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夢幻の弔い(小ネタSS)

2025/10/24 19:33
小ネタ
「アリス。 唐突だが、君に話したいことがある」
「ロレンツォがそんなこと言うなんて、珍しいわね」

就寝前、アリスはドレッサーの前に腰掛け、穏やかな表情で豊かな桃色の髪をまとめていた。
彼女は私を鏡越しに確認しながら、髪を結う手を止めずに頷いた。
彼女の希望で私達の寝室は屋敷の中では比較的狭い質素な部屋に落ち着いた。
私も、互いの距離感にまとまりの感じる事の出来るこの部屋で良かったと思う。
主観だが、物理的な距離感は時に心理的な距離感を個人の思い込みに依存させてしまうような気がする。
この部屋では、ドレッサー越しの返事でも私には彼女の意図が正しく伝わり、安心を覚えた。

「ベッドに来て欲しい」
「直球ね。 いちいち話さなくたって良いのに」

── 私の意図が彼女に歪められた気がするのは部屋のせいではないだろう。

*
私は上機嫌な彼女よりも先に寝具に潜り込み、寝香水を振り撒きながらハミングを奏でる彼女を眺めた。
ようやく寝支度が整ったらしいアリスはこちらに踊るように駆け寄り、私が横たわる寝具に腰かけた。
漂った甘いピオニーの香りは普段よりも強い。
彼女は昔に私が渡した誕生日プレゼントを愛用し続けている。 嫌いな香りではないものの、私はこの香りを感じる度に心中で懺悔させられている気分になる。
その頃は彼女とこんな関係になるとは『夢にも』思っていなかった。
アリスの細く白い指先が私の頬に触れた。

「いつでもどうぞ♡」
「すまないな。 長くなりそうだから、勝手に寝てもらって構わない。 ……私が町で暮らしていた頃の話だ」
「待って」
「……まだ何も話していないに等しいんだが」
「あなたはわたしにベッドに来て欲しいって」
「君は主神会議とやらで居眠りをしなかった試しがないだろう。 話に飽きて椅子の上で眠られたら面倒だから、ベッドに呼んだんだ」

アリスは私の不躾を自覚できる発言に頬を膨らませ、立ち上がった。
この行動は彼女のクセで、恒例行事でもある。 もう見慣れたが、私はため息をついた。

「私は話がしたいと言った」
「ラブラブピロートークでしょ?!」
「それを私に期待するのか? 君の脳内の私は何を話している?」
「えっと、そうね……」

彼女はハッとした様子でまた腰かけた。
暫く考え込み、それから悲し気にこちらを見た。
恐らく、彼女の求める結果は得られなかったのだろう。

「ロレンツォ……あなたはモテモテなのにどうしてそんなに恋愛偏差値が低いのかしら?」
「興味がなかったんだ。 見合いの話は出ていたがな」
「ええっ?! あなたのお見合いの話は聞いてない、聞いてないわよ?!」
「……言っていなかったか?」
「初耳学よ!」
「寮に来た母親に生活力がないと呆れられて、誰か見張りが必要だと……。 ちょうど繁忙期で家事まで手が回らなかっただけなんだが、親はそうは思わなかったんだ。 ……相手はアズーリの姉のミモザだ」

アリスは口を開けて驚きを隠さないまま、無言で頷き、私の言葉を待っていた。

「私自身は既にアズーリとは不仲ではあった。 ヤツとは不仲だったが、別にミモザは嫌いではなかったし、不憫に思っていた。 病弱であまり外に出られないのに弟は恋人と暮らし始めてミモザは一人暮らしだった。 彼女にはパートナーや日々訪ねてくるような熱心な友人もいなかった」
「その、お見合いは、成立していたの……?」
「アズーリにも話す気でいたんだが、いきなり彼女から断られた」
「あなたが断られるの?!」
「魔族になるから、魔族嫌いの私とは暮らせないと言われた。 私には意味がわからず、彼女の飲む精神薬の副作用かと思って医学部にいた後輩のラファエルに話を寄せて別の優れた医者を探していた頃、アズーリが恋人のダニエラと姉のミモザを殺したんだ。 それでようやくミモザの言葉の意味がわかった。 彼女は人と魔族を入れ替える禁忌術の話をしていたんだと」

*
私はアリスの腕に収まっていた。
彼女の手が私の髪を撫でる。
優しく香るピオニーの甘さが痛い。
その香りは会話の中でミモザが教えてくれたものだ。 全員ではないが、女はこの香りが好きなことが多いとミモザが言っていたから、参考にした。

「あなたがマローネを嫌う本当の理由は、それなのね」
「魔族を迎合したことが一番の理由だ」
「嘘をつかないで。 その頃、わたしはまだ町に居なかったんだから、怒ったり、嫉妬するほど弱くはないわ。 あなたは確かにミモザさんを愛していたのよ」
「……だが今、私の妻は魔族だ。 結局、私もミモザを裏切ったんだ」

アリスは私を覗き込んだ。
彼女の美しい翠の瞳が涙に揺れている。 色こそ違うものの、あの日、最後に見たミモザの瞳を思い出した。
やがて、ずっとリボンで封をしていたフィルムの束が急に私の前に現れた。
私は予告なく襲いかかる切れ味の良い思い出を見つめた。

*
「お皿を洗わずに寝てしまったのね」
「翌日に寝坊して、そんなタイミングで寮に親が来た」
「あなたらしいわね。 それで、なんで私が選ばれたの? 私の弟と喧嘩してるんでしょう? それに、あなたならいくらでも女の子がいるじゃない」
「皿くらい洗うし、寝坊も別に毎日じゃない。 アズーリのことは、まあ……ミモザには関係はない。 こんなくだらない話だ、適当にやり過ごしてくれ。 私とは合わないと私の母に言って貰えたら良い」
「そんなお願いをするためだったのね。 仕方ないわね」


「こんばんは。 あら、ロレンツォ」
「この夜分に1人なのか?」
「ええ。 マローネはダニエラちゃんと南に部屋を借りているから」
「あいつ……」
「今はそれなりに調子が良いから大丈夫なのよ。 そんなことより、どうしたの?」
「なんとなく立ち寄っただけだ。 これは実家のものだ。 私の財布は何も痛んでいないから気にしなくて良い。 おやすみ、ミモザ」
「あら、葡萄。 ありがとう、気楽に貰えて嬉しい。 おやすみ。 今日はお皿を洗うのよ」


「おはよう……って、ロレンツォ。 なんとなく来てくれてたの?」
「今日は仕事がない。 皿は洗った」
「上出来ね」
「体調が良いならサッカーでもするか」
「私に出来ると思うの?」
「全く思わない」
「相変わらずの言い種ね。 でも、そうね……。 少しだけなら」


そう、彼女の部屋もそんなに広くはなく、質素で、そして ──

*
「もう、おしまい」

鈴の鳴るような声が静けさの中に響いた。
どこまでも優しい響きだった。

「あなたは裏切り者じゃない」

私は現実へ手引きされながら、微笑みを湛える翠色を見つめなおす。
私の髪を撫で続けるアリスもまた私を見つめている。

「あなたは優しい。 あなたの優しさは “わたしと離れている間も” ずっとそうやって育てられていたのね」

私は今宵、ミモザの話ではなく『夢』の話をするつもりだった。
そしてアリスはこうして時々、まるで私と彼女が遥か昔に出逢っていたのだというような態度を取る。
私と時折錯誤する、その意味合いを確認したかった。
だが、もう遅い。 “死ノ国” の夜は深く、堕ちてゆくような錯覚を覚えるほど深い。

「でもね、わたし少しだけ気がついていたの」
「ミモザのことか」
「関係まではわからなかったけど……あなたがこの国の説明を受けた時に誰かを探したがったような気がしたの」
「君は察しがいい」
「この国の住民は例外を除いて姿形を奪われ、生前の記憶を失う。 そのうえ、何者かがこの国で管理されている特定の魂にピンポイントで会いたいという願いは許されないわ。 そのルールはあなたにもわたしにも適用される。 あなたも察しがいいから、実際に彼女を探すことは控えたんでしょう?」

私は何も言わなかった。
彼女は私の態度を悪く思わず、納得してくれたようだった。
私は目を閉じる。 忘れようとしていた彼女の面影が靄のように目蓋の裏の暗闇に広がった。
アリスはまだ私の髪を撫でている。 優しく、どこまでも優しいその感覚が靄を晴らしていく。

心地の良い距離感を覚えられる部屋にいるはずなのに、広大に感じた。
私はどうしようもなく、泣きなくなった。
私は涙を綴じ籠めるようにして小さな黄色の花びらが散るフィルムの束にリボンを巻き直しながら、目を閉じたままアリスに話しかける。

「アリス」
「なあに?」
「話を聞いてくれてありがとう」
「この話じゃなかったんでしょう? また、聞かせてね」
「そうしてくれると助かる。 ……そうだ、もう1つ」
「なあに?」
「明日は私が皿を洗うよ。 ……おやすみ、愛しい君」

(夢幻の弔い……おわり)

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