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夏の黄昏

 それは、ある夏の思い出、夕暮れの中の話だ。
 私はそれを思い出すたびに、不思議と苦い感覚を覚えている。

 私の家族は夏になると毎年、田舎の祖父母の家に帰省していた。田舎なので、なにもすることがない私に祖父母は、野菜とかお菓子を与えてくれていたが、あの日はそれも嫌になってきていた。それで、村のはずれにある真っ赤な鳥居の神社に探検に赴いていたのだ。

「だあれ?」
と、声がした。振り返ると、鳥居の足元に赤いワンピースの女の子がいた。私よりもやや年上、と言ったところだろうか。黒くさらさらと揺れる髪が、印象的だった。
「あなたこそ、だれよ」
と、当時の生意気さかりだった私は返事をした。彼女はクスクスと笑って、
「誰だって、いいじゃないの」
とその涼やかな声で私にさらに話しかけてきた。

「ねえ、私暇なの。飲み物出したげるからお話しない?」

 それからの私は、毎日のように彼女の元にあそびに行くようになった。彼女はいつも、ひんやりとした空気をまとっていて、不思議な魅力があるように感じられた。神社の縁側に座ると出される冷たい麦茶も、他とは何だか違う気がしていて、とてもおいしかったので気に入っていた。
 彼女とは、田舎での暮らしについてよく話した。彼女は都会での暮らしを全く知らなかったからだ。虫の捕まえ方、川で気をつけること、花の蜜の吸い方。彼女の話を聞いていると案外田舎での暮らしも悪くないな、と思われた。
 私たちはいつも神社の縁側で話していたが、神社の裏手の方には行ったことがなかった。彼女に、危険な虫が多くてあぶないよ、と止められていたからだ。
 それでも、当時の私は幼かったのもあって、止められるごとに裏の方がどうなっているのか気になって仕方なくなっていた。それである日、彼女がいつものように麦茶を用意するために神社の中に入ったのを見計らって、裏の方に行ってしまったのだ。

 そこは、一面の赤い彼岸花の花畑だった。そこだけ、世界が切り替わるかのように感じられて、私はふらふらとその中に入っていった。
 一本、ひときわ大きな彼岸花が咲いていた。私は思わず、彼女の赤いワンピースを思い出して、その花を茎のところからちぎってしまった。彼女の黒髪に飾ってあげたい、と思ったのだ。

 裏手から、彼岸花を手に持ったまま戻ると、彼女はひどく悲しいような、怒ったような顔をした。
「裏の、彼岸花、見ちゃったの?」
彼女はそう問いかけた。
「これ、髪飾りにしたら、きれいかなって……」
「――行ったらダメっていったじゃない」
いつもの冷静で大人びた雰囲気の彼女からは考えられない、静かな剣幕だった。普段の涼やかさとはまた違う、暗くて冷たい声だった。
「……もういい、私かえるね」
気づいたら私は、彼女の方も見ずに一目散に帰っていた。初めて見る、彼女の激しい感情が恐ろしかったのだ。彼岸花は、どこにやったのかわからなくなっていた。

 次の日、謝らなくてはと思いながら向かった神社には、彼女の姿はなかった。今まで全く気が付かなかったが、鳥居のそばには崩れたお稲荷様がいた。そして、神社の裏の彼岸花は一本もなくなっていた。
 何日も何日も、田舎から自分の家に帰る日まで神社を訪れ続けたが、日に日に神社は荒れ果て、お稲荷様が付けていた赤い前垂れもどこかに飛んでいってしまっていた。
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