ある老婆の宝の話
老いぼれた男が情けなく膝を着き、恥をも捨てて涙を流す。
犬の散歩ついでに立ち寄った船着き場は異様な空気に包まれていた。
耳の尖った赤毛の男となだらかなウェーブのかかる薄紫色の髪を下ろす男が細い体躯を囲み、呆れたように見下ろしていた。
私は犬を近くで待たせて彼らに歩み寄った。
「ロレンツォ様!」
「オマエ……何しに来たんだよ」
老人を見下ろす2人は私に気が付くと面倒事が増えたというように溜め息をつく。
私は構わずに問いかけた。
「犬の散歩中だ。 何が起きている」
「この爺さん、自分が死んだと認めねてくれねーんだ」
答えたのは赤毛のエドアルドだった。
彼はこの国に運ばれてきた者を迎える役割を担っている。
彼らを乗せた船を導く薄紫髪の男── カロンが続ける。
「ごきげんようございます、ロレンツォ様。 このような光景を見せてしまい、遺憾にございます。 この者の魂は仮死状態にございまして」
「仮死状態?」
「生死をさ迷っていると言えば理解されやすいでしょうか。 帰してやることも考えましたが、彼の場合は……この国に入国した方が良いのです。 もう、土葬されてしまっているんですよ。 かなり珍しいケースですが、土葬の場合はこういったトラブルがございます。 スラムで暮らしていたようで、防腐もされないまま埋められたようで」
「燃やしてくれりゃ、こういう “事故” もないんだけどな。 まあ……もう葬儀は終わってるって聞いたらだいたいのヤツは死を選ぶんだけどさ」
エドアルドの発言に、カロンは細い指先でその頭を押さえた。
その疲れた表情から、随分長いことこの老人に粘られているのだろう。
「アンタは、何者だ?」
渦中の男が私を見上げた。
頬が痩け、体躯も細い。 殆どない髪と適当に植え込まれたような少ない歯は彼の持つ雰囲気の悲惨さを底上げするのに充分だった。
私はシガレットに火を点けてしゃがみこみ、彼と目線を合わせた。
真っ赤に泣き腫らした瞳がギョロりと私を見た。
「私はロレンツォ・グリージという」
「ロレンツォさまと呼ばれていたが、アンタはお偉いさんか?」
「そのつもりはない」
「とにかく、ワシは死にとうないんじゃ。 ばあさんを置いてきてしまった」
「なら、その婆さんとやらも連れてくるか。 貴様の連れなら、もう大往生だろう。 頃合いだ」
「いかん、いかん、いかーん!! それはエヌジィじゃ、エヌジィ!!」
老人は腕で大きくバツ印を掲げる。
鉄錆びの舞う “死ノ国” の風が静かに吹いた。
「……と、まあ。 この調子なんだよ」
「だいたい理解した」
「爺さん! アンタを地上に帰してやってもいいけど、『これならあの時に死んでおけば良かった』だとか、いちいちクレームつけるなよ? 起きたら棺桶の中、運良く棺桶が開いてもその上には土と漬物石みてぇなしょうもねぇ墓石なんだからな!」
エドアルドが苛立ちを隠そうともせずに老人になじる。
近くで利口に待っていた犬が心配そうに鳴いたのが聞こえた。
「やめろ、エドアルド。 ……貴様の名前を聞いていなかったな」
「……わしはトマスじゃ」
「トマス。 諦めた方が賢明だ。 地上に意識を戻したところで、その非力さでは外に出られない。 魔術を使える人間ではないのだろう」
「棺桶は蹴飛ばす! 土は掻きわける! 漬物石みたいな墓石なら簡単にどかせる! わしはまだまだ現役なんじゃあ!」
「そうか。 ……カロン。 彼を一晩ここで見ていろ。 まだ帰すな」
「えっ、あの……。 仰せのままに」
突然名前を呼ばれたカロンは一瞬声を裏返らせたが、すぐに恭しく頭を下げた。
私はエドアルドを連れて、まだ喚いている老人と頭を抱えるカロンに背を向けた。
座って待っていた犬が尻尾を振って立ち上がった。
犬の散歩ついでに立ち寄った船着き場は異様な空気に包まれていた。
耳の尖った赤毛の男となだらかなウェーブのかかる薄紫色の髪を下ろす男が細い体躯を囲み、呆れたように見下ろしていた。
私は犬を近くで待たせて彼らに歩み寄った。
「ロレンツォ様!」
「オマエ……何しに来たんだよ」
老人を見下ろす2人は私に気が付くと面倒事が増えたというように溜め息をつく。
私は構わずに問いかけた。
「犬の散歩中だ。 何が起きている」
「この爺さん、自分が死んだと認めねてくれねーんだ」
答えたのは赤毛のエドアルドだった。
彼はこの国に運ばれてきた者を迎える役割を担っている。
彼らを乗せた船を導く薄紫髪の男── カロンが続ける。
「ごきげんようございます、ロレンツォ様。 このような光景を見せてしまい、遺憾にございます。 この者の魂は仮死状態にございまして」
「仮死状態?」
「生死をさ迷っていると言えば理解されやすいでしょうか。 帰してやることも考えましたが、彼の場合は……この国に入国した方が良いのです。 もう、土葬されてしまっているんですよ。 かなり珍しいケースですが、土葬の場合はこういったトラブルがございます。 スラムで暮らしていたようで、防腐もされないまま埋められたようで」
「燃やしてくれりゃ、こういう “事故” もないんだけどな。 まあ……もう葬儀は終わってるって聞いたらだいたいのヤツは死を選ぶんだけどさ」
エドアルドの発言に、カロンは細い指先でその頭を押さえた。
その疲れた表情から、随分長いことこの老人に粘られているのだろう。
「アンタは、何者だ?」
渦中の男が私を見上げた。
頬が痩け、体躯も細い。 殆どない髪と適当に植え込まれたような少ない歯は彼の持つ雰囲気の悲惨さを底上げするのに充分だった。
私はシガレットに火を点けてしゃがみこみ、彼と目線を合わせた。
真っ赤に泣き腫らした瞳がギョロりと私を見た。
「私はロレンツォ・グリージという」
「ロレンツォさまと呼ばれていたが、アンタはお偉いさんか?」
「そのつもりはない」
「とにかく、ワシは死にとうないんじゃ。 ばあさんを置いてきてしまった」
「なら、その婆さんとやらも連れてくるか。 貴様の連れなら、もう大往生だろう。 頃合いだ」
「いかん、いかん、いかーん!! それはエヌジィじゃ、エヌジィ!!」
老人は腕で大きくバツ印を掲げる。
鉄錆びの舞う “死ノ国” の風が静かに吹いた。
「……と、まあ。 この調子なんだよ」
「だいたい理解した」
「爺さん! アンタを地上に帰してやってもいいけど、『これならあの時に死んでおけば良かった』だとか、いちいちクレームつけるなよ? 起きたら棺桶の中、運良く棺桶が開いてもその上には土と漬物石みてぇなしょうもねぇ墓石なんだからな!」
エドアルドが苛立ちを隠そうともせずに老人になじる。
近くで利口に待っていた犬が心配そうに鳴いたのが聞こえた。
「やめろ、エドアルド。 ……貴様の名前を聞いていなかったな」
「……わしはトマスじゃ」
「トマス。 諦めた方が賢明だ。 地上に意識を戻したところで、その非力さでは外に出られない。 魔術を使える人間ではないのだろう」
「棺桶は蹴飛ばす! 土は掻きわける! 漬物石みたいな墓石なら簡単にどかせる! わしはまだまだ現役なんじゃあ!」
「そうか。 ……カロン。 彼を一晩ここで見ていろ。 まだ帰すな」
「えっ、あの……。 仰せのままに」
突然名前を呼ばれたカロンは一瞬声を裏返らせたが、すぐに恭しく頭を下げた。
私はエドアルドを連れて、まだ喚いている老人と頭を抱えるカロンに背を向けた。
座って待っていた犬が尻尾を振って立ち上がった。
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