彼の秘密
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週に何度も料理を教えているため、必然的に夕食を共にすることも多い。料理に関すること以外の話題も多く、最近は夕方のバディのお散歩にも一緒に行くようになった。
沖矢は真面目で、一度教えたことは忘れない。だから初めの頃に比べると教えるのも随分と楽になった。本人の希望で煮込み料理ばかり教えているが、そろそろ煮込み料理以外を教えてもいいかもしれない。
さて。困ったことに。
毎日のように会って話すということ自体、その人のことが嫌いではないから出来ることで。料理を教えるなんてもっての外。つまりは、何が言いたいのかというと。
好きになりそう。
リラはベッドの上で頭を抱えた。
沖矢昴という人間は、優しく真面目で、それでいて好奇心旺盛で少しだけ子どもっぽいところがある。ただ普段は大人の男そのもの。イケメンで背も高く、身体つきも実に良い。
マイナス要素がひとつもない。あるとすれば学生のため収入が少ないことくらいだろうか。だが金に全く困っていないリラからすれば、マイナスでも何でもない。
考えれば考えるほど好きになってしまう。有希子はなんて人を紹介してくれたんだ、と責任転嫁する。
「っあ〜〜!!!」
リラはベッドの上でゴロゴロとのたうち回った。バディの「何してるの…?」と言いたげな視線が痛い。だがこうでもしないと現実を受け入れられないのだ。
好きになりそうなのは事実。
だが完全に堕ちたわけではないこともまた事実。一応這い上がることができる位置にいる。
何か決定的なこと、例えばモラハラ気質があるとか、ストーカーでしたとか、そういうことを知ってドン引きしてもまだ傷は浅い………はずだ。
これ以上進めば辛くなる。戻るなら今のうちだ。
( よし、工藤家の記憶を視させてもらおう )
その結論に至るまで、そう時間はかからなかった。
* * *
料理教室は工藤邸で開催されることもあれば、リラの家で開催されることもある。最近はリラの家が多いが、今日はあえて工藤邸で開催した。
厳正な話し合いの結果、今日から煮込み料理以外に挑戦することになった。まずは簡単なカレイのムニエルだ。
カレイの水気をキッチンペーパーで軽く拭き取り、塩胡椒で下味をつけたリラは、復習問題とばかりにクイズを出した。
「さて問題です。ムニエルには小麦粉と片栗粉、どちらをまぶすでしょうか!」
「……小麦粉ですね。」
「だいせいかーい!!」
優秀な生徒を持つと先生は幸せだ。リラは小麦粉をまぶす沖矢を見てそう思った。
「あとはバターで両面焼きます」
「わかりました。」
「ただ、これ一品だと物足りないので、スープを作ります。ムニエルにはピーマンとパプリカを使うので、それ以外の野菜でポトフを作ります。」
そう伝えると、沖矢は特に指示をせずとも具材を取り出して皮を剥き、切り始めた。その手つきは随分と慣れたもので、リラは生徒の成長を感じて嬉しくなった。
リラは沖矢が手洗いのために席を立った時、テーブルに触れた。普段は記憶を拒否しているため何も脳内に入ってこないが、今は視ようとしているため記憶が視える。
ダイニングのソファに足を組んで座る人影。リビングの明かりは消えていて、キッチンから漏れ出る光が床に影を映し出す。
ロックグラスに入ったウイスキーを傾けながらパソコンの画面を見ている。カランと氷が良い音を立てた。
男らしく浮き出た喉仏を上下させてウイスキーの飲み込む。少しだけ口角を上げて笑った顔がパソコンの光で見えた。
「………誰?」
思わずテーブルを見ながら呟いた。テーブルに問いかけたところで答えが返ってくるはずないとわかっていても、そうせざるを得なかった。
沖矢ではなかった。それは確かだ。
暗すぎて顔の一部しか見えなかったが、目にパソコンの画面が反射していた。
それに髪も撫で付けられていた気がするのだ。目元には少しだけ前髪がかかっており、その時点で沖矢と髪型が異なる。
一体誰だ。
リラは立ち上がってダイニングテーブルに向かった。視えた人物はこのテーブルに座っていたため、テーブルの記憶を視れば、その人物が誰かわかる。つくづく便利な能力である。
リラは頭のどこかで鳴り響く警鐘を無視してそれに触れた。
「……ーーーッッ!!」
息を呑んだ。思わず足が一歩後ろに下がる。視たくない現実を、他でもない自分の意思で視てしまった。
視えたのは、杯戸中央病院で偶然再会してしまったFBIの男がここに座って酒を飲んでいる姿。Shuichiと呼ばれていた男だ。
( なんでFBIがこんなところに? というか、昴さんは? もしかして昴さんが彼なの?? )
頭の中に次々と疑問が浮かんでは消えていく。
「いや、待って……もしかしたら二人で住んでるのかもしれない」
一縷の望みをかけて、リビングの壁に触れた。その瞬間に膨大な量の記憶が頭に入り込んできたため顔を顰めたが、やめるという選択肢はなかった。決定的な瞬間を見つけるために必死だった。
そして視てしまった。
沖矢の顔を剥ぎ取って、下からあのFBI捜査官の顔が出てきたのを。
心臓がドクドクと脈打っているのを感じる。息をしているのに酸素が足りていない。ただただその場に立ち尽くす。
一体なぜそんなことをしているのかはわからない。だが、別人に成りすます必要がある人に関わって良いことなどあるはずがない。
様々な疑問と同時に、リラは自分が好きになりかけていた人がとんでもない人であることを知った。
彼が自分を疑っていることくらいずっと前から気付いていた。だからもう二度と会わないことを願い、杯戸中央病院で再会した後も警戒していたのだ。それがまさか別人に成って接近してくるだなんて、誰が想像しただろうか。
( 私のことを探るために、私に近付いたのかな…… )
毎日のように並んでキッチンに立ったことも、焦げついた鍋を笑いながら洗ったことも、おすすめの隠し味を教えたことも、同じ食卓で一緒に作った料理の感想を言い合ったことも、全部。
その全てが、秘密を知るためのものだったとしたら。
偽りのものだったとしたら。
視界がぼやけていく。
「………こんなことって、ないよ…」
まんまと騙されていたことが悔しい。リラは涙を溢すまいと必死に上を向いた。だが目尻から水滴が流れていく。これは汗。汗なのだ。そう言い聞かせて気持ちを落ち着ける。
「はぁーーー……、なんで知らなくていいことばかり知っちゃうんだろ」
「何を知ったんですか?」
「ひぃっ!!」
独り言に返事が返ってきたためリラの肩が大袈裟なほど飛び跳ねた。驚きで涙も引っ込んでしまった。いつの間にかトイレから戻ってきていた沖矢は首を傾げた。
「知りたくないことを知ってしまったというのは、何を知ってしまったのでしょうか?」
「あ、いえ、なんでもないです。……ほら、まだ途中ですし、食べましょうか」
「……えぇ、そうですね」
我ながらなんてわかりやすい話の逸らし方だろうと思った。だが動揺している今は演技している余裕がないから仕方がないのだ。
再び席に着いて食べ始めたが、どこか上の空。いつもなら弾む会話も今は出来そうになかった。目の前に座る彼の全てを疑ってしまう。
( そもそも、昴さんではないことを優作さんと有希子さんは知っているの‥‥? )
それに気付いた途端、リラは居ても立っても居られなくなった。一刻も早く家に戻り、優作に確認しなければならない。その一心で夕食を詰め込む。
「すいません、私ちょっとやること出来たので今日はこれで帰りますね。おやすみなさい。」
「あぁ、そうですか。おやすみなさい。」
リラは沖矢に引き留められないように口早に捲し立てて、工藤家を出た。
二軒隣の我が家に帰還してすぐに優作にメッセージを入れる。
時差十六時間のロサンゼルスは昼を越したくらいで、休憩していたのか間をおかずに返事が返ってきた。
リラは迷いなく電話をかけた。
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