純粋な気持ちで


「長かったですね」

トイレから戻り、ベンチにいる風はマーモンの姿を見ると立ち上がり近づいてくる。

「ちょっとね」

「…」

マーモンは平然としながらそう言うと風が顔を見つめているのに気付いた。

「ムム、なにさ」

「ふふ、いえ…愛らしいな、と思いまして」

「…ふん、そんな言葉で僕が揺らぐと思うなよ」

「そういうわけではありませんよ、ただ純粋にそう思っているだけです」

「…チッ」

本当に、今日は調子が狂うな。 
普段そんなに愛情表現過激じゃないのに…なにを企んでいるんだか。
さっきは僕と出掛けられるだけで満足、とかそんな事言っていたのに。

"マーモン、愛してます"

"可愛いですねぇ"

"もうこれは結婚ですよ、結婚"

…いや、変わらないわ。いつも通りだ。
よくよく考えると言動いつも通り。
まったく、それなのに狼狽えるとか僕らしくもない。
さっさとこいつのデートを終わらせて、アジトでゆっくりと…。

「マーモン」

「ッ!」

頭の中で考えながら歩いていると不意に風に呼ばれ、腰に腕を回され引き寄せられる。
マーモンは驚いたように風を見上げた。

「え、なに…」

「いえ、正面から来る人とぶつかりそうでしたので
大丈夫ですか?」

身体が密着した状態で顔を心配そうに覗き込んでくる。 

「あ、あぁ、ごめん」

「人、多いので離れないでくださいね?」

そう言いながら風は腰に回していた手をマーモンの手へと移動させて握りしめ、そのまま歩き出した。

「…ねぇ、手」

「手?あぁ、人が多いのでこのほうが良いかと思いまして」

「こんなの無くても別に大丈夫だよ」

「駄目です、このほうが離れることは出来ませんしそれに」

「…それに、なに?」










「繋いでいないと、貴方が何処かに行ってしまいそうで」










風は歩きながらマーモンに向かってそう言い、クラゲのいる水槽の前で歩みを止めた。
ふわふわと浮かんで自由自在に動くクラゲの姿が印象的でマーモンも目を奪われる。  

「…マーモンみたいですね」

「ムム、なにが?」

「このクラゲです」

風は水槽に優しく触れ、ガラス越しにクラゲを撫で始めた。

「小さくて愛らしく、それでいて美しい…
だけど触れようとするとフラッと手から離れてしまう
まさに、貴方の様です」   

「…」  

風の言葉を聞きながらマーモンはジッとクラゲを観察し、風同様にガラス越しにクラゲに触れてみた。
クラゲはマーモンの手の元へとやってきたかと思えばすぐに離れていってしまう。
自分のもとにいたクラゲが風の元へと行ったのを目で追うと、風はどこか寂しそうにクラゲを見つめている。

「…風」

「はい?」

「君は、さっきからこのクラゲと僕を重ねているようだね」

「…もしや、気に触りましたか?」

「まぁ、そうだね
君が今見ているのはクラゲであって、僕ではない」

「…?」

言葉の意味がわからずにいる風の近くにマーモンはソッと寄り、少し寄りかかるように体重をかけた。

「マーモ」

「人、混んでるから寄っただけ」

「…私は、ちゃんと貴方を見ていますよ」

「それはわかってる」

「…なら、どういう」

「僕はクラゲじゃない」

風から視線を外し、水槽の中を浮遊するクラゲへと視線を移す。

「君がさっき言った通り、愛らしく美しくもないし」

「いえ、貴方は愛らし」

「それになにより」










「君が触れている僕は、君の手から離れているかい?」










マーモンの言葉に風は目を見開きながらマーモンを見る。
その視線を感じたマーモンはチラリと視線を向けた後に"フンッ"と鼻で笑う。

「まさか直球に"小さい"って馬鹿にされるとは思わなかったけれどね」

「そ、れはそういう意味では、馬鹿にしてなんて」

「君が、僕に昔から好意を抱いて、僕が行方をくらましてからもずっと探していたのは分かっているよ
だから君は僕が再び、君の目の前からいなくならないように見張っている
だけど、前々から言っている通り元の姿に戻った僕が今、気に入っている場所を自ら失うようなことはしない
それに、君は覚えていないのかい?」

「…なにがです?」

水槽から風へと身体を向け、マーモンはジッとフード越しに風の瞳を見つめた。
その瞳は風にしては珍しく、不安げに揺らいでいる。
その不安を払拭するかのように、マーモンは口元に笑みを浮かべながら風の頬に手を伸ばして優しく撫でる。










「僕はこの前言ったはずだよ
"君が悲しそうな顔をするなら、僕の意思で勝手に消えるなんて事はないから安心して"ってさ」










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