第一話 ファミリー・オブ・ガンダーラパイレーツ
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◇ 末っ子は風邪っぴき
「くしゅっ」
ナイフを振りかぶったヒメが盛大にくしゃみをしたせいで、僕は自分が振りかぶった剣を慌てて止めた。稽古用の剣を持っていない僕は、いつも真剣で稽古をしている。ヒメに怪我なんてさせたら、たぶん十人の兄にすっごい怒られる。
ガンダーラの船は、みんな兄弟だ。年齢は関係なくて、船に来たのが早い方が兄。トモヒサが長兄だと言うのは、トモヒサがこの船の発起人だからだ。ミカドとケントが最初の港で出会った仲間で、あとのみんなはこの船がいろいろな港に立ち寄った際に仲間になった「弟」なのだ。
兄弟と言っても、別に堅苦しい上下関係があるわけじゃない。ユウタは兄のはずのケントに何でも言うし、僕もトモヒサに冗談を言ったり、ミカドとふざけあったりする。ヒメはまだみんなに少しよそよそしいけど、勉強を教えたりして一緒に過ごす時間が長いカズナやミカドには拗ねたり文句を言ったりし始めた。僕に対しては最近「うるさい」と言った。……ちょっとだけ、ショックだった。
口元を拭うヒメを見て、稽古を見ていたタツヒロが苦笑いした。いつも僕に稽古をつけてくれているタツヒロは、地元では有名な剣闘士だったんだとヒカルが言っていた。いつの間にか稽古に交ざるようになったヒメは耳元の飾りを揺らして「アニ、ごめんね」と眉尻を下げる。
「いいよ。もう一回やろうか?」
うん、と頷いたヒメがもう一度ナイフを構える。刃先を下に向けて持つ見たことのない型に最初は驚いたけど、背の低いヒメは足を主に攻撃してくるからそれはそれでたちが悪い構えなのだと最近は思う。どこで覚えたんだろう。前の船かな。ハイエッジのことがなんとなく禁句となっている今、そのことを聞けないでいる僕は息を細く吐き出して剣を構える。
ぐっと足を踏み込む。ヒメがナイフを腕いっぱい振りかぶってくるはずだ。踏み込んだ勢いを殺さずに前方に跳ぶ。早くモモタローみたいに跳べるようになりたい。ひらりと蝶のように跳ぶモモタローは、跳ぶと言うより舞っているみたいだ。
僕が願望を思い描いていると、真面目な顔をしていたヒメの表情が歪むのが見えた。手からナイフがこぼれ落ちる。落ちたナイフは、ヒメの足に向かってまっすぐ落ちていく。
「ヒメ」
着地と同時にヒメの腕を力いっぱい引き寄せる。雑になった着地とヒメを引き寄せた勢いが殺せずに災いして、ヒメの体を抱え込んだまま僕は甲板に倒れ込んだ。彼女のナイフが甲板を滑っていく。危ない。
「大丈夫か、アカネ、ヒメ?」
倒れ込んだ僕とヒメの周りを、タツヒロがおろおろと回る。タツヒロは未だにヒメの扱いに困っていて、ヒメのことを助け起こすのを躊躇しているみたいだ。僕は腕の中のヒメが呻いているのを聞いて何だか嫌な予感がする。どこか痛めただろうか。彼女の頭を守ることに必死で、その他がおざなりになっていた。足とか、手首とか。僕は彼女の体を揺さぶった。
「ヒメ? どこか打った?」
「……くしゅっ」
「え?」
「……さむい」
小さな声で呟くヒメの言葉に、僕ははっとしてヒメの体を甲板に横たえる。手首を握って、足首を動かして、痛がらないことを確認して少し安心したのもつかの間、嫌な予感が当たったことを悟った。
「タツヒロ」
「あ、あぁ」
「ミカド、ミカドを呼んできて」
「おう、待ってろ」
太陽がかんかんに僕たちを照らしていた。もうすぐ一番暑い季節が過ぎるとは言え、寒いわけがないんだ。
*
「よく気づきましたね、アカリン」
「さすがだな」
「くしゅっ」
「ヒメさま、ちゃんとお布団掛けてください」
ミカドがヒメが剥いだ布団を元通りにかけ直す。ヒメが暑がって布団を剥ぐ。寒そうにくしゃみをするくせに。
急に呼び立てられたにもかかわらず、ミカドは慌てることなくやってきて、倒れているヒメの顔を見た途端「ああ」と一言呟いた。てきぱきと僕たちにやることを与え、自分はヒメのことを抱えて立ち去っていった。あまりの手際に、取り残された僕とタツヒロは我に返るのに数秒かかったくらいだ。
僕はミカドがやり残した水運びを、タツヒロはモモタローへの伝達を終えてミカドの部屋を覗き込むと、ヒメがベッドに寝かされてぐずぐずとしているところだった。
「アニ、ミカ兄がいじめる」
「いじめてないです。どうして倒れるまで黙ってたのか聞いただけです」
「……だって」
「言ってくれないと困ります。ねぇ、モモタス?」
「俺に振るな」
ベッドの隅で膝を抱えるヒメは動くのも煩わしそうで、大きく息をしていた。やっぱり、具合が悪かったんだ。僕はいつものようにヒメの頬を指の背でなぞった。いつもより熱い。さっきまで布団を蹴り上げていたヒメが布団をぎゅっと握った。
「とにかく。ヒメさまは一晩ここです。モモタス、僕は夕食あとで摂りますので」
「ああ。構わない」
「アカネはどうする? 稽古戻るか」
「……ううん、ヒメのところにいようかな」
「退屈ですよ?」
「いいんだ。ミカドとヒメが喧嘩しちゃうといけないしね」
むっと唇を尖らせて何か言いたげだったヒメは、諦めたように腕に顔を埋めた。
*
いい機会だからと、ミカドの部屋で少し勉強を見てもらった。学校に行ったことのない僕に、ミカドはいつも根気強く字や計算を教えてくれる。早く字が書けるようになりたいとせがむ僕に、ミカドはいつも寂しそうな目をする。
「凄く上手になりましたね」
「本当? 嬉しいな」
「でも、ここは違いますね」
「あれ?」
ミカドは学校には行ったことがないと言っていたけど、勉強をしたことがあって、難しい本をたくさん持っている。高価な本がこの船にたくさんあるのはミカドのお陰だ。僕にはまだ難しくて読めないけど、ヒメはたまにここで重たい本を捲っている。
ヒメは眠っている。壁に肩を預けて、決して横になって眠らない。
トモヒサは前の船でああやって眠っていたからだろうと言う。眠るスペースもないまま、体を丸めて。船乗りは眠りが浅いことが多いけれど、ヒメは特別だ。誰かの寝返りの音で起きる。船の揺れが気になって眠らない。慣れない船に乗って、誰よりも疲れているはずなのに。
「ああ。熱が引いてきました。流行病とかじゃないみたいですね」
「よかった。やっぱり疲れてたのかな」
「勉強、相当嫌がってますからね」
ミカドが優しい手つきでヒメの体を横たえる。そのままゆっくり眠れれば。僕がそう願った瞬間、ヒメの瞳がぱちりと開いた。
「おや。起きてしまいましたか」
ミカドはヒメの体を横たえる手を止めない。大きく息を吐き出したヒメは、ふわりと欠伸を零した。
「ずっと起きてたよ」
「少しでいいから寝なさい。いい子だから」
「仕事は」
「そんなのゆうたそに任せてしまいなさい。ゆっくり寝るのが今日の仕事です」
戸惑ったようにヒメが僕の顔を見た。僕は笑って頷く。
「具合が悪い中、頑張ってきたのでしょう? ゆっくり休んで、元気になったらまた一緒に頑張りましょう」
ミカドがヒメの隣に座って、自分の膝に頭を預けさせる。ゆっくりとヒメのまぶたが落ちていく。ヒメを見つめるミカドの瞳が、優しい。
「……寝た?」
「ええ」
僕が椅子から立ち上がった音にも気づかない。頭を撫ででも、布団を掛けても、穏やかな寝息を立てているだけだった。
「アカリン」
「ん?」
「この子には、『頑張ったね』の一言が必要だったんですね」
噛み締めるように言葉を吐き出すミカドは、ヒメの頭を撫で続けた。
その姿が親子や兄弟というよりは恋人同士のようで、僕は二人をにこにこと見守った。ミカドがまだ船に乗っていなかったら、こうして恋人と過ごす時間も合ったんだろうか。ヒメが船に乗っていなかったら、違う形で出会うことだってあったんだろうか。
(……僕、何考えてるんだろ。ヒメは妹なのに)
寝息を聞きながら、僕は石筆を手に取った。家族の名前を練習する末尾に、彼女の名前を書き加えた。後に自分の名前しか練習していないヒメに、綴りが違うと怒られることになる。
「くしゅっ」
ナイフを振りかぶったヒメが盛大にくしゃみをしたせいで、僕は自分が振りかぶった剣を慌てて止めた。稽古用の剣を持っていない僕は、いつも真剣で稽古をしている。ヒメに怪我なんてさせたら、たぶん十人の兄にすっごい怒られる。
ガンダーラの船は、みんな兄弟だ。年齢は関係なくて、船に来たのが早い方が兄。トモヒサが長兄だと言うのは、トモヒサがこの船の発起人だからだ。ミカドとケントが最初の港で出会った仲間で、あとのみんなはこの船がいろいろな港に立ち寄った際に仲間になった「弟」なのだ。
兄弟と言っても、別に堅苦しい上下関係があるわけじゃない。ユウタは兄のはずのケントに何でも言うし、僕もトモヒサに冗談を言ったり、ミカドとふざけあったりする。ヒメはまだみんなに少しよそよそしいけど、勉強を教えたりして一緒に過ごす時間が長いカズナやミカドには拗ねたり文句を言ったりし始めた。僕に対しては最近「うるさい」と言った。……ちょっとだけ、ショックだった。
口元を拭うヒメを見て、稽古を見ていたタツヒロが苦笑いした。いつも僕に稽古をつけてくれているタツヒロは、地元では有名な剣闘士だったんだとヒカルが言っていた。いつの間にか稽古に交ざるようになったヒメは耳元の飾りを揺らして「アニ、ごめんね」と眉尻を下げる。
「いいよ。もう一回やろうか?」
うん、と頷いたヒメがもう一度ナイフを構える。刃先を下に向けて持つ見たことのない型に最初は驚いたけど、背の低いヒメは足を主に攻撃してくるからそれはそれでたちが悪い構えなのだと最近は思う。どこで覚えたんだろう。前の船かな。ハイエッジのことがなんとなく禁句となっている今、そのことを聞けないでいる僕は息を細く吐き出して剣を構える。
ぐっと足を踏み込む。ヒメがナイフを腕いっぱい振りかぶってくるはずだ。踏み込んだ勢いを殺さずに前方に跳ぶ。早くモモタローみたいに跳べるようになりたい。ひらりと蝶のように跳ぶモモタローは、跳ぶと言うより舞っているみたいだ。
僕が願望を思い描いていると、真面目な顔をしていたヒメの表情が歪むのが見えた。手からナイフがこぼれ落ちる。落ちたナイフは、ヒメの足に向かってまっすぐ落ちていく。
「ヒメ」
着地と同時にヒメの腕を力いっぱい引き寄せる。雑になった着地とヒメを引き寄せた勢いが殺せずに災いして、ヒメの体を抱え込んだまま僕は甲板に倒れ込んだ。彼女のナイフが甲板を滑っていく。危ない。
「大丈夫か、アカネ、ヒメ?」
倒れ込んだ僕とヒメの周りを、タツヒロがおろおろと回る。タツヒロは未だにヒメの扱いに困っていて、ヒメのことを助け起こすのを躊躇しているみたいだ。僕は腕の中のヒメが呻いているのを聞いて何だか嫌な予感がする。どこか痛めただろうか。彼女の頭を守ることに必死で、その他がおざなりになっていた。足とか、手首とか。僕は彼女の体を揺さぶった。
「ヒメ? どこか打った?」
「……くしゅっ」
「え?」
「……さむい」
小さな声で呟くヒメの言葉に、僕ははっとしてヒメの体を甲板に横たえる。手首を握って、足首を動かして、痛がらないことを確認して少し安心したのもつかの間、嫌な予感が当たったことを悟った。
「タツヒロ」
「あ、あぁ」
「ミカド、ミカドを呼んできて」
「おう、待ってろ」
太陽がかんかんに僕たちを照らしていた。もうすぐ一番暑い季節が過ぎるとは言え、寒いわけがないんだ。
*
「よく気づきましたね、アカリン」
「さすがだな」
「くしゅっ」
「ヒメさま、ちゃんとお布団掛けてください」
ミカドがヒメが剥いだ布団を元通りにかけ直す。ヒメが暑がって布団を剥ぐ。寒そうにくしゃみをするくせに。
急に呼び立てられたにもかかわらず、ミカドは慌てることなくやってきて、倒れているヒメの顔を見た途端「ああ」と一言呟いた。てきぱきと僕たちにやることを与え、自分はヒメのことを抱えて立ち去っていった。あまりの手際に、取り残された僕とタツヒロは我に返るのに数秒かかったくらいだ。
僕はミカドがやり残した水運びを、タツヒロはモモタローへの伝達を終えてミカドの部屋を覗き込むと、ヒメがベッドに寝かされてぐずぐずとしているところだった。
「アニ、ミカ兄がいじめる」
「いじめてないです。どうして倒れるまで黙ってたのか聞いただけです」
「……だって」
「言ってくれないと困ります。ねぇ、モモタス?」
「俺に振るな」
ベッドの隅で膝を抱えるヒメは動くのも煩わしそうで、大きく息をしていた。やっぱり、具合が悪かったんだ。僕はいつものようにヒメの頬を指の背でなぞった。いつもより熱い。さっきまで布団を蹴り上げていたヒメが布団をぎゅっと握った。
「とにかく。ヒメさまは一晩ここです。モモタス、僕は夕食あとで摂りますので」
「ああ。構わない」
「アカネはどうする? 稽古戻るか」
「……ううん、ヒメのところにいようかな」
「退屈ですよ?」
「いいんだ。ミカドとヒメが喧嘩しちゃうといけないしね」
むっと唇を尖らせて何か言いたげだったヒメは、諦めたように腕に顔を埋めた。
*
いい機会だからと、ミカドの部屋で少し勉強を見てもらった。学校に行ったことのない僕に、ミカドはいつも根気強く字や計算を教えてくれる。早く字が書けるようになりたいとせがむ僕に、ミカドはいつも寂しそうな目をする。
「凄く上手になりましたね」
「本当? 嬉しいな」
「でも、ここは違いますね」
「あれ?」
ミカドは学校には行ったことがないと言っていたけど、勉強をしたことがあって、難しい本をたくさん持っている。高価な本がこの船にたくさんあるのはミカドのお陰だ。僕にはまだ難しくて読めないけど、ヒメはたまにここで重たい本を捲っている。
ヒメは眠っている。壁に肩を預けて、決して横になって眠らない。
トモヒサは前の船でああやって眠っていたからだろうと言う。眠るスペースもないまま、体を丸めて。船乗りは眠りが浅いことが多いけれど、ヒメは特別だ。誰かの寝返りの音で起きる。船の揺れが気になって眠らない。慣れない船に乗って、誰よりも疲れているはずなのに。
「ああ。熱が引いてきました。流行病とかじゃないみたいですね」
「よかった。やっぱり疲れてたのかな」
「勉強、相当嫌がってますからね」
ミカドが優しい手つきでヒメの体を横たえる。そのままゆっくり眠れれば。僕がそう願った瞬間、ヒメの瞳がぱちりと開いた。
「おや。起きてしまいましたか」
ミカドはヒメの体を横たえる手を止めない。大きく息を吐き出したヒメは、ふわりと欠伸を零した。
「ずっと起きてたよ」
「少しでいいから寝なさい。いい子だから」
「仕事は」
「そんなのゆうたそに任せてしまいなさい。ゆっくり寝るのが今日の仕事です」
戸惑ったようにヒメが僕の顔を見た。僕は笑って頷く。
「具合が悪い中、頑張ってきたのでしょう? ゆっくり休んで、元気になったらまた一緒に頑張りましょう」
ミカドがヒメの隣に座って、自分の膝に頭を預けさせる。ゆっくりとヒメのまぶたが落ちていく。ヒメを見つめるミカドの瞳が、優しい。
「……寝た?」
「ええ」
僕が椅子から立ち上がった音にも気づかない。頭を撫ででも、布団を掛けても、穏やかな寝息を立てているだけだった。
「アカリン」
「ん?」
「この子には、『頑張ったね』の一言が必要だったんですね」
噛み締めるように言葉を吐き出すミカドは、ヒメの頭を撫で続けた。
その姿が親子や兄弟というよりは恋人同士のようで、僕は二人をにこにこと見守った。ミカドがまだ船に乗っていなかったら、こうして恋人と過ごす時間も合ったんだろうか。ヒメが船に乗っていなかったら、違う形で出会うことだってあったんだろうか。
(……僕、何考えてるんだろ。ヒメは妹なのに)
寝息を聞きながら、僕は石筆を手に取った。家族の名前を練習する末尾に、彼女の名前を書き加えた。後に自分の名前しか練習していないヒメに、綴りが違うと怒られることになる。