仕事のない歌騎士
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貴族の第一令嬢の護衛になるよう言われたのは、士官学校を卒業する少し前だった。我が家が長年仕えている家に当然のようにいく予定だったおれは普段いくら物事を楽しめる性分とはいえ、その提案には流石に驚いた。訳を聞けば、秋に没落した家が護衛を務めていたらしく一家ごと任を解かれた為、代わりを探しているのだという。急ぎの用事の為士官学校の卒業予定者の中からおれが選ばれたのだと使いは言った。
正直信じられないような話だったが親も妹も、勤める予定だった貴族の主人ですらその話を受けた方がいいというので受けた。よほど急ぎなのだろう。学校を卒業して一週間の内に来いと言う。第一令嬢の護衛だ、確かに早いほうがいい。おれは卒業式のその日に実家に戻って荷物をまとめ、明朝慌ただしく街を出て、次の日には領主街に辿り着いた。最後の休暇だと一日遊び、その翌日になってやっと勤め先の門を叩いた。
「こっちで着替えてきて。まあ、ここに戻ることはそんなにないけれど」
イズミという先輩騎士は、面倒そうな顔でおれを狭い部屋に放り出すと、「じゃああとで」と言って去って行った。あとでは分かるがどこでがない。おれは息を吐いて荷ほどきもそこそこに屋敷の中に繰り出した。
広い屋敷だった。仕える予定だったあの家も相当に広かったが、その比ではない。多くの騎士見習いがいる士官学校の校舎より広いかもしれないなんて思いながら屋敷の中をうろうろ散策した。どうせ任務が始まったらひとりでうろうろなんて出来ないのだ。少しだけでも屋敷の中を分かっておいたら、気に入ってもらえるかもしれない。
「あ、いたいた。お~い」
「なんだ?」
「新入りでしょ。セッちゃんが探してよ」
「……イズミとかいう奴のこと?」
「そうそう。家名がセナだからセッちゃん」
間延びした声の騎士がおれに声をかけて、おれの腕を掴んで廊下を進み始める。連れて行かれた先は庭で、天国かと思うばかりの花が咲いていた。その片隅で本を捲る少女がひとり、きっと彼女がおれの主なんだろう。
「お嬢、連れてきたよ~」
「……ありがとう、リツ。もう下がっていいわ」
「あれ。セッちゃんは?」
「いいと言ったのにその子を探しに行ったのよ。見かけたら来るように言っておいて」
ずいぶん覇気のない主だった。洋服から覗く手足が棒のように細く、顔には血色がない。椅子に座って分厚い本を捲っているが、あれを持ち上げられるのかどうか不安になった。
「……あなたがレオですね」
リツと呼ばれた騎士が去ると、彼女は捲っていた本からちらりと目線をあげた。おれは慌てて膝を着く。腰に下げた剣ががちゃりと音を立てた。
「本日より護衛を務めます。レオと申します」
「急にお願いして悪かったわ。大変だったでしょう?」
「いえ。このような任務に就かせて頂けること、心から感謝致します」
悪かった、なんて貴族が口にすることがあるのかとおれはこのときはじめて知った。貴族は騎士のことを駒くらいにしか思っていないんじゃないかと思っていた。特にこの規模の家は領主や王族と関係のある家がほとんどだ。いや、関係があるからこそ、この規模の家なのだ。
彼女は本をぱたりと閉じると、おれのことを手招きした。一言断って近くに寄ると、ひとつ鍵を差し出した。
「貴方の部屋の鍵よ。あそこは好きに使ってちょうだい。イズミが置いていってしまったの」
「頂戴致します」
「それと、あなたの仕事だけれど」
彼女は閉じた本を侍女に預けると椅子から優雅に立ち上がった。膝をついたままのおれと目線が合わなくなる。
「特にないわ。屋敷も好きに使って。屋敷から出るときだけ、私に教えてくださいな。退屈かもしれないけれど、大変ではないから。よろしくお願いしますね」
「……は?」
間抜けな声が口から飛び出して、おれは慌てて口を塞いだ。彼女は鈴を転がすような声でくすくすと笑うと数人の侍女を連れておれの前を去っていった。取り残されたおれは、口を開いたままその後ろ姿を見つめることしか出来なかった。
「あ。ねぇれおくん。お嬢様見た?」
「セナ」
「くまくんに会ったの? あの子はどこ行ったの」
「お嬢さまが下がっていいと」
「もう! また護衛つけずにうろうろして! アンタも何やってたわけ?」
ひとりでにぷりぷり怒り出すセナは、おれが変な顔をしていることに気付いたのか「どうしたの」と一応心配しているような言葉を吐いた。その足下はそわそわしていて、一刻も早くお嬢さまのところに行きたいのだろう。
でも、今のおれにとって頼れるのはコイツだけ吐。おれはセナの顔を見上げた。
「お嬢さまは、おれの仕事はないと仰った」
「……そう」
「屋敷も部屋も、好きにしていいと。おれは一体どうしたらいいと思う」
セナは何か言いたそうに口をもごもごさせた。結局言わないことにしたらしい、おれに向かって酷く大きな溜息を吐いた。
「……着いておいで。主の部屋くらい知っておいたほうがいいでしょ」
お嬢さまが騎士に仕事を与えないのは、もしかしてはじめてじゃないのかもしれない。セナの反応を見ながら、おれはそう推測する。セナとリツ、二人の騎士への信頼は本物だ。きっと長い付き合いなのだろう。
……新入りのおれは、お嬢さまにとってはいらないのかもしれないな。
そういえばおれにこの護衛の話を持ちかけた品のいい使いも、おれが選ばれたとは言ったけど、お嬢さまに選ばれたとは言わなかった。きっとおれは世間への体裁を整える数あわせで、お嬢さまはそれに反発しているのかも。そんいことをするような人には見えなかったが、人を外見で判断してはいけない。
セナの背中が遠くなっていることに気付いておれは慌てて背中を追った。
「お嬢さま、入るよぉ」
立派な扉という表現も合っているのか分からない。真っ白な扉の向こうに、おれの主は身を置いているらしい。セナが入る後ろを着いていくのはやめておいた。おれは招かれざる騎士だ。
扉の向こうで、セナがお嬢さまに何か言っているのが聞こえた。護衛もつけずに、とか自分の立場を、とかだ。しばらくの後、顔を覗かせたセナはおれに中に入るように言った。
長椅子でさっきの本を広げているお嬢さまは貴族らしい笑みを浮かべて見せた。リツという騎士の姿は見えなかった。セナはお嬢さまが再び本に目を落としたところで勝手に本をぱたりと閉じた。お嬢さまの顔がわずかに不機嫌そうになる。
「イズミ」
「騎士を追加しないって言ったときも驚いたけど、まさか新入りに仕事を与えないとは思わなかったよぉ」
「これが一番でしょう?」
「仕事のひとつくらいさせてやれば? どうせ屋敷の勝手も分からないんだから」
お嬢さまは頬に手を当てて「それもそうね」と言った。おれのことを頭からつまさきまでじっと見る。
「剣の稽古相手になってもらえばいいじゃ~ん」
「くまくん、いたのぉ」
「ずっといたよ、護衛だからね」
声がしたのは、カーテンの向こう側だった。開け放された窓にリツが腰掛けている。眠そうな瞳がおれに向いて、「学校を出たばかりなんでしょ? 俺みたいに体なまってないよ」とくつくつ笑う。その向こうには、あまり手入れされているとは言えない庭が広がっていた。……彼女をはじめて見た庭とは、違いすぎる。
「騎士が体なまらせちゃダメでしょ」
「俺、長生きだからね」
そんな護衛騎士の会話を、お嬢さまはにこやかに聞いていた。おれは部屋をぐるりと見渡した。部屋の隅に押しやるように置いてあるグランドピアノを見つけ、胸が少し高鳴った。霊感が湧きそうだ。
「お嬢さまは、音楽を嗜まれるのですか」
「教養程度には」
それなら、何も教えることはなさそうだ。護衛でもなくてもいいから何が仕事が欲しい。おれは必死で考えを巡らせた。そんなおれを見てセナが呆れたように言う。
「教養程度なんてもんじゃないでしょお」
「え?」
「国中の楽譜は弾き切っちゃったくせに」
お嬢さまは笑みを絶やさない。それが教養よとでも言いたげだがそんなことはないはずだ。国中の楽譜を弾き切るなんて、王族専属の楽師でもそんなことしているかどうか。……彼らはまた、それ以外にも苦労があるのかもしれないけれど。
「お嬢さま、このレオに少しお時間をいただけませんか」
お嬢さまは頬に手を当てて一言、
「何をするつもりですか」
「音楽がお好きであれば、必ずお役に立てるかと」
「……いいわ」
おれはセナを連れて宿舎に飛んで帰った。文句を垂れるイズミを置いて、荷物の一番深いところからおれの相棒を取り出した。
「セナ」
「何?」
「これをお嬢さまに。それと、一刻したらもう一度ここに来てくれないか」
「……なあに、これ」
「お嬢さまが弾いたことない楽譜だよ」
必死でペンを走らせる。ずっとおれの中にうごめいていた音符たちを存分に踊らせてやる。ペンが止まる気がしなかった。誰にも弾けないくらいのリズムを刻んでやろう。国中の楽譜を引き切ったというお嬢さまの手を止めてやろう。そうしたら、あの仮面を被ったお嬢さまも少しは気が晴れるんじゃないんだろうか。
一刻して、セナが戻ってきた頃におれは一曲を書き上げた。酷く長い曲だ。そしてありえないリズムや従来の進行を無視した破天荒な曲だ。最後にタイトルを殴り書きをして曲を終える。破天荒、前例のない、この曲にぴったりだ。
「……お嬢さまは?」
「勉強の時間になってもピアノから離れようともしないよ。何してくれてんの?」
そう言いながらセナの顔はなんだか優しかった。お嬢さまは俺の楽譜を気に入ってくれたらしい。おれは嬉しくて廊下を駆け出した。おれの書いた曲を弾くお嬢さまに早く会いたいと思った。
「ちょっとれおくん! そっちじゃないよ!」
*
「失礼致します」
「……レオ?」
廊下の端までピアノ音が響いていた。同じところを何度も何度も。詰まっては止まって、ゆっくり弾いて、また速度を戻す。おれはその音色を聞いて無意識にペンを探した。怪訝そうな顔をするセナに気付いて慌てて扉の向こうに声をかけた。
「お気に召しましたでしょうか」
「弾けない楽譜ははじめてよ」
笑みを浮かべるお嬢さまは先ほどと変わらないように見えるけれど、セナが小さな声で「はしゃいじゃって」と言った。リツが楽譜を丁寧に閉じた。「お嬢さま。そろそろお勉強を」と促すと大人しく楽譜を閉じる。きっと、おれがいないところでは小さなわがままを言ったのだろう。
おれは書き上がったばかりの楽譜を侍女に渡した。新入りのおれはお嬢さまに直接ものを渡すことが出来ない。侍女が改めた楽譜をお嬢さまが目を通す。小さく「まあ」と声が溢れた。
「『破天荒』だなんて、よく似合った名前」
「まだインクが乾いていないね? 本当にこの時間で書いてきたんだ」
リツがピアノの蓋を上げ、楽譜を広げる。お嬢さまが鍵盤に手を置いた。書き上がったばかりの楽譜を見て、すぐピアノから音色が溢れ出す。途中でつっかえるこ上げなく最後に向かっていく。どんな才能があったらあんなに指が動くのだろう。
「レオ」
「はい」
「この楽譜、頂いてもいいかしら」
「私でよろしければいくらでもお書き致しますよ」
「えぇ。分かりました」
こうしておれは小さな仕事を手に入れたのだった。セナには変な顔をされた。騎士なのに、楽譜を書くことが仕事だなんて。リツもピアノを弾くらしく、楽譜をいくつか渡した。それと、いいにくいからリッツと呼ぶ許可をもらった。
正直信じられないような話だったが親も妹も、勤める予定だった貴族の主人ですらその話を受けた方がいいというので受けた。よほど急ぎなのだろう。学校を卒業して一週間の内に来いと言う。第一令嬢の護衛だ、確かに早いほうがいい。おれは卒業式のその日に実家に戻って荷物をまとめ、明朝慌ただしく街を出て、次の日には領主街に辿り着いた。最後の休暇だと一日遊び、その翌日になってやっと勤め先の門を叩いた。
「こっちで着替えてきて。まあ、ここに戻ることはそんなにないけれど」
イズミという先輩騎士は、面倒そうな顔でおれを狭い部屋に放り出すと、「じゃああとで」と言って去って行った。あとでは分かるがどこでがない。おれは息を吐いて荷ほどきもそこそこに屋敷の中に繰り出した。
広い屋敷だった。仕える予定だったあの家も相当に広かったが、その比ではない。多くの騎士見習いがいる士官学校の校舎より広いかもしれないなんて思いながら屋敷の中をうろうろ散策した。どうせ任務が始まったらひとりでうろうろなんて出来ないのだ。少しだけでも屋敷の中を分かっておいたら、気に入ってもらえるかもしれない。
「あ、いたいた。お~い」
「なんだ?」
「新入りでしょ。セッちゃんが探してよ」
「……イズミとかいう奴のこと?」
「そうそう。家名がセナだからセッちゃん」
間延びした声の騎士がおれに声をかけて、おれの腕を掴んで廊下を進み始める。連れて行かれた先は庭で、天国かと思うばかりの花が咲いていた。その片隅で本を捲る少女がひとり、きっと彼女がおれの主なんだろう。
「お嬢、連れてきたよ~」
「……ありがとう、リツ。もう下がっていいわ」
「あれ。セッちゃんは?」
「いいと言ったのにその子を探しに行ったのよ。見かけたら来るように言っておいて」
ずいぶん覇気のない主だった。洋服から覗く手足が棒のように細く、顔には血色がない。椅子に座って分厚い本を捲っているが、あれを持ち上げられるのかどうか不安になった。
「……あなたがレオですね」
リツと呼ばれた騎士が去ると、彼女は捲っていた本からちらりと目線をあげた。おれは慌てて膝を着く。腰に下げた剣ががちゃりと音を立てた。
「本日より護衛を務めます。レオと申します」
「急にお願いして悪かったわ。大変だったでしょう?」
「いえ。このような任務に就かせて頂けること、心から感謝致します」
悪かった、なんて貴族が口にすることがあるのかとおれはこのときはじめて知った。貴族は騎士のことを駒くらいにしか思っていないんじゃないかと思っていた。特にこの規模の家は領主や王族と関係のある家がほとんどだ。いや、関係があるからこそ、この規模の家なのだ。
彼女は本をぱたりと閉じると、おれのことを手招きした。一言断って近くに寄ると、ひとつ鍵を差し出した。
「貴方の部屋の鍵よ。あそこは好きに使ってちょうだい。イズミが置いていってしまったの」
「頂戴致します」
「それと、あなたの仕事だけれど」
彼女は閉じた本を侍女に預けると椅子から優雅に立ち上がった。膝をついたままのおれと目線が合わなくなる。
「特にないわ。屋敷も好きに使って。屋敷から出るときだけ、私に教えてくださいな。退屈かもしれないけれど、大変ではないから。よろしくお願いしますね」
「……は?」
間抜けな声が口から飛び出して、おれは慌てて口を塞いだ。彼女は鈴を転がすような声でくすくすと笑うと数人の侍女を連れておれの前を去っていった。取り残されたおれは、口を開いたままその後ろ姿を見つめることしか出来なかった。
「あ。ねぇれおくん。お嬢様見た?」
「セナ」
「くまくんに会ったの? あの子はどこ行ったの」
「お嬢さまが下がっていいと」
「もう! また護衛つけずにうろうろして! アンタも何やってたわけ?」
ひとりでにぷりぷり怒り出すセナは、おれが変な顔をしていることに気付いたのか「どうしたの」と一応心配しているような言葉を吐いた。その足下はそわそわしていて、一刻も早くお嬢さまのところに行きたいのだろう。
でも、今のおれにとって頼れるのはコイツだけ吐。おれはセナの顔を見上げた。
「お嬢さまは、おれの仕事はないと仰った」
「……そう」
「屋敷も部屋も、好きにしていいと。おれは一体どうしたらいいと思う」
セナは何か言いたそうに口をもごもごさせた。結局言わないことにしたらしい、おれに向かって酷く大きな溜息を吐いた。
「……着いておいで。主の部屋くらい知っておいたほうがいいでしょ」
お嬢さまが騎士に仕事を与えないのは、もしかしてはじめてじゃないのかもしれない。セナの反応を見ながら、おれはそう推測する。セナとリツ、二人の騎士への信頼は本物だ。きっと長い付き合いなのだろう。
……新入りのおれは、お嬢さまにとってはいらないのかもしれないな。
そういえばおれにこの護衛の話を持ちかけた品のいい使いも、おれが選ばれたとは言ったけど、お嬢さまに選ばれたとは言わなかった。きっとおれは世間への体裁を整える数あわせで、お嬢さまはそれに反発しているのかも。そんいことをするような人には見えなかったが、人を外見で判断してはいけない。
セナの背中が遠くなっていることに気付いておれは慌てて背中を追った。
「お嬢さま、入るよぉ」
立派な扉という表現も合っているのか分からない。真っ白な扉の向こうに、おれの主は身を置いているらしい。セナが入る後ろを着いていくのはやめておいた。おれは招かれざる騎士だ。
扉の向こうで、セナがお嬢さまに何か言っているのが聞こえた。護衛もつけずに、とか自分の立場を、とかだ。しばらくの後、顔を覗かせたセナはおれに中に入るように言った。
長椅子でさっきの本を広げているお嬢さまは貴族らしい笑みを浮かべて見せた。リツという騎士の姿は見えなかった。セナはお嬢さまが再び本に目を落としたところで勝手に本をぱたりと閉じた。お嬢さまの顔がわずかに不機嫌そうになる。
「イズミ」
「騎士を追加しないって言ったときも驚いたけど、まさか新入りに仕事を与えないとは思わなかったよぉ」
「これが一番でしょう?」
「仕事のひとつくらいさせてやれば? どうせ屋敷の勝手も分からないんだから」
お嬢さまは頬に手を当てて「それもそうね」と言った。おれのことを頭からつまさきまでじっと見る。
「剣の稽古相手になってもらえばいいじゃ~ん」
「くまくん、いたのぉ」
「ずっといたよ、護衛だからね」
声がしたのは、カーテンの向こう側だった。開け放された窓にリツが腰掛けている。眠そうな瞳がおれに向いて、「学校を出たばかりなんでしょ? 俺みたいに体なまってないよ」とくつくつ笑う。その向こうには、あまり手入れされているとは言えない庭が広がっていた。……彼女をはじめて見た庭とは、違いすぎる。
「騎士が体なまらせちゃダメでしょ」
「俺、長生きだからね」
そんな護衛騎士の会話を、お嬢さまはにこやかに聞いていた。おれは部屋をぐるりと見渡した。部屋の隅に押しやるように置いてあるグランドピアノを見つけ、胸が少し高鳴った。霊感が湧きそうだ。
「お嬢さまは、音楽を嗜まれるのですか」
「教養程度には」
それなら、何も教えることはなさそうだ。護衛でもなくてもいいから何が仕事が欲しい。おれは必死で考えを巡らせた。そんなおれを見てセナが呆れたように言う。
「教養程度なんてもんじゃないでしょお」
「え?」
「国中の楽譜は弾き切っちゃったくせに」
お嬢さまは笑みを絶やさない。それが教養よとでも言いたげだがそんなことはないはずだ。国中の楽譜を弾き切るなんて、王族専属の楽師でもそんなことしているかどうか。……彼らはまた、それ以外にも苦労があるのかもしれないけれど。
「お嬢さま、このレオに少しお時間をいただけませんか」
お嬢さまは頬に手を当てて一言、
「何をするつもりですか」
「音楽がお好きであれば、必ずお役に立てるかと」
「……いいわ」
おれはセナを連れて宿舎に飛んで帰った。文句を垂れるイズミを置いて、荷物の一番深いところからおれの相棒を取り出した。
「セナ」
「何?」
「これをお嬢さまに。それと、一刻したらもう一度ここに来てくれないか」
「……なあに、これ」
「お嬢さまが弾いたことない楽譜だよ」
必死でペンを走らせる。ずっとおれの中にうごめいていた音符たちを存分に踊らせてやる。ペンが止まる気がしなかった。誰にも弾けないくらいのリズムを刻んでやろう。国中の楽譜を引き切ったというお嬢さまの手を止めてやろう。そうしたら、あの仮面を被ったお嬢さまも少しは気が晴れるんじゃないんだろうか。
一刻して、セナが戻ってきた頃におれは一曲を書き上げた。酷く長い曲だ。そしてありえないリズムや従来の進行を無視した破天荒な曲だ。最後にタイトルを殴り書きをして曲を終える。破天荒、前例のない、この曲にぴったりだ。
「……お嬢さまは?」
「勉強の時間になってもピアノから離れようともしないよ。何してくれてんの?」
そう言いながらセナの顔はなんだか優しかった。お嬢さまは俺の楽譜を気に入ってくれたらしい。おれは嬉しくて廊下を駆け出した。おれの書いた曲を弾くお嬢さまに早く会いたいと思った。
「ちょっとれおくん! そっちじゃないよ!」
*
「失礼致します」
「……レオ?」
廊下の端までピアノ音が響いていた。同じところを何度も何度も。詰まっては止まって、ゆっくり弾いて、また速度を戻す。おれはその音色を聞いて無意識にペンを探した。怪訝そうな顔をするセナに気付いて慌てて扉の向こうに声をかけた。
「お気に召しましたでしょうか」
「弾けない楽譜ははじめてよ」
笑みを浮かべるお嬢さまは先ほどと変わらないように見えるけれど、セナが小さな声で「はしゃいじゃって」と言った。リツが楽譜を丁寧に閉じた。「お嬢さま。そろそろお勉強を」と促すと大人しく楽譜を閉じる。きっと、おれがいないところでは小さなわがままを言ったのだろう。
おれは書き上がったばかりの楽譜を侍女に渡した。新入りのおれはお嬢さまに直接ものを渡すことが出来ない。侍女が改めた楽譜をお嬢さまが目を通す。小さく「まあ」と声が溢れた。
「『破天荒』だなんて、よく似合った名前」
「まだインクが乾いていないね? 本当にこの時間で書いてきたんだ」
リツがピアノの蓋を上げ、楽譜を広げる。お嬢さまが鍵盤に手を置いた。書き上がったばかりの楽譜を見て、すぐピアノから音色が溢れ出す。途中でつっかえるこ上げなく最後に向かっていく。どんな才能があったらあんなに指が動くのだろう。
「レオ」
「はい」
「この楽譜、頂いてもいいかしら」
「私でよろしければいくらでもお書き致しますよ」
「えぇ。分かりました」
こうしておれは小さな仕事を手に入れたのだった。セナには変な顔をされた。騎士なのに、楽譜を書くことが仕事だなんて。リツもピアノを弾くらしく、楽譜をいくつか渡した。それと、いいにくいからリッツと呼ぶ許可をもらった。
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