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死を悟った日

 私はこれまで、死を実感したことがなかった。
 私の周りに、死の香りが常に漂っていたにも関わらず、だ。

 例えば、祖母。
 たしか、心不全とかでぽっくりとなくなっていたらしい。
 私は親不孝な性格をしていたもので、祖母に最後に会ったのがいつなのかすらもう思い出せなかった。
 皆のする話の中の祖母は、最後まで他人のために尽くす、私とは真逆の生き方をしていた。
 葬式にも火葬にも参列した。しかし、私に対して何か怒っているから、遠くにすむようになった、というのが一番近い感覚なのかもしれない。

 例えば、実家で飼っていた猫。
 死んだ日の猫は、もう病気が末期まで進んでふらふらとしていた。ご飯はおろか水も飲めず、ただゆらゆらと移動しては毛布に寝ころんでいた。死に場所にふさわしいふかふかした場所を探していたようだった。
 気難しくて、意地っ張りなあの子らしく、最後まですました顔をしていた。
 家族皆で囲んで見守る中、いつ亡くなったのかわからないくらい、眠るように亡くなっていった。
 本当に、いつ死んだのかわからなくて、泣きそびれてしまうほどだった。

 例えば、自分。
 自分は死ぬべきであるという思想に取りつかれ、それでも生きたいという本能を抑えるべく、私は幻想を生み出した。
 私はそれをかみさまと呼び、あがめ、こき下ろされ、また想像し、神を維持すべく創造し続けた。
 それらは数年後、精神病の幻覚として医者に処理された。
 かみさまを失った私は、空白のみが心を占めるようになった。

 ただ、一言の文章で。
 私はようやく死を実感できた。

 それは詠み人もわからない、一つの詩だった。
「君の大好物にも目をくれず、君はお空に行ってしまった」
 誰に向けたのかも、何のために詠んだのかも、滝のように流れる投稿で埋もれて、わからなくなってしまった。
 少なくとも、私に向けられたのではない一文で、一人孤独に、死を実感してしまった。

 皆、空に帰っていった。
 そして、もう地上にはいないのだ。
 どこにも飛べない私を置いて。
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