過去篇
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男は中流貴族の出身だった。
入学以前から家庭教師を雇い、時間をかけて試験対策をしていただけあり、特進学級に入ることが出来た。ただそれは言ってしまえば金にものをいわせてドーピングした結果であり、入学してしまえば皆同じ。新しい鬼道に苦戦し、得意だったはずの斬術でも負けてばかり。総合評価は下の上か、良くて中の下。
井の中の蛙状態だった男はプライドだけは高く、己の置かれた状態に全く納得していなかった。
そんな中、彼は出会ってしまったのだ。分け隔てなく接し、鬼道と歩法が達人とも呼べる域に達しているクラスメイトに。
彼女は男の質問にも嫌な顔をせず答える。プライドだけが高く、実力が伴っていない男に対する周りの目は冷たい。だが彼女だけは違った。
もっと彼女と話したい。
男がそう思ってしまうのも無理ない話だった。
だがそんな男を阻む者たちがいた。
彼らは彼女と非常に仲が良く、毎日一緒にどこかへ出掛けているようだった。斬拳走鬼が揃い、同じ特進学級の中でも飛び抜けている三人。その三人が親衛隊のように彼女を囲んでいるため、彼女に話しかけるためにはその三人を越えなければならない。この時点で大体詰みである。
だが、人の想いは自由で、支配することは誰にも許されていないのだ。
* * *
体調を崩してから数週間。美桜はすっかり元通りになっていたが、あの日のことを思い出しては顔を赤くしていた。
( 真子君おでこにちゅーしてたよね……? 嫌じゃなかった。むしろ心地良くて…… )
熱くなった頬を片手で抑えながら自室の扉を開けると、扉の前に紙が落ちていた。
( はぁ、またか…… )
最近の美桜の悩みの種である。美桜は二つ折りにされたその紙を部屋の机に置くと、気持ちを切り替えるようによし、と呟いた。
「はぁ……」
今日の特訓が終了し、いつも通り皆の怪我を治療している最中。美桜はため息をついた。
「最近ため息多いで。悩み事でもあんの。」
治療を受けていたリサはここ一週間、美桜のため息が多いことに気付いていた。「恋煩いか?」と思い、ニヤニヤと「話聞くで」と続けた。
美桜は「まだ実害はないから大丈夫」と力なく笑った。
どうやら恋煩いではないらしい。だがリサがその不穏な呟きを見逃すはずもなく。
「実害ってなんや。」
リサはあえて真子と拳西に聞こえる声で言った。案の定、気になった二人も話に加わることとなる。
「なんや美桜、また俺らに隠し事かいな。もう隠し事はやめってゆーたやろ。」
そう言って真子は美桜の額を指で弾いた。ビシッと音がしたことから、割と強くデコピンしたらしい。その証拠に美桜は両手で額を抑えて涙目で真子を見上げている。
「もぅ! 痛いよ真子君!」
「あほぉ。美桜が隠し事せぇへんかったら俺かてこんなことせんわ。」
やけに距離が近い。
リサと拳西は目を見合わせると口角を釣り上げた。これはくっつくのも時間の問題だぞ、と。仲の良い友人同士の恋模様ほど気になるものはない。
真子は美桜の隣に腰を下ろすと、胡座をかいた膝に頬杖をついて美桜を見た。
「で、言うてみ。」
真子が本題を切り出したため、リサと拳西も静かに美桜を見た。
三対の厳しい目に見つめられた美桜は逃げられないことを悟り、おとなしく事の次第を話した。
あいしてるんだ
どうして会いにきてくれないんだい?
今日君の夢を見たんだよ。僕の下で啼く君は最高だったよ。
どうすれば君は僕のモノになるかい?
「「きっしょ。」」
「男の俺でもゾッとするぜ。」
三人の手には、最近美桜の部屋の前に落ちている紙があった。十枚以上あるそれには、悪寒がはしる程気持ち悪い言葉が書いてある。
「これが毎朝部屋の前に落ちとんのか?」
「そうなの。だから毎朝憂鬱で……」
美桜はため息をつきながら答えた。望みもしない好意を向けられれば憂鬱にもなる。しかも相手はどこの誰なのか全くわからないのだ。
( そら憂鬱になるわな )
真子は美桜の薄い背中を落ち着かせるように摩った。美桜は既に始解も出来るし鬼道の腕前もピカイチだ。しかし、それでも女の子なのだ。
一般的に男より女の方が力が弱い。加えて美桜は筋力に制限があるため、さらに力が弱い。そんな彼女が感じている恐怖は測り知れない。
男子寮と女子寮は棟こそ離れているものの、互いの行き来は制限されていない。そのため誰でも美桜の部屋に行くことが可能である。
しかし夜間となると話は別である。真央霊術院では毎日夜間に教師が見回りをしている。その教師に気付かれることなく美桜の部屋まで行き、紙を廊下に置いて帰ってくるなど可能なのだろうか。しかも毎日である。
とりあえず誰が犯人かわからないため、美桜を一人にしないよう、常に誰かが一緒にいることにした。元々四人で行動していたこともあり、そこまで苦ではなかった。夕食後も三人で美桜の部屋まで送るようにしていた。
その日はここ数週間毎日あった紙がなく、美桜はいつもより気分が良かった。やっと諦めたのかも、なんてちょっと浮かれてすらいた。
いつも通り夕食を食べた後、三人に見送られ部屋に入る。
美桜は鍵を開けて部屋に入り、電気をつけた。誰もいないはずの部屋に佇む一人の男。美桜はその男に見覚えがあった。
「……ぇ」
美桜は突然のことに言葉を失う。
叫ばなければ、助けを呼ばなければならないのに、喉が張り付いたように声が出ない。「なぜここに? 一体どうやって?」など絶えず疑問が頭に浮かんでは消える。
男はニヤリと口角を上げた後、叫びながら距離を縮めてきた。
「美桜ちゃぁぁん!! 待ってたよぉぉ!! いままでどこに行っていたんだい? 遅かったじゃないか!!」
「っきゃあぁ!!」
男は美桜の細い手首を掴むと、ずるずると部屋の奥へと引き摺った。男の視線の先にはベッドがあり、男のやろうとしていることに気付いてしまった美桜は無我夢中で叫んだ。
「やめて!! 離して!!! ……真子君っ!!!!」
美桜が無事部屋に入ったことを確認した三人はその場を後にしようとした。リサは真子と拳西に別れを告げて自室に入っていく。
「美桜ちゃぁぁん!! 待ってたよぉぉ!!」
美桜の部屋から聞こえてきた男の声。そのすぐ後には美桜の悲鳴も聞こえた。三人は一瞬固まった後、一斉に彼女の部屋へと走り出した。
拳西は扉を蹴飛ばし、美桜の部屋に突入した。そして美桜の手首を掴んでいる男の腕を捻りあげると、動けないように拘束する。
真子は拳西が男をしっかりと拘束していることを確認した後、目を瞑り怖がっている美桜を安心させるように抱きしめた。
最後に部屋に入ったリサは、完全に制圧された部屋の中を見渡し、自分のやることがないことを知った。そして大人しく他の教師を呼びに講師室に向かった。
( 完全に出遅れたわ )
気付けば腕を掴まれていた感触はなくなり、代わりに誰かの腕の中にいた。細身だがしっかりと筋肉の付いた身体、匂い、そして視界をかすめる金色の髪。その全てが、自分が今誰の腕の中にいるかを証明していた。
美桜はその背に腕を回し、涙を流しながらしがみついた。ずっと求めていた温もりがそこにあった。
「しんじ、くん……!!」
真子は震える美桜の細い身体を自身の腕の中に仕舞い込み、その背を安心させるように撫でた。
「怖かったな。もう大丈夫やで。」
真子は自分にしがみつく守るべき存在を愛おしく思った。この存在を自分の力で、腕で、護りたい。そう強く思った。
拳西は縛道の四 這縄で押さえつけていた男を縛り上げた。男の顔に見覚えのあった拳西は目を見開いてその名を叫んだ。
「なっ! お前はっ!! 笹木先生!?」
その時、リサが特進学級担任の権正とそのほか教師数人を連れて戻ってきた。
女子生徒の部屋で取り押さえられる笹木、そして真子に抱き締められながら泣いている部屋の主である美桜。状況をなんとなく把握した権正は、一応確認のために笹木に問いかけた。
「これは一体どういうことだっ!!! 笹木先生、説明してもらおうかっ!!」
笹木はにやぁと気味の悪い笑顔で言った。
「僕はただ美桜ちゃんと一緒になりたかっただけなんだっ!! 最初は見回りの時に手紙を置くことで我慢してたんだヨォ!! 最近じゃあ周りに鬱陶しいのがいてサァ!! だからこうやって二人きりになれるところで待ってたのさ!!」
どうやら笹木は、夜間の見回りの時にあの紙を置いていたらしい。見回りしている教師本人が紙を置いていたなら、誰にも見つかることなく美桜に届けることができる、というわけだ。
事態を把握した権正は、他の教師に笹木を連れて行くよう指示した。
笹木が連行された後、権正は美桜たちに頭を下げた。
「今回の件はこちらの管理不行き届きだ!! 申し訳ないっ!! 笹木は真央霊術院が責任を持って処罰する!!」
真子の腕の中から顔をあげた美桜は、まだ潤んでいる目で権正を見た。
「権正先生、よろしくお願いします。」
落ち着いた後、事情を話すために講師室へ向かった美桜たちは、そこにいた本来いるはずのない後ろ姿に目を見開いた。
白い髪と羽織を見た美桜は、その背に飛びついた。
「四郎兄っ!!!」
名前を呼ばれた浮竹は振り返り、飛び込んできた美桜をしっかりと受け止める。そしていつも通りの穏やかな口調で安心させるように言った。
「怖かっただろう。よく頑張ったな。」
どうやら、事態を重くみた教師が美桜の保護者である京楽と浮竹に連絡をしたらしい。京楽は任務で瀞霊廷を出ているため、浮竹が来たというわけだ。
事情を聞いた浮竹は少し考えるように目を瞑った後、まっすぐ美桜を見た。
「美桜、しばらくあの部屋には居れない。扉が直ったとしても、一人でいるのは怖いだろう。選択肢は二つだ。矢胴丸の部屋で一緒に暮らすか、十五年前まで住んでいた所で暮らすか。」
十五年前まで住んでいたところというのは流魂街のことではなく、美桜が暮らしていた異空間のことを指す。
確かに異空間で暮らすのが一番安全である。あの場所は彼女が許可した者以外立ち入ることが出来ず、この世で一番安全な場所と言ってもいい。だがそれでは入学前と何も変わっていないではないか。
美桜はリサの顔を不安そうに見る。その視線を受け止めたリサは「ええよ」と言わんばかりに頷いた。
「リサと一緒の部屋にする。」
しかしリサの部屋は一人部屋で、二人で住む事を想定していない。ではどうするか。
「よし、じゃあ二人の部屋の壁を取って繋げるか!」
その言葉を聞いた教師たちは反対しようとした。いくら襲われそうになったからといって、壁を取り払って繋げるなど言語道断。繋げるのではなく、多少広さは劣るものの元々二人部屋になっている通常学級の寮に移動すれば良いではないか。そう言おうと口を開いた。
しかしその後に続いた浮竹の言葉に、開いた口からは空気しか出なかった。
「それくらいやってもらうさ。なんせ俺と京楽が大事に育ててきたんだ。なんなら元柳斎先生を巻き込んでもいい。」
真央霊術院の開祖の名前を出されては反対できない。しかも浮竹は元柳斎の弟子である。あの山本も弟子には甘いのだ。
教師たちは胃が痛くなった気がして腹を押さえた。