第一話 ファミリー・オブ・ガンダーラパイレーツ
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3 栄光の果て
本当に、片がついていた。月の名を冠した兄たちも、栄光を名乗る兄たちも、みな無事だった。さらには、ちょっかいをかけてきた相手ですら、殺されたり血を流すこともなく、無事だったのだ。
「無事だったみたいだね、カズナ」
「……あぁ」
青い瞳の兄は、長兄と目を合わせない。アカネ兄に連れられている私に近づき、大きな手のひらを頭の上に滑らせた。
「ありがとう、俺たちの可愛いヒメ」
私は、兄たちが作った道を走って行っただけなのに。長髪の兄が私を後ろから抱きしめる。長い髪が頬をくすぐって思わず笑みを零せば、二色の瞳を持つ兄が嬉しそうに微笑んだ。
空色の髪が隅で蹲っていた。その周りを桃色の髪がぴょこぴょこを跳ね回る。
「ケンケン、いい加減にしなよ」
「前髪がこんなに乱れて……。ヒメは女の子なんだ、こんな前髪じゃ顔見せ出来ない」
「もう! ごうちんも何か言ってよ!」
「……早く帰るぞ、もうすぐ月の出だ」
眼帯をずらし、三白眼の兄は月を見上げて目を細めた。目を横切るようにして大きな傷が見えた。月明かりでさえ眩しそうに目を細める彼は、私の視線に気づくと「昔のだ」と溜息交じりに言う。
「ゴウシの言う通り、みんな早く帰ろう」
長兄の声はよく通る鶴の声だった。みんなが長兄を信じて、疑わない。結局私も一緒に船へ帰ることにした。この船でまた、航海をしたいと願ってしまったのだ。
ぞろぞろと歩き出す兄たちの背中を見つめた。談笑しながら海に向かって歩き出す彼らは、私の船にいた兄弟たちと同じに見えるのに、どうしてハイエッジの船はこんなに温かくなれなかったんだろう。殺伐として、全員がいつも気を張っている。この暖かさを知ってしまった今、私はどうしたらいいんだろう。
「ヒメ……いや」
アカネ兄は繋いだ手に力を込めながら名前を呼んだ。“家族”の意味を持つ、私の名前。
「一緒に帰ろう。渡したいものがあるんだ」
その夜の船は宴会だった。昼間、長兄たちは商談の傍らこれの準備をしていたらしい。酒を飲んで泣き出す空色の兄に、すぐに眠りについた長髪の兄。それを世話して回る青い瞳の兄。「ヒメはまだだめ」と酒は取り上げられた。みんなここの家族、ここの兄弟。
アカネ兄は隅でひとり星を見上げる私に声をかけ、隣にすとんと座り込んだ。私の手に、何か包みを握らせる。
「開けてみて」
包みを開くと、手に馴染む感触。いつも共にいた、あの感触。
「これ」
「分かるよね?」
「ナイフ」
それは、私が前の船で使っていたナイフだった。酷く動揺した。長いこと手入れのひとつもせずに使っていたこれは、刃が錆だらけでとても使えなかったはずだ。刃が綺麗になって、鞘に鎖の飾りがついている。このナイフが綺麗だったところは見たことないけれど、刃の形と刃渡りが同じ。綺麗な飾りまで付けられて、何だか別物みたいだけれど。
「この鎖で腰に下げられる。これはお祝い、護身用に持っていて」
「……お祝い?」
「ヒメがこの船の家族になったお祝いだよ」
傍らに置いてあった酒のグラスを手に取って、軽く乾杯のそぶりをして見せる兄は、にっこりと笑った。
「帰ってきてくれてありがとう。僕の小さなヒメ」
「……」
「ねぇ」
甲板で船に揺られながら、満天の星を見上げて。今にも星が溢れて降ってきそうな空を見上げて、私の“アニ”は言った。
「僕の家族になってよ」
私は黙ってアニの背中まで腕を伸ばした。息を飲んだアニが私の頭に頬を寄せ、深い息をつく。柔らかく抱きしめられたこの感覚が嫌じゃない。はじめて覚えたこの感覚を、失いたくないと思った。きっとこれが、アニの言っていた「家族」なんだろう。
「よかった」と、アニの漏れたその言葉が自分に向けられたことに気づいて、胸に押しつけた頬が熱くなった。
*
昨夜のゴウシ兄が言うことには、次の朝には新しい港に着くそうだ。
そんなとき、私は計算機を片手に兄とにらめっこしていた。
「違うなぁ、もう一度やってみて」
「もう、三回目」
「だめ。ちゃんと出来るようにならないと」
「そうですよヒメ、次はタツどののところに行って剣の練習ですから早めにね」
「じゃあ、そっち先がいい。書き取りは終わったからいいでしょ」
「こっちを頑張ってからね」
「じきに計算機の練習を」と港で長兄が言っていたが、その計算機がこんなに難解なものだとは思っていなかったのだ。カズナ兄とミカ兄に左右を固められ、毎日訓練をさせられていた。いち早く勉強を終えたアニは逃げるように部屋を飛び出していった。
「その辺にしとけば? ヒメがまた知恵熱出すよ」
「ケンティ、ヒメにお手紙を投げるのやめてください」
前髪を気にしながらハンモックに横たわるケント兄は、先の港でもらったという手紙をひとつひとつ検分していた。その中には貴族の令嬢からもらったものもあるらしい。ひとつ読み終わると、それは私の机にひらりと落ちてくる。私はそれを字の勉強がてらに読む。手紙に書いてあった言葉を真似すると、決まってミカ兄は眉を釣り上げる。
「ヒメが『お慕いしています』なんて言い出したときには心臓が凍るかと思いました」
「いいね、ヒメのことを今から口説いておいた方がいいかな」
「やーめーてーください。ヒメ、それ貸してください海に放っておきますので」
「ああっ、何してるんだ!」
二人の口論が頭上を飛び交う。このまま授業が流れてはくれないだろうか、私がそう思ったとき、タイミングよく聞こえた賑やかな声に石筆を置いた。
「ヒメ、イルカが見えるよ! おいでよ!」
「行く!」
「もう、ユウタ! ヒメ!」
カズナ兄に心の中で謝りつつ私は甲板に走り出した。船の進路の先、微かに陸が見える。きっと港だ、追い風の影響でゴウシ兄が言っていたより予定が早まったみたいだ。
「ヒメ、見える?」
「見える」
ユウタ兄も一緒に甲板から海を見る。ざら、と塩のついたここが好きだ。眠れない夜にここにいるとモモ兄が現れてお話をしてくれたり、ゴウシ兄が物見台で黒い海を望遠鏡で星を覗いているのを眺めたりする。不思議なのはいくらここで私が寝落ちていようと、翌朝にはきちんと布団で寝かされているのだ。
「ヒメ」
現れたのは長兄だった。この人の名前だけは、未だに呼べない。私は計算機の玉を思い浮かべ、密かに溜息を吐いた。
「アカネと仲良くやっているみたいだね」
「……アニ」
「そうだね、アニだ」
長兄は口元で微笑むと、私の目線に合わせてしゃがみ込んだ。ぽんと頭に乗る手が大きくて、思わず私は身震いをした。
アニ、と言う言葉を口の中で何度も転がす。馴染みのある言葉が、何故か舌の上を滑っていくようだ。
「次の港で、ヒメに頼みたいことがあるんだ」
「わたし?」
「そうだ。ヒメにしか頼めないことなんだ」
「うん」
私が頷くと、長兄は満足そうに笑って部屋へと戻っていく。
新しい港はすぐそこに見えている。私は賑やかな兄たちの喧騒を聞きながら、新しい家族の顔を思い浮かべ、これからはじまる日常に思いを寄せた。
本当に、片がついていた。月の名を冠した兄たちも、栄光を名乗る兄たちも、みな無事だった。さらには、ちょっかいをかけてきた相手ですら、殺されたり血を流すこともなく、無事だったのだ。
「無事だったみたいだね、カズナ」
「……あぁ」
青い瞳の兄は、長兄と目を合わせない。アカネ兄に連れられている私に近づき、大きな手のひらを頭の上に滑らせた。
「ありがとう、俺たちの可愛いヒメ」
私は、兄たちが作った道を走って行っただけなのに。長髪の兄が私を後ろから抱きしめる。長い髪が頬をくすぐって思わず笑みを零せば、二色の瞳を持つ兄が嬉しそうに微笑んだ。
空色の髪が隅で蹲っていた。その周りを桃色の髪がぴょこぴょこを跳ね回る。
「ケンケン、いい加減にしなよ」
「前髪がこんなに乱れて……。ヒメは女の子なんだ、こんな前髪じゃ顔見せ出来ない」
「もう! ごうちんも何か言ってよ!」
「……早く帰るぞ、もうすぐ月の出だ」
眼帯をずらし、三白眼の兄は月を見上げて目を細めた。目を横切るようにして大きな傷が見えた。月明かりでさえ眩しそうに目を細める彼は、私の視線に気づくと「昔のだ」と溜息交じりに言う。
「ゴウシの言う通り、みんな早く帰ろう」
長兄の声はよく通る鶴の声だった。みんなが長兄を信じて、疑わない。結局私も一緒に船へ帰ることにした。この船でまた、航海をしたいと願ってしまったのだ。
ぞろぞろと歩き出す兄たちの背中を見つめた。談笑しながら海に向かって歩き出す彼らは、私の船にいた兄弟たちと同じに見えるのに、どうしてハイエッジの船はこんなに温かくなれなかったんだろう。殺伐として、全員がいつも気を張っている。この暖かさを知ってしまった今、私はどうしたらいいんだろう。
「ヒメ……いや」
アカネ兄は繋いだ手に力を込めながら名前を呼んだ。“家族”の意味を持つ、私の名前。
「一緒に帰ろう。渡したいものがあるんだ」
その夜の船は宴会だった。昼間、長兄たちは商談の傍らこれの準備をしていたらしい。酒を飲んで泣き出す空色の兄に、すぐに眠りについた長髪の兄。それを世話して回る青い瞳の兄。「ヒメはまだだめ」と酒は取り上げられた。みんなここの家族、ここの兄弟。
アカネ兄は隅でひとり星を見上げる私に声をかけ、隣にすとんと座り込んだ。私の手に、何か包みを握らせる。
「開けてみて」
包みを開くと、手に馴染む感触。いつも共にいた、あの感触。
「これ」
「分かるよね?」
「ナイフ」
それは、私が前の船で使っていたナイフだった。酷く動揺した。長いこと手入れのひとつもせずに使っていたこれは、刃が錆だらけでとても使えなかったはずだ。刃が綺麗になって、鞘に鎖の飾りがついている。このナイフが綺麗だったところは見たことないけれど、刃の形と刃渡りが同じ。綺麗な飾りまで付けられて、何だか別物みたいだけれど。
「この鎖で腰に下げられる。これはお祝い、護身用に持っていて」
「……お祝い?」
「ヒメがこの船の家族になったお祝いだよ」
傍らに置いてあった酒のグラスを手に取って、軽く乾杯のそぶりをして見せる兄は、にっこりと笑った。
「帰ってきてくれてありがとう。僕の小さなヒメ」
「……」
「ねぇ」
甲板で船に揺られながら、満天の星を見上げて。今にも星が溢れて降ってきそうな空を見上げて、私の“アニ”は言った。
「僕の家族になってよ」
私は黙ってアニの背中まで腕を伸ばした。息を飲んだアニが私の頭に頬を寄せ、深い息をつく。柔らかく抱きしめられたこの感覚が嫌じゃない。はじめて覚えたこの感覚を、失いたくないと思った。きっとこれが、アニの言っていた「家族」なんだろう。
「よかった」と、アニの漏れたその言葉が自分に向けられたことに気づいて、胸に押しつけた頬が熱くなった。
*
昨夜のゴウシ兄が言うことには、次の朝には新しい港に着くそうだ。
そんなとき、私は計算機を片手に兄とにらめっこしていた。
「違うなぁ、もう一度やってみて」
「もう、三回目」
「だめ。ちゃんと出来るようにならないと」
「そうですよヒメ、次はタツどののところに行って剣の練習ですから早めにね」
「じゃあ、そっち先がいい。書き取りは終わったからいいでしょ」
「こっちを頑張ってからね」
「じきに計算機の練習を」と港で長兄が言っていたが、その計算機がこんなに難解なものだとは思っていなかったのだ。カズナ兄とミカ兄に左右を固められ、毎日訓練をさせられていた。いち早く勉強を終えたアニは逃げるように部屋を飛び出していった。
「その辺にしとけば? ヒメがまた知恵熱出すよ」
「ケンティ、ヒメにお手紙を投げるのやめてください」
前髪を気にしながらハンモックに横たわるケント兄は、先の港でもらったという手紙をひとつひとつ検分していた。その中には貴族の令嬢からもらったものもあるらしい。ひとつ読み終わると、それは私の机にひらりと落ちてくる。私はそれを字の勉強がてらに読む。手紙に書いてあった言葉を真似すると、決まってミカ兄は眉を釣り上げる。
「ヒメが『お慕いしています』なんて言い出したときには心臓が凍るかと思いました」
「いいね、ヒメのことを今から口説いておいた方がいいかな」
「やーめーてーください。ヒメ、それ貸してください海に放っておきますので」
「ああっ、何してるんだ!」
二人の口論が頭上を飛び交う。このまま授業が流れてはくれないだろうか、私がそう思ったとき、タイミングよく聞こえた賑やかな声に石筆を置いた。
「ヒメ、イルカが見えるよ! おいでよ!」
「行く!」
「もう、ユウタ! ヒメ!」
カズナ兄に心の中で謝りつつ私は甲板に走り出した。船の進路の先、微かに陸が見える。きっと港だ、追い風の影響でゴウシ兄が言っていたより予定が早まったみたいだ。
「ヒメ、見える?」
「見える」
ユウタ兄も一緒に甲板から海を見る。ざら、と塩のついたここが好きだ。眠れない夜にここにいるとモモ兄が現れてお話をしてくれたり、ゴウシ兄が物見台で黒い海を望遠鏡で星を覗いているのを眺めたりする。不思議なのはいくらここで私が寝落ちていようと、翌朝にはきちんと布団で寝かされているのだ。
「ヒメ」
現れたのは長兄だった。この人の名前だけは、未だに呼べない。私は計算機の玉を思い浮かべ、密かに溜息を吐いた。
「アカネと仲良くやっているみたいだね」
「……アニ」
「そうだね、アニだ」
長兄は口元で微笑むと、私の目線に合わせてしゃがみ込んだ。ぽんと頭に乗る手が大きくて、思わず私は身震いをした。
アニ、と言う言葉を口の中で何度も転がす。馴染みのある言葉が、何故か舌の上を滑っていくようだ。
「次の港で、ヒメに頼みたいことがあるんだ」
「わたし?」
「そうだ。ヒメにしか頼めないことなんだ」
「うん」
私が頷くと、長兄は満足そうに笑って部屋へと戻っていく。
新しい港はすぐそこに見えている。私は賑やかな兄たちの喧騒を聞きながら、新しい家族の顔を思い浮かべ、これからはじまる日常に思いを寄せた。