高砂くんの表情筋
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高砂くんは先に来ていて、頭ひとつ抜けて見えて遠くからでもよくわかった。時間を守って現れたわたしにあんなに酔ってたのによく来れたなあと言うと、目元と口許をゆるめて笑った。その節はどうもと縮こまると、どんな顔してたかは見そびれちゃったけど、うん、と言った声が優しくてほっとする。背が高いしガタイもいいので、シンプルなTシャツにジーパンでも様になるのが羨ましい。いい歳こいて時間をかけてかわいいを仕込んできたのがなんだか情けなくも思える。
電車で移動して、横浜の体育館に向かう。バスケットボールにプロはなく、日本代表の試合なのにテレビで見る野球やサッカーのような派手さや賑やかさはない。会場の端のほうの最前列に陣取った高砂くんは、真剣な、でも穏やかな表情でフロアをながめる。
「あ、牧くんだ!変わってないねえ」
「そうそう、それで、牧にくっついてるひとつ結びのやつが2つ下の清田、ああ、あのほら、腕に黒いサポーターしてる背の高い、あいつが神」
「あ、マネージャーの旦那さん」
「そう」
「ええ、純朴そうじゃん」
「うん、それであってる」
バスケの試合を見るのは初めてだけど、けっこうプレイが途切れる。今のはどうしてこっちのファールだとか、あいつがどっか痛めたとか、高砂くんの説明はわかりやすい。
試合が終わると、しばらくパンフレットやクールダウンする選手の様子を眺めてから、いくぞ、と声をかけられて慌てて腰をあげる。来たときとは違う道を通って階段をおりていくと、スタッフのジャージを着た人がたくさんいるところについた。ああ高砂くん、と声をかけてきた人に挨拶をするのを少し後ろで聞いていると、廊下の奥のほうから高砂さんだ!と元気いっぱいな声がした。牧くんに、さっき教えてもらった神くんと清田くん。わたしの顔を見てあれ、と言った牧くんに、高校で一緒だった笹原だよ、と紹介してくれて頭を下げる。
「高砂さんだあ!ごぶさたでーす!」
女性の声がしてそっちに目をやると、見覚えのあるひとつ結びの女の子が小走りでやってきて高砂くんの腕にぶらんとぶらさがった。よく見るとスタッフのジャージを着ている。
「原田、おまえなんで、」
「いいでしょうこのジャージ、なんとわたし今回仕事で召集されてきてるんです」
「ええ、相変わらずやるなあ」
「わたしというより、うちの先生がドクターとして呼ばれてて助手です。でもまあふたを開けたらマネージャーですけどね」
「ちがう、お前が体育館にきたらじっとしてられないだけだ。前の助手の人は全然目立たなかったぞ」
「だって!牧さんがすぐ色々たのむじゃないですか!」
「すまん、お前の顔見ると気がゆるむんだ」
「神、それでいいのか」
「いいもなにも選択権ないですからね。まあ学生の頃に戻ったみたいで楽しいですよ」
「お前がいいならいいけどさ」
「みんなに言われます」
牧くんにぶーぶー文句を言っているマネージャーを横目に、神くんはにっこり笑うと、ああ今日5時でしたっけ?5時半?と高砂くんと確認しはじめた。
「あ、言ってなかったか?飯食いに行くんだけど一緒にどうだ?」
「えっ?わたし部外者だしわるいよ、また今度誘って」
「えーっ、高砂さんの彼女さん話してみたいです!来てくださいよ!」
「残念彼女じゃなくって、昨日職場で再会しただけなの!牧くんの試合ってきいてなつかしくて」
「えっそれは!失礼しました!高砂さんがあんまりふにゃふにゃした顔してるから」
「してない」
「してる」
「し、してない」
「してう、ひょひょ?ほあ、むきんなってう」
高砂くんはマネージャーの頬を両手でひっぱった。マネージャーはにやにやしながらわたしと高砂くんを見比べているけどそのほっぺた大丈夫なの。
「あっでも、同級生ってことは牧さんの奥さん知ってるんじゃないです?いろはさん」
「いろは、………秋田いろはちゃん?」
「そうそう。決まりですね、高砂さん」
「えっ!笹原さん?」
「ごぶさたしてまーす、すごい、おぼえててくれたんだね、うれしい」
すごくおしゃれなワンピースに、パールのイヤリングを揺らしたいろはちゃんは、オレンジ色に彩られた唇をにこりと持ち上げた。かっこいい、雑誌にでてきそうなおしゃれさんだ。そのとなりではマネージャーさんが、さっきと同じ髪型によれよれのTシャツジーパンで座っている。かわいいと思ってもらえるチャンスを逃さないための戦闘装備としてのおしゃれしかしていないわたしとは大違いだ。
いろはちゃんとは委員会が一緒だったことがある。体育の授業も。共通の知り合いもいるし話題はあるけど、同級生の近況といえば結婚とか出産が主で目が回りそうになる。いろはちゃんだって高校のときからあの牧くんと付き合っていたなんて、たぶん誰も知らなかったんじゃないかな。おいしそうなお酒をどんどん頼んで、わーい付き合いますと言ってくれたマネージャーのまどかちゃんと盛り上がっていたら、そっと近づいてきた神くんがまどかちゃんのグラスを取り上げる。
「飲みすぎ、明日きつくなるよ」
「ええ、まだ全然なのにい」
「背負わないからね、自分であるいてよ」
「歩けるもん」
「ならいいけど。まったくもー、笹原さんは?帰りの足は大丈夫ですか?」
「大丈夫、わたしもけっこう強いのよ」
「ほんとです?」
わたしはカルピスだから平気、と口をはさんだいろはちゃんに、知ってまーすと返事をして神くんは、まどかちゃんをよしよししてから男子の輪のなかに戻っていった。あんなにシュートをぼかすか決めていた人とは思えないほどふんわりした雰囲気のひとだ。
「かっこいいね、旦那さん」
「え?やだ、神さんはいつもへにゃへにゃしてますよ」
「そう?試合でもいっぱいシュート決めてた」
「はい、きれいだったでしょ。今でも息止まります、もう何百万回も見たけど」
「いいなあ、素敵ね。がんばり屋なとこが好きなんだ」
「んー、うん、はい。神さんはわたしが大丈夫になるまで、いつもちゃんと待ってくれるの。ぎゅってするのも好きです」
「はー、ほんとかわいい!うちに連れて帰りたいんだっていうといつも牧くんに返してきなさいって言われるの」
「ひどいですよねえ、牧さんいまだにわたしのことアホな犬だと思ってる節あるでしょ」
「んー、ないとはいいがたい」
素直で、強くて、みんなかっこいい。こういう人にわたしもなりたかった。自分の道を外れずまっすぐ歩いていたら、素敵な人に出会えたんだろうか。人目ばっかり気にしすぎて、自分を見失ってからずいぶんたっている気がする。美味しいご飯と美味しいお酒でついつい陽気になって飲みすぎて、気がついたら高砂くんの背中で揺られていた。柔らかい綿のTシャツ越しの、あったかくて筋肉質な背中が心地いい。やさしくてきれいなもので胸がいっぱいでグチャグチャだ。高砂くんの背中を濡らす涙と一緒に溶けてしまえばいいのにな。
「ほら、ついた。歩けるか」
「んん、むりぃ」
「仕方ないやつだな」
うちのドアの前まで来てくれた高砂くんは、かばんの中から鍵を取り出して、一緒に家のなかに入った。わたしの足からフラットシューズを脱がせておいたら、ワンルームのベッドの上にわたしを下ろした。コップに水をいれて、ベッドの脇のテーブルにおいてくれた。
「じゃあ帰るぞ。大丈夫か?」
「え?」
「ん?」
「セックス、しないの?」
「…は?」
完全にドアからでていく体勢だった高砂くんは、少し間をおいて大きなため息をつくと、こっちに向き直ってその場にしゃがみこんだ。
「そんなに酔っぱらったか」
「ちがうもん」
「そんなことするわけないだろ、びっくりした」
「おくって帰って、手を出す気にもならないくらい魅力ないかな」
「あのなあ………」
大きな体を小さく屈めて後ろ頭をかく高砂くんを見ながら、こまらせてるなあとか、幻滅されたなあとか、ぐるぐる渦巻いてまた涙がでる。わたしが鼻を啜りはじめたのに気付いた高砂くんが、腰をあげてわたわたしている。
「困らせてごめんね、帰っていいよ、そんなに酔ってない」
「うそつけ、」
「やばい女だと思ったでしょ、あたりだからね」
「それは違うぞ」
「え?」
「お前がただの可愛らしい女の子じゃなくて、苦しんで拗らせた人間味のあるやつだってわかってよかった」
「なにそれ、お人好しすぎない?」
「でもな、他のやつにも今みたいに、自分をすり減らすようなこと言って付き合ってるんだったら、それはどうかと思うぞ」
「だってもう若くないし。抱いてみたら意外といけるって思わせるしかないじゃん」
「俺に自分を低く見積もりすぎって言ったのは笹原だろ。そのまま返すぞ」
「やめてよー、自分が情けなくなる~」
「ああ、もう、ほら、泣くなよ」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を甲斐甲斐しくティッシュで拭ってくれた高砂くんに、かわいくないとこ見られた、と背を向けると、どの口でそんなこと言ってるんだ、とまっとうに反論されてしまった。うん、間違いない、さっきセックスと言ったのと同じこの口です。
「また食事しないか、今度は南口でどうだ。携帯の番号書いておいておくから」
「たかさごくん」
「ん?」
「お願い、帰らないで」
「まだ言うのか、なかなかいい根性してるな」
「既婚者の幸せオーラくらってひとりで寝ろって言うの」
「お前がろくでもない奴ってわかって、ちょっと安心した」
「ひどい」
「それならソファ借りるぞ、明日朝1番で帰るからな」
「え、」
ぷち、と部屋の電気を切られて真っ暗だ。話しかけても返事もない。暫くするとすうすうと寝息が聞こえてきた。ねえ、眠りにつくまでなに考えてた?久しぶりに人の寝ている気配がして、安心してしまってわたしも早々に意識を手放した。