雑記

SS『ある日の喫茶店にて』

2026/02/12 06:27
SS
ステファノ・コルレオーネはあくびをしながら手持ちの紙面を捲った。
客のために取り寄せている朝刊の全てが政界の重鎮の失脚を1面に取り上げていたが、彼の手にする紙面のこちらに向く1面記事はコメディアンのスキャンダルだった。
俺は彼のテーブルに珈琲とサンドウィッチを置いた。

「おおきに。 ── 今日のマローネさんは、お寝坊さんみたいやな」
「お前ら、毎朝会って飽きねーよな」
「もう10年も前に飽き飽きしとるわ。 マローネさんがとんでもない別嬪さんにでもなってくれたら面白いのにな」
「マローネは男だろ。 そういえばお前、迷惑防止条例なんたらの期間で女装して張り込みしていたロレンツォに捕まったことがあるんだってな。 面白かったぜ、その話」
「あれな! 男やと思わんかったわ。 オレかて騙されたんやで、詐欺や、詐欺。 ── ロレンツォもロレンツォで丁度オレで賞与加算が付いたらしくて、女装したまま高笑いしとった。 オレ、何を見せられとんねんやろうって、我ながら情けのうて情けのうて」
「登場人物が馬と鹿で、俺も何を聞かされてるのか分かりゃしねーよ」

店内は狭く、8席のカウンターがあるばかりだった。
訪れる客の大半が常連で、ステファノもその1人だった。
彼の友人の1人がマローネ・アズーリで、殆ど毎日2人は奥の席を陣取っている。
猫舌のステファノが漸くコーヒーカップに口をつけた頃、店のドアの開かれたベルが鳴った。
俺はグラスに水を注いだ。

「おはよう、アレクセイ君。 ステファノも」
「おはようさーん。 今なあ、見飽きた顔が別嬪さんに変わったら面白いのにって話をしとったんや」
「それで捕まったことがあるのに、君も懲りないね」
「それも話しとった。 ロレンツォが喋り始める前までは夢が広がってたんや。 気付いたら手錠をかけられとるのが現実やった」
「時々、僕は生まれ変わったらステファノになりたいと思うよ」

マローネは微笑みながら水の入ったグラスを受け取った。
彼はステファノの隣に着席し、ステファノが読みかけている新聞を見た。
俺は何も言わずに “いつもの” オーダーを作り始めた。

「へえ! このコメディアン、最近、話を聞かないと思っていたら麻薬に手を出していたんだ。 それも遠い外国で」
「結局、何が出てきても和解するやろ。 それこそ、見飽きたお約束や」
「そうかもね。 こういうのはアレクセイ君が詳しそうだ」

ステファノはマローネが見やすいように1面の記事を面にして、カウンターに置いた。
マローネは俺の名前を出した上で、こちらを見た。
意味深な沈黙が流れる。
少し迷ったが、俺は適当に相手をすることにした。

「……大元にかける手枷なんて、世界中のどこを探したって作られねーよ」
「それを作るには、猫の足音を混ぜなきゃいけないようだしね」
「ああ、そうだ。 ついでに、女の顎髭もな。 これ以上は話さないぜ。 今の俺はただの喫茶店経営者だからな」

言いながら、俺はマローネのカウンターにステファノに渡したメニューと同じものを置いた。
彼は “ありがとう” と言って、早速 珈琲を飲んだ。
2人はそれからいつもの朝と同じように談笑した。

「他に面白い記事はあった?」
「今日のはつまらん! おねむになるようなガラクタばっかりや。 使い回しのツチノコ記事の方がまだエエでな」
「ツチノコ……。 この間のやつかい?」
「せや! あれな、見覚えがあると思ったら、5年前と全く同じ文章で掲載しとったんやで。 ツチノコとネッシー、ついでにUFOは個別にファイリングしとるから確認してみたら、間違いなかった。 正真正銘、隅々に至るまでの使い回しや。 “新事実!” までバッチリやで。 文中の日付も5年前のままやった」
「やっぱり君は面白いよ、ステファノ。 君はツチノコよりツチノコをしているんだ」

*

客の全てが帰り、静まって鍵のかかった店内に来客を知らせるベルが鳴った。
そっと姿を見せたのは小柄な女だった。
彼女には俺が自ら店の鍵を預けていた。

「アレッシオさま。 遅いでありんす。 心配しんした」
「悪かった。 今日はダラダラと客足があってな。 ── ほら、これ」

適当な席に着いた彼女に俺が見せたのは、ステファノが置いていったジャンク新聞だった。
彼女は1面に印刷された男を見るなり、顔色を険しくした。

「これは日報かしら。 この御仁は……」
「見覚えがあるだろ? あの時、本人にも言ってやったが、大人しくコメディアンをやってりゃ良かったんだよ」
「でも、これで賊の連中が公に捕まりんしたんしょ? うまく事が運んだんでありんすの?」
「まあ……そいつで手を打ったってことだ。 そいつは末端のさらに末端、まだまだ末端だ。 大したものは何も出てこねーだろう」

彼女は── 小梅はため息を着いた。
俺は珈琲を用意して、彼女の前に置いた。
彼女は小さく笑顔を見せ、両手でカップを大事そうに受け取った。

「それを報じたのは、唯一そのデタラメ新聞社だけだ。 その新聞社はしがらみがないのか、他に何かあるのかもな……。 もっとも、長年の愛読者達はその裏側まで気付いていないし、記事にした記者本人でさえ舞台裏までは分かっていないかもしれない」

小梅は頷き、淹れたての珈琲に静かに息を吹いた。
その些細な動作に色気を含んだ。
彼女はこの国に来る前、極東の遊廓で男を相手にする仕事をしていた。
彼女は、まだ外で走り回るような子どもの頃、生活苦の為に口減らしを兼ねて売春宿に売られ、宿では叩き込みで厳しい教育を受けたと話していた。
俺が赴任先の極東で彼女と出会った頃、彼女は既に一見お断りの遊女だった。

極東では現金での売買が盛んな文化が根付いている。
これは、かの国では現金による不正が少ない、又は不正が顕著になりにくいことを示している。
先の、遊廓に幼い女の子が売られるような案件も、取引そのものは現金で成立しているだろう。
(親に支払われた金は、結局、娘が肩代わりするのだが)

印刷された件の芸人はこの国の出身だが、はるばる極東で秘密裏な工作をしていた。
俺は極東に派遣されたのだが、芸人を含むターゲット組織の活動場所は小梅の働く遊廓だった。
紆余曲折あり、多額の “汚い現金” を回していたターゲット組織については極東の公安の采配に任せる運びに持っていった。
工作員だった芸人は “とかげ” というコードネームだったに違いない。
小梅は俺がこの国に連れ出した。

「珈琲、とても美味しゅうありんす」
「コメディアン1人にしても、俺達からすりゃ収穫ゼロって訳じゃないしな。 砂糖代わりにはなったか?」
「ええ。 ── お話を変えんすが、ステファノさまはお元気にありんしたの?」
「うるさかったぜ。 朝っぱらから1人で5人分は喋って帰った」
「めっ。 ステファノさまはアレッシオさまの義兄さまにありんしょ。 そんな言い方をしてはいけんせん」

彼女は珈琲を飲み干すと立ち上がり、カップを手にしてカウンター内に小走りで入った。
彼女は使用したカップを手際よく洗いながら言った。

「あちき、この日報は大事に保管しんす。 続報を待ちんすえ。 ステファノさまにこの旨、お伝えしてくれんせんか?」
「ここにもツチノコがいたか。 いや、アイツとは動機が違うな……」
「ツチノコ? いったい何の話にありんすの?」
「なんでもない。 その新聞は義兄様ご愛読のご必携だから、件の続報があればこちらに見せるように伝えておく」

思わず口にしてしまった俺の言葉に、小梅はきょとんとしながらも、ホッとしたように頷いた。
ドアに備えた窓から通る光は白くなっていた。
外はもう、昼下がりだった。
俺と小梅は店内の掃除を済ませてから外に出て、店に “また明日” を告げた。

(おしまい)

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