誰かの秘密
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ここでリラの話をしようと思う。
リラには、物心ついたときから使える不思議な力があった。
素手で触れた物の記憶を視ることが出来るのだ。それは人の手が加わった人工物に留まったが、現代社会で人の手が加わっていないものを探す方が難しい。
最初に気付いたのはリラの母だった。
ある日、夫が娘を連れて出かけていった。久しぶりの自分だけの時間に、ここぞとばかりに羽を伸ばす。
冷蔵庫に隠しておいたプリンを食べながらドラマを見る。内容は置いておいて、この誰にも邪魔されない時間が大切なのだ。
そうして夕方になって帰ってきた娘が、奇妙なことを言ったのだ。
『ママプリンたべた!』
『えぇ?!』
一瞬口の周りにプリンでも付いているのかと思い、手で口元を押さえるがそんなことはない。プリンのカップはゴミ箱の奥底にしまい、スプーンも洗って元通りに戻した。
冷蔵庫で保管しているときに見つけた可能性も考えたが、リラはまだ3歳。冷蔵庫の取手すら届かない背丈だ。
彼女はリラと目線を合わせると、優しく問いかけた。
『なんでママがプリン食べたと思ったの?』
『べてぃがみてた!』
『ベティが?』
『うん! ママプリンたべてるとこ!』
ベティというのは、何の変哲もないよくあるクマのぬいぐるみである。今日は出かけるからお留守番と言って、リビングのソファに置いてあった。確かにベティは彼女がプリンを食べるところを目撃していたであろうが、それを見たところでベティがどうこう出来ることではない。
ただ幼子というのは、時折科学では証明できないような不思議な発言をする。それは自分が母親の胎内にいるときの記憶、胎内記憶であったり、大人には見えないものが見えていたりと多種多様。
だから、その一種だと思ったのだ。
しかし、その日からリラの不思議な発言は日に日に増えていった。決まってリラがいない時や寝ている時の出来事を当ててくるのだ。それが全て事実であるだけに恐ろしい。
二人の結婚式がビーチで行われたことを当てられた日には、顔を見合わせたものである。その頃リラは影も形もないはず。なのにまるで隣で見ていたような発言をするのだ。
『うみがあおで、そらもあお! おはないーっぱいでキレイ!! そこでパパとママがちゅーするの!!』
『どうして知ってるの?』
『これ!』
幼児特有の柔らかな手で指し示したのは、二人が肌身離さず身につけている結婚指輪。二人の頭は疑問符でいっぱいだ。
しかし、指輪に触れたリラがもう片方の手で母の手に触れたとき、同じ映像が脳内に流れ込んできたのだ。
青い空と海、白い砂浜とチャペルという見事なコントラスト。プライベートビーチ直結のチャペルでは今日も一組のカップルが愛を誓い合っていた。
真っ白なマーメイドタイプのウエディングドレスに身を包み、新郎と手を取り合う新婦。繊細なレースで出来たベールがあげられ、美しい新婦の顔が露わになる。
新郎は新婦の腰に手を回すと、誓いの口付けをした。招待客が拍手をして二人の新たな門出を祝福する。
こんなものをみせられれば、流石に "不思議な発言" で片付けることが出来なくなった。
それから二人は幼いリラを言葉巧みに誘導し、その力の条件を探った。その結果、 "人の手の加わった無機物に限り、記憶を視ることができる" という結論に至ったのだ。
二人は幼いリラに必死に言い聞かせた。この力は善にも悪にもなりうる。だからこのことは誰にも言ってはいけない。三人だけの秘密なのだと。
『いーい? このことはパパとママ以外、誰にも言っちゃダメだ。』
『……べてぃにも?』
『ベディにも。言いたくなったらパパかママに、家の中でね。』
『パパとママとリラの約束だ。』
『うん!』
繰り返し使っているうちの制御出来るようになり、何でもかんでも記憶を視てしまうことはほぼなくなった。強い記憶が残っている物は例外だが、それ以外は問題なく制御出来ている。
リラは両親との約束通り、このことを誰にも話さなかった。親友であるキャシーにも、彼氏が出来たとしても、絶対に。
* * *
リラが飛び級して20歳で大学を卒業した後、彼女は両親と共に日本に移り住んだ。理由は単純明快。一家全員日本が大好きなのだ。
父はドイツ人、母はイタリアと日本のハーフ。母とその子であるリラはまだしも、父に至っては日本の血が一滴も流れていない。にもかかわらず家庭内言語は基本的に日本語だったのだ。これだけで筋金入りの日本好きであることが容易に想像できよう。
よって彼らには他国に移住することを妨げる最大の壁である、言語の違いはあってないようなものだった。日常会話しかできないとしても、遊んで暮らせるだけの貯蓄がある彼らには十分だった。
元女優の母が仲良くしている工藤有希子の近所ということで、工藤家の二軒隣に家を建てた。「いくらなんでも近すぎでは?」と思わなかったといえば嘘になる。
しかし、優作と有希子の子である新一のことは生まれた時から知っており、リラにとって弟のような存在だった。その幼馴染の毛利蘭も愛らしい。周りから見ればどう考えても互いが初恋な二人は癒されるし、その行方も気になる。
そうして日本にやってきたリラは、フリーのデザイナー兼モデルとして活動を始めた。
リラは自分で使う分を稼げば良いため、そこまで本格的に活動をしているわけではない。さらに言えば顔出しもしていない。メディアの前に顔を晒すということはその名が売れるに比例して、生活が制限されるのだ。
リラの母が女優だった頃、時折今もだが、パパラッチに悩まされていた。彼らにとって自宅の特定なんて朝飯前。昼夜問わず張り込みしてネタという名の粗探しをしては、面白おかしく記事にする。おかげでリラも不快な思いをしたことは数えきれないほどある。
だから彼女はそちらの世界に足を踏み入れるとしても、絶対に顔出ししないと決めていた。
それでもモデルをやっているのは、自分のデザインした服を誰よりも先に着たかったからという不純な理由だ。試着してふざけてポーズを取っていたら事務所の人がモデルもやろう、と言いだし、気付けば覆面デザイナー兼モデルとしてそこそこ名が売れていた。
心の赴くままにデザインを描き、日本国内を一人旅したりと気ままに過ごす。
両親も旅行に行ったり、趣味を増やすために習い事やってみたりと、完全に余生を過ごすそれだった。
幸せだった。
だが、その生活は僅か1年半で幕を閉じた。
花で飾られた祭壇。
並んだ二つの棺と黒縁の写真立てに入れられた妙齢の男女の笑顔。
もう二度と、見ることができない。
いつも通り、リラの両親は二人で買い物に行った。少し遠いスーパーだが、いい運動になるからと徒歩で。それが間違いだったのだ。
相手は飲酒運転で、信号待ちをしていた二人に時速50キロで突っ込んだ。二人は全身を強く打ち付けてほぼ即死。
連絡を受けたリラがなりふり構わず病院に飛び込んだ時、出迎えたのは物言わぬ体になった両親だった。
あまりにも突然すぎて、数日経った今も現実を受け止めきれないでいる。
リビングにいけばいつも通り「おはよう」という声が聞こえてくるのではないか。あれはとびきりの悪夢で、まだここは夢の中にいるのではないか。
しかし頬を抓っても頭を振っても、現実は変わらずそこにあるだけだった。
喪主として真っ黒な服に身を包み、ただただ参列者に頭を下げ続ける。
笑い方すら忘れた。表情筋をどうやって動かせばいいのかわからない。何もかもが分厚い膜の外で行われているかのようで、実感がない。いつもは些細なことで波打つ心も、今は深くに沈殿して動かない。
正気のない目で祭壇を見つめるリラの肩に、温かいものが触れた。
「リラちゃん」
「…………有希子さん、優作さん」
有希子はいつもの無邪気な性格を奥に閉じ込め、同じく喪服に身を包んだ優作とともに、今にも消えてしまいそうなリラの元にやってきた。
「色々と、ありがとうございました。当然喪主なんて初めてのことで……」
親は子よりも早く死ぬもの。だからいつか自分が喪主となり、両親を見送る時がくることは前からわかっていた。だが、こんなに早く、呆気ないものだとは誰も予想していなかった。
失意のどん底で何も考えられないリラの代わりに色々手配したのは、この二人だった。
「いいのよ、それくらい。私たちの仲じゃない」
「いつでも頼っていい。私たちは全力で君の力になる。」
血の繋がりもない、言ってしまえば赤の他人であるリラに二人がここまで尽くすのは、彼らが両親と親しくしていたことと、その娘であるリラを歳の離れた妹のように思っているからだろう。
だから優作は、以前より窶れた妹を放置しておくことが出来なかった。
「リラ君がよければだが、一緒に住むかい?」
思いもよらぬ誘いにリラは顔を上げた。いつもの輝きを無くした目に映るのは、心配そうに眉を下げた優作の顔。
しかしリラも22歳。一人暮らしをしていてもおかしくない年齢だ。しかも工藤家にはもうすぐ思春期に入る新一がいる。いくら姉のように思われていたとしても、一緒に暮らすのはいかがなものか。
「いえ、それは流石に遠慮させてください。……ただ、」
リラはそこで言葉を切った。こんなにも親身になってくれる二人に、素直に甘えていいのか迷ったからだ。しかしリラを見る二人の目は慈愛に満ちており、リラはその先を口にした。
「……時々、寂しくなったら遊びに行ってもいいですか?」
「もちろんだとも。いつでもおいで。」
「一緒に住んでくれないのは残念だけど、近いから許すわ! 毎日来てくれてもいいのよ??」
「あっはは、」
久方ぶりに表情筋が機能した。まだ強張りの残るぎこちない笑顔だったが、大きな一歩を踏み出すことが出来たような気がした。後ろばかり気にしていたのが、時折前を見ることが出来るようになったのだ。
「っもう、歳をとると涙もろくて敵わないわね」
自分を叱咤しながら目尻に浮かんだ涙を軽く拭った有希子は、一見いつも通りに見える。しかし付き合いの長いリラには彼女が腫れぼったい目を必死にメイクで隠していることがわかっていた。充血した白目も、彼女が二人の死を心から悲しんでいるのがよくわかる。
それでも、凛として友人を見送る有希子は美しかった。
『リラ、有希子』
『……シャロンさん、わざわざ来てくれたんですね』
黒いシンプルな喪服でさえ着こなし、年齢を感じさせないスタイルの妙齢の女性。リラが幼い頃よく遊んでもらっていたハリウッド女優のシャロン・ヴィンヤードである。その娘であるクリスとは年齢が近く話も合うだろうに、一度も会ったことがないのはなぜだろうか。
シャロンはリラの母の友人で、有希子を含めて三人で仲が良かった。年齢も、性格も、その身に流れる血もバラバラだが、なぜか馬が合った。
『他でもない二人だもの。……本当に、惜しい人を失くしたわ。』
祭壇を見るシャロンは滲む涙をこぼすまいと目元に力を入れた。それにより目尻の皺が深くなる。
リラはそれを見ないふりをして、喪主としての役目を全うした。
秘密を共有していた二人はもういない。
正真正銘、この世でリラしか知らない、彼女の秘密。
偶然嫌な記憶を視てしまい、それを吐き出して気持ちを整理することも。
楽しかった記憶を一緒に視て、まるで昨日のことのように鮮明に思い出して笑い合うことも。
自分だけでは手に負えないような秘密を知ってしまい、一緒に頭を悩ませることも。
全て。誰にも言えないのだ。
それが押し潰されそうなほど、重たかった。