雑記
SS『夢酔い』
2026/01/12 13:26SS
待ってくれ。 やめてくれ。 行きたくない。
私に微笑みかける君は── 君は、誰だ?
夢は私に塵1つの手土産も与えずに現実へと突き放す。
── ああ、今朝は酷い。
私は目眩と吐き気を堪えられなかった。
*
「こんにちは、ロレンツォ」
「アリス」
「あなたを見たの。 それで……。 ……。 ……あなたの国の言葉、とても難しいわ」
「良く話せている。 悪いが、私は忙しい。 失礼する」
「Wait, wait, wait」
「……すまない。 君の言葉は私にはわからない」
まだ幼さを残す少女・アリスの向こう側にシスター・マリアが立っていた。
あらかた、牛乳か何か朝食の材料が足りなくて早朝から開けている稀有な店に買い求めに来たのだろう。
マリアは私に手を振って挨拶した。 私は雑に手を振り返した。
アリスは不安げに私を見上げている。
彼女の大きな翠の瞳が澄んだ朝の空気に煌めいていた。
突如、翠の煌めきが激しく揺らめいた。
職場へ向かう大通りの看板の文字がダリの絵画のように垂れて見えて──
*
「気がついたわね」
「マリア。 ここは」
「教会。 喫茶店に走ってステファノに頼んだのよ。 アナタが倒れたから、彼と一緒にここまで運んだってことね」
「私が、倒れた」
「アリスもパニックを起こしたのよ。 あたしじゃ、あの子の言っている事が全然分からないし、アリスがあまりに動揺していてステファノの話も聞こうとしないから、仕方なく彼がアリスを眠らせて……。 ほら、あっち」
清潔な寝台の上に、私は転がっていた。
状況を理解するのもままならないが、シスターに指示された先を見ると、少女がソファで静かに眠っていた。
私はアリスを眺めながら、朝からの出来事を脳内で並べ、理解に努めた。
「……驚かせてしまったか」
「しきりのアナタの名前を呼んでいたわ。 ……昨日の夜、卵を買い忘れてね。 今朝はアリスが起きていたから買い物に付き合ってもらったんだけど、あの子ったらアナタを見つけたら店とは反対方向に一目散に飛んで行ったのよ」
「……そうだったのか。 ステファノはアリスに針を使ったんだな」
「やむなしよ」
「そうか。 色々と、かわいそうに」
私はベッドから立ち上がった。
よろついたが、気分の悪さは いくらかましになっていた。
私はアリスの眠るソファへ寄った。
「ロレンツォ。 何をする気?」
「私も魔術師の端くれだ。 ヤツが彼女につけた刺し傷を治すくらいなら私にもできる」
「ちょっと! フラフラじゃない。 魔法を編むのはやめておきなさいって」
「ステファノに後始末をさせるのも癪だ。 ……それにしても、良い夢を見ていそうだ」
「今でこそ、すやすや寝ているけれど、さっきまで大騒ぎだったのよ。 今頃、アナタの夢でも見ているんじゃないかしら。 アナタにずいぶん懐いてるわよね」
「その夢を彼女は起きた時に覚えているだろうか」
「アナタも変な事を言うわよね。 どのみち夢の内容なんて、昼下がりにもなれば忘れているでしょう?」
「昼下がり、ね」
早朝の私の態度は辛かったかもしれない。
私は眠るアリスの手を取り、袖を捲った。
予想通り、綿をテープで固定されていた。
私と同期のステファノは優秀な幻覚系の魔法使いだが、牙刺等、相手の傷口を経由させないと自らの力を発揮できない。
温厚な彼が魔法を使うとは余程だったのだろう。
彼女の腕に痣が残るのは避けたかった。
否、これは単なる自分自身の罪滅ぼしのつもりだろう。
己の浅はかさに内心でせせら笑った。
「アリス。 魔法使いにはそれぞれクセがある。 私の編むものは……少し冷たいかもしれない」
私の声が、ステファノがアリスに与えた夢の中── おそらくはとても穏やかな夢── を歩く彼女に届いたかはわからない。
眠る少女は、柔らかく口角を上げた。
*
「いい加減に起きろよ、王サマ」
「── エドアルド。 ……。 ……マリアは」
「……。 待てよ、誰だよその女」
「夢、か……。 ──夢? エドアルド、私は夢を見ていたのか」
「オマエ、熱でもあるのか?」
怪訝そうに立つ赤毛の男・エドアルドはため息をついた。
私は先ほどまで自分が身を置いていた環境を彼に話した。
エドアルドは私の話を聞き終わると「夢だろうな」とぶっきらぼうに返事をした。
「机に突っ伏してぐーすかぴーすか寝てるから、時間を置いてまた来てやったんだが、やっぱりまだ寝てやがった。 疲れているのはわかるが、この後は南部の視察だぜ。 もうじきに出ないと間に合わない」
「悪かった。 ところでエドアルド、貴様は夢を見る事はあるか」
「夢? ある、けど……夢に妙に拘るな……って、そうか。 オマエ、呪われてるんだったよな」
「……呪い?」
「オマエの眠りはアングルボダ様にコントロールされてるって── 知らないのか?!」
「最近こそ落ち着いているが、私は悪夢を見ている……と思う。 その内容は覚えていないから、わからない。 昼下がりに忘れるような感覚ではなく、夢の内容を全く覚えていないから、誰にも話せない。 何度も夜通し起きていようとしたが、確実に1日に1度は眠りに落ちる。 異様な眠気に襲われる」
私は体勢を整えて座り直し、上方を見た。
私自身が遊びで造った氷のシャンデリアが提がり、柔らかく煌めいている。
瘴気を編む魔族となっても、私は氷を得意としていた。
私は続けた。
「アングルボダ……アリスの母親だな」
「アリス様、オマエにまるで何も話してねーな」
「私の面倒事の背後にはいつもアリスの影がある」
「アリス様がオマエに渡したピアスにはアリス様の祈りが織り込まれている。 オマエが怖い夢を見ないで済むようにって。 ……オレ様に聞くなよ。 そこまで詳細には知らねーからな」
私は視線をエドアルドに戻した。
彼は腕を組んで立っている。
相変わらず律儀な男だと感じた。
「もう少し、楽しい夢が良かった」
「アングルボダ様の御前で贅沢だっての。 ── じゃ、起こしたからな。 遅れるなよ」
私はエドアルドを見送り、再び氷のシャンデリアを見た。
何事も感じていないかのように話を進めたが、私は多くの疑問を得ていた。
私の夢がコントロールされているという話は事実だろうか。
少なくとも20年は私は眠りに悩んでいる。
アングルボダと会ったのは、つい先日の事だ。 辻褄が合わない。
ましてや、目的は何だ?
エドアルドはどこまで知っている?
アリスはなぜ理由を黙ってピアスを寄越した?
肌身離さずつけていろ、と『命令』されたが、どれだけ記憶を辿っても私にピアスを寄越した理由を彼女は口にしていない。
何かを知っていそうな素振りだけするシャンデリアは よそよそしく煌めくだけだ。
今の私に、これらの疑問の全てを凍てつかせる力は到底なかった。
*
読書に飽きた私は、上機嫌に鼻歌を歌いながら手にクリームを塗るアリスを眺めていた。
私の視線に気がついた彼女は 「どうしたの?」 と私に問いかけた。
「妙な匂いがする」
「マグノリアよ。 このクリームはカルメンが作ってくれたの」
「マグ……わからん」
「樹木に咲くきれいな花よ。 あのね、1億年も前からその命を繋いできたんだって」
彼女はドレッサーから立ち上がると、手に缶とスパチュラを持ち、私の隣に着席した。
彼女は私の手から本を優しく取り上げ、テーブルに散らかしていた栞を挟み、そっと置いた。
それから、私の手を取り、勝手にクリームを塗りつけた。
「お花は知らなくても恐竜は知っているんでしょう?」
「ああ。 無意味に名前を並べて遊んでいた」
「かわいいわね。 恐竜が一大王国を築いていた頃、咲いていたのよ。 歴史を唄う吟遊詩人のようでしょう。 まるで希望を伝えているようで、わたしは好きなの。 それに、とってもすてきな香り」
アリスはマグノリアの香りを塗り終えた私の手を、彼女の両手で包んだ。
私が彼女の翠の瞳を見つめた時、一瞬、何かがチラついたように感じたが、それが何かは掴めなかった。
「希望……?」
「そうよ。 わたしにとっての本当の希望は、あなただけれど」
「繰り返しよく聞き、理解しているからその理由の陳述は割愛してくれて構わない」
「わたしは言い足りないくらいなのに。 あなたがどんなに素晴らしいか、わたしがあなたにどれほど感謝しているか」
アリスは柔らかく微笑んだ。
私は、何度もその微笑みを見てきた。
何度も── ずっと、遥か昔からその微笑みを知っているような気さえしてきた。
アリスは続けた。
「みんな、誰かを傷つけながら生きている。だから、せめて、わたしはわたしが大切だと信じるあなたを守りたいの。 寝ても、覚めても 」
私はアリスに私自身の夢や眠りの事を訊ねるつもりでいた。
だが結局、彼女の微笑みを前にやめてしまった。
私は彼女に礼を述べた。
彼女は頷き、私の手に口づけしてから 「もう少しかかる」 とドレッサーへ戻った。
私は手元に残された香りを眺めた。
私は香りの中で思い出した。 昼間に見た光景だ。
昔、確かにあの光景に身を置いていた。
私は眠りを通して過去を追体験していたということになる。 ── なぜ?
マグノリアが希望を伝える吟遊詩人なら、私の夢は警鐘を鳴らす偽善者のように思えた。
「お待たせ、ロレンツォ」
身支度を終えたアリスは当然のように私に微笑みかけた。
夢の最後に必ず私に微笑みを向ける存在が彼女であるかどうかの確信が、まだ持てなかった。
「アリス」
「なあに?」
「……いや、なんでもない」
私は立ち上がり、アリスをそっと抱き寄せた。
彼女は無抵抗に、私の好きにさせた。
── 夢の中で見た彼女の傷は、治っただろうか。
(おわり)
私に微笑みかける君は── 君は、誰だ?
夢は私に塵1つの手土産も与えずに現実へと突き放す。
── ああ、今朝は酷い。
私は目眩と吐き気を堪えられなかった。
*
「こんにちは、ロレンツォ」
「アリス」
「あなたを見たの。 それで……。 ……。 ……あなたの国の言葉、とても難しいわ」
「良く話せている。 悪いが、私は忙しい。 失礼する」
「Wait, wait, wait」
「……すまない。 君の言葉は私にはわからない」
まだ幼さを残す少女・アリスの向こう側にシスター・マリアが立っていた。
あらかた、牛乳か何か朝食の材料が足りなくて早朝から開けている稀有な店に買い求めに来たのだろう。
マリアは私に手を振って挨拶した。 私は雑に手を振り返した。
アリスは不安げに私を見上げている。
彼女の大きな翠の瞳が澄んだ朝の空気に煌めいていた。
突如、翠の煌めきが激しく揺らめいた。
職場へ向かう大通りの看板の文字がダリの絵画のように垂れて見えて──
*
「気がついたわね」
「マリア。 ここは」
「教会。 喫茶店に走ってステファノに頼んだのよ。 アナタが倒れたから、彼と一緒にここまで運んだってことね」
「私が、倒れた」
「アリスもパニックを起こしたのよ。 あたしじゃ、あの子の言っている事が全然分からないし、アリスがあまりに動揺していてステファノの話も聞こうとしないから、仕方なく彼がアリスを眠らせて……。 ほら、あっち」
清潔な寝台の上に、私は転がっていた。
状況を理解するのもままならないが、シスターに指示された先を見ると、少女がソファで静かに眠っていた。
私はアリスを眺めながら、朝からの出来事を脳内で並べ、理解に努めた。
「……驚かせてしまったか」
「しきりのアナタの名前を呼んでいたわ。 ……昨日の夜、卵を買い忘れてね。 今朝はアリスが起きていたから買い物に付き合ってもらったんだけど、あの子ったらアナタを見つけたら店とは反対方向に一目散に飛んで行ったのよ」
「……そうだったのか。 ステファノはアリスに針を使ったんだな」
「やむなしよ」
「そうか。 色々と、かわいそうに」
私はベッドから立ち上がった。
よろついたが、気分の悪さは いくらかましになっていた。
私はアリスの眠るソファへ寄った。
「ロレンツォ。 何をする気?」
「私も魔術師の端くれだ。 ヤツが彼女につけた刺し傷を治すくらいなら私にもできる」
「ちょっと! フラフラじゃない。 魔法を編むのはやめておきなさいって」
「ステファノに後始末をさせるのも癪だ。 ……それにしても、良い夢を見ていそうだ」
「今でこそ、すやすや寝ているけれど、さっきまで大騒ぎだったのよ。 今頃、アナタの夢でも見ているんじゃないかしら。 アナタにずいぶん懐いてるわよね」
「その夢を彼女は起きた時に覚えているだろうか」
「アナタも変な事を言うわよね。 どのみち夢の内容なんて、昼下がりにもなれば忘れているでしょう?」
「昼下がり、ね」
早朝の私の態度は辛かったかもしれない。
私は眠るアリスの手を取り、袖を捲った。
予想通り、綿をテープで固定されていた。
私と同期のステファノは優秀な幻覚系の魔法使いだが、牙刺等、相手の傷口を経由させないと自らの力を発揮できない。
温厚な彼が魔法を使うとは余程だったのだろう。
彼女の腕に痣が残るのは避けたかった。
否、これは単なる自分自身の罪滅ぼしのつもりだろう。
己の浅はかさに内心でせせら笑った。
「アリス。 魔法使いにはそれぞれクセがある。 私の編むものは……少し冷たいかもしれない」
私の声が、ステファノがアリスに与えた夢の中── おそらくはとても穏やかな夢── を歩く彼女に届いたかはわからない。
眠る少女は、柔らかく口角を上げた。
*
「いい加減に起きろよ、王サマ」
「── エドアルド。 ……。 ……マリアは」
「……。 待てよ、誰だよその女」
「夢、か……。 ──夢? エドアルド、私は夢を見ていたのか」
「オマエ、熱でもあるのか?」
怪訝そうに立つ赤毛の男・エドアルドはため息をついた。
私は先ほどまで自分が身を置いていた環境を彼に話した。
エドアルドは私の話を聞き終わると「夢だろうな」とぶっきらぼうに返事をした。
「机に突っ伏してぐーすかぴーすか寝てるから、時間を置いてまた来てやったんだが、やっぱりまだ寝てやがった。 疲れているのはわかるが、この後は南部の視察だぜ。 もうじきに出ないと間に合わない」
「悪かった。 ところでエドアルド、貴様は夢を見る事はあるか」
「夢? ある、けど……夢に妙に拘るな……って、そうか。 オマエ、呪われてるんだったよな」
「……呪い?」
「オマエの眠りはアングルボダ様にコントロールされてるって── 知らないのか?!」
「最近こそ落ち着いているが、私は悪夢を見ている……と思う。 その内容は覚えていないから、わからない。 昼下がりに忘れるような感覚ではなく、夢の内容を全く覚えていないから、誰にも話せない。 何度も夜通し起きていようとしたが、確実に1日に1度は眠りに落ちる。 異様な眠気に襲われる」
私は体勢を整えて座り直し、上方を見た。
私自身が遊びで造った氷のシャンデリアが提がり、柔らかく煌めいている。
瘴気を編む魔族となっても、私は氷を得意としていた。
私は続けた。
「アングルボダ……アリスの母親だな」
「アリス様、オマエにまるで何も話してねーな」
「私の面倒事の背後にはいつもアリスの影がある」
「アリス様がオマエに渡したピアスにはアリス様の祈りが織り込まれている。 オマエが怖い夢を見ないで済むようにって。 ……オレ様に聞くなよ。 そこまで詳細には知らねーからな」
私は視線をエドアルドに戻した。
彼は腕を組んで立っている。
相変わらず律儀な男だと感じた。
「もう少し、楽しい夢が良かった」
「アングルボダ様の御前で贅沢だっての。 ── じゃ、起こしたからな。 遅れるなよ」
私はエドアルドを見送り、再び氷のシャンデリアを見た。
何事も感じていないかのように話を進めたが、私は多くの疑問を得ていた。
私の夢がコントロールされているという話は事実だろうか。
少なくとも20年は私は眠りに悩んでいる。
アングルボダと会ったのは、つい先日の事だ。 辻褄が合わない。
ましてや、目的は何だ?
エドアルドはどこまで知っている?
アリスはなぜ理由を黙ってピアスを寄越した?
肌身離さずつけていろ、と『命令』されたが、どれだけ記憶を辿っても私にピアスを寄越した理由を彼女は口にしていない。
何かを知っていそうな素振りだけするシャンデリアは よそよそしく煌めくだけだ。
今の私に、これらの疑問の全てを凍てつかせる力は到底なかった。
*
読書に飽きた私は、上機嫌に鼻歌を歌いながら手にクリームを塗るアリスを眺めていた。
私の視線に気がついた彼女は 「どうしたの?」 と私に問いかけた。
「妙な匂いがする」
「マグノリアよ。 このクリームはカルメンが作ってくれたの」
「マグ……わからん」
「樹木に咲くきれいな花よ。 あのね、1億年も前からその命を繋いできたんだって」
彼女はドレッサーから立ち上がると、手に缶とスパチュラを持ち、私の隣に着席した。
彼女は私の手から本を優しく取り上げ、テーブルに散らかしていた栞を挟み、そっと置いた。
それから、私の手を取り、勝手にクリームを塗りつけた。
「お花は知らなくても恐竜は知っているんでしょう?」
「ああ。 無意味に名前を並べて遊んでいた」
「かわいいわね。 恐竜が一大王国を築いていた頃、咲いていたのよ。 歴史を唄う吟遊詩人のようでしょう。 まるで希望を伝えているようで、わたしは好きなの。 それに、とってもすてきな香り」
アリスはマグノリアの香りを塗り終えた私の手を、彼女の両手で包んだ。
私が彼女の翠の瞳を見つめた時、一瞬、何かがチラついたように感じたが、それが何かは掴めなかった。
「希望……?」
「そうよ。 わたしにとっての本当の希望は、あなただけれど」
「繰り返しよく聞き、理解しているからその理由の陳述は割愛してくれて構わない」
「わたしは言い足りないくらいなのに。 あなたがどんなに素晴らしいか、わたしがあなたにどれほど感謝しているか」
アリスは柔らかく微笑んだ。
私は、何度もその微笑みを見てきた。
何度も── ずっと、遥か昔からその微笑みを知っているような気さえしてきた。
アリスは続けた。
「みんな、誰かを傷つけながら生きている。だから、せめて、わたしはわたしが大切だと信じるあなたを守りたいの。 寝ても、覚めても 」
私はアリスに私自身の夢や眠りの事を訊ねるつもりでいた。
だが結局、彼女の微笑みを前にやめてしまった。
私は彼女に礼を述べた。
彼女は頷き、私の手に口づけしてから 「もう少しかかる」 とドレッサーへ戻った。
私は手元に残された香りを眺めた。
私は香りの中で思い出した。 昼間に見た光景だ。
昔、確かにあの光景に身を置いていた。
私は眠りを通して過去を追体験していたということになる。 ── なぜ?
マグノリアが希望を伝える吟遊詩人なら、私の夢は警鐘を鳴らす偽善者のように思えた。
「お待たせ、ロレンツォ」
身支度を終えたアリスは当然のように私に微笑みかけた。
夢の最後に必ず私に微笑みを向ける存在が彼女であるかどうかの確信が、まだ持てなかった。
「アリス」
「なあに?」
「……いや、なんでもない」
私は立ち上がり、アリスをそっと抱き寄せた。
彼女は無抵抗に、私の好きにさせた。
── 夢の中で見た彼女の傷は、治っただろうか。
(おわり)