赤木と恋が始まらない
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おんぼろの寮では八畳の部屋をふたりで使っている。ルームメイトは同じ農学部のべつの学科の子だ。洋服を買おうと思ったら、30分も自転車を漕がないといけないらしく、休みの日に出直すことにした。授業はと言えば、高校までの生物よりぐんと専門性がまし、解剖の実習なんかではマウスが命をおとしまくる。助けるのと殺すのは紙一重だ。臭くてきつい動物の世話に、命を救うための勉強で犠牲になる命。こんなはずではなかったと、4月のうちに地元に帰ってしまう子もいた。2人部屋は気になるかと思ったけど毎日疲れきって沈むように眠ってしまうので、特に不都合はなかった。暇潰しに歩いていった大学通の本屋で、きれいなポストカードやレターセットが目についた。木暮はともかく赤木とこの、かわいらしい便箋ってなんか不釣り合いで、想像で笑ってしまって、2枚買った。赤木の顔を思い出すと、弱音が浮かんできそうで、背中の痛みと温かさを思い出して、言葉を選ぶ。源頼朝は海と山に囲まれた天然の要塞鎌倉に幕府をひらいて、わたしはその場所で生まれ育ったわけなんだけど、ここはとにかく山に囲まれている。どこに行っても山が近い。自分の無知や無力に、耐えて立ち向かって生きていきたい。肩に力を思い切りいれて、それから抜いた。
赤木から返事がきたのは、はがきをポストにいれて3週間後だった。郵便局でしか売ってなさそうな、季節の花の水彩画のワンポイントがついた、じいさんが使いそうなやつ、あまりのぴったりさに声を出して笑ってしまった。あの大きな手で書いたとは思えない、とめはねはらいのしっかりした文字で、季節の挨拶、こちらの様子を気遣って、それから近況報告。とてもじゃないけどあのゴリラがこんな手紙を書くとは、よく知らない人はピンと来ないだろうな。
それから赤木との間で、平均して1ヶ月に1往復くらい手紙のやり取りが始まった。呑気な暑中見舞いと年賀状を寄越す木暮も十分まめだと思うけど、それがいいかげんに思えるくらい、赤木はいつも丁寧なはがきを送ってきて、缶の中で束になっている。授業で見学に行った動物園の売店で買ったゴリラの写真のはがきを送ったときはさすがに、季節の挨拶をとばしてあんなもん一体どこで買うんだと書かれていたけど、あんたが送ってくるじじくさいはがきだってどこで買ってるんだい。
2年の夏には全日本に選ばれたと短い走り書きの暑中見舞いが届いた。日本のバスケは決して世界的なレベルは高くない。とはいえアジアの国々を中心に時々遠征に行くようで、中国や韓国、マレーシアなどの景色のはがきが、ときどきはエアメールでも届いた。どんな環境でも決して折れなかった赤木の努力と思いが花を咲かせはじめていることが、日々の励みになった。
5年にもなると、缶はなかなか、赤木のはがきでみっしりしてきた。大学で飼育している動物の世話があり、バスケをしていた頃よりムキムキになってしまった。国家試験の勉強もあるし、卒業研究もあるので急がしそはどんどん加速していく。このあたりは明かりが少なく、夜になると小さな星がきれいに見える。ちょっとそのへんの水路に蛍がいたりもする。かわいい流行りの洋服よりも、白衣や作業着や、とにかく動きやすくて汚れても良い服が増えた。ホームセンターのポイントもたくさん貯まった。
卒業研究が忙しくなる前にと、連休に帰省した。実家から自転車で15分くらいの、じいさんがやってる動物病院で働かせてもらえることになっているので、大学で売ってるオリジナルの饅頭を土産に挨拶に行ったりもした。
なんとなく図書館にも行ってみたけど、もちろん赤木も木暮もいない。あの頃勉強に使っていた机からは離れた、生物の専門書がならぶ辺りをふらっとして、それからいつもお昼に使っていたベンチに座ろうとしたけど、制服を着た高校生が3人座っていて、なんか懐かしくなってそっと離れた。