千年血戦篇
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五番隊の隊首室では、部屋の主の声が響き渡っていた。
「しゃーからぁ! 命令してへんやろぉ!? やってくださいって頭下げてお願いしてんねん!!」
その口調はとてもではないがお願いしている人のそれではない。もちろん、それがわからないひよ里ではない。
「どこが頭下げてんねん!! 電話越しでもわかるわ! 絶対頭下げてへん!!!」
電話越しにひよ里が怒鳴ると、真子はめんどくさそうに口を歪ませた。
「とにかく任せたからな! "ヤリトゲラレルノハオマエシカイナイノダ!" ……どや、この選ばれし者感! たまらんやろ! ほなな!!」
ブチッ
そう言って一方的に電話を切った真子は、伝令神機を乱暴に机に置いた。
「はぁ〜」と大きくため息を吐いた真子に、雛森が淹れたてのお茶を差し出す。
「今の方、猿柿さんでしたっけ。仲が良いんですね」
「あほ。あれのどこが仲が良いねん。喧嘩しとるだけや。」
真子は口では否定しているものの、その顔は穏やかなものだった。幼馴染とはそういうものなのだ。
「ふふっ、ではそういうことにしておきますね。」
雛森はお盆を胸に抱きかかえながら相変わらず素直ではない真子に笑った。
その時だった。
「「……!!!」」
黒く覆われる視界。濃い霊子。平和な明るい日常が、殺伐とした澱んだ青に塗りつぶされる。
数拍後には真子と雛森は隊首室であったはずの場所で敵と対峙していた。
「なんや、これ! 一体どうなっとるんや!」
「隊長、囲まれています。……一体いつ入ってきたっていうの…」
雛森の呟きに
「ここは尸魂界であり、尸魂界ではない場所。我らは千年前に尸魂界の影に帝国を築き上げた。故に見えざる帝国、
「ご丁寧に説明ご苦労さん。千年前から復讐なんてよぉ疲れへんな? 俺そーゆーの向いとらんわ。」
真子は興味なさそうに左手で耳を掻きながら言った。右手には始解している逆撫が振り回されている。逆撫は甘い香りを出して敵の脳を侵食していく。
真子は周りの霊力を感知すると、自身の後ろで斬魄刀を構える雛森に命令した。
「桃、ここは俺が引き受けたるから残っとる隊士連れてさっさと行き。」
「え、ですが隊長っ!!!」
雛森の顔が泣きそうなものに変わる。真子のそれはまるで死を覚悟した者の言葉だった。
「……って一度言ってみたかったんや! なんかかっこええやろ?」
「……隊長。」
真剣な顔から一転しておちゃらけた顔に変わった真子に、雛森は低い声で怒りを示した。
「……そんな怒らんといて。まだやっとらんことあるし、こないなとこで死なへんわボケェ。」
「そうですね、まだ明日提出の書類にも目を通していただきたいですし、明後日が期限の書類も山程残っています。こんなところで死んだら地獄まで書類持って追いかけますからね!!」
「いや普通に怖いわ。」
真子は「ほな、はよ行き」と再度雛森を促した。
雛森は唇を噛みながら動ける隊士たちと共に去っていく。
当然それを指を咥えて見ているだけの聖兵ではない。聖兵は一斉に雛森たちに矢を放つが、そのどれもが当たらない。
それもそのはず。真子は既に始解しているのである。
「まだ美桜と一緒に居りたいからなぁ。あと二千年くらい経たへんと死なれへんわ。」
真子は逆撫で上下左右前後が不覚になっている聖兵を次々と斬っていくと、その場に生存者がいないことを確認してから隊首室だった場所を去った。
残されたのは、敵と味方が入り混じる赤のみ。
* * *
空間が動く前の独特な感覚。
静かな水面に岩を投げ込むように乱された霊子たち。
「あぁ、もうすぐね。」
「……? 隊長?」
美桜は三時のおやつであるマドレーヌの最後の一口を口に放り込むと、残っていたミルクティーを飲み干した。
今日、再び滅却師が侵攻してくることを美桜は真子の未来を視て知っていた。真子が怪我をすることも。
だからこそ、少しでも回復するために朝も昼もいつもより多く食べ、さらには三時のおやつまで食べた。エネルギー補給はバッチリである。
流石の美桜も、今日侵攻されることをわかっていながら呑気に寝てることは出来ない。
「雫、例のものは全員に渡してくれた?」
「はい、既に全員携帯しております。」
「よし、じゃあよろしくね。」
立ち上がって軽く身体をほぐしはじめた美桜に、雫はこの戦いで美桜も前線に出ることを確信した。しかし雫のその目には一切の迷いも、憂いすらもない。そこにあるのは純粋な興味。
「隊長も戦われるのですか?」
「そうねー、今回はそのつもり。この前ちょっと戦った女の子の能力がなかなか面倒で。私が適任かなーって思ってね。」
「指揮はお任せください。」
「えぇ。安心して前を向いて戦えるわ。ありがとう。」
雫は美桜に礼をすると、部下に彼女の異空間に入るよう命令するために隊首室を出て行った。
美桜は自隊の隊士に霊子で作成した鍵を持たせたのだ。その鍵は美桜の異空間への鍵。それがなければ彼女の異空間に入るどころか、その目で見ることすら叶わない。
美桜は部下を守るため、ひいては瀞霊廷を守るため、普段修行場として使っている空間を臨時の救護詰所にした。そこには薬や包帯、ベッドが完備され、簡単だが食事もとることができる。
先日の侵攻後、美桜もただ食べて寝ていたわけではない。先日は美桜が張った結界のおかげか救護詰所は無事だった。故にそこを拠点として治療を行うことが出来たが、次の侵攻も同じようにいくとは考えにくい。
だからこそ美桜はこれまで限られた者しか入れたことのなかった異空間に物資を運び入れ、救護詰所として使用することを決意したのだ。
程なくして美桜は自分の異空間に隊士が入っていくのを感じた。自隊の隊士を守ることで精一杯なことに引け目を感じつつ、美桜は隊首室で一人目を閉じた。
* * *
瀞霊廷が滅却師により乗っ取られた後。
美桜は異空間を渡り真子と合流した。
「真子。」
「お、美桜か。」
「怪我は……大丈夫そうだね。」
崩れた建物の影にいた真子を上から下まで確認すれば、どこにも怪我は見当たらなかった。ホッと胸を撫で下ろす。
「雛森ちゃんは?」
「いきなり隊首室で囲まれたからなぁ、隊士連れて先行かせたわ。」
「そっか。」
美桜はちょうど良い高さにある瓦礫に腰掛けると、隣で立って辺りを警戒している真子の腰辺りに頭を預けた。
自然な動作で真子がその頭を撫でる。
「戦争って、辛いね。」
「…せやな。」
以前誰かが言っていた。戦争はどちらも正義だから起こるのだと。思想の違いで善悪の定義は変わる。ただ、その思想の違いを武力という最も暴力的なかたちで相手に押し付けているだけ。
今回の戦争だって、元を辿れば自分たちの生活を守るために戦っているだけなのだ。それがいつしか復讐に塗り潰された。
今更憂いても仕方ないと頭ではわかっているが、美桜の胸中は晴れなかった。
そんな時、こんな状況でもいつも通りのんびりとした独特の声が聞こえた。
「どぉーも、護廷十三隊の隊長さん、ならびに副隊長の皆さんこんにちは。こちらは浦原喜助です。」
「あら、喜助さんじゃない。」
「初めましての方もよく知らない方もいらっしゃるかもしれませんが、自己紹介は後にさせてください。」
「…おるわけないやろボケェ。」
浦原喜助を知らない者など、少なくとも隊長格にはいない。それほどまでに彼の功績は大きいものだからだ。
真子はいつも通り喜助に小さくツッコミを返した。
「この通信と共にみなさんの近くに黒い丸薬を転送しました。卍解を持つ人にのみ反応する丸薬です。」
その天挺空羅を聞いて真子と美桜が辺りを見回せば、近くの瓦礫に黒い丸薬が三つ置いてあった。どうやら一つの卍解につき丸薬一つのようだ。
「それに手でも足でも刀でも良いので触れてください。丸薬は触れたところから吸収され、魂魄の内側まで浸透します。」
喜助によれば、滅却師は虚に対する抗体を全く持たない種族らしい。故に虚の全てが毒となる。それを利用して卍解を一瞬だけ虚化することができれば、卍解もまた滅却師にとって毒になるということだ。
その説明を聞いて美桜はふと思った。
「じゃあ真子の卍解は元々奪われないってこと?」
「そうかもなぁ。もう試すことも叶わへんけどなぁ。」
真子の左手には既に吸収されつつある丸薬。
美桜も二つの丸薬に手を触れ、炎のように揺らめく光が美桜の顔を薄く照らした。いずれのせよ、これでもう卍解を奪われることはない。そう胸を撫で下ろした時だった。
「……!!!」
美桜は自身の霊力感知範囲内に聖兵の反応を感知した。
「真子、来たよ。」
「お、ほんまや。」
真子と美桜が瓦礫の影から出れば、聖兵が死神の遺体を足で蹴飛ばしているところだった。たとえ見知らぬ隊士であったとしても、それを見せつけられて黙っていられるほど二人は情が薄いわけではない。
「美桜、先にあっち行っといてくれへん? 後で合流するわ。」
「一人残らずちゃんと処理してね?」
「当たり前や。」
美桜は背伸びをして真子の頬にキスを落とすと、瞬歩で消えて行った。
「さてと。」
「我らと一人で戦う気か?」
「せやで。お前らなんて俺一人で十分すぎてお釣りがくるわ。」
「しかし多勢に無勢だ。」
「多勢に無勢、降伏せい。なんて思てへんやろな?」
一人で韻を踏んで遊ぶ真子に、聖兵はつけているマスクの下で顔を歪めた。完全になめられている。その苛立ちを弓に乗せて引いた。
「仲間やられたんわ腹立つけどなぁ。仲間がおったら使えん技もちゅーのもあんのやで? だから大好きな嫁さんと分かれたんや。」
この混沌とした瀞霊廷内で一度合流できた美桜と分かれるのは危険だったが、ここに残れば美桜も真子の卍解の対象となってしまう。
「お前らの常識も、この状況も、みんなまとめてひっくり返したるわ。」
真子は逆撫の輪になった部分に手を入れて顔の前まで持ち上げると、口角を上げて言った。
「卍 解
真子を取り囲むように撫子の花弁が浮かび上がったかと思えば、やがて真子を隠すように蕾となった。
花弁の隙間から妙に甘い匂いが辺りを漂う。聖兵が気付かない間に毒は正常な働きをする。仮に聖兵がそれに気付いたとしても、既に毒はその身体を蝕み、相手を認識することも出来なくなる。
ザシュッ
聖兵は一列に並んでいた自分たちが、互いに矢を向け合っていることに気付かずに矢を放った。当然、互いの放った矢が互いを深く穿つ。
聖兵たちは何が起きたのかわからないまま絶命した。
辺りの生命反応が途絶えたことを察知した撫子の花がひとりげにゆっくりと咲く。
「敵と味方の認識を逆さまにして、同士討ちさせるんが俺の卍解、逆様邪八方塞や。今は瀞霊廷中敵味方入り乱れとるからなぁ。やたらと使えんのが泣きどころや。」
命の花が散った戦場で、真子の声だけが静かに響く。答える者は誰もいなかった。