仕事のない歌騎士
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「騎士はお二人ですか。ずいぶん少ないのですね」
「二人いれば十分だったのです。……私は、屋敷の外にほとんど出なかったので」
相手の遣わせた使用人と話しながら、私は曲がってきた背筋をもう一度伸ばした。品の良い奥方を演じながら、置いてきた彼のことをぼんやりと考えた。今頃、疲れ果ててはいないだろうか。騙した形になったこと、妙な愛着が湧いてしまったこと、全てが後悔の元だった。
「楽師はどなたが?」
「……楽師は、その。希望があってそちらに」
「そうですか。では式の前に楽師をこちらで手配致しましょう。数日のうちに何人か向かわせるので、決まり次第残りを帰してください」
「承知致しました」
楽師、といえるような役職の者はいなかった。楽器を教えてくれる教師はいたけれど、社交界に出るのも遅く、普段は引きこもっている生活の中で楽師はあまり必要としたことがなかったから。
(……“希望”がどちらからか、悟られなかったかな)
ぎゅっと手のひらを握る。その姿を見かねた侍女がお茶を注いだ。カップを持ち上げて手のひらを伸ばせという合図だ。癖になっている行動に、私は慌てて食い込ませた爪を解放した。
「実は本日、街道で馬車が襲われたという報告が入っておりまして。安全の確保が出来ない限りは、移動の日が延びると思われます」
「まあ。その馬車は無事なのですか」
「荷は盗られてしまったと聞いております。ツカサさまも大層お心を痛めていらっしゃいます」
「……お目にかかるのが楽しみです」
少しでも伸びてしまえばいい。婚姻なんて。
「それと、こちらからも護衛をつけるというお話ですが」
「ええ」
「アラシという者に決まりました。ツカサさまの護衛を長年していた者なので、お二人の間に立つのにふさわしいかと」
「そう。まだそちらのお屋敷にいらっしゃるのね? よろしくお伝えください」
「……ええ」
新しい騎士は入れたくない。二人がいれば十分なのに。
向こうの家に溶け込むという意味さえなければ、断れたのに。
貴族という立場になって随分経つのに、婚姻に関しては平民だった頃から知識が上書きされていなかったみたいだ。侍女やイズミが大慌てで知識を詰め込んできた屋敷での最後の時間を思い出して、少しだけ笑みが溢れた。使用人が不審そうな顔をするので、慌てて首を降った。
「ツカサさまにお会いするのが、楽しみだと思っただけなのです」
「伝えておきます。きっとお喜びになるでしょう」
……自分で切り捨てた癖に、寂しくなるだなんて。なんて我儘なの。
「お嬢さま、ちょっとぼーっとしすぎだよぉ」
「……だめね、ホームシックなんてガラでもないのに」
「あの屋敷に来た頃の方がもっと酷かったから大丈夫だよ、セッちゃん」
「リツ、ここに置いていくわよ」
「わあ~。コワイコワイ」
リツがひらりとその場からいなくなる。長生きを自称するリツはいつも傍にいるわけじゃないのに、私がリツを必要としたときはいつも黙って傍にいてくれる、不思議な存在だ。従者と主のハズなのに、リツの言うことに逆らえた例しがない。
「ちょっとくまくん! もう、みんな好きかってして」
目をつり上げたイズミは、この屋敷に来てから更に仕事を張り切っているみたいだ。私が知らない間に物事が決まっていることが多くなった。一生に一度なんだから、と何度も言われたけれどそれならもう少し私にも相談してくれても良いのに。……それがイズミにとっても一度だと言うことに気付いたのは、最近なのだけれど。
「それで? れおくんのことが気になるんでしょ」
「……体を壊してないと良いけど」
妹の護衛騎士は頻繁に入れ替わっていたことを思う。妹の護衛は難しいのだ。……その、少し、気難しいところがあるから。
私の護衛のはずなのに、妹がわざわざ士官学校に足を運んで選んできたという騎士は、何故騎士なのだろうと思うくらいに音楽の才能があった。整った横顔が綺麗で、妹が欲しくなるはずだと思った。未練がましくならないように実家に置いてきた楽譜の束を思い出す。どうせ、嫁いでしまえば音楽なんて嗜んでいられないのだからと置いてきてしまったのに、少しの後悔を馳せる。
「……まあ、またすぐに会えるんじゃない」
「そうね。式には親族が出席するわけだし……」
妹の後ろに控えているレオの顔が、ひと目でも見られたらいい。私は少しだけ前向きになった婚姻に向けた書類の確認をはじめた。さりげなく私が取り出した万年筆を見て、イズミが密かに息を飲んだことは、気付かないフリをして。
数日後、予定通りに数人の楽師とひとりの騎士が訪ねてきた。楽師は皆同じように見えたので、ピアノが得意だという女性にお願いすると(イズミが)決定し、早々に騎士と顔を合わせた。……のだけれど。
「……コイツと働くのぉ?」
「イズミ、少し黙っていて」
「アタシのことは『お姉ちゃん』って呼んでねェ、女の子に仕えるのははじめてだけど、きっと上手くやれるわァ」
「……では、お願いしますね」
険しい顔をするイズミと、興味のなさそうなリツと、少し風変わりな騎士。三人に囲まれて私はほとほと困り果てた。少しは前向きになれたと思っていたのに。
アラシという騎士は、こちらの警戒を早々に解いてしまうような騎士だった。あくまでも政略的にこちらに使わされているというのに、何だか楽しそうに仕事をする。イズミがしょっちゅう調子を 狂わされているのを見て、私の調子まで狂ってしまう。
「そうだ、さっき街道のことについて言付けを預かったわァ」
「え?」
「安全が取れたの?」
「ええ、近く出発することになると思うわァ」
次の日には具体的な日取りが決まって、少し遅れたものの式には間に合うように北の屋敷を出発することになった。予定が狂ったからか、一気に周りが騒がしくなった。荷物をまとめ、持ち込むものが検められる。私はイズミにペンを預けた。眉間に皺を寄せながら受け取ってくれるから、イズミは優しいのだ。昔から。
真っ白な馬が引いている馬車が屋敷の前に停まっていた。えんじ色の車がよく映える。スオウ家の色なのだと知っていた。今からこの色を嫌になるほど見るのだろう。もしくは好きになれるかも。……少なくとも、もう少し先で。
「俺とくまくんは後ろから馬で追いかけるからね、お嬢さま。背筋伸ばして、手は握らないようにね」
「お嬢、一緒にいるからねぇ。大丈夫だよ」
「大丈夫よ。きっと上手くやれるわ」
強がってみたものの、あからさまに私を疑っている二人は私が馬車に乗り込んでもなかなか馬に乗ろうとしなかった。馬車に乗ったことはある。現にここまでは馬車で来た。はじめて実家の屋敷に行ったのも、やたらにがたがたと揺れる馬車だった。
馬の鞍までえんじ色なのに気付いて、何だか笑ってしまえる気がした。それと同時に、二人の言葉が頭の中をもう一度駆け巡った。
……二人にああやって呼んでもらえるのも、今日までなのかしら。
背筋を伸ばす。先までしっかりと指を伸ばす。馬車が走り出す、大丈夫。きっとやれる。
順調に走っていた馬車が突然足を止めたのは、太陽が一番高いところまで昇る頃だった。外の音がほとんど聞こえない馬車の中では何があったのか確認する術がない。……幽霊が背中を撫でたように身震いをした。賊の話を思い出してしまったから。
馬車はなかなか走り出さない。馬車が時折揺れるようになった。何かがぶつかるような衝撃が走ったりする。嫌でも理解できた。
この馬車、何かに襲撃されている。
「二人いれば十分だったのです。……私は、屋敷の外にほとんど出なかったので」
相手の遣わせた使用人と話しながら、私は曲がってきた背筋をもう一度伸ばした。品の良い奥方を演じながら、置いてきた彼のことをぼんやりと考えた。今頃、疲れ果ててはいないだろうか。騙した形になったこと、妙な愛着が湧いてしまったこと、全てが後悔の元だった。
「楽師はどなたが?」
「……楽師は、その。希望があってそちらに」
「そうですか。では式の前に楽師をこちらで手配致しましょう。数日のうちに何人か向かわせるので、決まり次第残りを帰してください」
「承知致しました」
楽師、といえるような役職の者はいなかった。楽器を教えてくれる教師はいたけれど、社交界に出るのも遅く、普段は引きこもっている生活の中で楽師はあまり必要としたことがなかったから。
(……“希望”がどちらからか、悟られなかったかな)
ぎゅっと手のひらを握る。その姿を見かねた侍女がお茶を注いだ。カップを持ち上げて手のひらを伸ばせという合図だ。癖になっている行動に、私は慌てて食い込ませた爪を解放した。
「実は本日、街道で馬車が襲われたという報告が入っておりまして。安全の確保が出来ない限りは、移動の日が延びると思われます」
「まあ。その馬車は無事なのですか」
「荷は盗られてしまったと聞いております。ツカサさまも大層お心を痛めていらっしゃいます」
「……お目にかかるのが楽しみです」
少しでも伸びてしまえばいい。婚姻なんて。
「それと、こちらからも護衛をつけるというお話ですが」
「ええ」
「アラシという者に決まりました。ツカサさまの護衛を長年していた者なので、お二人の間に立つのにふさわしいかと」
「そう。まだそちらのお屋敷にいらっしゃるのね? よろしくお伝えください」
「……ええ」
新しい騎士は入れたくない。二人がいれば十分なのに。
向こうの家に溶け込むという意味さえなければ、断れたのに。
貴族という立場になって随分経つのに、婚姻に関しては平民だった頃から知識が上書きされていなかったみたいだ。侍女やイズミが大慌てで知識を詰め込んできた屋敷での最後の時間を思い出して、少しだけ笑みが溢れた。使用人が不審そうな顔をするので、慌てて首を降った。
「ツカサさまにお会いするのが、楽しみだと思っただけなのです」
「伝えておきます。きっとお喜びになるでしょう」
……自分で切り捨てた癖に、寂しくなるだなんて。なんて我儘なの。
「お嬢さま、ちょっとぼーっとしすぎだよぉ」
「……だめね、ホームシックなんてガラでもないのに」
「あの屋敷に来た頃の方がもっと酷かったから大丈夫だよ、セッちゃん」
「リツ、ここに置いていくわよ」
「わあ~。コワイコワイ」
リツがひらりとその場からいなくなる。長生きを自称するリツはいつも傍にいるわけじゃないのに、私がリツを必要としたときはいつも黙って傍にいてくれる、不思議な存在だ。従者と主のハズなのに、リツの言うことに逆らえた例しがない。
「ちょっとくまくん! もう、みんな好きかってして」
目をつり上げたイズミは、この屋敷に来てから更に仕事を張り切っているみたいだ。私が知らない間に物事が決まっていることが多くなった。一生に一度なんだから、と何度も言われたけれどそれならもう少し私にも相談してくれても良いのに。……それがイズミにとっても一度だと言うことに気付いたのは、最近なのだけれど。
「それで? れおくんのことが気になるんでしょ」
「……体を壊してないと良いけど」
妹の護衛騎士は頻繁に入れ替わっていたことを思う。妹の護衛は難しいのだ。……その、少し、気難しいところがあるから。
私の護衛のはずなのに、妹がわざわざ士官学校に足を運んで選んできたという騎士は、何故騎士なのだろうと思うくらいに音楽の才能があった。整った横顔が綺麗で、妹が欲しくなるはずだと思った。未練がましくならないように実家に置いてきた楽譜の束を思い出す。どうせ、嫁いでしまえば音楽なんて嗜んでいられないのだからと置いてきてしまったのに、少しの後悔を馳せる。
「……まあ、またすぐに会えるんじゃない」
「そうね。式には親族が出席するわけだし……」
妹の後ろに控えているレオの顔が、ひと目でも見られたらいい。私は少しだけ前向きになった婚姻に向けた書類の確認をはじめた。さりげなく私が取り出した万年筆を見て、イズミが密かに息を飲んだことは、気付かないフリをして。
数日後、予定通りに数人の楽師とひとりの騎士が訪ねてきた。楽師は皆同じように見えたので、ピアノが得意だという女性にお願いすると(イズミが)決定し、早々に騎士と顔を合わせた。……のだけれど。
「……コイツと働くのぉ?」
「イズミ、少し黙っていて」
「アタシのことは『お姉ちゃん』って呼んでねェ、女の子に仕えるのははじめてだけど、きっと上手くやれるわァ」
「……では、お願いしますね」
険しい顔をするイズミと、興味のなさそうなリツと、少し風変わりな騎士。三人に囲まれて私はほとほと困り果てた。少しは前向きになれたと思っていたのに。
アラシという騎士は、こちらの警戒を早々に解いてしまうような騎士だった。あくまでも政略的にこちらに使わされているというのに、何だか楽しそうに仕事をする。イズミがしょっちゅう調子を 狂わされているのを見て、私の調子まで狂ってしまう。
「そうだ、さっき街道のことについて言付けを預かったわァ」
「え?」
「安全が取れたの?」
「ええ、近く出発することになると思うわァ」
次の日には具体的な日取りが決まって、少し遅れたものの式には間に合うように北の屋敷を出発することになった。予定が狂ったからか、一気に周りが騒がしくなった。荷物をまとめ、持ち込むものが検められる。私はイズミにペンを預けた。眉間に皺を寄せながら受け取ってくれるから、イズミは優しいのだ。昔から。
真っ白な馬が引いている馬車が屋敷の前に停まっていた。えんじ色の車がよく映える。スオウ家の色なのだと知っていた。今からこの色を嫌になるほど見るのだろう。もしくは好きになれるかも。……少なくとも、もう少し先で。
「俺とくまくんは後ろから馬で追いかけるからね、お嬢さま。背筋伸ばして、手は握らないようにね」
「お嬢、一緒にいるからねぇ。大丈夫だよ」
「大丈夫よ。きっと上手くやれるわ」
強がってみたものの、あからさまに私を疑っている二人は私が馬車に乗り込んでもなかなか馬に乗ろうとしなかった。馬車に乗ったことはある。現にここまでは馬車で来た。はじめて実家の屋敷に行ったのも、やたらにがたがたと揺れる馬車だった。
馬の鞍までえんじ色なのに気付いて、何だか笑ってしまえる気がした。それと同時に、二人の言葉が頭の中をもう一度駆け巡った。
……二人にああやって呼んでもらえるのも、今日までなのかしら。
背筋を伸ばす。先までしっかりと指を伸ばす。馬車が走り出す、大丈夫。きっとやれる。
順調に走っていた馬車が突然足を止めたのは、太陽が一番高いところまで昇る頃だった。外の音がほとんど聞こえない馬車の中では何があったのか確認する術がない。……幽霊が背中を撫でたように身震いをした。賊の話を思い出してしまったから。
馬車はなかなか走り出さない。馬車が時折揺れるようになった。何かがぶつかるような衝撃が走ったりする。嫌でも理解できた。
この馬車、何かに襲撃されている。