SHORT AKANE FUDO
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ゴールデンタイムのバラエティ番組への出演は嬉しいものだ。ロケだって好きだし、遠出だってわくわくする。……だけど。
(こんなにうまくいかないのは、はじめてだ)
『チャレンジ!TV!!』は、その名の通り様々なゲストがいくつかのコーナーでお題に沿ったものにチャレンジするシンプルな番組だ。僕たちが呼ばれたのはくじで引かれた街に出向き、アポ無しで面白いものを見つける、というもの。今日はVTRの撮影だけど、放送当日は生放送でスタジオにも呼ばれるらしい。
ゆっちー、はるぴょん、弥勒の三人は選んだお店に声をかけに行って、OKを一発でもらってきた。ゆっちーは和風の雑貨屋さん、はるぴょんはたい焼きやさん、弥勒は何故か米農家。帰りにお米を分けてもらって、今度は飯盒でのお米炊きを極めると息巻いている。それに比べて、僕は三軒に声をかけに行って全滅という番組史上でもトップの運の悪さを披露する羽目になっている。
「どうしよう〜。このままじゃ撮影終わらないよ〜」
「まあまあ、今日はこのまま泊まりなんだし。ほら明謙、たい焼き」
「ちょっと、糖分の取りすぎじゃない?」
「またトノはそんなこと言って! ロケなんだからいいんだよ!」
はるぴょんと弥勒が言い合っている間に、番組のプロデューサーさんが僕に声をかけてきた。
「不動くん、次は街の人に声をかけてオススメを聞いてみるっていう感じで行こうと思うんだけど、どうかな?」
「はい…! すみません、撮影押しちゃいますよね」
「いやいや、このくらいなら普通だよ。むしろあの三人が順調でびっくりしたくらいだ」
「頑張ります、よろしくお願いします」
僕が声をかける街の人に選んだのは、地元の女子高生だ。女子高生なら地元にも詳しいだろうし、メディアにも敏感で、アポがないと取材が出来ない店も知っているかもしれないと思ったからだ。Bプロが好きだと言ってくれる彼女たちにオススメを聞いてみる。
「え〜、どうだろう。田舎だからなー」
「うーん、そっかあ」
「あ! 明謙くん、おにぎり好きですよね?」
「うん! おにぎりは好きだよ」
「あそこの橋を渡ったところに、可愛いおにぎり屋さんがあるんですよ。そこにご飯食べられるところがあって、おにぎりに出汁かけてお茶漬けにしてくれるのが本当に美味しくてオススメです!」
おにぎり屋さん。ピンときた。
「ありがとう、行ってみる!」
「明謙くん、頑張ってくださいね!」
「うん。本当にありがとう!!」
女子高生は弥勒とゆっちーに握手を求めて、賑やかに話しながら去っていった。……弥勒とゆっちーが好きだったのか。話しかけたのが僕で、申し訳ない。
それでも情報は得られた。あとは、取材をOKしてもらうだけだ。
大きい橋を渡りながら、今度発売になるシングルの話になった。今までのキラキンのイメージとはかけ離れたシングルだ。
「僕も聞かせてもらいましたけど、結構色気出したっていうか……デビューからいろんな曲調の曲にチャレンジなさってますね?」
MCを努めてくれている芸人さんは、僕たちのことをよく気にかけてくれる。シングルを出すと連絡してくれて、同じバラエティに出ると話を振ってくれる、お世話になっている人だ。
「はい、僕たちも自分たちの出来ることがこんなにあったんだ! と驚くばっかりです」
「いや〜キラキンはこれからどこまでも伸びていきそうですからね! あっ、ここですかね? 『おにぎり専門店 たんぽぽ』!」
「よし、明謙頑張れ!」
「あの店頭にいる女の子に聞いてみればいいのかな」
よし、よし。あともう一息だ。頑張るぞ。
僕は自分の両頬をびたん、と叩いて気合を入れる。芸人さんはそこも拾ってくれる。「あれが明謙の気合の入れ方なんです」と弥勒が言う。どうしよう。柄にもなく緊張しているみたいだ。
店に近づいて、きょろきょろと辺りを伺う。本当に小さいお店だ。木造の建物に、ショーケースが張り出ていて、中におにぎりがたくさん並んでいる。さっきの女子高生が言った通り、中にはイートインスペースもあるみたいだ。お客さんがちらほら座っていて、エプロンをつけた年配の女性が、お客さんと思われる人と談笑している。
「こんにちは」
「はい! いらっしゃいませ!」
ショーケースの向こう側に座っていた女の子がぱっと立ち上がって僕を見た。元気な声だった。
「僕、KiLLER KiNGの不動明謙と言います。『チャレンジ!TV!!』という番組でロケをしているんですが、今からカメラ入っても大丈夫ですか?」
女の子は目をぱちくりと瞬かせた。状況がよく飲み込めていないみたいだ。僕がもう一度「あの」と話しかけると、弾けるように目の焦点が合って、「ちょ、ちょっと待ってくださいね!」と中にばたばたと駆け込んでいった。中から「おばーちゃーーーーん!!!!」と随分大きい声がして、僕は他の三人と目線を合わせ、ふふっと笑いあった。
「大丈夫です! どうぞ!!」
女の子が戻ってきて、店の横開きの扉を勢いよく開けた。心地良いガラガラという音が響いて、中からいくつもの「いらっしゃいませ!」という声が僕たちを呼んだ。
*
『おにぎり専門店 たんぽぽ』は、家族で営んでいる小さなお店だった。女の子の祖父母がはじめたお店で、現役を引退した祖父母を受け継いで、彼女がお店を引き継ぐのだとおばあちゃんが話してくれた(これはきっとナレーションで入るんだろう)。
僕たちは一回ショーケースの前に戻っておにぎりを選ぶことにした。スタッフさんが「二つくらいで」と言っていたが、選べないくらいの種類が少しずつ並んでいた。
「名前が可愛いね」
ゆっちーが手書きのポップを見ながら微笑んだ。確かに、普通のおにぎりは「おかか」や「ツナマヨ」とかだけど、ここのお店は「あじさい」や「どんぐり」というちょっと情緒的な名前がついている。プロデューサーさんがネーミングを気に入って、クイズ形式にすることを提案してくれた。スタジオで他のゲストさんに向けてクイズにするみたいだ。
「俺、これがいい! 『はる』!」
「ハルの名前だ」
「あっ! 『つきみ』ってのがある!」
「『つきみ』は中が味のついた錦糸卵だって」
「ご飯が白いから月見うどんみたいになるんだ!!」
はるぴょんは大はしゃぎだし、ゆっちーもお米は好きだ。弥勒はスイーツじゃないからご機嫌だし、本当にあの女子高生には感謝だ。
「明謙は?」
弥勒に聞かれて、僕は改めてショーケースを見渡した。僕と弥勒に関連する名前の商品はないみたいだ。僕はお店の名前が入った『たんぽぽ』を二つ選んだ。普通に食べるのと、お茶漬けと、2回食べてみたいと思ったからだ。
出汁の用意をしてくれている間、おにぎりをひとつ食べた。『たんぽぽ』は卵と菜の花で、黄色と緑のたんぽぽを表しているんだ。1番の人気だという。
「お待たせしました!」
彼女がお母さんと思われる女性と一緒に戻ってきた。急須に出汁を入れてあって、それをおにぎりを入れたお茶碗に注いでくれる。じゅわっと音がして、お椀の中のおにぎりが崩れ始める。レンゲでそっと崩して、出汁と絡めて。ふぅふぅと冷ましている間にも出汁の香りが鼻にするりと入ってくるみたいだ。香りが僕を捕まえて離さない。レンゲを口に入れれば、鼻からの香りと口からの香りを二重に感じて、僕は思わず「わあ」と声を上げた。とっても寒くて冷たい夜に、やっとの思いでお風呂に飛び込んだときみたいな落ち着きと、安心と、あったかさだ。美味しい。
「明謙、すごい顔」
はるぴょんが面白いものを見るように僕のこと見た。はるぴょんのお茶碗の中は既に空っぽだ。それを見た彼女が「もしよければ」とお出汁だけをはるぴょんのお茶碗に注いだ。はるぴょんは両手でお茶碗を持って出汁を一口飲むと、「ふぁ〜」と感嘆の声を上げる。分かるよ、その気持ち!
「アイドルの皆さんに気に入ってもらえたら、うちも繁盛だねぇ」
「ほんとほんと。これは繁盛間違いないわ」
お母さんもおばあちゃんもお父さんも、みんな僕たちのことを応援してくれて、取材をさせてくれたお礼に番組のステッカーと、僕たちの新しいシングルをプレゼントした。僕は個人的なお土産におにぎりをいくつか購入し、最後に、あの女の子にもう一度声をかけた。
「あの、」
「あ、不動くん。今日はありがとうございました」
洗い物をしていたあの子はエプロンの中から手ぬぐいを出して手を拭きながら僕の前に来てくれる。本当に気さくで話しやすい女の子だ。
「きらーきんぐ、でしたっけ。ごめんなさいね、私アイドルとかあんまり詳しくなくて」
「詳しくは、さっきのシングル聞いてもらえれば」
それを聞いた彼女は笑いだした。お店の名前の通り、たんぽぽみたいな明るい顔だ。
「そうですね、あれを聞きます。出来たら、他の曲も」
すっと両手を差し出された小さな手のひら。条件反射で、僕もその手を握る。
「会えてよかった」
「僕もです。ありがとうございます!」
*
そうして僕たちは無事にロケを終え、東京に戻ってきた。オンエアまでには、まだ少し時間がある明日は、珍しく一日オフで。つばさちゃんが頑張ってもぎ取ってくれたオフを、弥勒は筋トレに、ゆっちーとはるぴょんは買い物に費やすみたいだ。僕は、どうしようかな。
「明謙、明日のオフ、何するかまだ決めてないの?」
「うーん、そうだなあ」
「じゃあ、お願いがあるんだけど」
「ん?」
はるぴょんは僕の前でぱちん! と手を合わせた。そ、そんなに重要な用事なんだろうか。
「この間のたい焼きが、どーーーーしても食べたい!!!」
「……それだけ?」
「トノ!!! 何でそんなこと言うの!?! だってあれ美味しかったし!!」
わ、大変。冷ややかな目ではるぴょんを見る弥勒に向かって、はるぴょんは唇を尖らせて抗議した。このままだとまた喧嘩になっちゃうかも。……うん、特に用事もなかったし、この際あのおにぎり屋さんにもう一度行ってみるのも、いいかもしれない。
「はるぴょん、いいよ。僕行ってくるよ」
「ほんとーー!? ありがとうーー!!!」
「明謙、いいの?」
「特に用事もなかったし。僕のあのたい焼き、また食べたいって思ってたんだ!」
「じゃあ、俺たち明日夕方には帰るから! 明謙、本当にありがとう!」
「任せて!」
僕は翌日電車を乗り継いでまたあの町に向かった。片道二時間の道のりを一人で過ごすのは、はじめてに近いかもしれないな、なんてことを考えた。建物がだんだん小さくなって、緑が増えて。この間は早朝に車で移動したから、この景色の変化は分からなかったな、なんて。
駅についた頃にはまだ少し肌寒かったけれど、はるぴょんのお遣いを済ませた頃には、おひさまが空高く登っていて、きらきらと輝いていた。ゆっちーがお世話になった雑貨屋さん、弥勒が声をかけた米農家を順繰りに回って、地元の博物館に入ってみたりして。そろそろお腹が空いたな、と思った僕はいよいよ橋を越えて、川沿いにあの小さな店を目指した。
「こんにちは〜…」
ショーケースの後ろには、誰もいなかった。僕は中のカフェに繋がる扉を開けようとして、張り紙に気がつく。
【休憩中 14:00まで】
あぁ、それは考えていなかった。僕は妙に納得して、店の前に立ちすくんだ。14:00まであと20分くらいだ。時間を潰すために、もう少し、川沿いに向こうまで行ってみようか。そうして僕が一歩踏み出したときだった。
「あの、不動くん、ですか」
控えめに僕を呼び止める声がして。僕はぴしりと固まった。一人のときに声をかけられたのは、はじめてだ。どうしよう。
……あれ、待って。クイーンのみんなは、僕のことを"明謙くん"って呼んでくれる。あんまり"不動くん"って呼ばれることはない。
僕はゆっくりと振り返る。案の定、大きな買い物袋を持った彼女が立っていた。
「不動くん、どうしてここに。今日もロケなの?」
「ううん、今日はプライベート。この街のたい焼きをはるぴょんが気に入って。また買いに来たんだ」
「あぁ、あそこ美味しいよね」
彼女はよいしょ、と鍵を取り出すと扉をがらがらと開けた。中に向かって「おばーちゃーん」と呼びかける。ネギの飛び出した袋を再び持ち上げると、「どうぞ」と中に入って行ってしまう。
「えっ、いいの?」
「外にいたら暑いよ?」
「お、お邪魔します!」
お好きな席どうぞーと言う彼女の声に、僕は荷物をおいて席に座る。目の前にからん、と氷の音を立てて置かれたお冷をぐいっと飲み干した。外、結構暑かったんだな。体の中に溜まった熱がすっと消えていく。エプロンをつけた彼女は、「ちょっとお待ちくださいね」と奥へ入っていった。
「おや、また来てくださったんですか」
「あ、すみません。休憩中なのに」
声をかけてくれたのは、おばあちゃんだった。僕の向かいの席によっこいしょ、と座る。
「あの子は今午後の準備をしていてね」
「いえ! 押しかけてしまったのは僕なので」
「そうですか。ありがとうございます」
柔らかい口調だ。どちらかというとはきはきしている彼女とはまた違う、周りの空気が、木漏れ日のような優しい人だ。そのあとも、少し会話を交わした。こんな田舎にわざわざ、とかアイドルって大変だろうに、とか。
「おばーちゃん、裏のおじーちゃんが呼んでるよ」
奥の暖簾をひょい、とあげて、あの子がおばあちゃんに声をかけた。おばあちゃんは「おや、また猫の具合でも悪いのかねぇ」といいながら立ち上がる。
「おばーちゃん、何か余計なこと言ってなかった?」
「全然! 楽しかったよ」
「ふふ、それならよかった。あ、ご注文は?」
僕は以前とは違うおにぎり定食を頼んだ。おにぎりとお漬物、お味噌汁。……うん。相変わらず、美味しい。
僕はお味噌汁を飲みながら、あることに気づく。
(あんまりお客さんは、来ないのかな)
お昼休みが明けて、来たお客さんは常連らしい数人だった。この間は、若い人や学生なんかもいたように見えるのに。
「あら、今日は若いお客さんがいるんだねぇ」
「うん、そうなの。ありがたいねぇ」
お客さんとの会話をしながら、彼女は僕の顔を見て苦笑いをした。
「この間とは違って、驚いたでしょう」
「ちょっと」
「平日はいつもこんな感じだよ。すっからかん」
そうなんだ、と返しながら僕は自分の周りを見渡した。あんまり、上手くいってないのかな。
僕がゆっくりお漬物を食べている間に周りのお客さんはお会計を済ませて帰って行き、再び僕と彼女は二人っきりになった。彼女はお客さんのお皿を片付け、レジの前の椅子にふう、と座る。
「不動くんさー……」
「え?」
「お店、どーしたらいいと思う……?」
やだ、お客さんに言う話じゃないね、とすぐに苦笑いする彼女は、お冷やのおかわりを注いでくれながら僕の顔を見てにっこり笑った。
「不動くん、何か話聞いてくれそうなんだ。アイドルだし、モテるでしょ?」
「そんなことないよ。応援してくれるファンには、有り難いと思ってるけど」
「ファン、ね。たくさんいるんだろうな。私は、アイドルの不動くんはあまり知らないけど」
その帰り道、僕はまた2時間の道のりを戻りながら、ふと思い出した。自分の職業を、自分を支えてくれる、たくさんのファンのことを。
(Bプロとコラボしたおにぎりを売り出せないかな)
*
「それはどうかな」
「え?」
僕の提案に、弥勒は眉をしかめて僕を見た。
「え、トノどうして? 俺もいいと思うけど!」
「僕も。……まあ、相手方に話していないって言うのは、気になるけど」
「うっ」
並んでソファに寝そべっているゆっちーと、嬉しそうに鯛焼きを頬張るはるぴょんの言葉に、弥勒は難しい顔をして腕立て伏せを止めた。僕はゆっちーの正論に首を竦め、立ち上がった弥勒のことを見上げた。
「あのお店、あんな小さいのに、クイーンが殺到するかも知れないんだよ?」
「うん」
「あの小さなお店で、多くの客を裁ききれる?」
「……うーん」
「あの女の子が実質一人で回してたよね、あの店。今以上に客が増えたら、あの子一人で回せるとは思えないんだけど。他の従業員を雇うにしても、時間がかかるし」
「だけど」
「俺たちはデビューして、たくさんのクイーンたちに支えられてる。分かってる? 余計な行動は、慎むべきだ」
弥勒の言葉に、少し引っかかった。それって、僕のなりたいアイドルとズレが生じる。僕がなりたいアイドルは、もっと、誰か一人の背中をそっと押してあげられるような……上手く言葉には出来ないけれど。
「明謙、もう俺たちはファンの少ないバンビじゃないんだよ」
少し考え込んだ僕が言葉を失ったと思ったのか、弥勒は更に言葉を続けた。コレで話は終わり、とでも言うように筋トレを再開する。
「……そうなのかな。僕は、そんな弱いものを切り捨てるようなアイドルには、なりたくないよ」
「明謙……」
ゆっちーの声を背に、僕は立ち上がり自室へ戻った。……その夜は、なかなか寝付くことが出来なかった。
「だめだ。俺も今回ばかりはコイツの言うことに賛成だ。明謙、お前自分が何言ってんのか分かってんのか?」
「社長!」
「今回はってどういう意味ですか」
「トノ、今はそこじゃない」
社長の言葉に、僕と弥勒が同時に反応した。
僕は翌日、社長に呼び出されたのを口実に、この間のロケのこと、もう一度行った店で現状を見たこと、そして自分が考えたことを洗いざらい話した。それに続くように一緒にいた弥勒も自分の意見を捲し立て、それを黙って聞いていた社長ははっきりと言ったのだった。「だめだ」と。
僕の話を一通り聞いた社長は溜息をひとつ吐き出し、僕の方をじっと見つめた。
「明謙。確かに気持ちは分かる。でも今回のことは許可出来ない。理由はもう、分かっているよな」
「……」
すごすごと社長室を出た僕に、弥勒はきっと「ほらね」とか「だから言ったでしょ」とか言いたかったんだと思うけれど、ちらりと僕を一瞥すると「仕事だから」と言って廊下を小走りに去って行った。……その仕事、僕も一緒だよね?
弥勒なりに気を遣ってくれたんだな、と不器用な昔なじみを見送った僕は、立ち止まって天井を仰いだ。
僕は、あそこのおにぎり好きなんだよなぁ。
迷惑は掛けたくないけど、あのときの彼女の表情を思い出すと、何もしないわけにはいかなくて。
僕に出来ることって、何だろう?
Bプロじゃなくて、僕が、不動明謙が出来ることって、何もないのかな。
「……あかね」
「明謙、大丈夫?」
ゆっちーとはるぴょんの言葉で目が覚めた。落ち込んでいる暇なんかない。
だって、僕はアイドルなんだから。
「あ、こっちこっち!」
「不動くん!」
「よかった、ちゃんと来られたね」
「ちょっと迷ったけど大丈夫だった!」
世間はGW明けを迎えた今日、都内の大きな駅で僕とあの子は待ち合わせをしていた。迷うかも、と不安げに言っていたあの子は僕のことを見つけてぱあっと笑顔になった。体の半分を埋めるくらいのスーツケースをがらがらと引いていた。
「昨日はどうだった?」
「ふふ、楽しかったよー。笑いっぱなしだった」
昨日から東京に来ている彼女は、昔なじみに久しぶりに会いに来たのだという。ついでに、もうひとつやりたいことがあると僕に連絡が来たのは半月ほど前のことだ。交換した日の夜に「よろしく」「こちらこそ」と短いやりとりをしただけのトークルームに貼られた写真は、古い喫茶店のようだった。写真には分厚いプリンが映っていて、プリンの向こう側に小さな子供が見切れていた。
『この喫茶店に行きたいんだけれど、何か知らない?』
『昔一回だけ行ったところなんだけど、車で行ったから駅の名前も分からない』
その写真を見た僕がすぐさま頼ったのはゆっちーだ。百太郎と一緒にいろんな甘いものを食べに行くことがあるゆっちーは、写真を見て大きく頷いた。
「ここなら知ってる。有名だよ。行ったことはないけど」
「ほんと! ありがとう!」
よかった、これであの子の役に立てる。僕が安堵の溜息を漏らすと、ゆっちーは声を出さずに息だけで笑った。首を傾げた僕に、ゆっちーも一緒に首を傾げた。
「明謙、あの子の話するとき楽しそうだから」
「え?」
「喜んでくれるといいね」
「……うん、ありがとう。ゆっちー」
その日の夜、分かったよと店の情報をあの子にJOINすると、喜んでいるスタンプが送られてきた。忙しいのにごめんね、と送られてきた文章に返事をしながら、僕はふと思いついた。せっかく東京に来るなら、会えないかな。
「それ、僕も一緒に行ってもいいかな」
JOINを送った瞬間、急に気恥ずかしくなって、僕は枕に顔を埋めてばたばたと足を動かした。そうすることでちょっとはマシになるかなと思ったんだけど、全然マシにならないどころか顔がどんどん熱くなっていくばかりだった。そんなつもりじゃなかったんだ、まるでこれじゃ、僕があの子に会いたくてたまらないみたいだ。……いや、会いたくないと言うのは嘘だけれど、あの子だって友達と一緒に行くつもりかも知れないし。あぁ、やってしまった。
スマホがJOINの受信を知らせる音を鳴らした。
『めちゃめちゃ助かる!』
当日の朝はこの駅から移動するんだけれど、と送られてくる情報に目を通しながら、僕は胸の高鳴りを押さえようとしたけれど、無理だった。あの子に会える、何でこんなに胸が高鳴るのか、理由ははっきりと分からなかったけれど。少しだけ心当たりがあった。まだ、確信はないけれど。
待ちに待った当日、十分すぎるくらい早く家を出た僕は、駅の改札近くのカフェに入って飲めもしないブラックコーヒーを注文し、ミルクをたっぷり入れながら時間を潰した。何度も時間を確認して、何度も経路を確認して。電車より車の方がいいだろうか、でもあの子は電車の方がいいって言いそうだ。そんなことを何度も何度も思った。約束の十時半、改札から君の姿が見えたとき、僕は自分でもびっくりする勢いで会計を済ませ、何食わぬ顔であの子のことを呼んだ。
「東京、だめだわー。人が多すぎるもん」
「僕も満員電車は慣れてないから、ちょっとびっくりしたよ」
「……送迎?」
コインロッカーにスーツケースを詰めて、じゃあ行こっかと立ち上がった顔は、少し緊張しているように見えた。それが棒と一緒にいることなのか、別の理由なのかは分からなかったけれど、僕は行き先を指さしながら、耳に小さなイヤリングがぶら下がっているのに気づいた。緑の石が嵌まった羽飾りのイヤリング。そういえば、いつもとお化粧も違うみたいだ。あれ、もしかして僕たち。
「……付き合ってるって思われたら、どうしよう」
「へあっ」
「えっ、ごめん。そんなに嫌だとは」
「違う! そうじゃないけど!」
「そう?」
神妙な顔で何を言うかと思えば、心を読まれたみたいで心臓がドキリと高鳴った。不自然だったかな、とそっと顔を覗き込んでみたけど、あんまり気にしていないみたいだ。よかった。
(付き合ってるみたい、か)
僕は、僕は。もしかして。
あの子のこと、好きなのかな。
ゆっちーに教えてもらったそのカフェは、プリンで有名な喫茶店だった。古民家、と言う言葉がぴったりで、きっとコーヒーが美味しいんだろうと思わせるような外観をしている。コーヒー、飲めるようになっておけばよかったかな。
「……あんまり、覚えてないなあ」
ぱしゃ、とスマホの音を鳴らして首を傾げている。平日だからか、あまり人も多くないみたいだ。
「プリンが美味しいんだって。ゆっちーが言ってたよ」
「寺光くん……あ、唯月くん、そういうの好きなんだ。意外だな」
ひっそりと予約を入れていた僕は、店員さんに声をかけ、驚いた顔に頬を緩ませながら僕より小さな位置にある肩をそっと押した。「彼氏みたい」と悪戯っぽく笑う姿に、また胸が高鳴った。ねぇ、それはわざと? それとも、僕をからかっているだけ?
通されたのは窓際の席だった。僕はお冷やをぐいと飲み干して、メニューを手に取った。
「私、決めてきたから。不動くん、ゆっくり見て」
「ほんと? 実は僕も決めてきたんだ。プリンと紅茶にしようかなって」
「そっか。……付き合わせて、ごめんね」
「行きたいって言ったのは僕だし、気にしないで」
「ありがと」
すみません、と店員さんを呼ぶ声は優しくて。ここの空間だけ時間がゆっくり流れているような、そんな気がした。プリンを二つ、紅茶とコーヒーを頼むと、加えてサンドイッチを注文する。そういえばお昼時なんだっけ。僕も頼めばよかったな、なんて考えいることが伝わったのか「付き合ってくれたから、これは私の奢りね」と笑う。
「待って、奢ってもらうのは」
「いーのいーの。不動くんと一緒だって言ったらおばーちゃんから軍資金出たし」
「軍資金……」
「ね、奢らせてよ」
僕が言葉に詰まった瞬間を狙って「決まりね」と手を打られ、僕は負けたことを悟った。
「口達者だなあ」
「商売人だからね」
「そういえば、お店の方はどう? 変わりない?」
僕が口にした言葉で、すっと顔が曇っていくのが見えた。でも、それは一瞬のことでまたすぐにぱっと笑顔になる。僕、何かまずいこと言ったかな。
「変わりないねー。うん、変わりはないよ」
「そうなんだ? また行きたいってみんな言ってたよ。季節によってメニューが変わるんだよね」
「うん。夏は冷茶漬けになるよ。そろそろかなあ」
「行きたいなあ。夏は僕たちも忙しいからなあ」
「へえ。ライブ、とか?」
「うん。今年も夏にライブをやるんだ」
「そっかー。行ってみたいけど、お店あるしなー」
「うーん、僕も見に来てもらいたいけど。あ、DVDにはなると思うよ。見本もらったら送ろうか」
「いやいや、ちゃんと買いますよ」
頬杖をついて笑う彼女は、また少し表情を曇らせて、「それまでお店があればなー」なんてことを口にした。僕は飛び出た言葉がなんなのか理解できずに、彼女の顔をじっと見つめた。彼女はまずい、というような顔をして、何度か口を開閉した。繕う言葉を探していたのかも知れないけれど、しばらくして諦めたように息を一つ吐いた。
「ごめん、お客さんにこんなこと言うなんて」
「いいけど、それより」
「お店、閉めようかって、話があって……」
「だ、だれが?」
「誰? えっと、家族が?」
つまり、誰かが持ちかけた話じゃないってこと?
他でもないお店の人たちが、そうやって思っているってこと?
言葉を失ってしまった僕を見て、彼女は困ったように笑った。沈黙を破るように頼んだものが運ばれてくる。プリンが一つずつ、僕たちの前に置かれて、何でかは分からないけれど中央に置かれたサンドイッチが、まるで僕たちを裂くようにすら見えた。
「うーん、やっぱり口滑らせちゃった」
「君は、どう思ってるの?」
「私?」
彼女が口をつけたコーヒーは、黒いままで何も入っていなかった。うーん、と首を傾げた彼女は、少し考え込んだ後、
「仕方ないかなとは、思う」
「そんな」
「ごめんね。こんな話するつもりじゃなかったんだけど。思い出の喫茶店行って、そのまま解散するつもりだったんだけど」
「この店ね、はじめて私がおばーちゃんにものを奢った店なの」
「おばーちゃんに?」
頷いた彼女が取りだしたのは、事の発端の古い写真だった。中央に映っているプリンは、今僕たちが目の前にしているものと全く同じもので、きっとプリンの向こう側に見切れている小さな子供は彼女なんだろう。つまり、この写真を撮ったのはおばーちゃんなのかな。
「店の手伝いをすると、毎日100円もらえるの。今となってはブラックもいいとこだけど……そのお金を貯めて、おばーちゃんにプリンを奢ってあげたんだー」
これがそのときの写真ね、とひらりと写真がはためいた。
「店を閉めるって話が上がって、急にこのことを思い出して。本当はおばーちゃんを連れてこようと思ったんだけど、腰がねー」
「そっか……」
「だから、付き合わせてごめん。で、これは奢りね」
ずい、と突き出されたサンドイッチは一人で食べるには大きい気がした。僕はサンドイッチを二つに割ると、彼女に半分差し出した。
「これで、割り勘ね」
「……仕方ないなあ」
笑った顔が、まぶしいと思った。
この笑顔が、またお店で見れたらいいな、なんて。
「どうしたらお客さんくるかな」
「SNSとかはじめて見るとか?」
「うーん。誰か出来る人いるかなー」
宣伝って大事だよねぇ、笑顔でプリンを食べ進める姿を見て、僕はあれ、と何かを思い立つ。
それは一ヶ月ほど前の自分の行動を。自分の職業を、自分を支えてくれる、たくさんのファンのことを。
「宣伝、ね……」
*
「本当にここでいいの?」
「大丈夫大丈夫―」
「なら、いいけど……」
「心配してくれてありがとー」
駅でスーツケースを携えて、僕と彼女は向き合っていた。
プリン美味しかったねー、と笑う彼女の表情はもう曇っていなくて、プリンの向こうで見切れていた幼い彼女と重なった気がした。
「じゃあ、気をつけてね」
「うん。またねー」
今から帰れば、夜には家につけるらしい。さっき僕と一緒に見繕った大量のお土産を持って、彼女は改札の向こう側に消えていった。僕も帰ろう、と振り返った瞬間にスマホが震えた。JOINの通知を知らせる音も鳴る。
『楽しかった! また遊んでね』
駅の構内で、僕はずるずると座り込んだ。これは、ずるい。
足下にきらりとひかるものを見つけて、僕は手を伸ばした。それは、あの子が昨日会った昔なじみに貰ったと嬉しそうにしていたイヤリングだった。緑の石が嵌まった羽飾りのイヤリング。
すぐに立ち上がってあの子が消えていった方向に駆け出したけど、追いつかなかった。片方になってしまった羽を握って、僕は途方に暮れるばかりだった。
「明謙お前、この間俺が言ったこと根に持ってるのか?」
「え?」
次のバラエティの台本を取りに立ち寄った事務所で一服していた社長は、僕の姿を見るなり苦笑し、火をつけたばかりの煙草を灰皿にぐりぐりと押しつけた。
「別に、そんなんじゃないですよ?」
「嘘つけ。お前、この間話してから、やたらラジオとか番組でおにぎりおにぎり言ってるじゃねーか」
「まあ、それは」
「やっぱ根に持ってんじゃねーか……」
彼女とカフェに行った後、僕はラジオや雑誌でおにぎり好きを今までよりアピールしていた。数カ月が経った今、今までライブに来てくれるような子しか知らなかった僕のおにぎり好きが、だんだん世間にも知られるようになってきたところだ。例えば、バラエティでその話が出たり、おにぎりを作る料理番組に呼ばれたりすると、そのことを実感する。
「まあ……へへっ」
「お前、映画のときといい、やるようになってきたな」
そんなに美味いのか、そこのおにぎりはと社長はぼやきながら2本目のタバコに火をつけた。
「ま、頑張ってみろ」
「はい!」
「今日これからは? ラジオか?」
「料理番組のゲストです」
「……おにぎりか?」
「はい!」
季節は巡り巡って、再び春になった。
君と出会った季節がまた巡ってくるなんて、なんだが変な感じだ。
僕は久しぶりのオフの日、弥勒が走りに出かけているような早朝に家を出た。慣れない都内の通勤ラッシュに揉まれながら、片道2時間半道のりを電車に揺られる。少し肌寒いけれど、昼も過ぎれば暖かくなるだろう。
(半年以上、会ってないのかなぁ)
今日あの子のところに行くのは、本人には言っていなかった。なんで、と言われると困るけれど、なんとなく驚かせたくて、なんとなく言わなかった。あの子が今日店にいるという保証もないのに、会えるだろうという根拠のない信頼だけで家を出て、きっと喜んでくれるだろうという確信と一緒に電車に揺られた。
片道二時間の道のりを一人で過ごすのは半年以上ぶりだな、なんてことを考えた。建物がだんだん小さくなって、緑が増えて。普段東京にいるとどうしても忘れそうになる。僕らのファンは、きっとこういうところでも生活しているんだろうと。僕たちの活動を楽しんだり、待ちながら、毎日を過ごしているのだろうと。
駅についた頃にはまだ少し肌寒かったけれど、一年前のロケで訪れたたい焼き屋さんで、はるぴょんへのお土産を買った。ゆっくり道を歩きながらいろんなお店を覗いて、おひさまが空高く登って、きらきらと輝きだした頃にカフェに入って一息ついた。店員さんがざわついているのに気づいて帽子を目深に被りなおす。リュックサックに手を入れて、あの子のイヤリングを包んだ紙袋があることを確かめた。あの子が落としていったイヤリングと、代わりになるかなと探したあの子に似合いそうなイヤリング。いくつか色の種類があったけれど、なんとなくオレンジを選んだ。オレンジが、あの子に似合いそうだと思ったんだ。
「こんにちはー。店長さんいらっしゃいますか?」
見知った声が聞こえて、僕は思わず顔を上げた。視界に入る背中は、紛れもなくあの子の背中で。少し伸びた髪がポニーテールになった揺れていた。視線に気づいたあの子がこちらを振り返ると同時に顔を背けた。なんだか、顔が見られない。気持ちを自覚してから会うのははじめてなんだった、別に悪いことをしているわけでもないのに緊張で体が強張った。
「はい、じゃあまた木曜に受け取りに来ますね。……そうですねぇもう来週だなんて」
それでは、とあの子が店を出ていく。僕はどくどくと鳴りやまない鼓動を抑えようとして胸に手を当てて大きく深呼吸した。ほとんど手を付けていなかったオレンジジュースを一気に飲み干せば、店の人がこちらをまたちらりと見やるのが分かった。僕は万が一に備えて持っていた眼鏡をかけると、いよいよ橋を越えて、川沿いにあの小さな店を目指した。
昼休憩の時間は十三時から十四時。今の時間は十二時過ぎ。上手くいけば、昼休憩に少し話せるかも知れないと思ってこの時間を選んだんだ。緊張している場合じゃない。
(……あれ)
三回目の道のりは、何だかいつもと違っていた。川沿いの道は、何だか人通りが多い。みんな、あの川沿いに用があるんだろうか。
顔を上げた僕は思わず立ち止まった。目の前には若い女性を中心に行列が広がっていて、行列の先にはあの店があったからだ。
……そっか。お店、上手くいっているんだ。
何だか安心してそのまま引き返しそうになった僕は慌てて方向を変えた。お店の状況が気になっていたのも嘘じゃないけれど、今日はまた別の用事があるんだ。このイヤリングを返すこと、そして気持ちを伝えること。
行列が短くなるまで待っていた方がいいだろうか。今のままだと忙しくて、話せないかも知れない。なんて自分勝手なことを考えながらしばらく列を眺めた。すると、見たことのない従業員さんが新しく来たお客さんに「今から昼休憩だからテイクアウトだけなら」という話をしているのが聞こえた。僕は前と変わらずに店の前にあるショーケースにふと視線を移した。……あの子だ。
ショーケースの前に立つと、あの子は窓ガラスを拭いていた手を止めて顔を上げた。僕だと言うことに気づくとぱあっと顔を明るくした。
「いらっしゃいませ!」
「久しぶり」
「ご注文は?」
「そうだなー」
ショーケースに目を落とすと、はるぴょんたちがはしゃいでいた『はる』や『つきみ』も変わらずにメニューにあることが分かって、自然と笑顔になった。その隣に並んでいた「新作!」とポップのついたおにぎりが目についた。僕のイメージカラーと同じ、オレンジ色だ。
「僕、これにしようかな」
「前と同じものでいい? お野菜とお茶漬け」
「うん。お願いします」
彼女が通してくれたのは店の中ではなく、奥の台所だった。彼女曰く、「君、結構目立ってるよ」とのこと。確かに若い女性ばかりだし、男一人でこの場にいるのは目立つよなあなんて思っていると、彼女はお茶を注ぎながら「不動くん、なんだかオーラがアイドルなんだもん。知ってるからかも知れないけど」なんて言って笑った。
「ここで少し待っててね。一時になったら店閉めるから、そしたらメニュー持って来るから」
「ごめんね、忙しそうなのに」
「ううん。全部、君のおかげだから」
どういうことだろう。
ひらりと手を振った彼女は、じゃあと言ってばたばたと台所を出て行った。取り残された僕は、何かしただろうかと考えながらなんだか気まずい気がして辺りを見渡した。
店の奥と言うことは、普段あの子やおばあちゃんが普通に生活しているスペースということになるんじゃ? そう考えると急に背筋が伸びて、注がれたお茶を勢いよく飲み干した。冷たいお茶が胃に溜まっていくのが分かって、少し頭も体も冷えた気がした。
「……おや」
「あ、お邪魔してます」
「あの子がここに置き去りにしたの? 失礼しました」
「全然! 押しかけたのは僕なので!」
奥からゆっくりと姿を見せたのはおばあちゃんだった。おばあちゃんの姿を見た途端、カフェでのあの子の姿が思い浮かんで、なんだが胸が痛くなった。大好きなプリンを目の前にして、涙を拭っていたあの子のことを。
「この間、あの子と遊んでくれたみたいで」
「知ってるんですか?」
「もちろん。あの子、すごく楽しみにしてたんですよ。不動くんに遊んでもらうんだーって」
「え?」
終始申し訳なさそうにしていた彼女がそんなことを思っていたなんて。痛んでいた胸が少しすうっとした。悩みが晴れたときのような、そんな気分だ。
「あの子、不動くんのテレビとかラジオとか、ぜーんぶチェックして。すっかり不動くんのファンなんですよ」
「え……」
「それで、不動くんがうちのお店のことをラジオで話してくださったんですって? 次の週末からお客さんが増え始めたんですよ。あの子が考えてた春の新作も相まって、平日もお客さんがたくさん来てくれるようになったんです」
さっきあの子が言っていた、「全部、君のおかげだから」というのは、こういうことだったのか。確かに、店の名前は出さなかったけれど「バラエティで行ったおにぎり屋さんが美味しかった」という話は、いくつかのラジオでしたかもしれない(確か弥勒が『またその話』って顔をしていた)。
そっか。あの子は、僕の活動を、見てくれているんだ。
でも、君のところから僕は見えるけど。
僕のところから君が見えない。
君のことが見えるように、口実が欲しい。
今日は、それを伝えに来たんだ。
戻ってきたあの子は、お弁当のような包みを持っていた。僕の手元に残っていたコップやお茶をテキパキと片付けると、僕の向かいに座って、ふうと息をついた。
「不動くん、今日天気いいし外で食べない?」
「えっ、外で?」
「うん。少し歩くんだけど、河川敷があるんだ」
「いいね。あ、荷物持つよ」
店を出て、川に沿ってゆっくりと歩き出した。君はお店での面白い話を掻い摘まみながら話し、ことあるごとにけらけらと笑った。草むらが綺麗なところにレジャーシートを敷いて、ぐっと腕を伸ばして「つかれたあ」と寝転がる。僕も習って草むらに寝転がると、雲が二つしか浮かんでいない、まぶしい空が見えた。
「お店、上手くいってるみたいで安心したよ」
「……おばーちゃんでしょ」
「え?」
「おばーちゃんが余計なこと言ったんでしょ」
「例えばどんな?」
「私がキラキンがゲストのラジオをチェックしたり、音楽番組を録画したり雑誌買ったりしてるの!」
「へぇ、そうだったの?」
「えっ」
本当はさっき聞いて知っていたけれど、なんだか焦っている君が面白くて、つい意地悪をしてしまう。
だめだなあ、僕。
「そうだ、これを返しに来たんだ」
思い出せてよかった。イヤリングの紙袋を取り出すと、首を傾げる彼女は紙袋の中身を覗き込むと、「あ」と声を上げた。
「もしかして、わざわざこれを届けに来てくれたの?」
「うん。それもそうなんだけど」
そこで一回言葉を切る。深く息を吸って、吐く。
今日はこれを伝えに来たんだ。
「好きって言いに来た」
ぱちぱち、と繰り返される瞬きに苦笑すれば、彼女は困惑したように首を傾げ、
「アイドルって、特定の女の子とか作ってもいいの」
なんてことを聞く。まるで自分のことをだと思っていないみたいだ。
「うーん。アイドルの不動明謙はダメ、かな」
「ダメじゃん……」
呆れた顔をする彼女の髪にそっと手を伸ばす。あのカフェでしたみたいに優しく手を動かせば、呆れ顔が綻んでふんわりと笑顔になる。そんな君の瞳を真っ直ぐに見つめたら、ふいと顔を背けられたから視線を追いかける。何度か視線の鬼ごっこが続いて、根負けした君がぎゅっと目を瞑った。
思いの外、照れ屋さんなのかな。君はいつも店先でテキパキと働いていて、文句を言いながらも本当は店のことが大好きで、なくなるのを悲しむ寂しがりやでで。また新しく見つけた君を、嬉しく思うよ。
「ただの不動明謙は……君のことを想っていたいんだ」
アイドルこと、あんまり知らないって言ってたよね。アイドルの僕が、君に会ったことはないけれど、もっとアイドルの僕のことを見てほしい。アイドルじゃない僕も、もっともっと知ってほしい。
「……ありがとう」
君の言葉を待っていたかのようなタイミングで春風が吹いて、君の髪を巻き上げた。驚いた君が目を瞑ったその瞬間を狙って君へと腕を伸ばし、君の額に口づけた。ちゅ、と音が鳴る。
「……ご飯にする?」
「そうだね。早くしないと、午後に間に合わなくなるね」
「午後休取れないかな…………」
真っ赤な顔で苦笑した君が鞄から取り出した包みには、さっき僕が選んだおにぎりが入っている。君から受け取ると、ふとこのおにぎりの名前を思い出す。
僕と同じオレンジ色のおにぎりの名前は、「あかね」。
(こんなにうまくいかないのは、はじめてだ)
『チャレンジ!TV!!』は、その名の通り様々なゲストがいくつかのコーナーでお題に沿ったものにチャレンジするシンプルな番組だ。僕たちが呼ばれたのはくじで引かれた街に出向き、アポ無しで面白いものを見つける、というもの。今日はVTRの撮影だけど、放送当日は生放送でスタジオにも呼ばれるらしい。
ゆっちー、はるぴょん、弥勒の三人は選んだお店に声をかけに行って、OKを一発でもらってきた。ゆっちーは和風の雑貨屋さん、はるぴょんはたい焼きやさん、弥勒は何故か米農家。帰りにお米を分けてもらって、今度は飯盒でのお米炊きを極めると息巻いている。それに比べて、僕は三軒に声をかけに行って全滅という番組史上でもトップの運の悪さを披露する羽目になっている。
「どうしよう〜。このままじゃ撮影終わらないよ〜」
「まあまあ、今日はこのまま泊まりなんだし。ほら明謙、たい焼き」
「ちょっと、糖分の取りすぎじゃない?」
「またトノはそんなこと言って! ロケなんだからいいんだよ!」
はるぴょんと弥勒が言い合っている間に、番組のプロデューサーさんが僕に声をかけてきた。
「不動くん、次は街の人に声をかけてオススメを聞いてみるっていう感じで行こうと思うんだけど、どうかな?」
「はい…! すみません、撮影押しちゃいますよね」
「いやいや、このくらいなら普通だよ。むしろあの三人が順調でびっくりしたくらいだ」
「頑張ります、よろしくお願いします」
僕が声をかける街の人に選んだのは、地元の女子高生だ。女子高生なら地元にも詳しいだろうし、メディアにも敏感で、アポがないと取材が出来ない店も知っているかもしれないと思ったからだ。Bプロが好きだと言ってくれる彼女たちにオススメを聞いてみる。
「え〜、どうだろう。田舎だからなー」
「うーん、そっかあ」
「あ! 明謙くん、おにぎり好きですよね?」
「うん! おにぎりは好きだよ」
「あそこの橋を渡ったところに、可愛いおにぎり屋さんがあるんですよ。そこにご飯食べられるところがあって、おにぎりに出汁かけてお茶漬けにしてくれるのが本当に美味しくてオススメです!」
おにぎり屋さん。ピンときた。
「ありがとう、行ってみる!」
「明謙くん、頑張ってくださいね!」
「うん。本当にありがとう!!」
女子高生は弥勒とゆっちーに握手を求めて、賑やかに話しながら去っていった。……弥勒とゆっちーが好きだったのか。話しかけたのが僕で、申し訳ない。
それでも情報は得られた。あとは、取材をOKしてもらうだけだ。
大きい橋を渡りながら、今度発売になるシングルの話になった。今までのキラキンのイメージとはかけ離れたシングルだ。
「僕も聞かせてもらいましたけど、結構色気出したっていうか……デビューからいろんな曲調の曲にチャレンジなさってますね?」
MCを努めてくれている芸人さんは、僕たちのことをよく気にかけてくれる。シングルを出すと連絡してくれて、同じバラエティに出ると話を振ってくれる、お世話になっている人だ。
「はい、僕たちも自分たちの出来ることがこんなにあったんだ! と驚くばっかりです」
「いや〜キラキンはこれからどこまでも伸びていきそうですからね! あっ、ここですかね? 『おにぎり専門店 たんぽぽ』!」
「よし、明謙頑張れ!」
「あの店頭にいる女の子に聞いてみればいいのかな」
よし、よし。あともう一息だ。頑張るぞ。
僕は自分の両頬をびたん、と叩いて気合を入れる。芸人さんはそこも拾ってくれる。「あれが明謙の気合の入れ方なんです」と弥勒が言う。どうしよう。柄にもなく緊張しているみたいだ。
店に近づいて、きょろきょろと辺りを伺う。本当に小さいお店だ。木造の建物に、ショーケースが張り出ていて、中におにぎりがたくさん並んでいる。さっきの女子高生が言った通り、中にはイートインスペースもあるみたいだ。お客さんがちらほら座っていて、エプロンをつけた年配の女性が、お客さんと思われる人と談笑している。
「こんにちは」
「はい! いらっしゃいませ!」
ショーケースの向こう側に座っていた女の子がぱっと立ち上がって僕を見た。元気な声だった。
「僕、KiLLER KiNGの不動明謙と言います。『チャレンジ!TV!!』という番組でロケをしているんですが、今からカメラ入っても大丈夫ですか?」
女の子は目をぱちくりと瞬かせた。状況がよく飲み込めていないみたいだ。僕がもう一度「あの」と話しかけると、弾けるように目の焦点が合って、「ちょ、ちょっと待ってくださいね!」と中にばたばたと駆け込んでいった。中から「おばーちゃーーーーん!!!!」と随分大きい声がして、僕は他の三人と目線を合わせ、ふふっと笑いあった。
「大丈夫です! どうぞ!!」
女の子が戻ってきて、店の横開きの扉を勢いよく開けた。心地良いガラガラという音が響いて、中からいくつもの「いらっしゃいませ!」という声が僕たちを呼んだ。
*
『おにぎり専門店 たんぽぽ』は、家族で営んでいる小さなお店だった。女の子の祖父母がはじめたお店で、現役を引退した祖父母を受け継いで、彼女がお店を引き継ぐのだとおばあちゃんが話してくれた(これはきっとナレーションで入るんだろう)。
僕たちは一回ショーケースの前に戻っておにぎりを選ぶことにした。スタッフさんが「二つくらいで」と言っていたが、選べないくらいの種類が少しずつ並んでいた。
「名前が可愛いね」
ゆっちーが手書きのポップを見ながら微笑んだ。確かに、普通のおにぎりは「おかか」や「ツナマヨ」とかだけど、ここのお店は「あじさい」や「どんぐり」というちょっと情緒的な名前がついている。プロデューサーさんがネーミングを気に入って、クイズ形式にすることを提案してくれた。スタジオで他のゲストさんに向けてクイズにするみたいだ。
「俺、これがいい! 『はる』!」
「ハルの名前だ」
「あっ! 『つきみ』ってのがある!」
「『つきみ』は中が味のついた錦糸卵だって」
「ご飯が白いから月見うどんみたいになるんだ!!」
はるぴょんは大はしゃぎだし、ゆっちーもお米は好きだ。弥勒はスイーツじゃないからご機嫌だし、本当にあの女子高生には感謝だ。
「明謙は?」
弥勒に聞かれて、僕は改めてショーケースを見渡した。僕と弥勒に関連する名前の商品はないみたいだ。僕はお店の名前が入った『たんぽぽ』を二つ選んだ。普通に食べるのと、お茶漬けと、2回食べてみたいと思ったからだ。
出汁の用意をしてくれている間、おにぎりをひとつ食べた。『たんぽぽ』は卵と菜の花で、黄色と緑のたんぽぽを表しているんだ。1番の人気だという。
「お待たせしました!」
彼女がお母さんと思われる女性と一緒に戻ってきた。急須に出汁を入れてあって、それをおにぎりを入れたお茶碗に注いでくれる。じゅわっと音がして、お椀の中のおにぎりが崩れ始める。レンゲでそっと崩して、出汁と絡めて。ふぅふぅと冷ましている間にも出汁の香りが鼻にするりと入ってくるみたいだ。香りが僕を捕まえて離さない。レンゲを口に入れれば、鼻からの香りと口からの香りを二重に感じて、僕は思わず「わあ」と声を上げた。とっても寒くて冷たい夜に、やっとの思いでお風呂に飛び込んだときみたいな落ち着きと、安心と、あったかさだ。美味しい。
「明謙、すごい顔」
はるぴょんが面白いものを見るように僕のこと見た。はるぴょんのお茶碗の中は既に空っぽだ。それを見た彼女が「もしよければ」とお出汁だけをはるぴょんのお茶碗に注いだ。はるぴょんは両手でお茶碗を持って出汁を一口飲むと、「ふぁ〜」と感嘆の声を上げる。分かるよ、その気持ち!
「アイドルの皆さんに気に入ってもらえたら、うちも繁盛だねぇ」
「ほんとほんと。これは繁盛間違いないわ」
お母さんもおばあちゃんもお父さんも、みんな僕たちのことを応援してくれて、取材をさせてくれたお礼に番組のステッカーと、僕たちの新しいシングルをプレゼントした。僕は個人的なお土産におにぎりをいくつか購入し、最後に、あの女の子にもう一度声をかけた。
「あの、」
「あ、不動くん。今日はありがとうございました」
洗い物をしていたあの子はエプロンの中から手ぬぐいを出して手を拭きながら僕の前に来てくれる。本当に気さくで話しやすい女の子だ。
「きらーきんぐ、でしたっけ。ごめんなさいね、私アイドルとかあんまり詳しくなくて」
「詳しくは、さっきのシングル聞いてもらえれば」
それを聞いた彼女は笑いだした。お店の名前の通り、たんぽぽみたいな明るい顔だ。
「そうですね、あれを聞きます。出来たら、他の曲も」
すっと両手を差し出された小さな手のひら。条件反射で、僕もその手を握る。
「会えてよかった」
「僕もです。ありがとうございます!」
*
そうして僕たちは無事にロケを終え、東京に戻ってきた。オンエアまでには、まだ少し時間がある明日は、珍しく一日オフで。つばさちゃんが頑張ってもぎ取ってくれたオフを、弥勒は筋トレに、ゆっちーとはるぴょんは買い物に費やすみたいだ。僕は、どうしようかな。
「明謙、明日のオフ、何するかまだ決めてないの?」
「うーん、そうだなあ」
「じゃあ、お願いがあるんだけど」
「ん?」
はるぴょんは僕の前でぱちん! と手を合わせた。そ、そんなに重要な用事なんだろうか。
「この間のたい焼きが、どーーーーしても食べたい!!!」
「……それだけ?」
「トノ!!! 何でそんなこと言うの!?! だってあれ美味しかったし!!」
わ、大変。冷ややかな目ではるぴょんを見る弥勒に向かって、はるぴょんは唇を尖らせて抗議した。このままだとまた喧嘩になっちゃうかも。……うん、特に用事もなかったし、この際あのおにぎり屋さんにもう一度行ってみるのも、いいかもしれない。
「はるぴょん、いいよ。僕行ってくるよ」
「ほんとーー!? ありがとうーー!!!」
「明謙、いいの?」
「特に用事もなかったし。僕のあのたい焼き、また食べたいって思ってたんだ!」
「じゃあ、俺たち明日夕方には帰るから! 明謙、本当にありがとう!」
「任せて!」
僕は翌日電車を乗り継いでまたあの町に向かった。片道二時間の道のりを一人で過ごすのは、はじめてに近いかもしれないな、なんてことを考えた。建物がだんだん小さくなって、緑が増えて。この間は早朝に車で移動したから、この景色の変化は分からなかったな、なんて。
駅についた頃にはまだ少し肌寒かったけれど、はるぴょんのお遣いを済ませた頃には、おひさまが空高く登っていて、きらきらと輝いていた。ゆっちーがお世話になった雑貨屋さん、弥勒が声をかけた米農家を順繰りに回って、地元の博物館に入ってみたりして。そろそろお腹が空いたな、と思った僕はいよいよ橋を越えて、川沿いにあの小さな店を目指した。
「こんにちは〜…」
ショーケースの後ろには、誰もいなかった。僕は中のカフェに繋がる扉を開けようとして、張り紙に気がつく。
【休憩中 14:00まで】
あぁ、それは考えていなかった。僕は妙に納得して、店の前に立ちすくんだ。14:00まであと20分くらいだ。時間を潰すために、もう少し、川沿いに向こうまで行ってみようか。そうして僕が一歩踏み出したときだった。
「あの、不動くん、ですか」
控えめに僕を呼び止める声がして。僕はぴしりと固まった。一人のときに声をかけられたのは、はじめてだ。どうしよう。
……あれ、待って。クイーンのみんなは、僕のことを"明謙くん"って呼んでくれる。あんまり"不動くん"って呼ばれることはない。
僕はゆっくりと振り返る。案の定、大きな買い物袋を持った彼女が立っていた。
「不動くん、どうしてここに。今日もロケなの?」
「ううん、今日はプライベート。この街のたい焼きをはるぴょんが気に入って。また買いに来たんだ」
「あぁ、あそこ美味しいよね」
彼女はよいしょ、と鍵を取り出すと扉をがらがらと開けた。中に向かって「おばーちゃーん」と呼びかける。ネギの飛び出した袋を再び持ち上げると、「どうぞ」と中に入って行ってしまう。
「えっ、いいの?」
「外にいたら暑いよ?」
「お、お邪魔します!」
お好きな席どうぞーと言う彼女の声に、僕は荷物をおいて席に座る。目の前にからん、と氷の音を立てて置かれたお冷をぐいっと飲み干した。外、結構暑かったんだな。体の中に溜まった熱がすっと消えていく。エプロンをつけた彼女は、「ちょっとお待ちくださいね」と奥へ入っていった。
「おや、また来てくださったんですか」
「あ、すみません。休憩中なのに」
声をかけてくれたのは、おばあちゃんだった。僕の向かいの席によっこいしょ、と座る。
「あの子は今午後の準備をしていてね」
「いえ! 押しかけてしまったのは僕なので」
「そうですか。ありがとうございます」
柔らかい口調だ。どちらかというとはきはきしている彼女とはまた違う、周りの空気が、木漏れ日のような優しい人だ。そのあとも、少し会話を交わした。こんな田舎にわざわざ、とかアイドルって大変だろうに、とか。
「おばーちゃん、裏のおじーちゃんが呼んでるよ」
奥の暖簾をひょい、とあげて、あの子がおばあちゃんに声をかけた。おばあちゃんは「おや、また猫の具合でも悪いのかねぇ」といいながら立ち上がる。
「おばーちゃん、何か余計なこと言ってなかった?」
「全然! 楽しかったよ」
「ふふ、それならよかった。あ、ご注文は?」
僕は以前とは違うおにぎり定食を頼んだ。おにぎりとお漬物、お味噌汁。……うん。相変わらず、美味しい。
僕はお味噌汁を飲みながら、あることに気づく。
(あんまりお客さんは、来ないのかな)
お昼休みが明けて、来たお客さんは常連らしい数人だった。この間は、若い人や学生なんかもいたように見えるのに。
「あら、今日は若いお客さんがいるんだねぇ」
「うん、そうなの。ありがたいねぇ」
お客さんとの会話をしながら、彼女は僕の顔を見て苦笑いをした。
「この間とは違って、驚いたでしょう」
「ちょっと」
「平日はいつもこんな感じだよ。すっからかん」
そうなんだ、と返しながら僕は自分の周りを見渡した。あんまり、上手くいってないのかな。
僕がゆっくりお漬物を食べている間に周りのお客さんはお会計を済ませて帰って行き、再び僕と彼女は二人っきりになった。彼女はお客さんのお皿を片付け、レジの前の椅子にふう、と座る。
「不動くんさー……」
「え?」
「お店、どーしたらいいと思う……?」
やだ、お客さんに言う話じゃないね、とすぐに苦笑いする彼女は、お冷やのおかわりを注いでくれながら僕の顔を見てにっこり笑った。
「不動くん、何か話聞いてくれそうなんだ。アイドルだし、モテるでしょ?」
「そんなことないよ。応援してくれるファンには、有り難いと思ってるけど」
「ファン、ね。たくさんいるんだろうな。私は、アイドルの不動くんはあまり知らないけど」
その帰り道、僕はまた2時間の道のりを戻りながら、ふと思い出した。自分の職業を、自分を支えてくれる、たくさんのファンのことを。
(Bプロとコラボしたおにぎりを売り出せないかな)
*
「それはどうかな」
「え?」
僕の提案に、弥勒は眉をしかめて僕を見た。
「え、トノどうして? 俺もいいと思うけど!」
「僕も。……まあ、相手方に話していないって言うのは、気になるけど」
「うっ」
並んでソファに寝そべっているゆっちーと、嬉しそうに鯛焼きを頬張るはるぴょんの言葉に、弥勒は難しい顔をして腕立て伏せを止めた。僕はゆっちーの正論に首を竦め、立ち上がった弥勒のことを見上げた。
「あのお店、あんな小さいのに、クイーンが殺到するかも知れないんだよ?」
「うん」
「あの小さなお店で、多くの客を裁ききれる?」
「……うーん」
「あの女の子が実質一人で回してたよね、あの店。今以上に客が増えたら、あの子一人で回せるとは思えないんだけど。他の従業員を雇うにしても、時間がかかるし」
「だけど」
「俺たちはデビューして、たくさんのクイーンたちに支えられてる。分かってる? 余計な行動は、慎むべきだ」
弥勒の言葉に、少し引っかかった。それって、僕のなりたいアイドルとズレが生じる。僕がなりたいアイドルは、もっと、誰か一人の背中をそっと押してあげられるような……上手く言葉には出来ないけれど。
「明謙、もう俺たちはファンの少ないバンビじゃないんだよ」
少し考え込んだ僕が言葉を失ったと思ったのか、弥勒は更に言葉を続けた。コレで話は終わり、とでも言うように筋トレを再開する。
「……そうなのかな。僕は、そんな弱いものを切り捨てるようなアイドルには、なりたくないよ」
「明謙……」
ゆっちーの声を背に、僕は立ち上がり自室へ戻った。……その夜は、なかなか寝付くことが出来なかった。
「だめだ。俺も今回ばかりはコイツの言うことに賛成だ。明謙、お前自分が何言ってんのか分かってんのか?」
「社長!」
「今回はってどういう意味ですか」
「トノ、今はそこじゃない」
社長の言葉に、僕と弥勒が同時に反応した。
僕は翌日、社長に呼び出されたのを口実に、この間のロケのこと、もう一度行った店で現状を見たこと、そして自分が考えたことを洗いざらい話した。それに続くように一緒にいた弥勒も自分の意見を捲し立て、それを黙って聞いていた社長ははっきりと言ったのだった。「だめだ」と。
僕の話を一通り聞いた社長は溜息をひとつ吐き出し、僕の方をじっと見つめた。
「明謙。確かに気持ちは分かる。でも今回のことは許可出来ない。理由はもう、分かっているよな」
「……」
すごすごと社長室を出た僕に、弥勒はきっと「ほらね」とか「だから言ったでしょ」とか言いたかったんだと思うけれど、ちらりと僕を一瞥すると「仕事だから」と言って廊下を小走りに去って行った。……その仕事、僕も一緒だよね?
弥勒なりに気を遣ってくれたんだな、と不器用な昔なじみを見送った僕は、立ち止まって天井を仰いだ。
僕は、あそこのおにぎり好きなんだよなぁ。
迷惑は掛けたくないけど、あのときの彼女の表情を思い出すと、何もしないわけにはいかなくて。
僕に出来ることって、何だろう?
Bプロじゃなくて、僕が、不動明謙が出来ることって、何もないのかな。
「……あかね」
「明謙、大丈夫?」
ゆっちーとはるぴょんの言葉で目が覚めた。落ち込んでいる暇なんかない。
だって、僕はアイドルなんだから。
「あ、こっちこっち!」
「不動くん!」
「よかった、ちゃんと来られたね」
「ちょっと迷ったけど大丈夫だった!」
世間はGW明けを迎えた今日、都内の大きな駅で僕とあの子は待ち合わせをしていた。迷うかも、と不安げに言っていたあの子は僕のことを見つけてぱあっと笑顔になった。体の半分を埋めるくらいのスーツケースをがらがらと引いていた。
「昨日はどうだった?」
「ふふ、楽しかったよー。笑いっぱなしだった」
昨日から東京に来ている彼女は、昔なじみに久しぶりに会いに来たのだという。ついでに、もうひとつやりたいことがあると僕に連絡が来たのは半月ほど前のことだ。交換した日の夜に「よろしく」「こちらこそ」と短いやりとりをしただけのトークルームに貼られた写真は、古い喫茶店のようだった。写真には分厚いプリンが映っていて、プリンの向こう側に小さな子供が見切れていた。
『この喫茶店に行きたいんだけれど、何か知らない?』
『昔一回だけ行ったところなんだけど、車で行ったから駅の名前も分からない』
その写真を見た僕がすぐさま頼ったのはゆっちーだ。百太郎と一緒にいろんな甘いものを食べに行くことがあるゆっちーは、写真を見て大きく頷いた。
「ここなら知ってる。有名だよ。行ったことはないけど」
「ほんと! ありがとう!」
よかった、これであの子の役に立てる。僕が安堵の溜息を漏らすと、ゆっちーは声を出さずに息だけで笑った。首を傾げた僕に、ゆっちーも一緒に首を傾げた。
「明謙、あの子の話するとき楽しそうだから」
「え?」
「喜んでくれるといいね」
「……うん、ありがとう。ゆっちー」
その日の夜、分かったよと店の情報をあの子にJOINすると、喜んでいるスタンプが送られてきた。忙しいのにごめんね、と送られてきた文章に返事をしながら、僕はふと思いついた。せっかく東京に来るなら、会えないかな。
「それ、僕も一緒に行ってもいいかな」
JOINを送った瞬間、急に気恥ずかしくなって、僕は枕に顔を埋めてばたばたと足を動かした。そうすることでちょっとはマシになるかなと思ったんだけど、全然マシにならないどころか顔がどんどん熱くなっていくばかりだった。そんなつもりじゃなかったんだ、まるでこれじゃ、僕があの子に会いたくてたまらないみたいだ。……いや、会いたくないと言うのは嘘だけれど、あの子だって友達と一緒に行くつもりかも知れないし。あぁ、やってしまった。
スマホがJOINの受信を知らせる音を鳴らした。
『めちゃめちゃ助かる!』
当日の朝はこの駅から移動するんだけれど、と送られてくる情報に目を通しながら、僕は胸の高鳴りを押さえようとしたけれど、無理だった。あの子に会える、何でこんなに胸が高鳴るのか、理由ははっきりと分からなかったけれど。少しだけ心当たりがあった。まだ、確信はないけれど。
待ちに待った当日、十分すぎるくらい早く家を出た僕は、駅の改札近くのカフェに入って飲めもしないブラックコーヒーを注文し、ミルクをたっぷり入れながら時間を潰した。何度も時間を確認して、何度も経路を確認して。電車より車の方がいいだろうか、でもあの子は電車の方がいいって言いそうだ。そんなことを何度も何度も思った。約束の十時半、改札から君の姿が見えたとき、僕は自分でもびっくりする勢いで会計を済ませ、何食わぬ顔であの子のことを呼んだ。
「東京、だめだわー。人が多すぎるもん」
「僕も満員電車は慣れてないから、ちょっとびっくりしたよ」
「……送迎?」
コインロッカーにスーツケースを詰めて、じゃあ行こっかと立ち上がった顔は、少し緊張しているように見えた。それが棒と一緒にいることなのか、別の理由なのかは分からなかったけれど、僕は行き先を指さしながら、耳に小さなイヤリングがぶら下がっているのに気づいた。緑の石が嵌まった羽飾りのイヤリング。そういえば、いつもとお化粧も違うみたいだ。あれ、もしかして僕たち。
「……付き合ってるって思われたら、どうしよう」
「へあっ」
「えっ、ごめん。そんなに嫌だとは」
「違う! そうじゃないけど!」
「そう?」
神妙な顔で何を言うかと思えば、心を読まれたみたいで心臓がドキリと高鳴った。不自然だったかな、とそっと顔を覗き込んでみたけど、あんまり気にしていないみたいだ。よかった。
(付き合ってるみたい、か)
僕は、僕は。もしかして。
あの子のこと、好きなのかな。
ゆっちーに教えてもらったそのカフェは、プリンで有名な喫茶店だった。古民家、と言う言葉がぴったりで、きっとコーヒーが美味しいんだろうと思わせるような外観をしている。コーヒー、飲めるようになっておけばよかったかな。
「……あんまり、覚えてないなあ」
ぱしゃ、とスマホの音を鳴らして首を傾げている。平日だからか、あまり人も多くないみたいだ。
「プリンが美味しいんだって。ゆっちーが言ってたよ」
「寺光くん……あ、唯月くん、そういうの好きなんだ。意外だな」
ひっそりと予約を入れていた僕は、店員さんに声をかけ、驚いた顔に頬を緩ませながら僕より小さな位置にある肩をそっと押した。「彼氏みたい」と悪戯っぽく笑う姿に、また胸が高鳴った。ねぇ、それはわざと? それとも、僕をからかっているだけ?
通されたのは窓際の席だった。僕はお冷やをぐいと飲み干して、メニューを手に取った。
「私、決めてきたから。不動くん、ゆっくり見て」
「ほんと? 実は僕も決めてきたんだ。プリンと紅茶にしようかなって」
「そっか。……付き合わせて、ごめんね」
「行きたいって言ったのは僕だし、気にしないで」
「ありがと」
すみません、と店員さんを呼ぶ声は優しくて。ここの空間だけ時間がゆっくり流れているような、そんな気がした。プリンを二つ、紅茶とコーヒーを頼むと、加えてサンドイッチを注文する。そういえばお昼時なんだっけ。僕も頼めばよかったな、なんて考えいることが伝わったのか「付き合ってくれたから、これは私の奢りね」と笑う。
「待って、奢ってもらうのは」
「いーのいーの。不動くんと一緒だって言ったらおばーちゃんから軍資金出たし」
「軍資金……」
「ね、奢らせてよ」
僕が言葉に詰まった瞬間を狙って「決まりね」と手を打られ、僕は負けたことを悟った。
「口達者だなあ」
「商売人だからね」
「そういえば、お店の方はどう? 変わりない?」
僕が口にした言葉で、すっと顔が曇っていくのが見えた。でも、それは一瞬のことでまたすぐにぱっと笑顔になる。僕、何かまずいこと言ったかな。
「変わりないねー。うん、変わりはないよ」
「そうなんだ? また行きたいってみんな言ってたよ。季節によってメニューが変わるんだよね」
「うん。夏は冷茶漬けになるよ。そろそろかなあ」
「行きたいなあ。夏は僕たちも忙しいからなあ」
「へえ。ライブ、とか?」
「うん。今年も夏にライブをやるんだ」
「そっかー。行ってみたいけど、お店あるしなー」
「うーん、僕も見に来てもらいたいけど。あ、DVDにはなると思うよ。見本もらったら送ろうか」
「いやいや、ちゃんと買いますよ」
頬杖をついて笑う彼女は、また少し表情を曇らせて、「それまでお店があればなー」なんてことを口にした。僕は飛び出た言葉がなんなのか理解できずに、彼女の顔をじっと見つめた。彼女はまずい、というような顔をして、何度か口を開閉した。繕う言葉を探していたのかも知れないけれど、しばらくして諦めたように息を一つ吐いた。
「ごめん、お客さんにこんなこと言うなんて」
「いいけど、それより」
「お店、閉めようかって、話があって……」
「だ、だれが?」
「誰? えっと、家族が?」
つまり、誰かが持ちかけた話じゃないってこと?
他でもないお店の人たちが、そうやって思っているってこと?
言葉を失ってしまった僕を見て、彼女は困ったように笑った。沈黙を破るように頼んだものが運ばれてくる。プリンが一つずつ、僕たちの前に置かれて、何でかは分からないけれど中央に置かれたサンドイッチが、まるで僕たちを裂くようにすら見えた。
「うーん、やっぱり口滑らせちゃった」
「君は、どう思ってるの?」
「私?」
彼女が口をつけたコーヒーは、黒いままで何も入っていなかった。うーん、と首を傾げた彼女は、少し考え込んだ後、
「仕方ないかなとは、思う」
「そんな」
「ごめんね。こんな話するつもりじゃなかったんだけど。思い出の喫茶店行って、そのまま解散するつもりだったんだけど」
「この店ね、はじめて私がおばーちゃんにものを奢った店なの」
「おばーちゃんに?」
頷いた彼女が取りだしたのは、事の発端の古い写真だった。中央に映っているプリンは、今僕たちが目の前にしているものと全く同じもので、きっとプリンの向こう側に見切れている小さな子供は彼女なんだろう。つまり、この写真を撮ったのはおばーちゃんなのかな。
「店の手伝いをすると、毎日100円もらえるの。今となってはブラックもいいとこだけど……そのお金を貯めて、おばーちゃんにプリンを奢ってあげたんだー」
これがそのときの写真ね、とひらりと写真がはためいた。
「店を閉めるって話が上がって、急にこのことを思い出して。本当はおばーちゃんを連れてこようと思ったんだけど、腰がねー」
「そっか……」
「だから、付き合わせてごめん。で、これは奢りね」
ずい、と突き出されたサンドイッチは一人で食べるには大きい気がした。僕はサンドイッチを二つに割ると、彼女に半分差し出した。
「これで、割り勘ね」
「……仕方ないなあ」
笑った顔が、まぶしいと思った。
この笑顔が、またお店で見れたらいいな、なんて。
「どうしたらお客さんくるかな」
「SNSとかはじめて見るとか?」
「うーん。誰か出来る人いるかなー」
宣伝って大事だよねぇ、笑顔でプリンを食べ進める姿を見て、僕はあれ、と何かを思い立つ。
それは一ヶ月ほど前の自分の行動を。自分の職業を、自分を支えてくれる、たくさんのファンのことを。
「宣伝、ね……」
*
「本当にここでいいの?」
「大丈夫大丈夫―」
「なら、いいけど……」
「心配してくれてありがとー」
駅でスーツケースを携えて、僕と彼女は向き合っていた。
プリン美味しかったねー、と笑う彼女の表情はもう曇っていなくて、プリンの向こうで見切れていた幼い彼女と重なった気がした。
「じゃあ、気をつけてね」
「うん。またねー」
今から帰れば、夜には家につけるらしい。さっき僕と一緒に見繕った大量のお土産を持って、彼女は改札の向こう側に消えていった。僕も帰ろう、と振り返った瞬間にスマホが震えた。JOINの通知を知らせる音も鳴る。
『楽しかった! また遊んでね』
駅の構内で、僕はずるずると座り込んだ。これは、ずるい。
足下にきらりとひかるものを見つけて、僕は手を伸ばした。それは、あの子が昨日会った昔なじみに貰ったと嬉しそうにしていたイヤリングだった。緑の石が嵌まった羽飾りのイヤリング。
すぐに立ち上がってあの子が消えていった方向に駆け出したけど、追いつかなかった。片方になってしまった羽を握って、僕は途方に暮れるばかりだった。
「明謙お前、この間俺が言ったこと根に持ってるのか?」
「え?」
次のバラエティの台本を取りに立ち寄った事務所で一服していた社長は、僕の姿を見るなり苦笑し、火をつけたばかりの煙草を灰皿にぐりぐりと押しつけた。
「別に、そんなんじゃないですよ?」
「嘘つけ。お前、この間話してから、やたらラジオとか番組でおにぎりおにぎり言ってるじゃねーか」
「まあ、それは」
「やっぱ根に持ってんじゃねーか……」
彼女とカフェに行った後、僕はラジオや雑誌でおにぎり好きを今までよりアピールしていた。数カ月が経った今、今までライブに来てくれるような子しか知らなかった僕のおにぎり好きが、だんだん世間にも知られるようになってきたところだ。例えば、バラエティでその話が出たり、おにぎりを作る料理番組に呼ばれたりすると、そのことを実感する。
「まあ……へへっ」
「お前、映画のときといい、やるようになってきたな」
そんなに美味いのか、そこのおにぎりはと社長はぼやきながら2本目のタバコに火をつけた。
「ま、頑張ってみろ」
「はい!」
「今日これからは? ラジオか?」
「料理番組のゲストです」
「……おにぎりか?」
「はい!」
季節は巡り巡って、再び春になった。
君と出会った季節がまた巡ってくるなんて、なんだが変な感じだ。
僕は久しぶりのオフの日、弥勒が走りに出かけているような早朝に家を出た。慣れない都内の通勤ラッシュに揉まれながら、片道2時間半道のりを電車に揺られる。少し肌寒いけれど、昼も過ぎれば暖かくなるだろう。
(半年以上、会ってないのかなぁ)
今日あの子のところに行くのは、本人には言っていなかった。なんで、と言われると困るけれど、なんとなく驚かせたくて、なんとなく言わなかった。あの子が今日店にいるという保証もないのに、会えるだろうという根拠のない信頼だけで家を出て、きっと喜んでくれるだろうという確信と一緒に電車に揺られた。
片道二時間の道のりを一人で過ごすのは半年以上ぶりだな、なんてことを考えた。建物がだんだん小さくなって、緑が増えて。普段東京にいるとどうしても忘れそうになる。僕らのファンは、きっとこういうところでも生活しているんだろうと。僕たちの活動を楽しんだり、待ちながら、毎日を過ごしているのだろうと。
駅についた頃にはまだ少し肌寒かったけれど、一年前のロケで訪れたたい焼き屋さんで、はるぴょんへのお土産を買った。ゆっくり道を歩きながらいろんなお店を覗いて、おひさまが空高く登って、きらきらと輝きだした頃にカフェに入って一息ついた。店員さんがざわついているのに気づいて帽子を目深に被りなおす。リュックサックに手を入れて、あの子のイヤリングを包んだ紙袋があることを確かめた。あの子が落としていったイヤリングと、代わりになるかなと探したあの子に似合いそうなイヤリング。いくつか色の種類があったけれど、なんとなくオレンジを選んだ。オレンジが、あの子に似合いそうだと思ったんだ。
「こんにちはー。店長さんいらっしゃいますか?」
見知った声が聞こえて、僕は思わず顔を上げた。視界に入る背中は、紛れもなくあの子の背中で。少し伸びた髪がポニーテールになった揺れていた。視線に気づいたあの子がこちらを振り返ると同時に顔を背けた。なんだか、顔が見られない。気持ちを自覚してから会うのははじめてなんだった、別に悪いことをしているわけでもないのに緊張で体が強張った。
「はい、じゃあまた木曜に受け取りに来ますね。……そうですねぇもう来週だなんて」
それでは、とあの子が店を出ていく。僕はどくどくと鳴りやまない鼓動を抑えようとして胸に手を当てて大きく深呼吸した。ほとんど手を付けていなかったオレンジジュースを一気に飲み干せば、店の人がこちらをまたちらりと見やるのが分かった。僕は万が一に備えて持っていた眼鏡をかけると、いよいよ橋を越えて、川沿いにあの小さな店を目指した。
昼休憩の時間は十三時から十四時。今の時間は十二時過ぎ。上手くいけば、昼休憩に少し話せるかも知れないと思ってこの時間を選んだんだ。緊張している場合じゃない。
(……あれ)
三回目の道のりは、何だかいつもと違っていた。川沿いの道は、何だか人通りが多い。みんな、あの川沿いに用があるんだろうか。
顔を上げた僕は思わず立ち止まった。目の前には若い女性を中心に行列が広がっていて、行列の先にはあの店があったからだ。
……そっか。お店、上手くいっているんだ。
何だか安心してそのまま引き返しそうになった僕は慌てて方向を変えた。お店の状況が気になっていたのも嘘じゃないけれど、今日はまた別の用事があるんだ。このイヤリングを返すこと、そして気持ちを伝えること。
行列が短くなるまで待っていた方がいいだろうか。今のままだと忙しくて、話せないかも知れない。なんて自分勝手なことを考えながらしばらく列を眺めた。すると、見たことのない従業員さんが新しく来たお客さんに「今から昼休憩だからテイクアウトだけなら」という話をしているのが聞こえた。僕は前と変わらずに店の前にあるショーケースにふと視線を移した。……あの子だ。
ショーケースの前に立つと、あの子は窓ガラスを拭いていた手を止めて顔を上げた。僕だと言うことに気づくとぱあっと顔を明るくした。
「いらっしゃいませ!」
「久しぶり」
「ご注文は?」
「そうだなー」
ショーケースに目を落とすと、はるぴょんたちがはしゃいでいた『はる』や『つきみ』も変わらずにメニューにあることが分かって、自然と笑顔になった。その隣に並んでいた「新作!」とポップのついたおにぎりが目についた。僕のイメージカラーと同じ、オレンジ色だ。
「僕、これにしようかな」
「前と同じものでいい? お野菜とお茶漬け」
「うん。お願いします」
彼女が通してくれたのは店の中ではなく、奥の台所だった。彼女曰く、「君、結構目立ってるよ」とのこと。確かに若い女性ばかりだし、男一人でこの場にいるのは目立つよなあなんて思っていると、彼女はお茶を注ぎながら「不動くん、なんだかオーラがアイドルなんだもん。知ってるからかも知れないけど」なんて言って笑った。
「ここで少し待っててね。一時になったら店閉めるから、そしたらメニュー持って来るから」
「ごめんね、忙しそうなのに」
「ううん。全部、君のおかげだから」
どういうことだろう。
ひらりと手を振った彼女は、じゃあと言ってばたばたと台所を出て行った。取り残された僕は、何かしただろうかと考えながらなんだか気まずい気がして辺りを見渡した。
店の奥と言うことは、普段あの子やおばあちゃんが普通に生活しているスペースということになるんじゃ? そう考えると急に背筋が伸びて、注がれたお茶を勢いよく飲み干した。冷たいお茶が胃に溜まっていくのが分かって、少し頭も体も冷えた気がした。
「……おや」
「あ、お邪魔してます」
「あの子がここに置き去りにしたの? 失礼しました」
「全然! 押しかけたのは僕なので!」
奥からゆっくりと姿を見せたのはおばあちゃんだった。おばあちゃんの姿を見た途端、カフェでのあの子の姿が思い浮かんで、なんだが胸が痛くなった。大好きなプリンを目の前にして、涙を拭っていたあの子のことを。
「この間、あの子と遊んでくれたみたいで」
「知ってるんですか?」
「もちろん。あの子、すごく楽しみにしてたんですよ。不動くんに遊んでもらうんだーって」
「え?」
終始申し訳なさそうにしていた彼女がそんなことを思っていたなんて。痛んでいた胸が少しすうっとした。悩みが晴れたときのような、そんな気分だ。
「あの子、不動くんのテレビとかラジオとか、ぜーんぶチェックして。すっかり不動くんのファンなんですよ」
「え……」
「それで、不動くんがうちのお店のことをラジオで話してくださったんですって? 次の週末からお客さんが増え始めたんですよ。あの子が考えてた春の新作も相まって、平日もお客さんがたくさん来てくれるようになったんです」
さっきあの子が言っていた、「全部、君のおかげだから」というのは、こういうことだったのか。確かに、店の名前は出さなかったけれど「バラエティで行ったおにぎり屋さんが美味しかった」という話は、いくつかのラジオでしたかもしれない(確か弥勒が『またその話』って顔をしていた)。
そっか。あの子は、僕の活動を、見てくれているんだ。
でも、君のところから僕は見えるけど。
僕のところから君が見えない。
君のことが見えるように、口実が欲しい。
今日は、それを伝えに来たんだ。
戻ってきたあの子は、お弁当のような包みを持っていた。僕の手元に残っていたコップやお茶をテキパキと片付けると、僕の向かいに座って、ふうと息をついた。
「不動くん、今日天気いいし外で食べない?」
「えっ、外で?」
「うん。少し歩くんだけど、河川敷があるんだ」
「いいね。あ、荷物持つよ」
店を出て、川に沿ってゆっくりと歩き出した。君はお店での面白い話を掻い摘まみながら話し、ことあるごとにけらけらと笑った。草むらが綺麗なところにレジャーシートを敷いて、ぐっと腕を伸ばして「つかれたあ」と寝転がる。僕も習って草むらに寝転がると、雲が二つしか浮かんでいない、まぶしい空が見えた。
「お店、上手くいってるみたいで安心したよ」
「……おばーちゃんでしょ」
「え?」
「おばーちゃんが余計なこと言ったんでしょ」
「例えばどんな?」
「私がキラキンがゲストのラジオをチェックしたり、音楽番組を録画したり雑誌買ったりしてるの!」
「へぇ、そうだったの?」
「えっ」
本当はさっき聞いて知っていたけれど、なんだか焦っている君が面白くて、つい意地悪をしてしまう。
だめだなあ、僕。
「そうだ、これを返しに来たんだ」
思い出せてよかった。イヤリングの紙袋を取り出すと、首を傾げる彼女は紙袋の中身を覗き込むと、「あ」と声を上げた。
「もしかして、わざわざこれを届けに来てくれたの?」
「うん。それもそうなんだけど」
そこで一回言葉を切る。深く息を吸って、吐く。
今日はこれを伝えに来たんだ。
「好きって言いに来た」
ぱちぱち、と繰り返される瞬きに苦笑すれば、彼女は困惑したように首を傾げ、
「アイドルって、特定の女の子とか作ってもいいの」
なんてことを聞く。まるで自分のことをだと思っていないみたいだ。
「うーん。アイドルの不動明謙はダメ、かな」
「ダメじゃん……」
呆れた顔をする彼女の髪にそっと手を伸ばす。あのカフェでしたみたいに優しく手を動かせば、呆れ顔が綻んでふんわりと笑顔になる。そんな君の瞳を真っ直ぐに見つめたら、ふいと顔を背けられたから視線を追いかける。何度か視線の鬼ごっこが続いて、根負けした君がぎゅっと目を瞑った。
思いの外、照れ屋さんなのかな。君はいつも店先でテキパキと働いていて、文句を言いながらも本当は店のことが大好きで、なくなるのを悲しむ寂しがりやでで。また新しく見つけた君を、嬉しく思うよ。
「ただの不動明謙は……君のことを想っていたいんだ」
アイドルこと、あんまり知らないって言ってたよね。アイドルの僕が、君に会ったことはないけれど、もっとアイドルの僕のことを見てほしい。アイドルじゃない僕も、もっともっと知ってほしい。
「……ありがとう」
君の言葉を待っていたかのようなタイミングで春風が吹いて、君の髪を巻き上げた。驚いた君が目を瞑ったその瞬間を狙って君へと腕を伸ばし、君の額に口づけた。ちゅ、と音が鳴る。
「……ご飯にする?」
「そうだね。早くしないと、午後に間に合わなくなるね」
「午後休取れないかな…………」
真っ赤な顔で苦笑した君が鞄から取り出した包みには、さっき僕が選んだおにぎりが入っている。君から受け取ると、ふとこのおにぎりの名前を思い出す。
僕と同じオレンジ色のおにぎりの名前は、「あかね」。
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