ある老婆の宝の話

「ロレンツォ様! それにアリス様、エドアルド……」
「カロン。 わたしも話を聞いたのよ。 トマスさんの状況はどう? まだ迷い子にはなっていないわね?」
「肉体の方はあといくらか保てると思われますが……とにかく、あの調子です。 とうとう泳いで行くといって聞かなくなりまして……ああ、なんたる失態……!」
「落ち着いて。 わたし達も説得をするわ」

船着き場でふんぞり返っている老人に手を焼いていたカロンは、申し訳なさそうに私達を通した。
カロンの疲労の色は濃くなっていた。 私は彼に労いの言葉をかけた。
老人は私とエドアルドの姿を確認すると鋭い目を向けた。

「なんじゃ、もう来たのか。 わしは生き返るぞ。 もう暗いからの。 泳いでいくんじゃ」
「こんばんは」
「べっぴんさんを連れてきても無駄じゃ。 ばあさんの若い頃はもぉっと綺麗じゃったからな」
「わたしはアリス。 実はこの国の女王なの。 こちらは夫のロレンツォと、家来のエドアルドよ。 さっきは気を悪くさせたみたいで、ごめんなさい」
「若造……王様じゃったか」

私は何も言わなかった。
アリスはトマスの隣にそっと座ると、彼の手を優しく取った。

「ロレンツォはあなたを助けようとしたんだけど……無茶が過ぎるから、わたしが反対したわ」
「わしはばあさんのところへ帰るよ」
「愛する人が、心配?」
「いや……死ぬのは構わん。 もう歳じゃ。 あんなごみ溜めの中でよう生きながらえた。 死んでよかった。 じゃが……わしのせいで、ばあさんに迷惑をかけた。 ばあさんより先には死にとうなかった。 それにせめて、ばあさんが死ぬときくらいは名前を言うて見送ってやりたい……わしの人生最後にできる事なんじゃ」
「あなた、病死なのね。 治療は?」
「そんな金はない。 ああ、わしが死んだら……ばあさんも……」

気丈に振る舞っていたトマスは涙を浮かべ、やがておいおいと泣き始めた。
アリスはふわりと彼を抱き締めて、その背中をさすってやる。
私もその場に座り込むと、エドアルドも続いて腰を降ろした。

「本当はしちゃいけないんだけれど……。 本当なら、船を降りるともう生前の記憶が薄れてしまうし、ぼんやりとしてしまうの。 あなたは愛する人への想いを決して失わなかったわ。 だから、あなたの愛する人へあなたの気持ちをしたためたお手紙を届けます」
「手紙……。 そんなもので食うていけたら、苦労はせんよ」
「そうね。 でも、もう作っちゃったわ」

彼女はよしよしと老人の背を優しく叩いて、腕をほどいた。
それから、月の浮かぶ宵闇に手のひらをかざすように差し出した。
風が巻き上がると、舞う鉄錆びが引き合い、命を宿したように形作り始める。
やがて月に負けない程の激しい煌めきを呈すと、“手紙” が姿を現した。
トマスは口を開けてポカンとそれを見つめている。
私には何が起きているのか、アリスが何をしたのかさっぱりわからなかった。
ただ、美しく輝く封書が静かにアリスの膝に落ちていた。

「アリス様、これは……。 ── 墓荒らしとどっちがマシかわかりゃしない……」
「ロレンツォ、エドアルド。 責任をもってしっかり届けてね。 お金に困ったら、このお手紙の封筒を売ると良いと伝えて。 他でもないトマスさんが造り出したものだから、何も気後れすることはないわ」
「すまない、アリス。 これは一体……」
「細かい話は後よ。 ねえ、カロン。 2人を地上へ送ってくれるかしら」
「わ、わしは……そのぅ、何を、しとるんじゃったか……ええっと……ケリーの……ケリー? ケリー……」
「トマスさん。 さあ、行きましょう。 きっとこれまでの全てを忘れてしまうけれど、今 口にしたその名前を魂に刻みながら歩くのよ。 磁石のように惹かれ合う魂ならば、わたしの呪いに打ち勝って── またきっと巡り合うわ」

私は理解が及ばないまま、アリスから手渡された “手紙” を受け取り、頷いた。
指示を受けたカロンは疲れを振り切って素早く船出の準備を始め、私とエドアルドを手招きした。
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