要粛正の心臓
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フッフッフッ……! 本当に人形みたいな奴だな。面白ェ。
人形としてのお前の人生を飼ってやるよ
【要粛正の心臓】
「おい、リューゲ。今夜一杯どうだ?」
「いいねー」
「あなた達!! 書類の提出がまだでしょ?」
「あん? そんなの明日でもいいだろ」
「ヒナ、幻滅。あなた達がいつもそんな風にサボるから、もう期限ギリギリなの!!」
「はは。ヒナに言われたらダメだな。スモーカー、二人でやれば時間かからないだろうからやっちゃおう」
「……お前はほんとヒナに弱ェよな。あーちきしょう」
「……。三人でやれば、もっと早く終わるわよ。そしたらご飯にしましょ」
「!」
「さすがヒナ。頼りになるよ」
「ふん。早く行きましょう」
ヒナとスモーカーは海軍入隊が同じ、いわゆる同期という奴だ。数いる同期の中でたまたまメンバーとして組まされただけだったが、あの時は三人でいることが普通になっていた。
「スモーカー君! あなたちゃんとしないと、本当にクビになるわよ」
「んなことはどうでもいい。おれはおれを貫くだけだ」
「はは。スモーカーらしいね」
「ってかよ、リューゲはどうなんだ? お前は何の正義を掲げてるんだ?」
「ん? 僕は海軍の信念に惹かれてここにいるよ」
「優等生な答えだな」
「ヒナには負けるけどね」
「ヒナ不服。あなたはよくやってると思うわ。スモーカー君と絡んでサボる以外はね」
スモーカーは独自の正義感を持つ、海軍では異端と呼ばれる男。一方のヒナはまるで“海軍の信念”そのものが姿を現したような女だった。そんな二人の側にいるおれも大層大きな信念があるように思われているようだが、そんなことはない。
そもそもおれには掲げる正義など存在しない。
おれはただの動く人形であり、信念も感情も持ち合わせていないからだ。海軍にいるのもただそういう指令。海兵として目立ちすぎず、しかし嫌われない人を演じるように言われていた。感情を理解出来ないおれにそんな指令を出す理由(ワケ)はわからないが、目の前の二人の反応を見る限り、おれは人を演じられているようだ。
「私は海軍の掲げる“絶対正義”に賛成。だから、それを必ず成してみせるわ」
本当に興味はなかった。だがヒナが語る“それ”はおれの目にあまりにも美しく映っていたのは事実で。おれはこんな世界で正義を貫くヒナに興味を持っていた。
「リューゲ!! あなたまた怪我を!!?」
「おいおいひでェな、大丈夫かよ?」
「えーああ、大丈夫だ。血は止まっているし」
「ナイフだと射程が短いから不利なんじゃねェか?」
「スモーカーはともかく、ヒナだって近接だろ?」
「! 私は能力的にそれがいいだけのことよ。あなたは“能力者ではない”のだから、得物をちゃんと考えなさい」
「……ああ、考えておく」
だが、結局ナイフを得物としてる。あの会話には間違いがある。おれはわざわざ長刀を持ち歩く必要がない。
[キノッピオ。B58地点、2200(フタフタマルマル)にターゲット到着予定。処分しろ]
「はい」
G5にいるマスターからコード名と任務地点、任務内容だけの短い通信を切りおれは部屋を抜け出す。ヒナとスモーカーと組んでいたあの時から時は流れ、それぞれが大佐の地位に就き、ローグタウンにスモーカー、アラバスタ周辺地域にヒナ、そしてシャボンティ諸島におれが配属された。赴任先へ旅立って以来、あの二人には会っていない。
ヒナはおれが本部に近い所属になったことで栄転だと自分のことのように喜んでくれた。ただ命令する者の都合がいいだけだったからなんて事情は知る由もない。しかしなぜ彼女が他人のことでこれ程喜べるのか、おれには理解できなかった。それはやはり、おれが人ではないただの人形だからだろう。
ーーーマスターからの仕事を終えたおれの子電電虫が鳴った。
「はい」
[リューゲ?]
「ヒナ? どうした、こんな遅くに」
血の匂いが充満する空間に似つかわ無い、明るい声を出す。ヒナやスモーカーと話す時の声だ。
[少しバタついてね。実は今日、スモーカー君に会ったの。それで昔の話をして、リューゲはどうしているかって話になったのよ]
「ヘェ、今も一緒なのか?」
[いいえ。もう別れてるわ。お互い仕事で合流しただけだから]
「そうか」
いくつか転がる死体の一つに腰を降ろしながらヒナと話した。静かな夜だった。
[それであなたは元気なの?]
「ああ、元気だよ」
[そう。ヒナ安心。今はどういう仕事をしてるの?]
「巡回がメインかな。二人も同じだろ?」
[ヒナ不覚。そうよね、まずやる仕事といえばそうなるわよね]
「ああ。諸島は広くてまだ周りきれてないが…」
[あなたは真面目すぎるから、ちゃんと休む時は休みなさいよ]
「真面目…?」
その言葉はおれを表すものとしては間違っている。その言葉はヒナにこそ似合う。
[そう。誠実で真面目。知ってる? 研修時代、たくさんの女子があなたを狙ってたのよ]
「へー。知らなかったな」
指令で海兵の所属と名前という記号で管理されているリストの内容は覚えている。だが、同期などもうヒナとスモーカー以外思い出せない。
[私とあなたが付き合ってるのか、なんてのも聞かれたのよ。同じ志を持つ同志だってのに。ヒナ、不満だったわ]
「ヒナ程、正義の信念を持って海軍に来ている人はいないからな」
おれは掌から伸びる赤い樹を眺めながら、いつも通り返答した。
[ありがとう。でも、あなたもスモーカー君もそれぞれの信念を持っている。それが海兵として当たり前だと思うの]
「そうだな、海兵ならそうであるべきだ」
[……リューゲ、あなた本当に大丈夫? 働きすぎてない?]
「大丈夫だ。そんなに元気なさそうか?」
[ええ少し。特にあなた怪我が多いからヒナ、心配。また傷作ってるんじゃないかって]
「はは。ナイフは近距離だからどうしても…な。でも気をつけているよ」
[そうしてちょうだい。あと、吸血鬼騒動は大丈夫なの?]
「吸血鬼……?」
[本部にいる先輩から聞いた噂よ。シャボンティに最近吸血鬼が出るって]
おれは掌の赤い樹に意識を込める。すると赤い樹の枝が意思を持ったように動き出し辺りの死体に刺さる。そして脈を打つように、死体共から血を吸い上げていく。
「知らない話だな」
掌に入り込む血は他者の物であっても身体は順応する。傷口から血を操る。それがおれの“悪魔の実”の能力だった。放出した血の補給は、死んだ人間から行う循環の能力。いつ見ても気持ちが悪い。そんなおれの状態を知らないヒナの、ため息交じりの声が子電電虫から聞こえる。
[自分の配置地域のことくらい情報収集なさい。噂話でもたまに馬鹿にならないこともあるのよ]
「ああ、そうだな。じゃあヒナ、教えてくれ。どういう噂なのか」
[はぁ…。噂自体はありきたりなものよ。最近発見される死体の中に、血が全て抜き取られたような痕跡があるって]
辺りの死体がカラカラになるのに合わせ、立ち上がる。もう人形を支える力すらこれらのモノにはない。掌の血は固まり止まった。適正量は取れたらしい。
「血を抜き取られた…か。本当に吸血鬼みたいだな」
[そう。数がだんだん増えているらしいのよ。被害は海賊や悪いことをした行商人ばかりで市民に被害はないと聞いたけれど]
「そうか、どんな奴か会ってみたいな」
[コラッ! 適当なこと言わない。あなたは強いけど、“能力者ではない”のだから油断してはダメよ]
「わかってる。そろそろ寝るよ」
[……ええ、そうね。じゃあまた]
「ああ、また」
おれはヒナが通信を切るのを待って子電電虫を閉じ、部屋に戻った。血で濡れた服を破棄し、シャワーを浴びる。血を取り込むと酩酊したような気分になり、頭が痛くなった。洗面台の鏡に映る顔はひどくやつれ、目には光などない。意思を持つことを放棄した人形そのものだ。ヒナやスモーカーにはあるものがおれには一つもないことを証明する。
その日はマスターに仕事と噂の連絡を入れ、そのまま浅い眠りについた。ヒナの先輩であると言っていた海兵一名の殺害命令が下ったのは数日後のことだった。
それからさらに年月が経った。海軍では世代交代が起こる大きな戦争が発生し、そこから2年という早さで赤犬を元帥とした新体制が構築されて行った。スモーカーは新世界のG5へ赴任となり、ヒナはアラバスタ近辺を中心に王族警護で遠征することが増えたそうだ。おれは相変わらずシャボンティ近辺に配置されている。吸血鬼の噂もシャボンティ諸島では結構有名になっていた。だが、死ぬのは悪人ばかりで市民からは正義の味方とまで言われている。芯のない者の正義に何を望んでいるのか。
いつも通り部下を配置し終えたあと自身も巡回に出る。しばらく歩いていると子電電虫が鳴った。
「はい、リューゲ」
[ーーーリューゲ、今どこにいるの?]
「ヒナ? シャボンティだけど?」
[シャボンティのどこ?]
「 22番あたりだ。どうした?」
[……私もシャボンティなの、会えないかしら]
「そうなのか。いいよ何番にする?」
[少し込み入った話をしたいの]
「ふーん。じゃあ、20番にしようか」
[わかったわ]
込み入った話。最後に会ったのは確か戦争があった2年前だ。おれはあの時、シャボンティの統括警備を担当することになり、戦争自体には参加していなかった。それでも戦争後、ヒナとスモーカーにはそれぞれ顔を合わせている。何を話したか、今や覚えていない。最近いろんなことが朧げになることが増えた。表面的には何も変わらないように装っているが、何か物足りないのだ。人形のくせに充足を求めるようになっていた。だからあの戦争後からマスターの指令が増えたのは幸いだった。
多くの指令をこなしたおかげで今や己の血よりも他者の血が多くなり、吸収した時起こるのは酩酊ではなく、なんとも言えない高揚感だけとなった。その感覚を覚えてからは指令を今か今かと待ちわびる日々を過ごしていた。しかし連日あった指令はここ数日ピタリと止まっている。
「待たせたわね」
「やぁ、ヒナ。久しぶり。調子はどうだい?」
「……大丈夫よ。あなたは?」
「僕もいつも通りさ」
「本当に?」
「ん? ああ。ピンピンしてるけど?」
「……ねェ、吸血鬼は捕まったの?」
「いや、報告は受けてないけど」
「あなたはこの諸島にもう結構いると思うけど、出会ったことは?」
「そういえばないな」
「……」
「それがどうした?」
「少し気がかりがあるの」
「話したいことってのはそれか?」
「ええ。実はつい数日前にスモーカー君から連絡が来たの」
ヒナは眉間のしわを深くする。何を考えているのか、検討はつかない。
「それで?」
「G5で反乱があったらしいのよ」
「ヘー」
「ヒナ不満。ちゃんと聞いてるの?」
「聞いてるよ。G5で反乱だろ」
「そう。そしてその首謀者はG5の基地長、ヴェルゴ中将よ」
「基地長…。一番上の人間が謀反をしていたのか」
「ええ。そちらはスモーカー君が“協力者”と対応した、と聞いている」
「そうか。じゃあ、悪の芽は摘めたんだ。よかったじゃないか」
「……」
「?」
ヴェルゴ中将なる人が謀反を働き、スモーカーが討伐した。これでスモーカーはより出世するだろう。こういうときヒナは喜ぶのではないのか?他人のために喜べるのだから。
なのにヒナの眉間のシワは濃くなるばかり。ヒナはタバコを取り出すと火を点けた。
「ねェ、リューゲ」
「なんだ?」
「あなた、そんな感じだったかしら?」
「ん?」
「いえ。ヒナ失敗。そういうことを言いたかった訳ではないの」
要領を得ない。ヒナはタバコを吸うことで何か整理しているようだ。おれはそれをただ見る。しばらくしてヒナは口を開いた。
「あなた、“ピノッキオ”という人物を知ってる?」
「……」
ヒナの口からコード名が紡がれるとは思わなかった。そのコードはジョーカーに付けられたもので、実際にはマスターにしか呼ばれたことはない。その名を呼ばれ、任務を言い渡されるのを待っていたせいか、心臓がひとつ強く鳴った。しかしそれはすぐに凪ぐ。ヒナの話を聞く限り、もう任務は来ない。ジョーカーに言われ下についた顔も知らないマスターは、ヴェルゴと呼ばれていたハズだから。
人形が主を無くした場合、どう振舞うべきなのだろうか。ジョーカーに確認しないといけないだろうか。
「実はそのピノッキオという人物が、ヴェルゴから指示を受けてこのシャボンティ近辺で暗殺を繰り返していたとスモーカー君から情報が入った」
「……」
「スモーカー君からは、あなたなら何か知ってるかもしれないから聞いて欲しいと」
ヒナはおれに目を合わせ、聞かせるように話す。何かを必死に考えている瞳(め)だ。ヒナは強い意思で海軍の信念を全うする。それがヒナの矜持。そんなヒナでも迷う時は今みたいに必死に現状を確かめようと瞳を光らせる。その光はおれにはないもので、しかしなぜだか気になってしまう光だった。
「ここに来る前に……あなたに詳しく聞けるように色々調べたの」
「……」
いつだったか、スモーカーが海軍を辞めさせられるという事態が起こった。その時のヒナも今のように必死でスモーカーを弁護できる方法を考えていた。彼女の必死さが不思議で、手を貸した記憶はある。随分古い記憶だ。しかし今ここにスモーカーがいる訳ではないのに、ヒナは何を焦っているのだろうか。
「艦で向かいながら情報を集め、考えた。ーーーーそして2つの結論に辿り着いたの」
「……」
「私が考え得る限り、そのピノッキオという人物が、“吸血鬼”だわ」
「!」
また心臓が大きく鳴った。そして今度は凪ぐこともなく身体に響くくらいドクドクと強く波打つ。心臓が騒ぐ。その忙しなさは血を取り入れた時の高揚感と似ていた。自然に口許が緩む。その理由はわかっていた。
ヒナはピノッキオが誰かを知っている。
情報を集め、まるで推理小説の探偵のように、真実に近づいていったのだろう。そして海軍に謀反を働いたヴェルゴの命令を聞いていた人物を特定した。
「……」
久々に長くヒナと話したからか、昔の感覚が蘇ってきた。今のヒナは焦っているのではなく、迷っているのだ。裁こうしているモノが自分に近しいモノだったから。
だが、こんなおれに対して迷うことはない。ヒナの“絶対正義”はこんなところで、こんな人形相手に折れてはいけない。
「結論についてはスモーカー君に話したわ」
「……もう一つの結論もか?」
ヒナは短くなったタバコを噛みしめる。
「ええ。そちらはあくまでも可能性として。私もスモーカー君も信じたくないこと…。だからこの件に関しては私に一任してもらったの」
「そうか。“おれ”の情報はあまりアテにならないが」
「!?」
「ヒナの懸念はわかるよ」
「!……」
「もう一つの結論は、“ピノッキオなる吸血鬼を特定したという話”。そして懸念事項は、ーーー特定した人物は、“能力者”でない。ということ」
「!!!」
ヒナは驚き口を開いた、タバコを地面に落とす。ヒナの驚いた顔は久しぶりだった。
「でも大丈夫だ、ヒナ」
そういってナイフを取り出したおれの行動に構えるヒナ。しかしおれはヒナを攻撃する気は無い。
ヒナの正義を全うさせるためにヒナの懸念事項を晴らしてやらないといけない。ただそう思った。ヒナがおれに注視している中、おれはナイフを右の掌に突き刺した。
「リューゲ!! あなた何を…」
ヒナの声が聞こえる。しかしその声はナイフを抜いたおれの掌をみて最後まで言葉を紡がなかった。傷口から血が溢れる。
そしてそれは重力を無視して天へ伸びる。掌に赤い樹が生まれた。
「これで懸念はなくなっただろ?」
「……能力者、だったのね……」
「ああ」
「いつから!!」
「ヒナ達と出会う前からだな。己の血を操ったり、相手から血を奪うことができる能力だ」
「あなたは…!!! 私やスモーカー君、それに海軍を騙していたの!」
激情。ヒナの表情は感情のないおれの、人形であるおれの心を揺さぶる。思えば出会った時からそうだった。
「なぜ、ヴェルゴに従っていたの! 何か弱みでも握られていたの!?」
「いや、何も」
「何も?? じゃあなぜ!!?」
「それがジョーカーの指令だったからだ」
「!! ジョーカーって……」
「おれを飼っている奴だ。おれはジョーカーのいうことを聞く人形。人ではなく単なるモノだ」
嘘ではなかった。奴隷として売られたおれを拾ったのはジョーカーだった。だからジョーカーのモノになったおれはジョーカーの言う事をただ全うしたにすぎない。
「……じゃあ、今までの……あなたは、ずっと嘘をついてきたというの……?」
悲壮感漂うヒナの言葉にふと、なぜおれはジョーカーの指示も仰がずヒナに真実を話してしまったのか、と考えた。マスターがいなくなって糸が切れた人形。動かなくなれば済む話であるのに。どうやら本当に壊れてしまったらしい。ならば、そのまま壊れ続ければいいか。
「そうだな…今、口にしていることが真実だ」
「そんな目が本当のあなたなの…?」
その言葉でおれの目に光が灯っていないことを知らされた。世界がぼやける中、おれは目の前にいるヒナだけが色を持つ。なんとなく、ヒナであれば終わらせてくれる気がした。
ヒナの掲げる“絶対正義”におれは相応しくない。だからヒナは手を下してくれる。そうすれば唯一美しいと感じたヒナの“絶対正義”の礎になることができる。それはなんとも甘美なもの。壊れた心臓は大きく高鳴っている。
「なぁ、ヒナ」
「何……?」
「お前の正義を全うしてくれ。それがおれの救いにもなる」
「嫌よ。あなたの思い通りなんてならないわ」
ああ、やはりヒナはヒナだ。喜びという感情がおれの中を占める。溢れる感情に自分がどんどん壊れていくことを自覚する。それでもいい。壊れ続ければ、ヒナの躊躇はなくなるだろう。ヒナの手で終わりたい。
そうしてやっと理解した。おれの心臓は、ヒナに裁かれることを心の底から望んでいる、と。
人形としてのお前の人生を飼ってやるよ
【要粛正の心臓】
「おい、リューゲ。今夜一杯どうだ?」
「いいねー」
「あなた達!! 書類の提出がまだでしょ?」
「あん? そんなの明日でもいいだろ」
「ヒナ、幻滅。あなた達がいつもそんな風にサボるから、もう期限ギリギリなの!!」
「はは。ヒナに言われたらダメだな。スモーカー、二人でやれば時間かからないだろうからやっちゃおう」
「……お前はほんとヒナに弱ェよな。あーちきしょう」
「……。三人でやれば、もっと早く終わるわよ。そしたらご飯にしましょ」
「!」
「さすがヒナ。頼りになるよ」
「ふん。早く行きましょう」
ヒナとスモーカーは海軍入隊が同じ、いわゆる同期という奴だ。数いる同期の中でたまたまメンバーとして組まされただけだったが、あの時は三人でいることが普通になっていた。
「スモーカー君! あなたちゃんとしないと、本当にクビになるわよ」
「んなことはどうでもいい。おれはおれを貫くだけだ」
「はは。スモーカーらしいね」
「ってかよ、リューゲはどうなんだ? お前は何の正義を掲げてるんだ?」
「ん? 僕は海軍の信念に惹かれてここにいるよ」
「優等生な答えだな」
「ヒナには負けるけどね」
「ヒナ不服。あなたはよくやってると思うわ。スモーカー君と絡んでサボる以外はね」
スモーカーは独自の正義感を持つ、海軍では異端と呼ばれる男。一方のヒナはまるで“海軍の信念”そのものが姿を現したような女だった。そんな二人の側にいるおれも大層大きな信念があるように思われているようだが、そんなことはない。
そもそもおれには掲げる正義など存在しない。
おれはただの動く人形であり、信念も感情も持ち合わせていないからだ。海軍にいるのもただそういう指令。海兵として目立ちすぎず、しかし嫌われない人を演じるように言われていた。感情を理解出来ないおれにそんな指令を出す理由(ワケ)はわからないが、目の前の二人の反応を見る限り、おれは人を演じられているようだ。
「私は海軍の掲げる“絶対正義”に賛成。だから、それを必ず成してみせるわ」
本当に興味はなかった。だがヒナが語る“それ”はおれの目にあまりにも美しく映っていたのは事実で。おれはこんな世界で正義を貫くヒナに興味を持っていた。
「リューゲ!! あなたまた怪我を!!?」
「おいおいひでェな、大丈夫かよ?」
「えーああ、大丈夫だ。血は止まっているし」
「ナイフだと射程が短いから不利なんじゃねェか?」
「スモーカーはともかく、ヒナだって近接だろ?」
「! 私は能力的にそれがいいだけのことよ。あなたは“能力者ではない”のだから、得物をちゃんと考えなさい」
「……ああ、考えておく」
だが、結局ナイフを得物としてる。あの会話には間違いがある。おれはわざわざ長刀を持ち歩く必要がない。
[キノッピオ。B58地点、2200(フタフタマルマル)にターゲット到着予定。処分しろ]
「はい」
G5にいるマスターからコード名と任務地点、任務内容だけの短い通信を切りおれは部屋を抜け出す。ヒナとスモーカーと組んでいたあの時から時は流れ、それぞれが大佐の地位に就き、ローグタウンにスモーカー、アラバスタ周辺地域にヒナ、そしてシャボンティ諸島におれが配属された。赴任先へ旅立って以来、あの二人には会っていない。
ヒナはおれが本部に近い所属になったことで栄転だと自分のことのように喜んでくれた。ただ命令する者の都合がいいだけだったからなんて事情は知る由もない。しかしなぜ彼女が他人のことでこれ程喜べるのか、おれには理解できなかった。それはやはり、おれが人ではないただの人形だからだろう。
ーーーマスターからの仕事を終えたおれの子電電虫が鳴った。
「はい」
[リューゲ?]
「ヒナ? どうした、こんな遅くに」
血の匂いが充満する空間に似つかわ無い、明るい声を出す。ヒナやスモーカーと話す時の声だ。
[少しバタついてね。実は今日、スモーカー君に会ったの。それで昔の話をして、リューゲはどうしているかって話になったのよ]
「ヘェ、今も一緒なのか?」
[いいえ。もう別れてるわ。お互い仕事で合流しただけだから]
「そうか」
いくつか転がる死体の一つに腰を降ろしながらヒナと話した。静かな夜だった。
[それであなたは元気なの?]
「ああ、元気だよ」
[そう。ヒナ安心。今はどういう仕事をしてるの?]
「巡回がメインかな。二人も同じだろ?」
[ヒナ不覚。そうよね、まずやる仕事といえばそうなるわよね]
「ああ。諸島は広くてまだ周りきれてないが…」
[あなたは真面目すぎるから、ちゃんと休む時は休みなさいよ]
「真面目…?」
その言葉はおれを表すものとしては間違っている。その言葉はヒナにこそ似合う。
[そう。誠実で真面目。知ってる? 研修時代、たくさんの女子があなたを狙ってたのよ]
「へー。知らなかったな」
指令で海兵の所属と名前という記号で管理されているリストの内容は覚えている。だが、同期などもうヒナとスモーカー以外思い出せない。
[私とあなたが付き合ってるのか、なんてのも聞かれたのよ。同じ志を持つ同志だってのに。ヒナ、不満だったわ]
「ヒナ程、正義の信念を持って海軍に来ている人はいないからな」
おれは掌から伸びる赤い樹を眺めながら、いつも通り返答した。
[ありがとう。でも、あなたもスモーカー君もそれぞれの信念を持っている。それが海兵として当たり前だと思うの]
「そうだな、海兵ならそうであるべきだ」
[……リューゲ、あなた本当に大丈夫? 働きすぎてない?]
「大丈夫だ。そんなに元気なさそうか?」
[ええ少し。特にあなた怪我が多いからヒナ、心配。また傷作ってるんじゃないかって]
「はは。ナイフは近距離だからどうしても…な。でも気をつけているよ」
[そうしてちょうだい。あと、吸血鬼騒動は大丈夫なの?]
「吸血鬼……?」
[本部にいる先輩から聞いた噂よ。シャボンティに最近吸血鬼が出るって]
おれは掌の赤い樹に意識を込める。すると赤い樹の枝が意思を持ったように動き出し辺りの死体に刺さる。そして脈を打つように、死体共から血を吸い上げていく。
「知らない話だな」
掌に入り込む血は他者の物であっても身体は順応する。傷口から血を操る。それがおれの“悪魔の実”の能力だった。放出した血の補給は、死んだ人間から行う循環の能力。いつ見ても気持ちが悪い。そんなおれの状態を知らないヒナの、ため息交じりの声が子電電虫から聞こえる。
[自分の配置地域のことくらい情報収集なさい。噂話でもたまに馬鹿にならないこともあるのよ]
「ああ、そうだな。じゃあヒナ、教えてくれ。どういう噂なのか」
[はぁ…。噂自体はありきたりなものよ。最近発見される死体の中に、血が全て抜き取られたような痕跡があるって]
辺りの死体がカラカラになるのに合わせ、立ち上がる。もう人形を支える力すらこれらのモノにはない。掌の血は固まり止まった。適正量は取れたらしい。
「血を抜き取られた…か。本当に吸血鬼みたいだな」
[そう。数がだんだん増えているらしいのよ。被害は海賊や悪いことをした行商人ばかりで市民に被害はないと聞いたけれど]
「そうか、どんな奴か会ってみたいな」
[コラッ! 適当なこと言わない。あなたは強いけど、“能力者ではない”のだから油断してはダメよ]
「わかってる。そろそろ寝るよ」
[……ええ、そうね。じゃあまた]
「ああ、また」
おれはヒナが通信を切るのを待って子電電虫を閉じ、部屋に戻った。血で濡れた服を破棄し、シャワーを浴びる。血を取り込むと酩酊したような気分になり、頭が痛くなった。洗面台の鏡に映る顔はひどくやつれ、目には光などない。意思を持つことを放棄した人形そのものだ。ヒナやスモーカーにはあるものがおれには一つもないことを証明する。
その日はマスターに仕事と噂の連絡を入れ、そのまま浅い眠りについた。ヒナの先輩であると言っていた海兵一名の殺害命令が下ったのは数日後のことだった。
それからさらに年月が経った。海軍では世代交代が起こる大きな戦争が発生し、そこから2年という早さで赤犬を元帥とした新体制が構築されて行った。スモーカーは新世界のG5へ赴任となり、ヒナはアラバスタ近辺を中心に王族警護で遠征することが増えたそうだ。おれは相変わらずシャボンティ近辺に配置されている。吸血鬼の噂もシャボンティ諸島では結構有名になっていた。だが、死ぬのは悪人ばかりで市民からは正義の味方とまで言われている。芯のない者の正義に何を望んでいるのか。
いつも通り部下を配置し終えたあと自身も巡回に出る。しばらく歩いていると子電電虫が鳴った。
「はい、リューゲ」
[ーーーリューゲ、今どこにいるの?]
「ヒナ? シャボンティだけど?」
[シャボンティのどこ?]
「 22番あたりだ。どうした?」
[……私もシャボンティなの、会えないかしら]
「そうなのか。いいよ何番にする?」
[少し込み入った話をしたいの]
「ふーん。じゃあ、20番にしようか」
[わかったわ]
込み入った話。最後に会ったのは確か戦争があった2年前だ。おれはあの時、シャボンティの統括警備を担当することになり、戦争自体には参加していなかった。それでも戦争後、ヒナとスモーカーにはそれぞれ顔を合わせている。何を話したか、今や覚えていない。最近いろんなことが朧げになることが増えた。表面的には何も変わらないように装っているが、何か物足りないのだ。人形のくせに充足を求めるようになっていた。だからあの戦争後からマスターの指令が増えたのは幸いだった。
多くの指令をこなしたおかげで今や己の血よりも他者の血が多くなり、吸収した時起こるのは酩酊ではなく、なんとも言えない高揚感だけとなった。その感覚を覚えてからは指令を今か今かと待ちわびる日々を過ごしていた。しかし連日あった指令はここ数日ピタリと止まっている。
「待たせたわね」
「やぁ、ヒナ。久しぶり。調子はどうだい?」
「……大丈夫よ。あなたは?」
「僕もいつも通りさ」
「本当に?」
「ん? ああ。ピンピンしてるけど?」
「……ねェ、吸血鬼は捕まったの?」
「いや、報告は受けてないけど」
「あなたはこの諸島にもう結構いると思うけど、出会ったことは?」
「そういえばないな」
「……」
「それがどうした?」
「少し気がかりがあるの」
「話したいことってのはそれか?」
「ええ。実はつい数日前にスモーカー君から連絡が来たの」
ヒナは眉間のしわを深くする。何を考えているのか、検討はつかない。
「それで?」
「G5で反乱があったらしいのよ」
「ヘー」
「ヒナ不満。ちゃんと聞いてるの?」
「聞いてるよ。G5で反乱だろ」
「そう。そしてその首謀者はG5の基地長、ヴェルゴ中将よ」
「基地長…。一番上の人間が謀反をしていたのか」
「ええ。そちらはスモーカー君が“協力者”と対応した、と聞いている」
「そうか。じゃあ、悪の芽は摘めたんだ。よかったじゃないか」
「……」
「?」
ヴェルゴ中将なる人が謀反を働き、スモーカーが討伐した。これでスモーカーはより出世するだろう。こういうときヒナは喜ぶのではないのか?他人のために喜べるのだから。
なのにヒナの眉間のシワは濃くなるばかり。ヒナはタバコを取り出すと火を点けた。
「ねェ、リューゲ」
「なんだ?」
「あなた、そんな感じだったかしら?」
「ん?」
「いえ。ヒナ失敗。そういうことを言いたかった訳ではないの」
要領を得ない。ヒナはタバコを吸うことで何か整理しているようだ。おれはそれをただ見る。しばらくしてヒナは口を開いた。
「あなた、“ピノッキオ”という人物を知ってる?」
「……」
ヒナの口からコード名が紡がれるとは思わなかった。そのコードはジョーカーに付けられたもので、実際にはマスターにしか呼ばれたことはない。その名を呼ばれ、任務を言い渡されるのを待っていたせいか、心臓がひとつ強く鳴った。しかしそれはすぐに凪ぐ。ヒナの話を聞く限り、もう任務は来ない。ジョーカーに言われ下についた顔も知らないマスターは、ヴェルゴと呼ばれていたハズだから。
人形が主を無くした場合、どう振舞うべきなのだろうか。ジョーカーに確認しないといけないだろうか。
「実はそのピノッキオという人物が、ヴェルゴから指示を受けてこのシャボンティ近辺で暗殺を繰り返していたとスモーカー君から情報が入った」
「……」
「スモーカー君からは、あなたなら何か知ってるかもしれないから聞いて欲しいと」
ヒナはおれに目を合わせ、聞かせるように話す。何かを必死に考えている瞳(め)だ。ヒナは強い意思で海軍の信念を全うする。それがヒナの矜持。そんなヒナでも迷う時は今みたいに必死に現状を確かめようと瞳を光らせる。その光はおれにはないもので、しかしなぜだか気になってしまう光だった。
「ここに来る前に……あなたに詳しく聞けるように色々調べたの」
「……」
いつだったか、スモーカーが海軍を辞めさせられるという事態が起こった。その時のヒナも今のように必死でスモーカーを弁護できる方法を考えていた。彼女の必死さが不思議で、手を貸した記憶はある。随分古い記憶だ。しかし今ここにスモーカーがいる訳ではないのに、ヒナは何を焦っているのだろうか。
「艦で向かいながら情報を集め、考えた。ーーーーそして2つの結論に辿り着いたの」
「……」
「私が考え得る限り、そのピノッキオという人物が、“吸血鬼”だわ」
「!」
また心臓が大きく鳴った。そして今度は凪ぐこともなく身体に響くくらいドクドクと強く波打つ。心臓が騒ぐ。その忙しなさは血を取り入れた時の高揚感と似ていた。自然に口許が緩む。その理由はわかっていた。
ヒナはピノッキオが誰かを知っている。
情報を集め、まるで推理小説の探偵のように、真実に近づいていったのだろう。そして海軍に謀反を働いたヴェルゴの命令を聞いていた人物を特定した。
「……」
久々に長くヒナと話したからか、昔の感覚が蘇ってきた。今のヒナは焦っているのではなく、迷っているのだ。裁こうしているモノが自分に近しいモノだったから。
だが、こんなおれに対して迷うことはない。ヒナの“絶対正義”はこんなところで、こんな人形相手に折れてはいけない。
「結論についてはスモーカー君に話したわ」
「……もう一つの結論もか?」
ヒナは短くなったタバコを噛みしめる。
「ええ。そちらはあくまでも可能性として。私もスモーカー君も信じたくないこと…。だからこの件に関しては私に一任してもらったの」
「そうか。“おれ”の情報はあまりアテにならないが」
「!?」
「ヒナの懸念はわかるよ」
「!……」
「もう一つの結論は、“ピノッキオなる吸血鬼を特定したという話”。そして懸念事項は、ーーー特定した人物は、“能力者”でない。ということ」
「!!!」
ヒナは驚き口を開いた、タバコを地面に落とす。ヒナの驚いた顔は久しぶりだった。
「でも大丈夫だ、ヒナ」
そういってナイフを取り出したおれの行動に構えるヒナ。しかしおれはヒナを攻撃する気は無い。
ヒナの正義を全うさせるためにヒナの懸念事項を晴らしてやらないといけない。ただそう思った。ヒナがおれに注視している中、おれはナイフを右の掌に突き刺した。
「リューゲ!! あなた何を…」
ヒナの声が聞こえる。しかしその声はナイフを抜いたおれの掌をみて最後まで言葉を紡がなかった。傷口から血が溢れる。
そしてそれは重力を無視して天へ伸びる。掌に赤い樹が生まれた。
「これで懸念はなくなっただろ?」
「……能力者、だったのね……」
「ああ」
「いつから!!」
「ヒナ達と出会う前からだな。己の血を操ったり、相手から血を奪うことができる能力だ」
「あなたは…!!! 私やスモーカー君、それに海軍を騙していたの!」
激情。ヒナの表情は感情のないおれの、人形であるおれの心を揺さぶる。思えば出会った時からそうだった。
「なぜ、ヴェルゴに従っていたの! 何か弱みでも握られていたの!?」
「いや、何も」
「何も?? じゃあなぜ!!?」
「それがジョーカーの指令だったからだ」
「!! ジョーカーって……」
「おれを飼っている奴だ。おれはジョーカーのいうことを聞く人形。人ではなく単なるモノだ」
嘘ではなかった。奴隷として売られたおれを拾ったのはジョーカーだった。だからジョーカーのモノになったおれはジョーカーの言う事をただ全うしたにすぎない。
「……じゃあ、今までの……あなたは、ずっと嘘をついてきたというの……?」
悲壮感漂うヒナの言葉にふと、なぜおれはジョーカーの指示も仰がずヒナに真実を話してしまったのか、と考えた。マスターがいなくなって糸が切れた人形。動かなくなれば済む話であるのに。どうやら本当に壊れてしまったらしい。ならば、そのまま壊れ続ければいいか。
「そうだな…今、口にしていることが真実だ」
「そんな目が本当のあなたなの…?」
その言葉でおれの目に光が灯っていないことを知らされた。世界がぼやける中、おれは目の前にいるヒナだけが色を持つ。なんとなく、ヒナであれば終わらせてくれる気がした。
ヒナの掲げる“絶対正義”におれは相応しくない。だからヒナは手を下してくれる。そうすれば唯一美しいと感じたヒナの“絶対正義”の礎になることができる。それはなんとも甘美なもの。壊れた心臓は大きく高鳴っている。
「なぁ、ヒナ」
「何……?」
「お前の正義を全うしてくれ。それがおれの救いにもなる」
「嫌よ。あなたの思い通りなんてならないわ」
ああ、やはりヒナはヒナだ。喜びという感情がおれの中を占める。溢れる感情に自分がどんどん壊れていくことを自覚する。それでもいい。壊れ続ければ、ヒナの躊躇はなくなるだろう。ヒナの手で終わりたい。
そうしてやっと理解した。おれの心臓は、ヒナに裁かれることを心の底から望んでいる、と。