう頼み、リラは少女に向き直った。
今少女が身に纏っているのは臙脂色のノースリーブワンピース。今はミモレ丈になっているところを見ると、元々は膝上丈だったのだろう。そして泥まみれになった白衣。そのポケットに入っていた、表面を火で炙って文字が消されたIDカード。
いくら表面を焼いて見えないようにしても、リラには関係ない。
彼女を保護するべきか、それとも警察に突き出すべきか。それを判断するのに、これほど正確な材料はない。
人は嘘をつく。だが物は嘘をつくことが出来ない。ただありのままの事実を視せてくれる。
「ごめんね」
リラは勝手に視ることを謝ってから、白衣に触れた。
剥き出しのコンクリート。通気口しかない牢屋のような場所。壁に手錠で繋がれた赤みがかった茶髪の女性。
その女性がポケットから取り出した何かの薬を飲んだ途端、身体が縮んでいく。見覚えのある少女となった彼女は、決死の思いで通気口を外し、その中に飛び込んだ。
這いつくばるように進み、ようやく見えた出口から身体を出す。そうして研究所のような大きな建物から逃げ、追手を気にしながら裸足で雨の中を走り続け、阿笠邸の前で力尽きるように倒れ込む。
ここ数時間の記憶だけを視る限り、やはり少女も新一と同じである。異なるところがあるとすれば、少女は自分から薬を飲んだことだ。身体を縮めることで通気口から逃げたかったのか、それとも死にたかったのか。
そして彼女も何かしらの形で例の組織に関わっていたのだろう。新一の身体を縮めた薬を作った、あの組織に。
いずれにせよ、この少女は自分の意思で逃げてきた。リラにとってはそれだけで十分だった。
「リラ君、ホットタオルじゃ!」
「ありがとうございます、阿笠さん」
脱衣所を扉をそっと開けて、手だけ見せた阿笠からホットタオルをもらう。
服を脱がせてからタオルで汚れを落としていく。足には細かい傷がいくつもあり、中には血が滲んでいるものもあった。丁寧に泥を落とし、雨に濡れた身体を綺麗にしていく。
冷え切っていた身体がだんだん熱くなっていくのを感じて、急いで服を着せた。
雨に打たれたせいか、身体が縮んだせいか、ストレスか。原因は定かではないが、辛そうに荒い息を吐く少女をゲストルームに寝かせた。
それから、リラは米花ショッピングモールにやってきた。
閉店まであと1時間もないがまだ賑わっており、彼女はその間をすり抜けて子ども服専門店でシンプルなトップスとボトムス、下着を購入する。元々高校生くらいだということを考えて、キャラクターものや目立つ色は避けた。
隣接しているスーパーでゼリーや果物、冷却シートなども購入して急いで帰路に着く。
阿笠邸に戻った時、少女の様子は出る前と変わらなかった。この時、リラは泊まり込みで看病することを決めた。目が覚めた時に知らない中年のおじさんがいるより、若い女がいる方がまだマシだろう。
「私今日泊まり込みで看病しますね。多分これからどんどん熱が上がると思いますし。」
「わしは助かるが…」
「大丈夫ですよ。その代わりと言ってはあれですが、バディを連れてきてもいいですか?」
「もちろんじゃ!! バディ君は賢い子じゃからのう、イタズラもせんし。」
「ありがとうございます。では一度帰ってシャワー浴びてから戻ってきますね。」
今後の方針は決まった。リラは自宅に戻ってさっとシャワーを浴びる。今日はドッグランで走り回ったこともあり、疲れを取るためにゆっくり湯に浸かりたい気持ちが強かったが、それに蓋をした。
バディにご飯をあげ、彼女自身はあるもので適当にすませる。そしてバディとともに阿笠邸を訪れた。
あの少女はやはりまだ眠っており、時折魘されているようで何かを呟いていた。
傷だらけの足の裏を消毒し、血が滲むものだけ軟膏を塗ってから絆創膏を貼っておく。足だけではなく手にもついた傷も全て消毒して軟膏を塗り、寒くないようにしっかりと布団の中にしまい込んだ。
「結構高いね……」
小さな額に手を当てればその差がはっきりとわかるほど熱い。ぬるくなっていた冷却シートを新しいものに交換し、頭の下にアイス枕を入れた。
あとは数時間おきに様子を見るくらい出来ることはない。本当は薬を飲ませたいところだが、本人の意識がないため誤嚥する可能性もある。これだけあれこれやっても起きないのだ。相当深い眠りについている。
かといって病院で点滴を受けさせることも出来ない。見たところ保険証もない。あったとしても身体が縮んでしまった今、どうやっても誤魔化すことができない。また、保険証を使用したことで組織の人間に足取りが知られることを一番恐れていた。
もうリラに出来ることはない。近くの椅子に座ってホッと息を吐いた。ふと、ハンガーにかけられた白衣が目に入った。
阿笠が洗濯したのだろう。泥は落とされ本来の白さを取り戻したそれはしっとりと濡れており、柔軟剤の香りがした。
それに意思を持って触れる。今は少しでも少女に繋がる情報が欲しかった。
剥き出しのコンクリート。窓のない閉鎖的な部屋。棚には瓶に入った様々な薬品が並び、机には何かの比率が書かれたメモが散らばる。
プラケースに入ったマウス。それに注射器で薬剤を投与し、反応を見る。
扉の開く音がして振り返れば、長い銀髪を靡かせカラスのような黒い服を纏った男とサングラスをかけたガタイのいい男。
「よぉシェリー。久しぶりだな」
「……こんなところに何の用、ジン。」
「研究の成果が上がってねェようだが、まさか遊んでんじゃねェだろうな。」
銀髪の男は瞳孔を見開いて嗤う。
「ジン、話したいことがあるんだけど。」
「……チッ、ベルモットか。今行く。」
ウェーブのかかった金髪。目尻が吊り上がった碧眼。真っ赤なルージュに彩られた唇が弧を描く。
「ーーーッッ!!!」
肺がヒュッという音を立てて酸素を吸った。心臓がドクドクと脈打ち、全身の血管に血液を送っているのを感じる。
( 今、私は何を視たのだろうか。 )
昔から知っている顔があった。
ベルモットと呼ばれていた。
米花町付近を根城にする犯罪組織の幹部と思われる男と酒の名前で呼び合う、見知った顔。
クリス・ヴィンヤード。リラの母の友人であるシャロン・ヴィンヤードの実の娘で、リラとは1年程前まで面識がなかった。ーーーーーーシャロンの葬儀で会うまでは。
彼女自身ハリウッド女優として活躍している世界的な有名人。そんな人物が犯罪組織に属していることだけでもビックニュースなのに、幹部だとは夢にも思わなかった。誰も予想していないだろう。
( なんで。どうして。一体何の目的で? )
そんな疑問ばかりが頭の中を支配する。
金のためではないだろう。クリスにはシャロンの莫大な遺産が相続されたわけだし、彼女自身売れっ子女優だ。腐るほどあるだろう。では一体何のために犯罪組織に属しているのかリラにはまるで見当がつかなかった。
「……おねぇ…、ちゃん……」
その時、小さな声がリラを思考の海から浮上させた。
汗をかき、うわ言のように何度も姉を呼ぶ姿は見た目通りの年齢に見えた。
「大丈夫よ。ここは安全だから。今はおやすみ。」
聞こえてはいないと思いつつ、何度か優しく声をかけていればまた穏やかな寝息に戻った。
この少女はあの組織の一員。しかもコードネームで呼ばれていたところをみるに、幹部だった。何がきっかけかはまだ全てを視れていないためわからないが、何かがあって組織から逃げてきた。
高校生くらいの、女の子が。
少女が今までどんな生き方をしてきたのかわからない。だが、状況を打破するためにハイリスクの薬を飲み、身体を縮めてまで脱出し雨の中走り回ってここまでやってきた。それを大人のリラたちが保護しないで、一体誰が保護するというのか。
リラは彼女の頭をもう一度撫でてから部屋を出た。