クラスメイトの牧くん
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インターハイは準優勝に終わった。去年よりひとつ多く勝ち進んだその分積み上がったのは、喜びより悔しさの方だった。決勝に進んでも、負けておわりだ。大喜び、という雰囲気ではなかった。顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにした清田の肩を叩き、インターハイでも得点王に輝いた神に目配せをする。その日のうちに神奈川に戻り、次の日一日休んで普通通りの練習を再開した。
準優勝とあって、ローカル局や新聞の取材なんかもくる。ありがとうございます、と頭を下げるたび、腹の底から燃え上がるような欲がわいてくる。柄にもなくふらっと夜走りに出たり、トレーニングを積んだり。ふっと静かな時間に、耐えきれないような、そういう熱さが消えなくて戸惑いさえおぼえる。帰って来てはじめての休日、日曜日、5時過ぎに目が覚めて、外を眺める。うん。
砂浜は日差しが照りつけて焼けるほど暑い。体のなかを渦巻く熱を置いておいて、水と体に意識を集中した。どれくらいそうしていたかわからないが、さすがに指先がふやけきって少しすっきりした体で軽く身なりを整え家路につく。ふとピアノの音が耳に入り、足を止めた。シャラシャラとベルの音がして、なるべく静かにドアを閉める。おばさんと目があって、口元に人差し指をあてて入り口の近くの椅子に座った。最近話題のアニメ映画のテーマ曲を弾ききったいろはは、おばさんの方を振り返ってそして俺に気付いた。
「牧くん」
「おう」
「久しぶり」
「そうだな、元気だったか」
「元気だったかって、」
「おー、牧くんだ」
「あ、海南の!」
「テレビみたぞ!かっこよかったなあ」
「はは、ありがとうございます」
「3年生なら引退すんのか」
「いや、冬まで残ります」
「牧くん」
「ん?」
ーーーーーーーーーー
おっちゃんたちに絡まれて、ありがとうございます、と言った牧くんは、終業式の壮行会で挨拶するときとか、テレビのインタビューに答えているときとかと同じ、お利口な顔をしてありがとうございます、と言った。
思わず腕をつかんで店を飛び出す。どうした?とかおっとりした口調で、早足のつもりのわたしに悠々とついてきている。
「しまった、影がない」
「暑いな」
「ごめん、つい」
「むこうの遊歩道に藤棚があるぞ」
こんどは牧くんがわたしの手首をつかんで歩き出す。大きい背中だ。
「かながわテレビでやってたんだよ、インターハイの試合」
「うん、親から聞いたよ」
「わたしはスポーツやったことないから。すごいなって思ってみてた」
「ありがとうな」
「でも牧くんがどう思ってるのか知りたい」
「…そうだなあ」
牧くんは横に座ったわたしの顔を見て、それから上を見て、下を見て、前を見て、ゆっくり口を開いた。
「去年より成績はいいけどな」
「うん」
「でも負けて終わっちまったからな。嬉しいとは思わなかったな。でもまあ褒めてくれる人たちに悪意はないのもわかってるから、心配するな」
「すごい、大人だ」
「俺はもともと内部進学のつもりだし、冬まで残るからリベンジだ。大学生になってもチャンスはあるしな」
「……すごい、すごいなあ。どこからそんな力わいてくるの」
「わからんな、俺もなんか帰って来てから…腹の底がぐつぐつしてる、感じはする。どこから来るのかも、抑えかたもわからないやつがなあ」
「牧くんはそうやって、パワーためて強くなるんだね。わたしにはよくわかんないけど、応援してるって言っていいかな」
「もちろん、ありがとう」
「ふふ」
「お前はどーすんだ、大学」
「……内部進学、しようと思ってたけど…」
「けど」
「時々くるお客さんで、静岡の短大のピアノ科の先生がいてね。ジャズにも詳しいひとなの。そこに行ってみようかって少し思い始めてて、迷ってる」
「すごいな、あんなに弾けるのにまだ習おうってのかあ」
「じいちゃんに習ったもんで、ちゃんとしたこと知らないからね。なんかこう、可能性があるのに見て見ぬふりするのももったいなくない?」
「それは、たしかに、そうだな」
「でも牧くんとこうして喋れなくなるのはさみしい」
たくさん歩いて心拍数があがっていた、そのせいにしたいけど、出てしまった言葉はひっこめられない。牧くんと目を合わせて、いたたまれず口を押さえた。
「それなら俺もそうだな」
「ごめん、わたしは、ちがうの…」
「えっ?ちがうのか?それはショックだ」
「牧くんの足を引っ張るようなこと言いたくなかった。口がすべっちゃった、失敗です」
「冬はなあ、毎年東京なんだよ。見に来てくれないか」
「…行ってみたい」
「俺はバスケのことばっかり考えてきたんだ。だから秋田に、どうやって近付いたらいいのかもよくわからん。情けないだろ」
かなり、都合よくとらえている、気がする。牧くんは頬を人差し指でかいている。
「バスケを頑張ってる牧くんだから、いいなって、私も頑張りたいって思うの」
「…お前にばかり言わせるのはフェアじゃないよな。白状する、俺は秋田のことが好きだ」
「…牧くん、どストレートじゃん。その気がなくても惚れちゃうやつだよ」
「でもなあ、部活ばっかしてる男なんかつまんないだろ」
「なんでよ、そこがいいのに。わたしにはわたしの世界があるの。それはお互いそれでよくない?」
「その…手を、握ってもいいか」
「さっきはそんなこと聞かなかった」
「それは、あれだ、下心の有無だ」
「ほんと、正直」
右手のパーを出すと、左手の指を絡めて優しく握りこんでくれた。大きくてしっとりした、やさしい掌だ。
「牧くんのことがすき。これは間違いない」
「さっき…俺の気持ちを聞いてくれて嬉しかった」
「や、うん、そっか、ありがとう」
日焼けしているけど、大人っぽくて、にこやかで穏やかで、そしてけっこう楽しい人だ。そんな牧くんが教えてくれたほんとうの気持ちに、わたしはすごくドキドキしている。お腹の底をぐつぐつさせている人にはとても見えない佇まいに、まあでも全国大会で勝ち進むようなチームを束ねる人だから気持ちを隠しておける大きないれものを持っているんだろうか。テレビで見た試合中の牧くんはもっとこう、荒々しい様子に見えたけど。
眉間の皺や目尻の柔らかさを、じっと観察していると、絡んだ指に力が入って、近い、と思ったときにはもう唇が重なっていた。感触を確かめるようにはむ、と動かすとふっと離れたので慌てて目をあけると、至近距離でばちんと目線がぶつかる。
「まき、くん、」
「……悪い、つい」
「あ、ごめん、口紅が」
「お、すまん」
「そっちじゃないよ」
親指で、牧くんの下唇の左端を拭う。意識しないようにしたつもりが、指先に神経が集中したように、その柔らかさを記憶するようにしている自分に気付いて、恥ずかしくて火がつきそうだ。
「赤いな」
「あ、うん、取れたよ」
「ちがう、お前が」
「ひぃ」
恥ずかしいけど、もっとしたい。はしたないと思われただろうか。
「あの、ちょっと、タイム」
「は?」
「あの、また、会えるときあるかな」
「夏休みの間は午後あいてる」
「じゃあ、えっと、お店に来てほしいです」
「ああ、わかった」
「ちょっと、今日は、退散します」
「あ、おい」
痛い程眩しい夏の道を、走って店に飛び込んだ。汗だくでしゃがみこんだわたしを見て、大人の人たちはにやにやしている。カウンターに滑り込んで冷たい水を飲んだ。にやにやしたおばさんが耳元で、口紅よれてる、と囁いたもんだからもうだめだ。
「いい男だと思うよ」
「やめてよ」
「10代は恋しないとね」
「俺も若い頃はよお~」
「あーはじまった!もうそっちでやってて、ちょっと弾きたい気分なの」
レジの下に隠してあるおばさんのメイクポーチから一番すきな色をみつけて塗り直して、ピアノの椅子をひいた。