仕事のない歌騎士
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一歩だけ遅かったらしい。おれは屋敷の門が閉まるところに遭遇して焦っていた。大きな屋敷の門は閉めるのに時間が掛かる。さらに馬車が行ってから少し時間を置いて閉められるから、馬車が近くにいないことがすぐに分かった。それでもおれが思っていた日付より遅い出立なのだから、きっと街道の賊が関与しているのだと思った。
(スオ~の屋敷は、どこにあるんだっけ)
簡素な地図のぎりぎりに位置している北の屋敷だ。下手すると切れているかもしれない。街道沿いに歩くのが一番か。おれは大体の当たりをつけて下り坂を走り出した。ああ、まだ春だというのに日差しが強い。お嬢さまには似合わないような日照りだ。お嬢さまはもっと優しくて、ぽかぽかした光の方が似合う。
「……ああ、おい、そこのお方!」
「おれ?」
「ああ。随分お急ぎのようだが、領主街に向かわれるのだろう?」
どこまでも続くような街道の途中、老夫婦に呼び止められたおれは若干苛立ちながら立ち止まった。こちらは一刻を争っているというのに。
「領主街までなら、あの道をお回りなさい。この先で賊が出たのですよ」
「賊って、この間も出た?」
「ああ。その残党らしい。今日、屋敷から領主 の奥方になる方が出立なされたというのに……」
「……領主 の」
……その馬車、凄く心当たりがあるな。
おれは街道の向こうを見据えた。肉眼では見えない。そうじゃなくても領主街に向かうたくさんの馬車がいるんだ。ここからじゃ名分からないから、行くしかない。
「ありがと、でも急ぐんだ。こっちを使うよ」
「でも」
老夫婦は二人で顔を見合わせた。おれは腰に下げた剣を撫でながら顔を上げた。
「ちょっと旅をしてきたからそうは見えないかもしれないけど。おれ、騎士なんだ」
「……まあ、騎士さま?」
老夫婦と別れ、おれは再び走り出した。商人の馬車とは違う、高貴な馬車のはずだ。侯爵家だから、変わった色をしているはずだ。黒とか白じゃない、赤とか。
すれ違う馬車がほとんどなくなった頃、真っ白な馬がおれの近くを猛スピードで駆けていった。真っ白な馬がいる。おれは足を速める。きっとみんな、近くにいるはずだ。
馬車をこじあけようとする賊の姿を見て、何かがぷつんと切れたような気がした。何だろう、いくらでも霊感が湧いてきそうな。体の底から感情が動かされたような揺れが、どこかから起っているみたいだ!
剣を抜く。お嬢さまに異動を告げられたあのとき、あんなに重かった剣が今は羽のように軽い。士官学校に通っていたときだって、こんなに体が動いたことはなかった。ましてや学校を出て季節を一巡り、ろくに実践の稽古をしていないような気がする。ペンを走らせるのが俺の仕事だったから。
振り下ろした剣が賊を貫く。えんじ色の車を汚してしまう。……まあ、えんじ色でよかったな。きっと。
馬車の扉をそっと開くと、着飾ったお嬢さまが目を丸くしていた。下町に降りたときの服装のほうが好きだけど、そんなことは行っていられない。
「お嬢さま、ご無事ですか」
「レオ、どうして」
「……おれは、妹君じゃなくて。お嬢さまの騎士だ」
「レオ」
「いや、違うな。それは違う! おれは、楽師だ! お嬢さまに楽譜を書いてやれる、唯一の楽師だ」
お嬢さまは何かを言いかけた。立ち上がってこちらに手を伸ばす。旅の名残からあんまり綺麗じゃない手を差し出したけど、お嬢さまは迷わず握ってくれた。……おれの主人だ、おれのお嬢さまだ。
おれは剣を肩に担いでゆっくりと振り返った。マントがひらりと翻る。突然のことに、辺りはしんと静まりかえった。
「誰だ、貴様」
大柄の賊が剣を構えた。なるほど剣の心得があるらしい。おれはにいっと唇の端を上げた。
「ここにおられる、お嬢さまの専属楽師だよ」
「楽師? 楽師のくせに剣を持っているのか!」
震える。空気が、衝撃を受け止めた剣が、それを支えるこの腕が。ペン一本で音楽を紡ぎ出す腕だ。
「ああ、おれは歌騎士 だからな!」
おれは馬車に足をかけて飛び上がった。振り下ろす剣の重みすら、今日は快感だ。
「わはははは……☆ 剣の重み、鎧の音! すべてがおれに霊感を与える……!! 楽師が剣を持っていて何が悪い! この世の全てが、おれの霊感の鍵だ!」
「……で、れおくん」
「うぅ」
「アンタ、何やってるの?」
セナの冷ややかな目の奥が、少しだけ笑っている。気がする。草の上でおれは尋問に遭っていた。馬車の中のお嬢さまがこちらを見ないようにしている。お嬢さまも、隣にいるリッツも、その肩が微かに震えていることにおれは気付いている。
「こんなに暴れてくれちゃってさあ」
「いやでも、助かっただろ!」
「限度ってものがあるでしょ! お嬢さまに何てもの見せてるの!」
やり過ぎた自覚があるから、おれはすごすごと引き下がった。思わず興奮してしまったことに少しだけ反省。士官学校時代から、何かに夢中になると周りが見えなくなると言われていた。
おれが暴れたことによって、出立どころではなくなってしまったお嬢さま一行はここで迎えを待つ手はずになっていた。おれがすれ違った馬は、それを北の屋敷に報告に行く馬だったみたいだ。……どのくらい暴れてしまったかは、一応伏せておく。スオウの家の臨時の護衛たちはすっかりおれのことを変人扱いしているし、新しくお嬢さまに着くことになるというアラシとかいう騎士はおれの身なりを見て顔をしかめていた。急いで旅をしてきたしがない下っ端騎士に身なりを求めないでほしい。
「イズミ、今日はその辺にしましょう。それより、私もレオとは話をしなくてもいけないわ」
「お嬢、本当に大丈夫? 怖かったよねぇ」
「……リツ、私の生まれを知っているでしょう。喧嘩くらい、よくあることよ」
お嬢さまは壊れかけた馬車から降りると、草の上に膝を着いた。おれの顔を嬉しそうに眺めたあと、手袋の中から取りだしたのは、おれが失くしたペンだった。
「勝手に持ち出してごめんなさい。あと、隠し事をしていたことも」
「いえ」
「それと、馬車の中で聞いたことだけれど」
お嬢さまはおれにペンを握らせて、手のひらでそっと包み込んだ。
「楽師を連れてくるのを忘れてしまったの。あなた、どうかしら?」
「……おれでよければ、いくらでも」
お嬢さまがすっくと立ち上がると、おれは膝をついて頭を垂れた。あの日みたいだ。オレがお嬢さまにはじめて会った、あの日。
「あなたの仕事は私に楽譜を書くことです。大変かもしれないけれど、退屈ではないから。よろしくお願いしますね」
「必ずご期待に応えてみせます、お嬢さま」
「……Knightではないのですよね?」
「ええ、楽師です」
「私も騎士の教育は受けましたけれど、剣を持っている楽師ははじめて会いました」
お嬢さまの向かい側でカップに口をつけるえんじ色の当主は苦笑いしながら甘味を絶え間なく口に運んでいる。おれはお嬢さまの後ろから当主に向かってくわっと噛みついた。
「楽師が剣を持っていて何が悪い! いいか、おれの霊感は」
「レオ!」
お嬢さまに窘められ、セナにきつめに足を踏まれる。……最近どうも、こういう我慢がきかない。あのとき、おれの中で切れた何かがまだ繋がらないらしい。もういっそこのまま繋がらなくても良いかもしれないけれど。
「まあ、私が守りますので。騎士の出番はないと思いますよ」
「心強いです」
「まあ、ツカサちゃん。素敵よォ!」
……隣のセナがむっとした。アラシとかいう新入りは体をくねらせて喜んでいる。……ん? ということは、ここで。
「……イズミ、紙出してあげて。楽譜」
「ねぇ奥さま、これ、本当にここに置いておくわけぇ?」
「ええ。よろしくね」
「わははは☆ 霊感が湧いてきたぞ~! 待ってろお嬢さま、すぐに書いてやるからな~♪」
「奥さまだって言ってんでしょ!」
紙にペンを走らせれば、出会った頃を思い出す。とても近くて、問い思い出。お嬢さまが前より嬉しそうに笑うようになったから、おれはセナに怒られても良いと思うんだよ。おれはペンを走らせる。仕事のない騎士はもういない。これがおれの仕事だからな!
(スオ~の屋敷は、どこにあるんだっけ)
簡素な地図のぎりぎりに位置している北の屋敷だ。下手すると切れているかもしれない。街道沿いに歩くのが一番か。おれは大体の当たりをつけて下り坂を走り出した。ああ、まだ春だというのに日差しが強い。お嬢さまには似合わないような日照りだ。お嬢さまはもっと優しくて、ぽかぽかした光の方が似合う。
「……ああ、おい、そこのお方!」
「おれ?」
「ああ。随分お急ぎのようだが、領主街に向かわれるのだろう?」
どこまでも続くような街道の途中、老夫婦に呼び止められたおれは若干苛立ちながら立ち止まった。こちらは一刻を争っているというのに。
「領主街までなら、あの道をお回りなさい。この先で賊が出たのですよ」
「賊って、この間も出た?」
「ああ。その残党らしい。今日、屋敷から
「……
……その馬車、凄く心当たりがあるな。
おれは街道の向こうを見据えた。肉眼では見えない。そうじゃなくても領主街に向かうたくさんの馬車がいるんだ。ここからじゃ名分からないから、行くしかない。
「ありがと、でも急ぐんだ。こっちを使うよ」
「でも」
老夫婦は二人で顔を見合わせた。おれは腰に下げた剣を撫でながら顔を上げた。
「ちょっと旅をしてきたからそうは見えないかもしれないけど。おれ、騎士なんだ」
「……まあ、騎士さま?」
老夫婦と別れ、おれは再び走り出した。商人の馬車とは違う、高貴な馬車のはずだ。侯爵家だから、変わった色をしているはずだ。黒とか白じゃない、赤とか。
すれ違う馬車がほとんどなくなった頃、真っ白な馬がおれの近くを猛スピードで駆けていった。真っ白な馬がいる。おれは足を速める。きっとみんな、近くにいるはずだ。
馬車をこじあけようとする賊の姿を見て、何かがぷつんと切れたような気がした。何だろう、いくらでも霊感が湧いてきそうな。体の底から感情が動かされたような揺れが、どこかから起っているみたいだ!
剣を抜く。お嬢さまに異動を告げられたあのとき、あんなに重かった剣が今は羽のように軽い。士官学校に通っていたときだって、こんなに体が動いたことはなかった。ましてや学校を出て季節を一巡り、ろくに実践の稽古をしていないような気がする。ペンを走らせるのが俺の仕事だったから。
振り下ろした剣が賊を貫く。えんじ色の車を汚してしまう。……まあ、えんじ色でよかったな。きっと。
馬車の扉をそっと開くと、着飾ったお嬢さまが目を丸くしていた。下町に降りたときの服装のほうが好きだけど、そんなことは行っていられない。
「お嬢さま、ご無事ですか」
「レオ、どうして」
「……おれは、妹君じゃなくて。お嬢さまの騎士だ」
「レオ」
「いや、違うな。それは違う! おれは、楽師だ! お嬢さまに楽譜を書いてやれる、唯一の楽師だ」
お嬢さまは何かを言いかけた。立ち上がってこちらに手を伸ばす。旅の名残からあんまり綺麗じゃない手を差し出したけど、お嬢さまは迷わず握ってくれた。……おれの主人だ、おれのお嬢さまだ。
おれは剣を肩に担いでゆっくりと振り返った。マントがひらりと翻る。突然のことに、辺りはしんと静まりかえった。
「誰だ、貴様」
大柄の賊が剣を構えた。なるほど剣の心得があるらしい。おれはにいっと唇の端を上げた。
「ここにおられる、お嬢さまの専属楽師だよ」
「楽師? 楽師のくせに剣を持っているのか!」
震える。空気が、衝撃を受け止めた剣が、それを支えるこの腕が。ペン一本で音楽を紡ぎ出す腕だ。
「ああ、おれは
おれは馬車に足をかけて飛び上がった。振り下ろす剣の重みすら、今日は快感だ。
「わはははは……☆ 剣の重み、鎧の音! すべてがおれに霊感を与える……!! 楽師が剣を持っていて何が悪い! この世の全てが、おれの霊感の鍵だ!」
「……で、れおくん」
「うぅ」
「アンタ、何やってるの?」
セナの冷ややかな目の奥が、少しだけ笑っている。気がする。草の上でおれは尋問に遭っていた。馬車の中のお嬢さまがこちらを見ないようにしている。お嬢さまも、隣にいるリッツも、その肩が微かに震えていることにおれは気付いている。
「こんなに暴れてくれちゃってさあ」
「いやでも、助かっただろ!」
「限度ってものがあるでしょ! お嬢さまに何てもの見せてるの!」
やり過ぎた自覚があるから、おれはすごすごと引き下がった。思わず興奮してしまったことに少しだけ反省。士官学校時代から、何かに夢中になると周りが見えなくなると言われていた。
おれが暴れたことによって、出立どころではなくなってしまったお嬢さま一行はここで迎えを待つ手はずになっていた。おれがすれ違った馬は、それを北の屋敷に報告に行く馬だったみたいだ。……どのくらい暴れてしまったかは、一応伏せておく。スオウの家の臨時の護衛たちはすっかりおれのことを変人扱いしているし、新しくお嬢さまに着くことになるというアラシとかいう騎士はおれの身なりを見て顔をしかめていた。急いで旅をしてきたしがない下っ端騎士に身なりを求めないでほしい。
「イズミ、今日はその辺にしましょう。それより、私もレオとは話をしなくてもいけないわ」
「お嬢、本当に大丈夫? 怖かったよねぇ」
「……リツ、私の生まれを知っているでしょう。喧嘩くらい、よくあることよ」
お嬢さまは壊れかけた馬車から降りると、草の上に膝を着いた。おれの顔を嬉しそうに眺めたあと、手袋の中から取りだしたのは、おれが失くしたペンだった。
「勝手に持ち出してごめんなさい。あと、隠し事をしていたことも」
「いえ」
「それと、馬車の中で聞いたことだけれど」
お嬢さまはおれにペンを握らせて、手のひらでそっと包み込んだ。
「楽師を連れてくるのを忘れてしまったの。あなた、どうかしら?」
「……おれでよければ、いくらでも」
お嬢さまがすっくと立ち上がると、おれは膝をついて頭を垂れた。あの日みたいだ。オレがお嬢さまにはじめて会った、あの日。
「あなたの仕事は私に楽譜を書くことです。大変かもしれないけれど、退屈ではないから。よろしくお願いしますね」
「必ずご期待に応えてみせます、お嬢さま」
「……Knightではないのですよね?」
「ええ、楽師です」
「私も騎士の教育は受けましたけれど、剣を持っている楽師ははじめて会いました」
お嬢さまの向かい側でカップに口をつけるえんじ色の当主は苦笑いしながら甘味を絶え間なく口に運んでいる。おれはお嬢さまの後ろから当主に向かってくわっと噛みついた。
「楽師が剣を持っていて何が悪い! いいか、おれの霊感は」
「レオ!」
お嬢さまに窘められ、セナにきつめに足を踏まれる。……最近どうも、こういう我慢がきかない。あのとき、おれの中で切れた何かがまだ繋がらないらしい。もういっそこのまま繋がらなくても良いかもしれないけれど。
「まあ、私が守りますので。騎士の出番はないと思いますよ」
「心強いです」
「まあ、ツカサちゃん。素敵よォ!」
……隣のセナがむっとした。アラシとかいう新入りは体をくねらせて喜んでいる。……ん? ということは、ここで。
「……イズミ、紙出してあげて。楽譜」
「ねぇ奥さま、これ、本当にここに置いておくわけぇ?」
「ええ。よろしくね」
「わははは☆ 霊感が湧いてきたぞ~! 待ってろお嬢さま、すぐに書いてやるからな~♪」
「奥さまだって言ってんでしょ!」
紙にペンを走らせれば、出会った頃を思い出す。とても近くて、問い思い出。お嬢さまが前より嬉しそうに笑うようになったから、おれはセナに怒られても良いと思うんだよ。おれはペンを走らせる。仕事のない騎士はもういない。これがおれの仕事だからな!
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