赤木と恋が始まらない
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約束の時間より少しはやくついたのに、ドアの横に2メートルのゴリラが立ってる様子がおもしろすぎて吹き出した。
「なんだお前、失礼な奴だな」
「いやごめん、2メートル、見慣れなくて。遠近感おかしくなりそう」
「悪かったな」
「自販機よりでかいよね?てゆーかほとんどのドアよりたかくない?」
「まあ、そうだな」
「いこ、こっち」
はい、と手を出すと、案外素直に応じてくる。それにしてもあんまりでかくて固くて分厚い掌でびっくりした。本当になにかの動物の体みたいだと言ったらまた呆れさせるだろうか。常連なので、おう夏希先生、と言ってくれたご主人が、文字通りのれんをくぐって現れたゴリラを見て言葉を失っている。
「か、彼氏か?」
「そうなの。中学の同級生でね、バスケの全日本に入ってるの。動けるゴリラなんです」
「な、なるほど」
「赤木です」
「あー!北村中の外に垂れ幕がかかってる?」
「そうそう!」
「どうするよ、彼氏カウンターは狭いか」
「せま…狭いねえ。テーブルにしよう」
「一体何人分食べるんだろうね」
「先生達と来るときより高くつくね」
「そりゃあ平田のじいちゃんなんか殆ど食べないんだから。今月の分、今日入ったからうまいぞ」
「ですよね、一昨日出荷の手伝いしたもん」
「なるほどね」
わたしの向かいに座った赤木は、やっぱり2人分の幅をとっている。いつだか私のとなりに座っていた木暮は、とっとと結婚して最近は子供のかわいい写真の入った年賀状や暑中見舞いをよこす。結婚ラッシュはとおに過ぎ去り、私が動物に囲まれ、赤木がボールを追いかけているあいだに、多くの人は仕事をしながら結婚相手を見つけて、愛を育み結婚式を挙げ新婚旅行先を選んだり家を決めたり子供を産んだりなんだりかんだりしていたわけだ。
「赤木ってさー」
「ん?」
「なんの布団使ってるの?その図体シングルに入る?」
「アパートではセミダブルを使っているが…実家は学生の頃からのシングルのベッドだな」
「だってさあ、布団の縦ってだいたい2メートル弱じゃない?上下ちょっとずつはみ出るわけ?」
「そうだ」
「冬とかどーすんの?靴下はくの?」
「はく」
「そっかあ、そうだよねえ」
「そういえば」
「ん?」
「見合いの話は勧めないでくれと親に話した」
「うそ、なんて?」
「そのうち会わせろって」
「そりゃそうだ。小学校で同じクラスだったのいつ?5年?ミニバスの時おばさんには会ったことあるけど」
「20年前だぞそれ」
「やばいね」
近況報告を続けてきた10年間、いざ夫婦、家族になろうとすると知らないことが多い。生活の様子や、人生観を擦り合わせていく必要がある。それは向こうも同じようで、日々の生活のなんてことない色んなことを共有しながら、大盛りの白米を気持ちよく消費していく赤木をみつめる。
「いつかさ、木暮も誘ってみようよ」
「そうだな、あいつには伝えておきたい。連絡してみよう」
「次、また帰ってくるのいつかわかったら教えてよ。赤木んちにも行くならいつでもいいし」
「お前の方もな」
「赤木と結婚なんて言ったらうちの親びびるだろうな」
「晴子は大喜びだ」
「うん、それは間違いないね」
赤木がトイレに立った隙に、そっと済ませた会計は、やはり病院の院長と、息子夫婦と一緒に来た時と同じくらいの値段で笑ってしまった。これはおまけ、と出してくれたアイスクリームをぺろっと平らげ、前の日と同じようにビールを買い込んで家に戻った。
「ね、寝てみてシングルベッド!ほら!わ、ほんとにはみ出てる!そうだよね、足出さないと頭ぶつけちゃうもんね」
「まあ、これからの季節はいいけどな」
「すごい、こんなにベッドと一体化できる人間はじめてみたよ」
「それ、ほめてるのか」
「さあね」
徐々に距離をつめよう、と言って、のっそり起き上がった赤木の左横にくっついて、了解をとる前に座り込んだ。目下一番の困りごとは、恋人っぽい雰囲気が全くないことかもしれない。アイドルグループがチームにわかれて料理を作る番組を眺めながら、ちょうどよく赤木に体重を預ける。ほかほかして気持ちがいいし、ほんのり焼肉の臭いもする。
うとうとして、眠ってしまっていたようで、テレビはもう次の、ドラマが始まっている。赤木はわたしの肩に腕を回して、やっぱり眠ってしまっていた。濃い顔だなあ。あの晴子と兄妹とは信じられないし、剛憲と名前をつけたご両親は先見の明があったとしか思えない。
大学がクソ田舎だったので、遊ぶところもなく、多くの場合カップルは一緒に住んでいた。ほかにやることもないから、と誰もが呆れ笑いを浮かべながら。私の場合は動物の世話が忙しかったし、うちの学科は男性が多かったけど同じような人が多かった。牛や馬の世話は早朝からなので、夜更けまでイチャイチャしているわけにもいかないし、学科の飲み会も9時くらいには終わる健全なものが多かった。そういうわけで、どういう流れで自然に異性との距離をつめればいいのかがわからない。動物はわかりやすくていいんだけどなあ。力の抜けた眉間や、ちょっと開いた口や、夜になって伸びてきた髭をくまなく観察する。30にもなるともう、好みのタイプを聞かれることもなくなったし、あまりそういうことを具体的に本気で考えたこともなかったと思うけど、いやいやさすがに、例えば木暮と足して2で割ったとしてもゴリラの成分が濃い気がする。それでもなんか、離したくないなって思ってしまったんだから、私もかなりの物好きだ。首もとに顔を寄せると、男性特有の1日分の蓄積された匂いが、鼻腔を占める。なるほどなんだか落ち着く匂いだ、悪くない。劣性遺伝を顕現させないため、遺伝子が近い男性のにおいを不快に感じるようにできているらしいので、たぶんそのへんはセーフだな、などと余計なことを考えながらくんくんしていると、身をよじった赤木の腕がわたしの背中にまわった。
「何をやっとる」
「起こした?悪くない匂いだと思って」
「なんだそれ」
「馬鹿にしたでしょ、生物学的にはけっこう信用できると思うんだけど。ほら、私のここもあいてますよ」
「いや、」
「そう?焼肉のにおいもついていっそうデリシャスだと思うんだけど」
「む、や、その」
「赤木は私とくっつきたくないの」
「そういうことじゃなく、その、困ってる…情けない…」
「なんでよ、あんたらしいと思うけど」
「お前は俺をなんだと思っとるんだ」
「うーん…やさしいゴリラ?」
「本気で言ってるのか」
「だいたいね」
「ふん」
「赤木は?別にかっこよさとか求めてないし正直に話してよ」
「…お前は、」
「ん」
「思ったより小さくて、触れるのはためらう」
「うん」
「それに、お前ほどよく、気持ちが言葉にならない」
「そう?」
「勇気があって、賢くてうらやましい。お前の言葉を聞くと落ち着くし安心する。同じように返せなくて悪いと思う」
「そんなことないよ。たった2日のうちにこんなに向き合ってくれてる」
「いや…む…」
「獣臭いとか、さわる気にならないとか、そういうことならはっきり言ってくれていいよ」
「ちがう!それは、その」
「その?」
「逆で、驚いてる。放せなくなりそうで、追い付かない」
「赤木、わたしのことすごい好きじゃん。よかった。安心した。脇目振る暇なかっただけで、ずっとそうだったのかもね」
「お前の手紙をずっと、楽しみにしてきた」
「ね、赤木あのじじくさいはがきいつもどこで買うの?」
「は?学生の頃は大学の売店や、そうだな、学内の郵便局とか、最近は近所の文房具店とか…」
「ヒェー、体育大学そんなにしけてんの?最初マジでびっくりした」
「失礼な奴だな」
「いいじゃない、赤木にこんなひどいこと言う女、私くらいでしょ」
「まあ、たしかに」
「やーやっぱそうだわ。今から出会う人とさ、ある程度の人間関係を作って更に交際に至ってそこから更に結婚に至るのレベル高すぎない?更に途中でだめになる可能性もあるんだから、そこから振り出しに戻るとか耐えられないわ」
「言われてみれば…正直面倒だな」
「でしょ?だよね!そこを楽しめる人たちが無事結婚してるってわけね」
「なに納得しとんだ」
「まあうちらの場合は親がびっくりするってのと…まあ目下子供だな。モタモタしてたら高齢出産待ったなしだからねー」
「高齢?そうなのか?」
「そうそう。32だっけ?5だっけ?」
「や、知らん」
「一緒に寝てみる?って誘ってみようかと思ったけど、シングルのパイプベッドじゃ無理そうだね、一人でもはみ出てたし」
「悪かったな。こう、ほら、半身になればいけるぞ」
「なんでそこでドヤってくるのさ」
「お前があんまり俺をゴリラ扱いするからだ」
「でも確かに、わたしも半身になれば」
「ゆっくり寝られるとは思えないな」
「ダブル買わないとね」
「間違いないな」
「でもまあ逃げ道ふさぐにはちょうどいいけど」
「よくない」
「おいしい焼肉の匂いがする」
「お前も一緒だ」
匂ったり抱きついたり、わたしに好きにさせていた赤木は、背中に回した掌の、指先をシャツの裾から侵入させるとびくっとして、そして腕を捕まれて追い出された。
「なによ」
「待ってくれ…」
「そう言われれば待つけどさ」
体を起こしざまにそっと唇を重ねると、声にならない声を出しながらいろんな所にぶつかっている。わたしはスーパードライの缶をぷしゅっとあけて一気に流し込んだ。ファーストキスはお肉とビールの味だ。