神さんになびかないマネージャー
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「体育館のすぐそばなんだけど、熱海の温泉街のはずれだから、お風呂は温泉なんだよ。見た目はただの大きいお風呂だけどね」
「へー、いいじゃないですか」
「そんなこと言ってられるの今だけだよ」
みんなで電車で揺られていくのはけっこう楽しい。宿と体育館には事前に電話をかけて、食事や洗濯のこと、何を持っていくといいかなど質問しておいたので、宿につくと出てきたおばさんが、あなたが電話をくれた子ね、と言ってくれてみんなをびっくりさせてしまった。先生の隣に一人部屋を用意してもらって、みんなの大部屋と比べるとそりゃ小さいんだけど、一人で使うにはやっぱり広いもんで。持ち込んだ氷嚢やらテーピングやら、共用のものはここに置いてもらった。洗濯機は好きに使っていいよと言われているので、部屋の前に大きなかごを置いてぽいぽいいれてもらうことにしてある。荷物を片付けてすぐ、軽くトレーニングをしてからお昼はカレーと更だと味噌汁。うめぇうめぇとかきこむノブに、先輩たちがげんなりした顔でバカ食い過ぎるなと口々に声をかけている。私は食事の片付けをして、少し遅れて体育館に向かう。
「足止めるな!」
「もう一本いくぞ!」
「おーっす!」
「川本~吐くなら外の溝でな~」
「おっ!うっ!」
そろそろ1時間というころ、カレーをわんさか食べていた1年生がふたり、よろよろしながら外にでていった。慌てて水と氷嚢をもって追いかける。ホースと水は使っていいと言われているので、手や顔や、アスファルトをじゃばじゃば流す。
「先輩たちがあんま食べるなって言ってたの、そういうことだったんだね」
「きもちわる……ごめん原田…」
「いいって、存分に吐け!着替える?」
「や…いい…」
「えっ、川本吐いてないの?」
「はく……?」
「できないの?出しちゃった方がいいよ!ごめんけどそこ手ぇついて、頭下げて、ごめんね」
「え?あー……うぁ、やめオェッ、ア"、」
「まだ出る?ごめんね、」
「ェェェ……グぁ、」
「こーやって指いれてね、お水のんでもう一回吐くといいよ」
「ごめん……」
「いいって、私夏弱いから得意なの、ゲボ」
「そっすか……」
「井上は?」
「おっす…俺は吐ける……」
「よしよし。お口に氷入れていい?」
「おお…」
手元のホースで手を簡単にきれいにする。言われた通り水を飲んで吐き直した川本の口にも小さい氷を入れて、丸めたタオルの上に頭をのせる。これはまずそうだな、と思いながら、ハンドソープでもう一度手をきれいにして体育館に戻る。
とうとう、夕方の休憩でノブが動かなくなった。これで1年生は全滅だ。先輩たちはなんとか面目を保ったという感じだ。宮益さんが案外けろっとしていてさすが3年生といえる。
夕飯は素麺と聞いて足りるのか、と思っていたけど、こりゃあそうだわ。そんな、みちみちの基礎練習でよろよろになったみんながぼろぼろになって引き上げていく。女湯も全部使って、どろどろのやつらをちょっときれいにさせる。脱ぎ捨てられたものはもうなんか汗だかなんだかでべちょべちょ、人数分の体臭がまざりあって大変なことになっている。2台の洗濯機がけたたましく音をたてる。宿のおばちゃんと顔を会わせたのは今日が初めてだけど、心はひとつだ。
「こんな調子だからね、朝御飯どうしようかと思って」
「ほんとですねえ。お米食べてほしいけどな」
「おにぎり作ろうか」
「たしかに。小さくていいから塩分強めのやつがいいかも」
「そうねえ、わかめとおかかと梅干しならあるよ」
「いいですね、早起きして私も手伝います」
「あとお味噌汁冷やしておくね。具はわかめでいいかな」
「溶き卵は」
「いいわねえ」
「明日から3食どうなりますかねえ」
「明日の晩はお茶漬けあたりかしら。お肉食べさせたいんだけど」
「それなら鶏のむね肉のハムはどうですか?必要あれば買ってきますよ、体育館の向かいにスーパーあったでしょ」
「確かに!私行ってくるわ」
「いや、おばさんはここにいないと。わたし行ってきます。どんくらいいるかな」
「そうねー、ひとり100グラムとしても2キロはいるわね…」
「了解、ほかには」
「きゅうりを10本!3本パックになってたら9本でいいわ。あとは……とりあえずいいかな。悪いね、これで足りると思うから」
「はい、じゃあ出てきます」
「あ、今の洗濯終わったら外に干していいの?」
「助かります!」
陸上をしていたとき、ここまできつい練習はしてなかったけど、夏はよく倒れた。吐くなら吐いた方がいいことや、少しでもお米を食べた方がいいことはよく知ってる。土間に出しっぱなしのスニーカーをひっかけて、小走りで出ていこうとしたら、後ろから手首を捕まれて拍子抜けだ。
「神さん」
「ついてく」
「休んでてください」
「公園とおるでしょ。暗いから」
「走っていくから」
「いいから」
「もー、」
「俺アイス買うから」
「え、ずるっ」
「ほらいくよ」
「神さん、手」
「うん」
わざわざわたしを捕まえた神さんは、わたしの手を離さないまま、ずんずん先に歩き始めた。いつもみたいに自転車の音がない分、沈黙が大きく感じる。
「もー、持ってなくても逃げたりしませんよ」
「はー、ほんと、こーゆーとこ5歳児なんだよなー」
「え、わたしのことですか?」
「そうだよ」
「うそ、どーゆーことですか」
「いいよ、まだわかんなくて」
「え、なにそれ!気になるじゃないですか!」
「だめ、教えない」
「えー!神さんのけち!」
「うわ、今の信長にそっくりだった」
「えー!?嘘でしょ、さいあく」
「おいお前ら何してる」
「うわっ牧さん」
「おばちゃんのおつかいで鶏肉買いに」
「俺はお守りのついでにアイス買いに」
「なるほどな」
「牧さんまさか走ってました?」
「おう、軽くな」
「さすが……」
「もう戻るとこだったけどな。俺もアイス買いに行くか」
「牧さん元気だなー」
「よく頑張ってるマネージャーにアイスくらい買ってやらないとな」
「やったあ、ごちそうさまです」
牧さん、暗いところにいると、歯の白さがめだつ。全身色白でふわふわしてみえる神さんとは違う。牧さんが一緒に歩き始めたので、神さんはやっとわたしの手を離した。別に逃げたりしないのに変な人だ。
「お前、川本の口に指突っ込んでただろ」
「げ、見られてました」
「そこまでやらなくていいんだぞ」
「なんかうまく吐けないみたいできつそうだったんで。2回目は自分でやってましたよ」
「そうだったの?気付かなかった」
「やっぱ悪かったですかねえ、 人権蹂躙しちゃったかな」
「そうじゃない。マネージャーのお陰で命拾いしたって言ってた」
「それならよかった」
「まどかちゃんて不思議だよね。部員に興味無さそうなのに」
「だって目の前で人が倒れてうなってたら放っておけないでしょ。洗濯物の山と一緒です」
「そんなもん?」
「そうなるのか?」
「でもまあ、そんなつもりはなかったけど、牧さんがほめてくれたんでボーナスですボーナス。明日も頑張ります」
「いいのかそんなんで」
スーパーにつくと牧さんは神さんと私にソーダのアイスを買ってくれて、神に恨まれそうだから、と軽やかに走って闇のなかに消えていった。神さんは3キロくらいあるスーパーの袋をかけた方の手でアイスを握ると、反対の手でわたしの右手を捕まえた。今度は手首じゃなく、思い切り掌。ソーダのアイスにがぶがぶかぶりつきながら、真っ暗な道を歩く。
「別に逃げたりしませんよ」
「はいはい、5歳はそれでいいですよ」
「なんですかそれ 」
「長期戦でいくことにしたから。まああと1年以上はあるしね」
何を言ってるのかよくわからない神さんに手を引かれて戻ると、牧さんはとっくにシャワーを浴び始めていた。おばさんが女湯のお湯を新しくしてくれている。鶏むね肉の皮をはがして、砂糖と塩をもみこんで、ラップとアルミ箔にくるむ。おばさんが沸かしておいてくれた大鍋のお湯につけたらしばらく放置だ。洗濯を干しているとおばさんが手伝いに来てくれた。
「あんたがいるんで今年は助かるわ」
「次も来るから安心して」
「そりゃ心強い」
「部員は減るかもしれないけど」
「そーだねえ。ああねえ、あんたやるわね。おばちゃんはあの子が一番男前だと思ってたよ」
「は?」
「さっきあんたが買い物行くとき慌てて追いかけてった背の高い子がいるでしょ。彼氏?」
「やだ、違いますよ。やさしい先輩です」
「ありゃありゃ、気の毒だねえ」
「もー、勘違いですって」
「おっ原田、おつかれさん」
「先生!つかれました!」
「はは、明日からは2、3年もばしばし倒れるから頼むな」
「えー!?大丈夫なんですかそれ」
「うん、牧はたぶん」
「それは…」
「1年生には試練だ。脱落者がでないといいんだけどな」
「みんなもう寝てますね。熱とかは誰も出してないし、みんな氷持たせてます」
「うん、お前も早めに寝ろよ」
「はい、風呂入ったら」
大きなお風呂はテンションがあがる。誰もみてないのをいいことに、頭までもぐったりぷかぷか浮いたりした。朝早くから夜遅くまで、集中したのでくたくただ。男子の部屋からは誰ともわからないいびきが聞こえてくる。ひとり部屋は寂しいかと思ったけど、静かで心地よく、あっという間に眠りについた。