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アリバイ(小ネタSS)

2025/10/11 18:50
小ネタ
私の夢は魔族をこの世から排除することだ。 理由をうまく言い表せられないが、私は魔族を毛嫌いしている。
だがそんな夢はおそらく壮大で、叶う頃には文明もろとも消滅しているだろう。

「── では、今日の調書はここまでだ」
「ひとつ、聞き忘れている事柄があるわ」

ウェーブのかかる豊かな桃色の髪を高い位置で束ねた少女は、その翠の瞳を緩やかにカーブさせて楽しげに私を見た。
私は自分の手元に置かれた書類に目配せしたが、空欄は見当たらなかった。

「いや、くだらない質問の全てに解答してもらった」
「余白を見落としているわ。 わたしの夢はロレンツォのお嫁さんになることよ。 ── ほら、大事な事はメモしろって言うじゃない。 わたしなら、大事なメモは余白に赤字で目立つように書き記すわ」

彼女はそう言うなり、机上に赤色のマーカーを私に差し出すように置いた。
おそらく、今まで利口に膝の上に置いていた手中にしたためられていたものだろう。
私はマーカーを受け取った。

「大人をからかうのはよせ、アリス」
「夢を持つことは生者にとって大切なことよ、ロレンツォ」
「哲学の授業は好まないんだがな」

私はペンのキャップを外し、欄外を眺めた。
彼女の供述を記せる程度の幅はありそうだった。
アリスは私の注意など聞く耳も持たない様子で得意気にクスクスと笑う。

「……って、え、ちょっと!」

一転して、彼女の弧を描いていた瞳が小さく丸くなる。
私はペンを走らせる手を止めなかった。
立ち上がった少女の表情は怒りに満ちていく。
その様子は可笑しくてたまらなかった。
検事になったものの、早速 謹慎を喰らって退屈していた頃、偶然町に辿り着いたアリスの観察記録を安易に引き受けてからの付き合いだが、彼女の様子をこうして定期的に確認することは息抜きにはなっている。

私はペンを彼女の方へ机上を滑らせて返却し、代わりに、机の角で申し訳なさそうに待っていた灰皿を引き寄せた。
アリスは頬を膨らませ、着席する。
私はシガレットに火を点けた。 紫煙の向こうに見える翠色の輝きが美しい。

「『夢を持つことは生者にとって大切なことよ』……相違なく記載しておいた」
「これはわたしの定期観察記録でしょう? 一般論じゃなくて、わたしの夢を書いてくれなきゃ意味がないわ」
「残念だが、もう欄がない」
「上にも横にもあるじゃない。 そうだわ、上から書いちゃえば良いんだわ。 『好きな食べ物は何ですか?』とかいう質疑応答集なんか誰が見返すの?」
「5年物になるように倉庫に寝かせられた後、暇な新人にシュレッダーにかけさせていくのが毎年春の恒例行事だから、誰も見ない。 ── ところで、君は大切なことを忘れている」

アリスは不思議そうに私を見た。
だが、私はここで “失態” を犯す事になる。

「本当に大事なことはメモに残さない。 残す必要がない。 当人にとって良くも悪くも、忘れたくても忘れられない」
「……!」

アリスはしばらく呆けたようにしてから、パッと花を咲かせるように笑顔を浮かべる。
私はその顔を見て、私が余白に記載しなかった彼女の供述を “思い出した” 。
だが、今更に自らの発言を訂正できる状況ではなかった。
アリスは再び息を吹き返したかのように立ち上がり、ついにパタパタと部屋を出ていってしまった。
大きな声でシスターを呼んで走る彼女の足音は少しずつ遠くなり、部屋には役目を終えたシガレットを灰皿に沈めて頭を抱える私が1人、書類と共に残された。

*
「何だ?」

ふと、部屋の様子に違和感を覚えて顔を上げると、今まで私の失態を映していたはずの鏡が悲鳴を上げて息絶えていた。
私は鏡の前へ向かい、ヒビに触れた。
そこに立ち籠めているのは人間には扱えないはずの魔族由来の “瘴気” の他になかった。
この場所に居たのは── 間違いなく── 私と彼女の2人だけだった。

私は少し躊躇ったが、ジャケットの裏ポケットから杖を取り出した。
私は確信を縫い綴じるように、自身の生命力をエサに瘴気を呼びよせる人間由来の “魔術” で、鏡面に走るヒビを継ぐ。
元の姿へ整った鏡に映る私の表情については、メモに残せるような余白が足りず、よく覚えていない。
軽快に部屋の扉が開き、不意に映り込んだアイスティーの入ったグラスを並べた盆を持つ嬉しそうなアリスの姿はよく覚えている。

── 私の夢は、何だっただろうか。

(“アリバイ” おわり)

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